花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

今日は省みる日です。

2017年03月13日 10時10分10秒 | 反省の心柱

こんにちは。

今日は,1週間に一度の省みる日です。よって,何もしません。

この先週1週間の自分の言葉,考え,そして行為と行いを振り返ります。

私にとってはとても大切な日でもあり,日頃の罪穢れを祓う日でもあります。

神様から与えて戴いた貴重な時間です。しっかり省みて夕方からは直会です。

人は誰でも自分自身の弱点,弱さを見つめ理解すること,受け入れることで強くなって生けると私は考えています。

真の信仰とは,日々の日常生活の中にこそ存在していると感じています。


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                                             ブログ開設274日目 記事数第213記 反省の心柱 


粋に鯔背(いなせ)に・・・。

2017年01月31日 20時20分06秒 | 反省の心柱

こんにちは。

昨日の夜,そして今日の日中も風神様の御活動が激しかった日でした。

先日から,このブログで神から人への著者である「ひふみ ともこ」さんと云う方の書記をご紹介させて頂いています。

きっと,読んで下さる方にとって手本となり,生きる希望を見出してくれることを祈っています。

今はとにかく生きること。生き延びることに尽きる様な気がします。

他人事ではなかったと嘆く前に今一度,省みることが必要な時期に差し掛かっている様にも感じています。拝


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                                             ブログ開設233日目 記事数第208記 反省の心柱 編


御心

2017年01月11日 22時23分51秒 | 反省の心柱

こんにちは。

戦ってはならんし,闘わなくてはならないし,難しいですね。

今日も勉強させて頂きました。

合 掌


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                      ブログ開設213日目 記事数第199記 反省の心柱 編


ともに歩む仲間だから・・・。きっと,また。

2017年01月02日 17時51分24秒 | 反省の心柱

こんにちは。

同じ志を持った文字通りの同志が去っていくことは,少し寂しく感じます。

ですが,それもその人の持つ縁でありますから仕方がないのかも知れません。偶に,人さまのブログやサイトを興味深く読む時があります。その中には,私と似たような思考を以ていたり,同じような考え方である人が居られます。特に,宗教や信仰,霊性に関する事柄は千差万別であって全く同じと云うことはありえませんが,とても共感できることもあることは確かです。

昨日もある人のブログを拝見しておりましたら,その御方は言葉の神様や言葉に宿る言霊について探求されていましたがブログを止めることを宣言していました。その理由は当事者本人にしか解りませんが,なんだか同じ志を抱いていた友人を失ったような気持ちでありました。決して会うことのない人であり,メールなどで意思を伝達し合うこともないのに不思議な感じもします。

たとえ実現出来ずとも,神様に仕え従う者が居るならば,神様は絶対に見捨てたりはしない。

たとえ1人になろうとも太神様に仕え従う。拝


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                      ブログ開設204日目 記事数第196記 反省の心柱 編


改心する人は美しく輝いていた。

2016年12月21日 21時38分03秒 | 反省の心柱

こんにちは。

心から改心しようとしている人は,過去どんな人であろうと理屈抜きに美しく輝いて観えます。

そして,神様は決して見捨てたりしないと云うことを今日,人を通じて感じることが出来ました。

人生をやり直すことは出来ません。しかしながら,今日からはじめることは誰にでも出来ます。

禊ぎの機会を与えて頂き,禊ぎをすることが出来ると云うことは神縁がある何よりの証明。前を向いて頑張ってほしいと思います。もうじき,私の役目も終わるかもしれませんが,自主的に過去を省みて,自分でも新たにはじめることが出来るのだと気付いて頂けるまで約10年と云う歳月を要しました。長いようで短い感じもしますが,私もいろいろなことを勉強させて頂きました。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

               

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 大和の国から狼煙をあげて。                                                               感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設192日目 記事数第192記 反省の心柱 編


咲かせよ咲かせ 豊葦原瑞穂国に。

2016年12月04日 21時12分04秒 | 反省の心柱

 

こんにちは。いきなり,大きな画像を2枚掲載させて頂きました。どちらも聖観世音菩薩様です。私のお客さんでもある寺院さんでもあるのですが,2枚目の写真の観音様正面に何やら光り輝くものが造成してあります。これは,芝桜で今年の4月頃に植えたものです。以前も少し記事にさせて頂いた「音霊は無音に始まり有音に終わる。これ音霊の正体なり。」場所と同じ寺院さんです。

先日,生育観察と清掃のために伺いましたら立派に育っておりました。今年は,秋頃より雨の続く日がとても多く,生育に影響があるのではないかと心配しておりましたが,7月に行ったきりだったのですが大丈夫でした。来年の春には紫色の芝桜を咲かせてくれると思います。年末にまた伺って肥料と清掃をしたいと考えています。実は,この芝桜を植えたきっかけは,ここのお寺で観音様の化身と出会ったからでした。そんな訳ないだろ?と思われることは十分承知です。しかし,本当に本当なことなのです。

しかも,その観音様は一般女性の姿に変身していて,境内にあるお墓の辺りから現れたのでした。それはどう云うことかと申しますと,ある日,いつもの様に住職さんとこれからの寺院の運営や護持について打ち合わせをするためにお寺へ向かいました。そして,手水舎で禊を済ませ,本堂に挨拶,観音堂に挨拶,お地蔵さんへ挨拶をして住職さんのいる寺務所へ行こうとした時でした。お墓の方から一人の女性,年齢にしたら30代後半から40代前半くらいと思われる女性が泣きながら歩いてくるのです。それもメソメソとしたような泣き方ではありません。誰が見ても一目で泣いていると判るような感じです。

私もこれまで,いろいろな寺院を仕事で訪問させて頂いて来ましたが,こんな経験は初めてです。何か声を掛けようにも何と声を掛けてよいのか解らず「こんにちは」とだけ挨拶をさせて頂きました。するとその女性も私の挨拶に対し「こんにちは」と挨拶をして下さいました。何かあったのですか?と声を掛けるべきであったと思いますが,私の方が躊躇してしまい,それ以上の声を掛けることが出来ませんでした。寺務所に着いて直ぐ,その出来事を住職さんへも報告すると,住職さんも,きっと何か辛い事でもあったのかも知れないと話していました。その日は,その程度の話でしかありませんでしたが,私は帰宅した後もどうしてもあの泣いていた女性が気になって気になって仕方がありませんでした。何故,あんなに泣いていたんだろう?あの人は誰なんだろう?

そんなある日,ふと想うことがありました「音霊が言霊に変換できたのです」もしかしたら,泣いていたあの女性は観音様の化身ではないか?きっと,観音様がもっと謙虚になって物事を見極める行をしなさいと言われているように感じたのです。何か困ったことがあったときに自分の先祖がいるお寺に相談できる環境があれば御役に立てるし,お寺の護持にも繋がる。それを観音様は,一般女性に変身して私に見せてくれたのだと感じました。その後,何度もお寺に行っていますが一度もその女性に会っていません。

その後,再び,お寺で打ち合わせのために伺った際に,思い切って住職さんへ「檀信徒さんや参拝者に喜んでもらえるよに芝桜を造成させて下さい」と心願することにしました。それで考えたのが芝桜計画です。参拝に来られる人々が,このお寺に来て良かったと思って頂ければそれで良いと思いますし,現実的な困り事があればいくらでも相談に乗ることや解決することは出来ます。そんな寺院を住職さんとも協議して行きます。芝桜は,まだ畳1畳程の小さなスペースですが,将来的には拡張して観音様と協同して参拝者に喜んで頂けるよう励みます。神様から教えてもらった事があります。それは,神社と寺院の総代を動かせ。と云うことでした。

天に向かって咲けよ咲け。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設175日目 記事数第179記 反省の心柱 編


祈り・行じて・省みる。

2016年12月01日 21時47分37秒 | 反省の心柱

こんにちは。いよいよ今日から12月が始まりました。今年も残すところ1ヶ月のみとなり,時間(感覚)の短縮に伴い本当に時の経つのが早くなりました。あっと云う間に今年も終わることでしょう。又,15日を過ぎればお歳暮や御世話になった方への挨拶,カレンダー配りとほとんど仕事と云う仕事が出来ない時期でもあります。何とか15日前までにある程度の仕事は終えておき,残りの年末までの期間はお客さん回りと年始の準備に専念したいのですが,これもまた急な用事が突発的に入り難しいようです。

今日は,朝の祓い「掃除」をしている最中に,自分の日々の態度,どう云った生き方「姿勢」なのかを省みて観ました。ちなみに,私は掃除することを祓いと呼んでいます。御風呂に入ることは禊と呼びます。まぁ。それは良いとして,だいたい考え事をしている時は,祓いや禊の時が多いです。同時に,何か良い解決策や新しい妙案が浮かぶ時も祓いや禊をしている時です。そして今日もその祓いの時間帯に日々の態度や生き方の姿勢を自分自身に問うて観ました。すると,意外なことに不足するものを感じ,不足するものは何かを考えていましたら音霊が言霊に変換できました。内容は「祈り」「行じて」「省みる」と云う三つのキーワードでした。

いつもの如く,音霊はとても抽象的なのです。大は小を兼ねると云う言葉がありますが,まさにその通りで具体性に欠ける為,何に対してなのかが解らないのです。さっそく,音霊のキーワードを自分自身の心「高天原」の宮柱「心柱」に落としてみると,物事は三つ揃い,合わさることが重要だと云うことでした。つまり,祈りだけでも駄目。行ずるだけでも駄目。省みるだけでも駄目だと云うことです。三つ揃って一つに成るようです。祈りだけすれば豊かに平穏に暮らせるなんてことはあり得ませんし,行ずるとは仕事ですから仕事だけしていても心労や疲労だけが溜まり続けてしまいます。要は,心にゆとりもなくなり,視野も狭くなる訳です。また省みるだけでも何時も弱々しい感じもしますし,遠慮ばかりする様になってかえって自分の周りの人に気を遣わせてしまいます。

やはり,どんな物事にも「始め為り 終わり成りがあると云うように順序や順番,序列や段階が必要なのだと理解しました。

以前,第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命とは,どのような人物だったのか勉強していた時がありました。勉強と云っても御宮に参拝させて頂いたり,倭姫命の生涯を簡単に勉強した程度です。その倭姫命が残したと云われる御言葉が「倭姫命世記」に記載されています。そこには下記のように読むことが出来ます。今を生きる私たちにも大変,為に成ることが書かれています。

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし,冥は加うるに正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は,清浄をもって先となし,真信をもって宗となす。

黒心なくして,丹心をもちて,清く潔く斎り慎しみ,左の物を右に移さず,右の物を左に移さずして,左を左とし右を右とし,左に帰り右に回る事も,万事違う事なくして,大神に仕え奉る。元を元とし,本を本とする故なり。

上記のような御言葉を残されております。倭姫命をお祀りされている御宮は三重県伊勢市楠部町5に御鎮座されております。

日本には,元々,御互い様と云う言葉があります。人生において自分の力だけでは困難なことがあるのだから,困った時はお互い様ですと云う意味です。最近は,意味不明な言葉に自己責任と云う言葉が流行り出し,なんでもかんでも自己責任だと云われています。今日も意味不明な終わり方ですが,祈りを以て行を成し,終わりを以て省みる。これを繰り返し,繰り返し日々の生活面で実践することで意義のある人生を送れるように感じています。幾千年時代が経過しようとも真理の言葉は変わらないようです。


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


神様からの宿題と生きるための自由研究

2016年11月27日 19時43分54秒 | 反省の心柱

こんにちは。人はそれぞれ違った考えや思いを持っています。その違いを互いに尊重し合い,認め合うことが相手を思いやることに繋がるのだと私はそう感じています。特に,自分と意見や考え方が違うと云う理由で人をイジメるのは絶対に良くありません。私もよくイジメの相談や現場に遭遇することがあります。今の弱い者イジメは自分の立場を利用したものも多くありますが,イジメる人の特徴は決して自分よりも強い者と戦うことをせず,自分よりも弱い立場にある人をイジメるのです。要は,ただの卑怯者です。

よくイジメを正当化したいのか何なのか解りませんが,イジメられる人にも原因があるだの訳の分からない理屈にもなっていない屁理屈を言う人を偶に見掛けますが,イジメられる側にも問題があると云う言葉は,イジメを体験している人が自分の行動や行為,言葉や過去の行いを省みたときに,自分自身への戒めの言葉として使うものであって,人に言われる言葉ではありません。イジメる人とイジメられる人とではイジメる人の方に問題があるに決まっている訳です。コンプレックスなのか?選民意識なのか?

又,イジメられる人間にも問題があると云う言葉に似たような言葉で,人を外見で判断してはいけないと云う言葉があります。これも同じで,人は外見で判断するのだから身なりや身支度はちゃんとしないといけないと自分自身へ言い聞かすときに使うのです。明らかに自分よりも弱い立場にある人を言葉や力によってイジメをする人は,あの世で人間としての扱いをされません。自分の霊性も己の御霊も自分の先祖をも苦しめ,傷つけることになっています。イジメをする本人が不知故に犯す罪とも言えます。仏教の世界観に不知は罪と云う言葉がありますが,本当にそのとおりだと思います。暴力などの力で相手を征服したり,支配する根性は動物以下の霊性ですし,自分の優位な立場を利用するのはもっと最悪です。その様な人は,運気もどんどん低下し惨めな老後が待っています。うつ病や孤独になる傾向が強いように思います。観音経にも還著於本人 (げんじゃくお ほんにん)と明記されていますね。

私が意識的にしていることで参考になるかどうかは個人によりますが,自分にとって困難な事柄に遭遇した場合は,これは神様からの宿題なんだと意識して考えたり,積極的に取り組むように私はしています。禊ぎや試練と聞くと,ちょっと近寄りがたく,避けて通りたくなってしまいますし,私にはちょっとキツイです。しかし,考え方や想い,少しの視点の違いで人は困難に直面しても乗り越えて行けるだけのものを既に以ているとも思っています。それに本人が気が付いていないだけで,神様はすべてを観て知っていますから心配したり,不安になったりする必要は本当はないのです。たとえば,神様から「お前(私)は,この人に対し,どんな言葉を掛け,どんな行いで臨むのか?」「さぁ,今の自分と己の力で対峙せよ。こんな感じです。この宿題が溜まりに溜まるとパニックになります。訳が解らなく,収集も付かず,どんどん深みに嵌って行ってしまうのです。子供でも夏休みの宿題を8月の終わり頃にすると大変な思いをしてしまいます。私たちがちゃんと宿題や課題に取り組んでいるかどうか,神様は片時も離れず,じっと観ています。逆に言えば,自分よりも弱い立場にある人や動物をイジメている様子もすべて観ていることになる訳です。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設168日目 記事数第173記 反省の心柱 編


この世で償える罪ばかりではない。

2016年11月15日 19時07分26秒 | 反省の心柱

こんにちは。今日は,何だかとても暖かい日でありました。気温の寒暖差から体調を崩されてしまう方もいらっしゃると思いますので,どうぞ,御身体を御自愛下さい。昨夜は,ちょうど前回からの記事の続きを書こうとパソコンに向かっている途中に,自称霊能者に何年にもわたり,数千万円と云う多額の金銭や土地などの物を採取され続けていた事案の相談者から連絡が入りました。

先日から続けて書かせて頂いている神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 4の続きは,明日からまた記事にさせて頂きます。したがいまして,今日は,霊感商法絡みに対する注意喚起としても書き置きたいと思っています。先ず,金銭の要求や身体への接触などのことを要求されたら,何ら躊躇せず,直ちに110番通報か最寄りの警察署へ行って話をして下さい。そして相手には,自宅の住所,実家の住所,自分の携帯電話や家族の情報は一切,話してはダメです。なぜならば,彼らの手口は,携帯電話の個人のメールを使って連絡手段にしたり,家族の問題と霊的なことを結び付け恐怖心を煽りたてたり,先祖供養が必要だとか,昔の第三者「知人」「友人」「会社の同僚」「旦那さんの場合,昔の女性関係」などなど生霊が悪さをしているなどと云った話から供養の必要性や金銭の要求して来ます。つまり,お金を出させる方法の為に話を持ち出すのです。この話を読んで,そんな馬鹿な。そんなので引っかかるの?と思われた方は,ほとんど引っかかります。彼らは,日常の会話の中で,その人がどう云う性格で,どう言った事に興味があるのかを瞬時に見抜くのです。おまけに日本人は神様,仏様,先祖の供養に関しては子供の頃から生活の中にあり馴染みやすく,信仰心が無意識の内に存在しています。又,家族の事を言われてしまうと心配したり,不安になったりと感じてしまうのです。これだけ社会で霊感商法で騙されている人が後を絶たないのは何故か?それを考えて見て下さい。騙された人が必ず口にする言葉があります。それは「まさか自分が」です。騙された皆さんがそうの様に話されます。つまり誰であっても同じ,例外はありません。

私も事件解決の為,2年前から取り組んでいたのですが,その自称霊能者に数千万円と云うお金を採取された挙句,先祖代々から守り続けてきた土地まで売却することになってしまった極めて悪質な事案でした。事件そのものは半年くらい前に既に終結していたのですが,相談者本人の気持ちの整理がなかなか出来ずにいましたが,昨夜の話では気持ちに少し余裕が出て来て前向きに生きて行けるように頑張りますとの言葉を聞けて私も嬉しかったです。思い返せば,相談者と何度も何度も面談や協議を重ね,警察(刑事課)へ告訴しに出向いたり,私もとても勉強になった事件でした。弱い者の心の隙を狙って多額の金銭を採取したり,身体に悪戯をする様な自称霊能者自身も最近は,取締りや捜査方法,民法や刑法の法律を勉強しているようで実に巧妙な手口になって来ています。

ひと昔前のような,高額な仏像や壺などを売りつける部類ではなくなっています。くれぐれもご注意ください。

相談者には,また明日も生きて見ようと思って頂ければ,私の任務は一先ず終了です。何かあった時にだけ,私のことを思い出してくれれば,それだけで十分です。生きていると本当に様々な事が起きてしまいます。私もそうです。本当に毎日いろいろなことが日替わりで起きます。その原因や要因を外観的な視点で見ようとすればするほど深みに嵌って行くことも今の社会には多くあります。

そんな時,自分の力だけではどうすることも出来ないことに遭遇してしまったら,一緒に困難なことに立ち向かい,何年も闘って来た仲間たちが居たんだと云う事実と自分の行いを省みて頂ければ同じようなことは繰り返されないと思います。勇気も持って,自分自身が反省すべきことはきちんと反省し,二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓いを立て家族の為にも頑張って頂きたいです。

しかし,私とその自称霊能者との本当の闘いはこれからです。引っ張ってでも閻魔大王のもとへ連れて行きます。この世で償える罪ばかりではないことをあの世で思い知ることになるでしょう。そういえば,過去にも記事にさせて頂いたことがありました。不動明王の羂索の小話。もし宜しければ読んでみて下さい。閻魔大王と不動明王が手にする五色の紐は?こちらです。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設156日目 記事数第163記 反省の心柱 編


高天原「心」にはいくつもの鎮守の森があります。

2016年11月01日 20時06分04秒 | 反省の心柱

こんにちは。今日から11月になりました。氏神神社へ御酒を奉納して参りましたが,この時期は七五三で子供たちで賑っておりました。毎年,10月が終わると年末まで直ぐに経ってしまい年内に終わらせようとしていた事も年を跨いでしまうこともあります。今年は,そうならない様に計画的に熟して行きたいと思っていますが,その中でも想定範囲を超えてしまう行事がお歳暮の御届けです。基本的に,持参して今年も御世話になった御礼をさせて頂くことが慣例になっているので,お客様が不在ですと日程の変更や調整でギリギリになってしまいます(笑)年賀状の作成もそのひとつです。そう言えば,今年はカレンダー配りもあるのでした。

ちなみに,上の画像はフリー画像から借りたものですが,誰の心にも存在している高天原「心」の様子を上手く画像で表現できているなと思いましたので掲載させて頂きました。人が眠っている最中の高天原「心」の様子です。満天の星空に向かって立つ木々は心柱「しんのみはしら」です。別名,宮柱と云い,一本一本がそれぞれの役割をしています。大きく区分けすると「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」の心柱と云うことになりますが,さらにそこから役割に応じていくつもの心柱を起立させることが誰にでも出来ます。たとえば,感謝であれば「感謝の森」に立つ「ありがとうの木」と云うような感じです。ありがとうを受信できるのは感謝の森に立つありがとうの木に降りて来ます。ですから,ありがとうも言えない人は,感謝の森のありがとうの木が成長していないので,生育(努力)することで言葉にすることが出来るはずです。よく会社などの団体組織になると,なんでも反対意見を云う人がいますが,そう言った方は「反省の森」に立つ「反対の木」が大きく育っている訳です。間引きしないと,後で自分が損をするだけです。木の毒が出て来ます。この木の毒は,同じ森の木々を枯れさせたり,腐らしたりして行きますので省みることが必要です。

このように,それぞれの心柱に神様の波動「無音」が届いてくるのです。これを私は,音霊と呼んでいます。つまり,千木「受信アンテナ」の役割をしています。千木に降りた神様の波動「無音」は,人により言葉として発音されます。発音された言葉の一つひとつに大切な意味があります。言霊と云う言葉を聞かれたことがあると思います。そもそも漢字を当て嵌めたことが間違いの始まりであったのかも知れません。この一連の動作を私たちの心は瞬時にしているのですから凄いことだと思います。今の私のレベルでは,ここまでしか音霊を言葉にすることが出来ません。もっと,心身ともに成長すれば判るようになると思います。神様はどんなことでも示して下さるのですが,私が未熟なために,その音霊を言葉として変換できないのです。きっと,大は小を兼ねるからだと感じています。つまり,神様の示してくださいことは可もなく,不可もなく全体を観てのことだと思いますが,私は,近視眼的にある事柄に限定して当て嵌めようとしてしまいます。しかし,神様の波動はもっと大きな全体を指していますから,私にとっては抽象的な解釈に止まってしまうのです。高天原「心」に立つ心柱が細く,短い証拠なのでしょう。多分,巨木のような心柱が高天原「心」に立つ御方は,鎮守の森を見ただけで,ジブリ作品を一本完成させるくらいのことは出来ると思います。続きは,またいつか。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設142日目 記事数第152記 反省の心柱編


音霊と言霊

2016年10月29日 22時12分17秒 | 反省の心柱

仕事は祭事と云うこと,仕事が祭事ということ忘れたか。和解せい。親睦せい。紛議はやがて紛争になり,紛争はやがて恨み憎しみの世界を創り出すぞ。紛争はどこまで行っても紛争であろうが。そなたが音頭取りぞ。和解と親睦の道を示してやれよ。手柄立てようなどと考えることならんぞ。よいな。手柄はすべて人に与えよ。欲しい者にくれてやれ。己を信じよ。素直に謙虚について参れ。

省みたらいつもでもクヨクヨ,メソメソすることならんぞ。弱虫であっては気の毒出るぞ。祈りと行が合致した姿が真の神の御子だぞ。神の御子は神の道を歩まねばならん。神の道とは生活の中にあるぞ。だれが滝に打たれと言った。だれが堂に籠れと言った。

なぜに自ら手を挙げ名乗り出ること大切かそなたは,まだ判っておらん。自ら手を挙げる者ほど責任の取り方よく心得ているからぞ。あいつが悪いこいつが悪いと申している間はまだまだ苦労足らん。理解進めば人の責任にせん。ミロクの世の礎になる御魂に手柄など不要。いらん荷物は要らん。それとも褒めてもらいたいか。感謝されたいか。出直せよ。水の神様への感謝忘れずにな。そなたを守護なされる神様の一柱であるぞ。赤は東で,青は西。合点承知で紫じゃ。太陽は東から昇り,太陽は西へ沈む。

紫の仕組み分かったか。色霊も学べよ。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設139日目 記事数第149記 反省の心柱 編


今日は独り言です。

2016年10月07日 21時04分11秒 | 反省の心柱

こんにちは。今日は久しぶりに北斗七星にお祈り出来ました。ここ最近,雨や曇りの日が続いていて,お祈りすることが出来なかったので嬉しいです。本日は,ひとり言を書きたいと思います。ただまた明日から雨や曇りの日が続くようです。

がんばれ!麻央ちゃん!

最近,歌舞伎俳優の奥さんが深刻な癌である状態にあることを発表され,本人も毎日,ブログで近況や今の想いを発信されています。又,この話に便乗してか何なのか解りませんが,余命だとか死相出ているだとかをインターネットに書き込んでは客引きらしきことをされている霊能者の方もおいでになるようです。しかし,とうとうその話はエスカレートして歌舞伎役者である本人の先祖の因縁云々を語りだす始末です。もうこうなると言ったもの勝ちみたいな惨状です。それとも自分を誇らしく思わせる為にしているのか訳が解りません。奥さんは,とにかく,自分の身体に感謝することです。感謝しながら,身体をさすって上げること。「今まで本当にありがとう」「無理させてごめんね」と云って愛情一杯に感謝して身体をさすって上げることです。さらに,毎日飲む御水に感謝を捧げて頂くことです。御水の御力を勧請するのです。御水の神様を信じて。それと,どんな家系でも因縁はあります。

がんばれ!ともちん!

昨日の記事で,稲田防衛大臣のことを書かせて頂きましたが,とうとう金銭絡みの問題まで質疑される様になってしまいました。金銭絡みと云っても,現金などを受領したのではなく,白紙の領収証を大量に受け取ったり,発行したりと到底,民間では考えられない方法で金銭の受け取り,支払いの証明が常態化していた上,自分の事務所,相手の事務所で日付けや領収金額を記載していたようです。やはり,どんな政治家でも金銭的な問題はいくらでも話が出てくるなと感じてしまいました。これからも長く政治家であり続けると云う考えがあるのであれば,リスクマネジメントを使いこなせる人物を側近として側に置いておくことです。

昨日も書きましたがリスクマネジメントの基礎基本は「何のためにするのか」=目的と趣旨です。「誰が何をするのか」=役割と分担です。「そのことで誰が又は,何がどうなるのか」=結果や効果です。これを身近な事柄に当てはめて考えて行くと使いこなせる様になります。つまり,応用が出来るのです。それでも理解出来なければ,もっと簡略的と云うか簡単な図柄で試しにやってみて下さい。先ず,一枚の用紙の真ん中に自分の名前を書きます。次に,家族ひとり一人の名前を自分の周りに書いて行きます。最後に,自分と家族の名前を線で結びます。そうすると相関図が出来上がります。その相関図に一番弱い立場の人を赤丸で囲みます。これで完成です。自分を取巻く家族構成で,最も被害が大きいのは赤丸の人です。その赤丸の人を御守りするようにすれば問題は生じません。なぜか?それは,マイナスの事柄は,必ず最も弱い者へと集中的に起こるのです。ですから,事前に赤丸の人は誰かを見つけ出すことが重要なのです。但し,これは個別具体的な事柄の内容によって全く違ってきます。もちろん会社でも使えます。拝


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高天原とは自分自身の心「心界」のことです。

2016年10月05日 22時15分51秒 | 反省の心柱

こんにちは。心配していた台風18号も今夜には温帯低気圧に変わるとの予報が出されていますので安心しました。左の写真は,京都の貴船神社に御鎮座される相生杉であります。堂々とした風格をいつも感じます。奥宮の少し手前に位置しています。

 

今日は,現在の神道に伝わる祝詞に大祓詞と云う祝詞がありますがその大祓詞の中に登場する高天原について記事にさせて頂きたいと思います。今日でも全国の神社で毎朝,宮司さんや神職さんがお祀りされている御祭神へ奏上されています。この大祓詞については,以前,私もブログで記事にさせて頂いたことがありました。「大祓詞は神様からの音の波動です。」もし,宜しければお読みください。大祓詞の中には「高天原」と云う言葉が登場してきますが,この高天原には神様がいる世界だと考えられていて神界と呼ばれることもあります。しかし,その高天原がどこに存在するのかを知っている人は誰もいません。稀にいるようですが。

私は,この高天原は人それぞれの心に存在するものであると考えいて,外の世界には存在していないと思っています。つまり,外・外観に高天原と云われる世界や場所を特定させようとか探そうとしても永遠に探すことは出来ず,きっと気付くこともないのではないかと感じているのであります。神道でも仏教でもよく死生観を述べられる場合があります。神道ではこの様に考えているとか仏教ではこの様に考えていると云うようにです。又,臨死体験を経験された方も同じように死後の世界を語られることもあります。

しかし,話している人の内容をよく聴くと皆さん違います。一体,この違いはどこから来るのか?何を意味するものなのか?なぜ,人によって違う風景や景色と異なった空間「世界観」を観るのか疑問でした。しかし,ようやく少しだけ音霊を言霊に変換出来てきたように思います。それは,自分自身の心が見せているものではないかと考えたからです。つまり,生前中の行い(業)の一切すべてを自分自身の心が観ています。心が観ていると同時に,高天原を創り上げていると感じているのです。自分の心(高天原)に坐します神様(御分霊)がすべてを観ていて,記録していると云うことがあるようです。その膨大な記録に基づいて心と云う高天原の建設をその人の生前の行いに応じて創り上げていると考えています。例えば,生前に愛情を以てお花を育てていた方は,死後,お花畑が一面に広がる世界を観ると思います。また生前に山や川,海などの自然を愛していた方であれば,自然の風景を観るようになると考えています。したがいまして,こう云った世界を創り出しているのは自分自身のようです。だからこそ人それぞれに違った世界観を観ることに繋がる訳です。もしかすると,神界とは心界とも言い換えることが言葉では出来るかもしれません。


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うまく行かなければ省みること。反省の心柱

2016年08月30日 12時34分15秒 | 反省の心柱

こんにちは。日常生活や仕事などで物事が上手く行かず,思うように運ばないと云う経験は誰においてもあると思います。私もよくあると云うより毎日あります。ただ,そんな時こそ冷静な気持ちで,状況をよく分析することができ,何か忘れていることなどはないかを省みることはとても重要なことだと感じています。昔の人つまり,私たちの先人は迷ったら一度,原点に返る事として原点回帰や初心に帰ると云う言葉を残して下さいました。昔から伝わる言葉には真理の言葉も多く,今の世の中でも通用する言葉も多くあります。私事で恐縮ですが,私の場合は,上手く行かない時は神様の御心に沿っていないものだとし,元からやり直しをすることが多いです。例えば1つの事柄を完成させようとすると何度も作っては壊し,作っては壊しを繰り返しながらやっと1つの事柄や物事が完成しています。よく周囲の人からも何でそこまでするのと不思議がられますが気持ちが悪いのです。

しかし,忙しい中で元からやり直すことなんかできない場合の方が多いものですから,そんな時は,失敗することを恐れずに最後までやってしまうのも良いのかもしれません。もちろん,事と場合によって違いますが,上手く行かないことを一番よく知っているのは「本当は自分自身」です。したがいまして,素直に自分自身に問えば自然と答えは解るはずだと思っています。

ただ,頭では理解出来ていても中々,この省みることは難しいのです。なぜなら,自分で自分自身を否定しなければならず,間違いだと自分で認めなければならないからです。言い換えれば,自分の弱点や弱い部分を観察し,その弱点や弱い部分も自分で認めて受け入れることにあります。これが出来る人と出来ない人では人生が大きく変わって行く様に思えます。今日は反省の心柱の記事ですから終始それに従いますが,私的に反省と云うのは神様から与えられた恵みでもあると考えています。ひふみ神示「日月神示」にも他の神書にも必ず出て来るキーワードに「反省」と云う言葉が出て来ます。この反省と云う言葉をどう解釈するかが大切なのだと思います。私は「勇気」だと考えています。反省すると云うのは認めて,受け入れることですから,とても勇気を必要とします。そして,真に反省が出来る人とは本当に強い人だとも感じています。武士道の本質かも知れません。

たとえば,何か悪いことをしてしまう。そしてその事に「反省」して謝罪をしたり,謝ったりすることは誰にでもイメージしやすいことです。悪い事をしたら謝ると云うのは小さな子供でも判っていることでもあります。しかし,反省をすると云う言葉にはもっと奥が深く,厳しさも込められているように思っています。どんな人であろうと人は必ず過ちや間違いを繰り返します。どんな聖人であろうと繰り返し犯してしまうものです。そこで「反省」をする時,全てを受け入れることで,人は豊かに平穏に暮らして行けるようになっているのかもしれません。これを理屈で解釈しようとすると「反省」と云うより,誰かの責任にしたり,犯人探しのようなこともして行くことなってしまいます。これでは反省にもなりませんし,折角,神様から頂いた成長の糧を自ら捨てていることにもなってしまいますし,さらなる飛躍へとは成長しません。今日は省みることの大切さと反省することの難しさ書かせて頂きました。誰においても両方ともについて廻るものであると思っています。私も毎日,反省の心柱をカンナがけしています。拝


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予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 3

2016年08月15日 19時19分29秒 | 反省の心柱

上の写真は,ひめゆり学徒隊の遺族によって建立された,ひめゆりの塔です。


こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。

さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。

これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。

沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。

太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。

そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。

既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。

6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。

牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。

戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。

そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。

激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。

大 々 合 掌

届け!この祈り。音矢と鳴りて 今 放たれよ! 花咲 あさひ 拝

ひめゆり平和祈念資料館 公式ホームページ:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html


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