倭の国の人びとは縄文時代からすでに朝鮮半島や中国大陸と行き来をしています。
彼の地においては鏡が姿見として使われ、祭器として重要視されるようなものではないことも知っていたはずです。
それでも倭の国の人びとは鏡をレガリアのひとつに選びます。
勾玉は日本列島のものと考えられます。
剣はともかく、鏡や勾玉をレガリアとする人びとがはたして渡来系なのでしょうか。
変な墓も造ります。
四隅突出型墳丘墓にしても前方後方墳、前方後円墳にしても奇抜です。
前方後円墳の時代には、方墳は前方後円墳の下位に位置付けられたそうですし。
まつりごとの在り方も特殊です。
卑弥呼や台与などの鬼道の使い手である女王が統治する国です。
阿毎多利思比孤の時代になっても「倭王は天を兄とし、日を弟として天がまだ明けないときに出て政務を聴き、跏趺して坐っています。日が出るとそれをやめ、我が弟に委ねる」という体制でした。
時代が下っても鋳鉄ではなく鍛鉄を選びます。
奈良や鎌倉のような大きな青銅仏は中国や朝鮮半島では例がありません。
長きにわたり半島や大陸とは違った価値観を持っていた日本列島の人びとのリーダー達が渡来系だとは私には思えないのです。
ところで「倭」という字は初めから卑字だったのでしょうか?
委に鬼で「魏」。委に人で「倭」。
これは似て非なるものなのでしょうか?