犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

宗教感。 

2012年10月14日 | おせわがかり日誌


特定の宗教には入っていない。

ただ、死生観というものは持っているし、

自分だけの宗教というか、哲学は持っている。

白州次郎ではないが、自分の死後は、

戒名無用、墓無用、葬式無用、である。

戒名は別として、墓も葬式も生きてる人のためのものだ。

悲しみを濾過するための儀式のようなものなのだ。

肉体を放棄した時点で私自身にはすでに必要ないものだ。




子供はいないので、墓は必要ない。

太平洋に散骨してもらうことを望んでいる。

問題は誰かにそれを頼まないといけないことである。

大変そうだよなあ。

あらかじめ行政に頼んでおくべきなのかねえ。




肉体の中に命が宿り心の中に魂がある。

魂だけが無限だと思っている。

もし窮屈な墓の中に押し込められるのだとしたら、

どうせなら、自分が面倒を見た猫や犬たちと一緒がいい。

そういうのなら、墓に入るのも悪くない。