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あはは
うふふ
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はるだねえ~
あったかだねえ~
気がつけば、4月まで11日ですか。
そりゃー春も来るわけですね。
3月は強風と埃の思い出でいっぱい。
仕事柄、1月よりも4月のほうが、
ニューシーズン、なイメージがあるもので、
なんとなく、4月が好きですよ。
新しくいろいろ変わるような気がして。
もう卒業も入学もしないんですけど。
あの頃のわくわくどきどき、ちょっとさびしい、
という気持ちが、よみがえってくるみたい。
ああそうだ。
お休み中に、
ガルシア・マルケスの『100年の孤独』と、
マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』と、
アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』、
をまた読もうと思って、出しておいたはずだけど、どこやったっけなあ。
三人とも詩的な文章なんだけど、誰が一番詩的か、読み比べするつもりだった。
だけど翻訳した文章での理解では正しい判定はできないのかも。
(ただしインド夜想曲の須賀敦子の翻訳に限ってそれは異なる)
元の言語が理解できたらどれだけ素敵だろう。
そんなことを想像しながら、また読み比べてみよう。
『イングリッシュ・ペイシェント』ミンゲラの映画版、
あれたしか、夫役はブレイク前のコリン・ファースじゃかなかったかなあ。
あの時はクリスティン・スコット・トーマスのことばかり見ていたけど、あの夫も確かすごいんだった。
そういうシーンがあって、その時の目がすごかったの。うろ覚えだけど、彼だった気がするな。
あの映画は最初日本では女性向きみたいな紹介のされ方をしていたように思うのだが、
本当は男性がはまるツボがいっぱいなんですよ。
男が好きな映画といって間違いないと思う。
確かに日本の男性だと、クリスティン・スコット・トーマスには、感情移入しにくいでしょうけど。
それ以外の部分では、おそらく多分、きっと、ご自分のことのように感じるはずです。
大昔の映画なので、今の20代の若い人たちはまだ見てない人がいるかもね。
18歳以上のお若い皆さんに、ぜひぜひぜひに、見て欲しいものです。
戦争がどんなものか、どんな風に自分たちに関わってくるのか、感じることがあるでしょう。
と、ここまできて、同作に出ていたジュリエット・ビノシュの言葉を思い出した。
アクターズ・ストゥディオ・インタビューだったように思う。
あの映画でも印象的な役割をしていたけれど、普段からやっぱりそういう人なのね。
ある質問に対し、彼女はこう答えている。
「私はまず、女である前に、一人の人間として存在していたいの」
そうだよねえ、同感。
彼女のルーツは多数の人種を重ねあわせた複雑きわまりないものなので、
そういう言葉がすっと出てくるのかもしれない、などと思いを巡らせた。
敵同士の人種が祖父であり祖母である、などという複雑な下に生まれたら、
女であるか、どこの国籍の人か、どの人種かより、
まず、人間であることのほうがはるかに重要だわ。
ずっとずっと大事。
ジュリエットにとって、それがそうであるように、
私にとっても、人種・国籍・性別などより、
ひとりの人間として存在することの方が、はるかに大きな意味を持ってる。
そういう考えで生きている人は、すぐにわかる。
まとっている空気が違うんです。
ちょっと違うんですよ。