犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

ごちん

2015年11月10日 | おせわがかり日誌


週末は風邪ひきさん(にんげん)がいたし、

仕事で使う道具の買い物を任されていたので出かけたり、

雨だったから、散歩が大変だったりして、あっという間に終わった。

睡眠時間は多くとれたけど昼寝をする隙がなかったし(残念)、

家族で犬吠崎へ行ったよという妹からのメールにも、

義母からのにこにこ絵文字入りのメールにも、

返信することができなかった。

もちろんSNSな暇はあるわけがない。




悪天だと知っていたので、

快晴だった3日に犬たちをシャンプーして大正解だった。

なのにもう少し犬臭いふたり。少し悲しい。




もらわないように注意していたけども、

なんだかちょっと咳が出たりしていて、とてもいやな感じ。

発信元の様子がとても苦しそうだったからなあ~。

あんな状態になったら私、オレコ担げるだろうか。

いーや。

デング熱の時だって、40℃すれすれで散歩行ったじゃない。

でもそんなの出来てもうれしくない。しんどいだけだ。

犬たちのしあわせがかかっているからどうぞ去ってください。

私なんて脂身ばかりで美味しくありませんので。

なんて願いながら寝て、朝が来て、出社。




こんちゃんは食生活が変わったけれど、

特段の変化はなく、元気よく機嫌よく過ごしている。

よる散歩から帰り、夕ご飯の前になると、ハッスルしてしまい、

山犬の神(モロのこどもたちね)のごとく走り回り、うるさいので、

注意するのだが、どれもあまり効き目がないのが困りもの。

あるときあんまりうるさくて、これじゃクレームが来ると思い、


「こんちゃん、大騒ぎだめ、『ごちん』だよ」


といってみた。

『ごちん』というのは、我が家独特の言い回しで、げんこつのこと。

「ほら、これがごちんだよ」とばかり、グーをつくって見せた。

(もちろんそれで叩いたりはしない。)

ハナから効き目はないだろうと思っていた。のだが。

なんと、こんちゃん、ピタリ、と騒ぐのをやめたのだった。

今ここにいた人がいきなり消えるマジックをみたような新鮮な驚き。

その一瞬の後、ああ、この子は、叱られて育ったのだなあ、と感じた。

まったくといっていいほど鳴かないのも、そのせいかもしれないな。

去勢された理由も、若い時分、わりと騒がしい子だったからなのかもしれない。

多分前にも書いたけど。




相手が犬の場合(猫となら五分五分の喧嘩ができる→負けるけど)、

脅しは好きではないのだが、どうやら言葉の意味は通じているのに、

なかなかいうことをきいてくれない、ということがよくある。

やめてくれないと危険だったり、一緒に暮らすことが難しくなったりするので、困る。

事実、こんちゃんの大暴れは暴れすぎて、コーナーリングで滑ってしまい、転ぶのだ。

こちらが抱き起して助けようとすると、遊んでくれると思うのか、身を挺して逃げる。

障害物の多い家の中のことである。危険極まりない。オレコだってイライラしている。

掴まえて、おにぎりの刑(かおむぎゅむぎゅ)をしても「きゃっきゃ」と喜ぶだけだし、

バス停の看板や、消火器の入れ物、玄関のガラス扉などにしょっちゅう

「ごーーーーーん」

と頭をぶつけてゆらゆらしているこんちゃんなので、鼻ピン程度じゃ「おしおき」としてまったく効果がない。

どうしてもだめなときは「ごちん」を見せて通じるのなら、コミュニケーションツールとしてはありなのかな。

でもこのほかのことにはとっても順応性が高いというか、うちのルールをすんなり受け入れてくれたし、

それらについてしっかり覚えて付き合ってくれているので、このくらい(暴れ太鼓タイム)仕方ないのかなあ、とも思うのだ。

そんなことを堂々巡り的にぼんやり考えていた週末だった。

できるだけ「ごちんだよ」と言いたくないし、こぶしも作って見せたくない。

それが本音だ。





だが、あのあと、こんちゃんは、室内での大暴れ、あまりしなくなった。

「静かにしないとだめなんだよ」

というと、自然におとなしくなった。

だからといって「うれしい」という気持ちを抑えるのではなくて、

とてもわかりにくいけれど表情はうれしそうにしているし、しっぽもくりんとしている。

ごはん前に暴れるのはボケの兆候だとあちこちでいわれたけれど、

こんちゃんは自分を制御できているのだから、ボケてないってことでいいかな。

いいよね。



そして、関係ないけど、いやなかんじのくしゃみは続いている。

もしかしたら成行きでブログもお休みか簡単更新になるかもしれない。

頼む、去ってくれ、風邪。


わたしは脂身ばかりで美味しくないのだから。