何もしたくない東アジア人
私からみると怠惰な人々だが、彼ら自身はそうは思っておらず、勤勉で勤労だと自負している。
文章を書ける人種から、コピーして修正すればいいじゃん?と盗みを平然とやるのだ。
生っている実をいくつも盗み、パイにすれば売れるじゃん!と得意げなのだ。
言っておくが、そんなモノは不味くなる。
何も変わらない様に見えるそこに、味の善し悪しが隠れているからだ。
自分の腹を痛めて産んだわけではない子どもを、それなりに育てるのは難しい。大抵が凡庸だ。
スパルタでも甘やかしでもない匙加減が必要だからだ。特に繊細な思考ででき上がる創作物は、そうだ。
いい加減、自分の思考や能力や努力で書けないのなら、「教育」を受けながら改編作品を売るのは止めろ。無駄だ。私ではないのに「私のふりで産んで」も、それは腐っている。てめえらの腐った体液まみれの手垢でな。セクシー体自慢は売春婦で十分だ。
日月緋語霜唔花彌冬月月衣雨のち苺蘇東郷嘉奈望玄久泉千波らんらんbaobabbabyMiharuT-.-KTogoKana意流花 筆。
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