ヤマトコトバには、「東」字をもってヒムカシ(ヒガシ)と訓むばかりでなく、アヅマと訓む。枕詞「鶏が鳴く」を冠することも多い(注1)。
足柄坂を過ぎて死(みまか)れる人を見て作れる歌一首
…… 今だにも 国に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の〔鳥鳴東國能〕 恐(かしこ)きや 神の御坂(みさか)に ……(万1800)
追ひて防人の別れを悲しぶる心を痛みて作れる歌一首〈并せて短歌〉
…… 聞(きこ)し食(め)す 四方(よも)の国には 人多(さは)に 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男(あづまをのこ)は〔登利我奈久安豆麻乎能故波〕 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍卒(いくさ)と ……(万4331)
鶏が鳴く 東を指して〔等里我奈久安豆麻乎佐之天〕 ふさへしに 行かむと思へど 由(よし)も実(さね)なし(万4131)
鶏が鳴く 東男(あづまをとこ)の〔等里我奈久安豆麻乎等故能〕 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み(万4333)
勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠める歌一首〈并せて短歌〉
鶏が鳴く 東の国に〔鶏鳴吾妻乃國尓〕 古(いにしへ)に ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が ……(万1807)
息の緒に 我が念(も)ふ君は 鶏が鳴く 東の坂を〔鶏鳴東方重坂乎〕 今日か越ゆらむ(万3194)
陸奥国より金(くがね)を出せる詔書を賀(ほ)ける歌一首〈并せて短歌〉
…… 鶏が鳴く 東の国の〔鶏鳴東國乃〕 陸奥(みちのく)の 小田(をだ)なる山に 黄金ありと 申し給へれ ……(万4094)
高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(もがりのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首〈并せて短歌〉
…… 天の下 治めたまひ〈一云、掃ひ給ひて〉 食(を)す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の〔鶏之鳴吾妻乃國之〕 御軍士(いくさ)を 召し給ひて ……(万199)
筑波岳(つくはのをか)に登りて、丹比真人国人の作れる歌一首〈并せて短歌〉
鶏が鳴く 東の国に〔鷄之鳴東國尓〕 高山は 多(さは)にあれども ……(万382)
天皇(すめろき)の 御代(みよ)栄えむと 東なる〔阿頭麻奈流〕 陸奥山(みちのくやま)に 黄金花咲く(万4097)
天平感寶元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之
東道(あづまぢ)の〔安豆麻治乃〕 手児(たご)の呼坂(よびさか) 越えがねて 山にか寝むも 宿りはなしに(万3442)
東路(あづまぢ)の〔安都麻道乃〕 手児の呼坂 越えて去(い)なば 我れは恋ひむな 後(のち)は逢ひぬとも(万3477)
東人(あづまひと)の〔東人之〕 荷前(のさき)の箱の 荷の緒にも 妹は心に 乗りにけるかも 〈禅師〉(万100)
藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
庭に立つ 麻手刈り干し 布曝す 東女(あづまをみな)を〔東女乎〕 忘れたまふな(万521)(注2)
以上は、万葉集にアヅマと訓むとされるものである。古事記では、「東」という表記に、ヒムカシと訓むものとアヅマと訓むものとが交用されており、景行記ではどちらに訓んだらいいのか定めきれない例も見られる。景行天皇代のヤマトタケルの時に、アヅマという言い方が発祥したとされている。
東(あづま)の淡(あは)の水門(みなと)(景行記)
東方(ひむかしのかた)十二道(とをあまりふたつのみち)(景行記)
……期(ちぎ)り定めて、東(ひむかし)の国に幸(いでま)して、悉く山河の荒ぶる神と伏(まつも)はぬ人等(ひとども)とを言向(ことむ)け和平(やは)す。(景行記)
……還り上り幸しし時に、足柄(あしがら)の坂本に到りて、御粮(みかりて)を食(は)む処に、其の坂の神、白き鹿(か)と化(な)りて、来立ちき。爾くして、即ち其の咋(ふ)ひ遺せる蒜(ひる)の片端を以て、待ち打ちしかば、其の目に中(あ)てて、乃ち打ち殺しき。故、其の坂に登り立ちて、三たび歎きて、詔(のりたま)ひて云はく、「阿豆麻波夜(あづまはや)」〈阿より下の五字、音を以ふ。〉といふ。故、其の国を号づけて阿豆麻(あづま)と謂ふ。(景行記)
是を以て其の老人を誉め、即ち東国造(あづまのくにのみやつこ)を給ふ。(景行記)
「東」字を方角の east に用いてヒムカシと訓むことは、ニシ(西)の対として当然視されている。他方、アヅマと訓むことの理由は定かではなく、いわゆる「国訓」であると考えられている(注3)。その由縁は、都から東方に当たる現在の関東平野のことをアヅマの地と言っていたことに発祥し、以降、アヅマの地とされるところが、東海道、東山道にまで広げて認識されるようになったからであろうと考えられている(注4)。もちろん、今日の北海道のことを蝦夷(えみし)などと呼んでいた時、そのエミシという語に「北」字をあてて訓ませるなどといったことは行われておらず、アヅマ(東)ばかり特殊な用字法がとられている。
説文に、「東 動く也。木に从ふ。官溥の説に、日、木の中に在るに从ふ。凡そ東の属は皆東に从ふ。」とある。また、「杳 冥き也。日、木の下に在るに从ふ」、「杲 明き也。日の木の上に在るに从ふ」とある。そして、「叒 日、初め東方の湯谷より出で、登れる榑桑は叒の木也。象形。凡そ叒の属皆叒に从ふ。」とある(注5)。これらをまとめると、日は最初、木の下にあって冥いが、やがて榑桑(扶桑)という桑の木をよじ登っていき、終いには木の上まで出てきて明るくなると捉えている。杳→東→杲というように日が木を登っていく。この解説については、金石文にある原初的な字の成り立ちとは異なるから説文の説明は誤りであろうとされているが、いま、それは問題とならない。上代のヤマトの人に、字書に伝えられてそういうものとして受け取られたであろうことこそ着目すべきであろう。彼らは漢字初学者であった。
日が登る木は、榑桑という桑の木であると観念されている。ということは、日は木に登るために爪先立って登ろうとしているということになる。なぜなら、クハ(桑)なのだから、それはクハダツ(企)ということだとヤマトコトバの言語体系のなかに悟ることができるからである。クワダツとは、かかとをあげて背伸びをして遠くを望み見ることである。下肢の形状を観察すると、脛に対して足のかかとから爪先までの部分は直角に近い角度でついている。それは、農具の鍬(くは)に同じ関係で、その鍬の刃にしている面を鍬平(くわひら)、足のかかとから爪先までの部分は鍬腹(くわはら)、また単にクハと言った。
すなわち、「東」という字は「日」が桑の木に取りつこうとしているところだから、かかとをあげて爪先立っている様子のはずである。そして、完全に明るくなった「杲」にはまだ至っていない時間帯に焦点が当たる言葉でなければならない。それは、鶏鳴時ということであり、そして、ニワトリの足を見ると、蹴爪まであって爪先立って歩いているように見える。クハダツものとしてニワトリは格好の対象である。ニワトリの足を見るにつけ、足で立っているというよりも爪で立っているように見える。足が爪化しているという観念で捉えられた。ア(足)+ツマ(爪、ツメの古形)なのである。
足(あ)の音(おと)せず 行かむ駒(こま)もが 葛飾の 真間の継橋(つぎはし) やまず通(かよ)はむ(万3387、東歌)
月夜(つくよ)よみ 門に出で立ち 足占(あうら)して 行く時さへや 妹に逢はずあらむ(万3006)
宮人(みやひと)の 足結(あゆひ)の小鈴(こすず) 落ちにきと 宮人響(とよ)む 里人(さとびと)もゆめ(記81)
大和(やまと)の 忍(おし)の広瀬を 渡らむと 足結(あよひ)手作(たづく)り 腰作(こしづく)らふも(紀106)
鶏が鳴く(Yasuto Pukeko様「にわとりの鳴き声、コケコッコーの連発」YouTube、https://www.youtube.com/watch?v=8TX-fMIU9fg&t=27sをトリミング)
ここに至って、上代の人たちの思考がありありと浮かび上がる。「鶏が鳴く」のは日が木を登り始めている時間帯であり、字形に「東」であり、鶏が背伸びをしているように爪先立ってアツマ状態になって鳴いているのだから、アヅマというヤマトコトバを漢字で記すのに「東」という字を活用するのは理に適っていると了解されたのである。枕詞とそれが掛かるヤマトコトバ、そのヤマトコトバを書き記す漢字とが互いに共鳴する関係が出来上がっている。
今日、枕詞はもはや語義がわからなくなってしまったものとして置き去りにされている。そして、ヤマトコトバを記す漢字については、漢字のほうからどう訓むかという視点で、「正訓」「借訓」「国訓」といった分類のもとに解釈されてきている。これらは、上代のヤマトコトバについて誤った理解であり、まったく理解していないに等しい。ヤマトコトバは無文字において確かな言葉(音)として成り立っていて隆盛を極めていた。そうでなくてどうして、枕詞のような、歌謡を中心とした使用を目的とする独立した修飾語句が生まれるのであろうか。あまりにもふくらみのある言葉を作り上げてやがて理解不能に陥るような言語感覚の人たちの前にはひれ伏すしかない。
当時の人たちは、そんな謙虚さを身に着けていた。言葉が先にあって、その言葉をどうにか理解しようとして地名譚は生まれ、記紀に多数記されている。景行天皇代に記されるヤマトタケルの話でも、アヅマはアツ(当)+マ(目(め)の古形)、ア(吾)+ツマ(妻)なる譚によって説明されている。言葉をいかに文字に書き表すかは後の問題として持ち上がり、字書を引きまくって適当な文字を選んで当てている。その際にも、さまざまな譚を交えて選択されていると考えられる。ものの考え方がそういう考え方をしていたからである。漢字をどう訓んだかではなく、ヤマトコトバをどう記したか、それだけが飛鳥時代当時の言語の様相を知る立脚点である。「言語事実を持つ以前に一般的観念について語ることは、牛の前に犂をつける如き転倒である。」(ソシュール)という言説は、飛鳥時代において、ヤマトコトバ以前に漢語について語ることにも当てはまることではなかろうか。
以上、アヅマというヤマトコトバに「東」という字を当てて記した上代の人の知恵について述べた。
(注)
(注1)枕詞「鶏が鳴く」について、アヅマへのかかり方が問われることがある。第一説に、東国訛りが中央の人には理解できずに鳥のさえずりのように聞こえたから、第二説に、鶏が鳴くぞ、さあ起きよ、我が妻よ、という意味から、第三説に、鶏が鳴くと東国から夜が明けてくるから、第四説に、鶏の鳴き声は東天紅と聞えるから、といった考えが提示されている。第一説は鳥類一般の話になり、万葉集の表記にトリは仮名書き以外では「鶏」と記されている。当たるとするなら東国訛りがコケコッコーと聞えたということになろう。第二説はヤマトタケルの故事を転用した説である。第三説はアヅマという語をアプリオリに設定していて、言葉を導く機能として働いているとは思われない。第四説のトウテンコウと聞えることとアヅマとのつながりは、「東」をアヅマと訓むことを前提としていて解釈になっていない。筆者は、後述するように、第五説、ア(足)+ツマ(爪)説をとるが、今日目にする飼育種のニワトリでは、鳴く際に背伸びをするものもいればしないものもいる。品種差か個体差か未詳である。祖先のセキショクヤケイに探るべきことかもしれないが、いずれ説の域を出ないことである。
(注2)万葉集中に、「東」字をヒムカシと訓むとされる例は、万48・184・186・310・3886、アサコチに使われる例は、万2125(「朝東」)・2717(「朝東風」)、アユノカゼに使われる例は、万4017(「東風」)に見られる。
(注3)西宮1999.は、「東」の「国訓」であるアヅマの意味を二十巻本和名抄の「辺鄙(あづまづ)」に求め、アヅマという言葉の成立を新しいものと捉えて大化改新時期にアヅマの総称表記に「東」と決まったのではないかとする。万葉集の「東歌(あづまうた)」は「東の辺鄙の国の歌」という意味としている。西郷1995.は、都の東に存する辺境の地、フロンティアを意味する語で、その対偶項にサツマ(薩摩)があるのではないかと想像している。筆者は、アヅマという語の語源について考える立場になく、飛鳥時代当時、当該語がどのように感じられていたか、語感をのみ追究している。王朝語ではなく上代語に、アヅマという語が東方辺鄙性を含意しているとは感じられず、枕詞「鶏が鳴く」にもそのような意図は見えない。
(注4)わきまえておかなくてはならないのは、「東」字にアヅマなる新手の「国訓」を設けたわけではない点である。漢土から見て方角的に九州は east、「東」に当たるが、九州はアヅマではなく、関東平野、ないしは、畿内より東の東海道、東山道をアヅマとしていた。アヅマという語が先にあり、「東」という字は後から付いてきている。
(注5)淮南子には、「日出二于暘谷一、浴二于咸池一、拂二于扶桑一、是謂二晨明一。登二于扶桑一、爰始将行、是謂二朏明一。」(天文訓)、「暘谷榑桑在二東方一。」(墬形訓)、「朝発二榑桑一、日入二落棠一。」(覧冥訓)などとある。
(引用・参考文献)
西郷1995. 西郷信綱『古代の声〈増補版〉─うた・踊り・市・ことば・神話─』朝日新聞社、1995年。
西宮1999. 西宮一民「漢字「東」の国訓アヅマの成立」『皇学館大学文学部紀要』第三十八輯、平成11年12月。
(English Summary)
The kanji 東 represents Aduma as a region name in Japan, in addition to representing the direction of east in ancient Japanese, Yamato kotoba. The meaning of Aduma is not found in Chinese, and is regarded as a special reading in Japanese. And the makura kotoba "Chickens crow(鶏が鳴く)" was the standard poetic epithet used to refer to Aduma. The reason for them is unknown. This paper is a tentative plan to solve those questions. Chickens have bird spurs, and the toenails are thought to be called “a(toe)+ tuma(nail or claw)” in Yamato kotoba, and when they crow, it looks like they are standing on tiptoes. It was thought that the kanji 東 showed a figure on the way that the sun(日) climbed the tree(木), 杳→東→杲, as written in an old dictionary from China. At that time chickens crow.
足柄坂を過ぎて死(みまか)れる人を見て作れる歌一首
…… 今だにも 国に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の〔鳥鳴東國能〕 恐(かしこ)きや 神の御坂(みさか)に ……(万1800)
追ひて防人の別れを悲しぶる心を痛みて作れる歌一首〈并せて短歌〉
…… 聞(きこ)し食(め)す 四方(よも)の国には 人多(さは)に 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男(あづまをのこ)は〔登利我奈久安豆麻乎能故波〕 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍卒(いくさ)と ……(万4331)
鶏が鳴く 東を指して〔等里我奈久安豆麻乎佐之天〕 ふさへしに 行かむと思へど 由(よし)も実(さね)なし(万4131)
鶏が鳴く 東男(あづまをとこ)の〔等里我奈久安豆麻乎等故能〕 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み(万4333)
勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠める歌一首〈并せて短歌〉
鶏が鳴く 東の国に〔鶏鳴吾妻乃國尓〕 古(いにしへ)に ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が ……(万1807)
息の緒に 我が念(も)ふ君は 鶏が鳴く 東の坂を〔鶏鳴東方重坂乎〕 今日か越ゆらむ(万3194)
陸奥国より金(くがね)を出せる詔書を賀(ほ)ける歌一首〈并せて短歌〉
…… 鶏が鳴く 東の国の〔鶏鳴東國乃〕 陸奥(みちのく)の 小田(をだ)なる山に 黄金ありと 申し給へれ ……(万4094)
高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(もがりのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首〈并せて短歌〉
…… 天の下 治めたまひ〈一云、掃ひ給ひて〉 食(を)す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の〔鶏之鳴吾妻乃國之〕 御軍士(いくさ)を 召し給ひて ……(万199)
筑波岳(つくはのをか)に登りて、丹比真人国人の作れる歌一首〈并せて短歌〉
鶏が鳴く 東の国に〔鷄之鳴東國尓〕 高山は 多(さは)にあれども ……(万382)
天皇(すめろき)の 御代(みよ)栄えむと 東なる〔阿頭麻奈流〕 陸奥山(みちのくやま)に 黄金花咲く(万4097)
天平感寶元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之
東道(あづまぢ)の〔安豆麻治乃〕 手児(たご)の呼坂(よびさか) 越えがねて 山にか寝むも 宿りはなしに(万3442)
東路(あづまぢ)の〔安都麻道乃〕 手児の呼坂 越えて去(い)なば 我れは恋ひむな 後(のち)は逢ひぬとも(万3477)
東人(あづまひと)の〔東人之〕 荷前(のさき)の箱の 荷の緒にも 妹は心に 乗りにけるかも 〈禅師〉(万100)
藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
庭に立つ 麻手刈り干し 布曝す 東女(あづまをみな)を〔東女乎〕 忘れたまふな(万521)(注2)
以上は、万葉集にアヅマと訓むとされるものである。古事記では、「東」という表記に、ヒムカシと訓むものとアヅマと訓むものとが交用されており、景行記ではどちらに訓んだらいいのか定めきれない例も見られる。景行天皇代のヤマトタケルの時に、アヅマという言い方が発祥したとされている。
東(あづま)の淡(あは)の水門(みなと)(景行記)
東方(ひむかしのかた)十二道(とをあまりふたつのみち)(景行記)
……期(ちぎ)り定めて、東(ひむかし)の国に幸(いでま)して、悉く山河の荒ぶる神と伏(まつも)はぬ人等(ひとども)とを言向(ことむ)け和平(やは)す。(景行記)
……還り上り幸しし時に、足柄(あしがら)の坂本に到りて、御粮(みかりて)を食(は)む処に、其の坂の神、白き鹿(か)と化(な)りて、来立ちき。爾くして、即ち其の咋(ふ)ひ遺せる蒜(ひる)の片端を以て、待ち打ちしかば、其の目に中(あ)てて、乃ち打ち殺しき。故、其の坂に登り立ちて、三たび歎きて、詔(のりたま)ひて云はく、「阿豆麻波夜(あづまはや)」〈阿より下の五字、音を以ふ。〉といふ。故、其の国を号づけて阿豆麻(あづま)と謂ふ。(景行記)
是を以て其の老人を誉め、即ち東国造(あづまのくにのみやつこ)を給ふ。(景行記)
「東」字を方角の east に用いてヒムカシと訓むことは、ニシ(西)の対として当然視されている。他方、アヅマと訓むことの理由は定かではなく、いわゆる「国訓」であると考えられている(注3)。その由縁は、都から東方に当たる現在の関東平野のことをアヅマの地と言っていたことに発祥し、以降、アヅマの地とされるところが、東海道、東山道にまで広げて認識されるようになったからであろうと考えられている(注4)。もちろん、今日の北海道のことを蝦夷(えみし)などと呼んでいた時、そのエミシという語に「北」字をあてて訓ませるなどといったことは行われておらず、アヅマ(東)ばかり特殊な用字法がとられている。
説文に、「東 動く也。木に从ふ。官溥の説に、日、木の中に在るに从ふ。凡そ東の属は皆東に从ふ。」とある。また、「杳 冥き也。日、木の下に在るに从ふ」、「杲 明き也。日の木の上に在るに从ふ」とある。そして、「叒 日、初め東方の湯谷より出で、登れる榑桑は叒の木也。象形。凡そ叒の属皆叒に从ふ。」とある(注5)。これらをまとめると、日は最初、木の下にあって冥いが、やがて榑桑(扶桑)という桑の木をよじ登っていき、終いには木の上まで出てきて明るくなると捉えている。杳→東→杲というように日が木を登っていく。この解説については、金石文にある原初的な字の成り立ちとは異なるから説文の説明は誤りであろうとされているが、いま、それは問題とならない。上代のヤマトの人に、字書に伝えられてそういうものとして受け取られたであろうことこそ着目すべきであろう。彼らは漢字初学者であった。
日が登る木は、榑桑という桑の木であると観念されている。ということは、日は木に登るために爪先立って登ろうとしているということになる。なぜなら、クハ(桑)なのだから、それはクハダツ(企)ということだとヤマトコトバの言語体系のなかに悟ることができるからである。クワダツとは、かかとをあげて背伸びをして遠くを望み見ることである。下肢の形状を観察すると、脛に対して足のかかとから爪先までの部分は直角に近い角度でついている。それは、農具の鍬(くは)に同じ関係で、その鍬の刃にしている面を鍬平(くわひら)、足のかかとから爪先までの部分は鍬腹(くわはら)、また単にクハと言った。
すなわち、「東」という字は「日」が桑の木に取りつこうとしているところだから、かかとをあげて爪先立っている様子のはずである。そして、完全に明るくなった「杲」にはまだ至っていない時間帯に焦点が当たる言葉でなければならない。それは、鶏鳴時ということであり、そして、ニワトリの足を見ると、蹴爪まであって爪先立って歩いているように見える。クハダツものとしてニワトリは格好の対象である。ニワトリの足を見るにつけ、足で立っているというよりも爪で立っているように見える。足が爪化しているという観念で捉えられた。ア(足)+ツマ(爪、ツメの古形)なのである。
足(あ)の音(おと)せず 行かむ駒(こま)もが 葛飾の 真間の継橋(つぎはし) やまず通(かよ)はむ(万3387、東歌)
月夜(つくよ)よみ 門に出で立ち 足占(あうら)して 行く時さへや 妹に逢はずあらむ(万3006)
宮人(みやひと)の 足結(あゆひ)の小鈴(こすず) 落ちにきと 宮人響(とよ)む 里人(さとびと)もゆめ(記81)
大和(やまと)の 忍(おし)の広瀬を 渡らむと 足結(あよひ)手作(たづく)り 腰作(こしづく)らふも(紀106)
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ここに至って、上代の人たちの思考がありありと浮かび上がる。「鶏が鳴く」のは日が木を登り始めている時間帯であり、字形に「東」であり、鶏が背伸びをしているように爪先立ってアツマ状態になって鳴いているのだから、アヅマというヤマトコトバを漢字で記すのに「東」という字を活用するのは理に適っていると了解されたのである。枕詞とそれが掛かるヤマトコトバ、そのヤマトコトバを書き記す漢字とが互いに共鳴する関係が出来上がっている。
今日、枕詞はもはや語義がわからなくなってしまったものとして置き去りにされている。そして、ヤマトコトバを記す漢字については、漢字のほうからどう訓むかという視点で、「正訓」「借訓」「国訓」といった分類のもとに解釈されてきている。これらは、上代のヤマトコトバについて誤った理解であり、まったく理解していないに等しい。ヤマトコトバは無文字において確かな言葉(音)として成り立っていて隆盛を極めていた。そうでなくてどうして、枕詞のような、歌謡を中心とした使用を目的とする独立した修飾語句が生まれるのであろうか。あまりにもふくらみのある言葉を作り上げてやがて理解不能に陥るような言語感覚の人たちの前にはひれ伏すしかない。
当時の人たちは、そんな謙虚さを身に着けていた。言葉が先にあって、その言葉をどうにか理解しようとして地名譚は生まれ、記紀に多数記されている。景行天皇代に記されるヤマトタケルの話でも、アヅマはアツ(当)+マ(目(め)の古形)、ア(吾)+ツマ(妻)なる譚によって説明されている。言葉をいかに文字に書き表すかは後の問題として持ち上がり、字書を引きまくって適当な文字を選んで当てている。その際にも、さまざまな譚を交えて選択されていると考えられる。ものの考え方がそういう考え方をしていたからである。漢字をどう訓んだかではなく、ヤマトコトバをどう記したか、それだけが飛鳥時代当時の言語の様相を知る立脚点である。「言語事実を持つ以前に一般的観念について語ることは、牛の前に犂をつける如き転倒である。」(ソシュール)という言説は、飛鳥時代において、ヤマトコトバ以前に漢語について語ることにも当てはまることではなかろうか。
以上、アヅマというヤマトコトバに「東」という字を当てて記した上代の人の知恵について述べた。
(注)
(注1)枕詞「鶏が鳴く」について、アヅマへのかかり方が問われることがある。第一説に、東国訛りが中央の人には理解できずに鳥のさえずりのように聞こえたから、第二説に、鶏が鳴くぞ、さあ起きよ、我が妻よ、という意味から、第三説に、鶏が鳴くと東国から夜が明けてくるから、第四説に、鶏の鳴き声は東天紅と聞えるから、といった考えが提示されている。第一説は鳥類一般の話になり、万葉集の表記にトリは仮名書き以外では「鶏」と記されている。当たるとするなら東国訛りがコケコッコーと聞えたということになろう。第二説はヤマトタケルの故事を転用した説である。第三説はアヅマという語をアプリオリに設定していて、言葉を導く機能として働いているとは思われない。第四説のトウテンコウと聞えることとアヅマとのつながりは、「東」をアヅマと訓むことを前提としていて解釈になっていない。筆者は、後述するように、第五説、ア(足)+ツマ(爪)説をとるが、今日目にする飼育種のニワトリでは、鳴く際に背伸びをするものもいればしないものもいる。品種差か個体差か未詳である。祖先のセキショクヤケイに探るべきことかもしれないが、いずれ説の域を出ないことである。
(注2)万葉集中に、「東」字をヒムカシと訓むとされる例は、万48・184・186・310・3886、アサコチに使われる例は、万2125(「朝東」)・2717(「朝東風」)、アユノカゼに使われる例は、万4017(「東風」)に見られる。
(注3)西宮1999.は、「東」の「国訓」であるアヅマの意味を二十巻本和名抄の「辺鄙(あづまづ)」に求め、アヅマという言葉の成立を新しいものと捉えて大化改新時期にアヅマの総称表記に「東」と決まったのではないかとする。万葉集の「東歌(あづまうた)」は「東の辺鄙の国の歌」という意味としている。西郷1995.は、都の東に存する辺境の地、フロンティアを意味する語で、その対偶項にサツマ(薩摩)があるのではないかと想像している。筆者は、アヅマという語の語源について考える立場になく、飛鳥時代当時、当該語がどのように感じられていたか、語感をのみ追究している。王朝語ではなく上代語に、アヅマという語が東方辺鄙性を含意しているとは感じられず、枕詞「鶏が鳴く」にもそのような意図は見えない。
(注4)わきまえておかなくてはならないのは、「東」字にアヅマなる新手の「国訓」を設けたわけではない点である。漢土から見て方角的に九州は east、「東」に当たるが、九州はアヅマではなく、関東平野、ないしは、畿内より東の東海道、東山道をアヅマとしていた。アヅマという語が先にあり、「東」という字は後から付いてきている。
(注5)淮南子には、「日出二于暘谷一、浴二于咸池一、拂二于扶桑一、是謂二晨明一。登二于扶桑一、爰始将行、是謂二朏明一。」(天文訓)、「暘谷榑桑在二東方一。」(墬形訓)、「朝発二榑桑一、日入二落棠一。」(覧冥訓)などとある。
(引用・参考文献)
西郷1995. 西郷信綱『古代の声〈増補版〉─うた・踊り・市・ことば・神話─』朝日新聞社、1995年。
西宮1999. 西宮一民「漢字「東」の国訓アヅマの成立」『皇学館大学文学部紀要』第三十八輯、平成11年12月。
(English Summary)
The kanji 東 represents Aduma as a region name in Japan, in addition to representing the direction of east in ancient Japanese, Yamato kotoba. The meaning of Aduma is not found in Chinese, and is regarded as a special reading in Japanese. And the makura kotoba "Chickens crow(鶏が鳴く)" was the standard poetic epithet used to refer to Aduma. The reason for them is unknown. This paper is a tentative plan to solve those questions. Chickens have bird spurs, and the toenails are thought to be called “a(toe)+ tuma(nail or claw)” in Yamato kotoba, and when they crow, it looks like they are standing on tiptoes. It was thought that the kanji 東 showed a figure on the way that the sun(日) climbed the tree(木), 杳→東→杲, as written in an old dictionary from China. At that time chickens crow.