万葉集巻第七の巻頭歌は、天を詠んだ歌として知られている。
雑歌
天を詠める
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(万1068)
右の一首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
雑歌
詠天
天海丹雲之波立月船星之林丹榜隠所見
右一首柿本朝臣人麻呂之謌集出
大意は、「天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕いで隠れて行くのが見える。」(新大系文庫本235頁)といったものである。
この歌は外国の方に好まれている模様である。英訳をいくつかあげる。
ON the sea of heaven the waves of cloud arise,
And the moon's ship is seen sailing
To hide in a forest of stars. (Donald Keene)
In the sea of sky
The waves of cloud rise up,
And the moon-boat
Is seen rowing out of sight
Into the forest of the stars. (Edwin A. Cranston)
In the sea of heaven
cloud waves rise and
the moon boat sails
into a forest of stars,
then is seen no more (Janine Beichman)
On the sea of heaven
the waves of cloud rise,
and I can see
the moon ship disappearing
as it is rowed into the forest of stars. (Hideo Levy)
Cloud waves rise
in the sea of heaven.
The moon is a boat
that rows till it hides
in a wood of stars.(Peter MacMillan)
そういう意味で通っている。天を海、雲を波、月を船、星を林に譬えて、月が天空を渡る様を壮大に描いているものとされている。類するものに次のようなものがあげられている。
天の海に 月の船浮け 桂楫 かけて漕ぐ見ゆ 月人壮士(万2223、「詠レ月」)
春日なる 三笠の山に 月の船出づ 遊士の 飲む酒杯に 影に見えつつ(万1295、(「旋頭歌」))
月舟移二霧渚一 楓檝泛二霞浜一(懐風藻、文武天皇「詠レ月」)
懐風藻は漢詩集であり、万葉集はヤマトコトバをもとにする歌である。「月人壮士」は、月を擬人化して言った言葉である。
夕星も 通ふ天道を 何時までか 仰ぎて待たむ 月人壮士(万2010、(秋雑歌「七夕」))
天の原 行きて射てむと 白真弓 引きて隠れる 月人壮士(万2051、(秋雑歌「七夕」))
大船に 真楫しじ貫き 海原を 漕ぎ出て渡る 月人壮士(万3611、「七夕歌一首」)
これらの例を前にして、万1068番歌の解釈には唐突感、違和感がある。何を詠んでいるかがわからない。漢籍の転用との考慮があるものの、典拠は不明とされている。
問題は、「月の船」というからには三日月程度は厚みがなければならず、そうであるならかなり明るい。星は一等星、二等星といった見かけの明るさで比べられている。太陽は-26.8等級と非常に明るくて、昼間、他の星は肉眼ではほぼ確認できない。いわゆる「星」の場合、金星が-4.7等級、シリウスが-1.5等級と明るい。それらの明るさは天球全体で他の星を見るのにさして邪魔しないが、月が明るいと天体観測に支障が出る。満月なら-12.7等級、三日月でも-9.7等級ほどであるとされている。
すなわち、月が星の群れに近づくと、星は見えなくなってしまう。「月」が「隠る」のではなく「星」が「隠る」ことになる。歌意が通らない。
ハヤシという語の解釈に誤りがある。
…… 王に 吾は仕へむ 吾が角は 御笠のはやし〔御笠乃波夜詩〕 吾が耳は 御墨の坩 吾が目らは 真澄の鏡 吾が爪は 御弓の弓弭 吾が毛らは 御筆はやし〔御筆波夜斯〕 吾が皮は 御箱の皮に 吾が肉は 御膾はやし〔御奈麻須波夜志〕 吾が肝も 御膾はやし〔御奈麻須波夜之〕 吾が胘は 御塩のはやし〔御塩乃波夜之〕 耆いぬる奴 吾が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申し賞さね〔白賞尼〕 申し賞さね〔々々々〕(万3885)
築き立つる 稚室葛根、築き立つる 柱は、此の家長の 御心の鎮なり。取り挙ぐる 棟梁は、此の家長の 御心の林なり〔御心之林也〕。…(顕宗前紀)
「はやし」の意は、立派に見えるようにするもの、映えるようにするもの、いっそう引き立てるもの、栄えあらしめるもの、の意である(時代別国語大辞典595頁参照)。動詞「賞やす」の名詞形で、動詞は、栄あらしめる、もてはやす、ほめそやす、の意である(同596頁参照)。祭りのお囃子は盛り立て役である。白川1995.の「はやし〔林〕」の項に、「「生やす」の名詞形。「生やす」は他動詞形であるが、自然にまかせて繁茂したところの意であろう。……「御心の波夜志」は「賞し」、「映え」「逸る」「囃す」などみな同系の語で、さかんなさまをいう。」(630頁)と説明されている。
したがって、「月」は「雲(の波)」に「隠」れて「星」が映えるようにしたと考えるのが妥当である。上にあげた万2051番歌に、弓月が、獲物を狙うために物陰に隠れることの譬えとして歌われていたのが類例とわかる。月の神である「月読尊」は「月弓尊」(神代紀第五段本文ほか)とも記されている。助詞「に」は目的を示す。二句目は終止形で句切れである。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(記1)
君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に 禊身行く(万626)
天の海に 雲の波立つ 月の船 星のはやしに 漕ぎ隠る見ゆ(万1068)
(大意)天の海に雲の波が立っている。月の船は星を映えるようにするために、その雲の波のなかへ漕ぎ隠れて行っているのが見える。
On the sea of heaven cloud waves are rising.
It seems like the moon boat rows and hides into them
so that more stars could be seen well. (Ryohei Kato)
月の船が雲の波立つところへ漕ぎ隠れていると見立てることは理解に難くない。このように解釈すれば、この歌の正体が何か理解できるようになる。七夕歌である。主演の二人は「織女」(織姫星)と「彦星」である。今宵、月読壮士はお呼びでない。他の万葉歌との整合性も保たれている。当時の人が聞いてわかる歌である。今日的な解釈による誤読の上の“鑑賞”は、もともとの万葉歌とは別のところにある。
(引用・参考文献)
Donald Keene Donald Keene, 1940. THE MANYŌSHŪ. INTERNET ARCHIVE https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.182951/page/n139/mode/2up
Edwin A. Cranston Edwin A. Cranston, 1993. A WAKA Anthology Volume One: The Gem-Glistening Cup Translated, with a Commentary and Notes. California, Stanford University Press. p.236.
Hideo Levy リービ英雄『英語でよむ万葉集』岩波書店(岩波新書)、2004年、77頁。
Janine Beichman 大岡信著、ジャニーン・バイチマン訳『対訳 折々のうた』講談社インターナショナル、2002年、97頁。
Peter MacMillan ピーター・マクミラン『英語で味わう万葉集』文藝春秋(文春新書)、2019年、155頁。
飯島2018. 飯島奨「はやし・はやす─「乞食者詠」鹿の歌の「はやし」とは何か─」吉田修作編『ことばの呪力─古代語から古代文学を読む─』おうふう、2018年。
勝俣2017. 勝俣隆『上代日本の神話・伝説・万葉歌の解釈』おうふう、2017年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(二)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
多田2009. 多田一臣訳注『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
(English Summary)
The poem of Manyōshū No.1068 is misinterpreted. Since the moon is brighter than stars, the moon cannot hide in the "forest of stars''. In ancient Japanese, the word "Hayashi" which was forest or woods, also meant to serve as a foil to something else. We can understand that they could see stars well when the moon hid in the cloud.
雑歌
天を詠める
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(万1068)
右の一首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
雑歌
詠天
天海丹雲之波立月船星之林丹榜隠所見
右一首柿本朝臣人麻呂之謌集出
大意は、「天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕いで隠れて行くのが見える。」(新大系文庫本235頁)といったものである。
この歌は外国の方に好まれている模様である。英訳をいくつかあげる。
ON the sea of heaven the waves of cloud arise,
And the moon's ship is seen sailing
To hide in a forest of stars. (Donald Keene)
In the sea of sky
The waves of cloud rise up,
And the moon-boat
Is seen rowing out of sight
Into the forest of the stars. (Edwin A. Cranston)
In the sea of heaven
cloud waves rise and
the moon boat sails
into a forest of stars,
then is seen no more (Janine Beichman)
On the sea of heaven
the waves of cloud rise,
and I can see
the moon ship disappearing
as it is rowed into the forest of stars. (Hideo Levy)
Cloud waves rise
in the sea of heaven.
The moon is a boat
that rows till it hides
in a wood of stars.(Peter MacMillan)
そういう意味で通っている。天を海、雲を波、月を船、星を林に譬えて、月が天空を渡る様を壮大に描いているものとされている。類するものに次のようなものがあげられている。
天の海に 月の船浮け 桂楫 かけて漕ぐ見ゆ 月人壮士(万2223、「詠レ月」)
春日なる 三笠の山に 月の船出づ 遊士の 飲む酒杯に 影に見えつつ(万1295、(「旋頭歌」))
月舟移二霧渚一 楓檝泛二霞浜一(懐風藻、文武天皇「詠レ月」)
懐風藻は漢詩集であり、万葉集はヤマトコトバをもとにする歌である。「月人壮士」は、月を擬人化して言った言葉である。
夕星も 通ふ天道を 何時までか 仰ぎて待たむ 月人壮士(万2010、(秋雑歌「七夕」))
天の原 行きて射てむと 白真弓 引きて隠れる 月人壮士(万2051、(秋雑歌「七夕」))
大船に 真楫しじ貫き 海原を 漕ぎ出て渡る 月人壮士(万3611、「七夕歌一首」)
これらの例を前にして、万1068番歌の解釈には唐突感、違和感がある。何を詠んでいるかがわからない。漢籍の転用との考慮があるものの、典拠は不明とされている。
問題は、「月の船」というからには三日月程度は厚みがなければならず、そうであるならかなり明るい。星は一等星、二等星といった見かけの明るさで比べられている。太陽は-26.8等級と非常に明るくて、昼間、他の星は肉眼ではほぼ確認できない。いわゆる「星」の場合、金星が-4.7等級、シリウスが-1.5等級と明るい。それらの明るさは天球全体で他の星を見るのにさして邪魔しないが、月が明るいと天体観測に支障が出る。満月なら-12.7等級、三日月でも-9.7等級ほどであるとされている。
すなわち、月が星の群れに近づくと、星は見えなくなってしまう。「月」が「隠る」のではなく「星」が「隠る」ことになる。歌意が通らない。
ハヤシという語の解釈に誤りがある。
…… 王に 吾は仕へむ 吾が角は 御笠のはやし〔御笠乃波夜詩〕 吾が耳は 御墨の坩 吾が目らは 真澄の鏡 吾が爪は 御弓の弓弭 吾が毛らは 御筆はやし〔御筆波夜斯〕 吾が皮は 御箱の皮に 吾が肉は 御膾はやし〔御奈麻須波夜志〕 吾が肝も 御膾はやし〔御奈麻須波夜之〕 吾が胘は 御塩のはやし〔御塩乃波夜之〕 耆いぬる奴 吾が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申し賞さね〔白賞尼〕 申し賞さね〔々々々〕(万3885)
築き立つる 稚室葛根、築き立つる 柱は、此の家長の 御心の鎮なり。取り挙ぐる 棟梁は、此の家長の 御心の林なり〔御心之林也〕。…(顕宗前紀)
「はやし」の意は、立派に見えるようにするもの、映えるようにするもの、いっそう引き立てるもの、栄えあらしめるもの、の意である(時代別国語大辞典595頁参照)。動詞「賞やす」の名詞形で、動詞は、栄あらしめる、もてはやす、ほめそやす、の意である(同596頁参照)。祭りのお囃子は盛り立て役である。白川1995.の「はやし〔林〕」の項に、「「生やす」の名詞形。「生やす」は他動詞形であるが、自然にまかせて繁茂したところの意であろう。……「御心の波夜志」は「賞し」、「映え」「逸る」「囃す」などみな同系の語で、さかんなさまをいう。」(630頁)と説明されている。
したがって、「月」は「雲(の波)」に「隠」れて「星」が映えるようにしたと考えるのが妥当である。上にあげた万2051番歌に、弓月が、獲物を狙うために物陰に隠れることの譬えとして歌われていたのが類例とわかる。月の神である「月読尊」は「月弓尊」(神代紀第五段本文ほか)とも記されている。助詞「に」は目的を示す。二句目は終止形で句切れである。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(記1)
君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に 禊身行く(万626)
天の海に 雲の波立つ 月の船 星のはやしに 漕ぎ隠る見ゆ(万1068)
(大意)天の海に雲の波が立っている。月の船は星を映えるようにするために、その雲の波のなかへ漕ぎ隠れて行っているのが見える。
On the sea of heaven cloud waves are rising.
It seems like the moon boat rows and hides into them
so that more stars could be seen well. (Ryohei Kato)
月の船が雲の波立つところへ漕ぎ隠れていると見立てることは理解に難くない。このように解釈すれば、この歌の正体が何か理解できるようになる。七夕歌である。主演の二人は「織女」(織姫星)と「彦星」である。今宵、月読壮士はお呼びでない。他の万葉歌との整合性も保たれている。当時の人が聞いてわかる歌である。今日的な解釈による誤読の上の“鑑賞”は、もともとの万葉歌とは別のところにある。
(引用・参考文献)
Donald Keene Donald Keene, 1940. THE MANYŌSHŪ. INTERNET ARCHIVE https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.182951/page/n139/mode/2up
Edwin A. Cranston Edwin A. Cranston, 1993. A WAKA Anthology Volume One: The Gem-Glistening Cup Translated, with a Commentary and Notes. California, Stanford University Press. p.236.
Hideo Levy リービ英雄『英語でよむ万葉集』岩波書店(岩波新書)、2004年、77頁。
Janine Beichman 大岡信著、ジャニーン・バイチマン訳『対訳 折々のうた』講談社インターナショナル、2002年、97頁。
Peter MacMillan ピーター・マクミラン『英語で味わう万葉集』文藝春秋(文春新書)、2019年、155頁。
飯島2018. 飯島奨「はやし・はやす─「乞食者詠」鹿の歌の「はやし」とは何か─」吉田修作編『ことばの呪力─古代語から古代文学を読む─』おうふう、2018年。
勝俣2017. 勝俣隆『上代日本の神話・伝説・万葉歌の解釈』おうふう、2017年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(二)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
多田2009. 多田一臣訳注『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
(English Summary)
The poem of Manyōshū No.1068 is misinterpreted. Since the moon is brighter than stars, the moon cannot hide in the "forest of stars''. In ancient Japanese, the word "Hayashi" which was forest or woods, also meant to serve as a foil to something else. We can understand that they could see stars well when the moon hid in the cloud.