古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」(万1068)の解釈の誤りについて

2021年05月04日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集巻第七の巻頭歌は、天を詠んだ歌として知られている。

   雑歌ざふか
  天を詠める
 あめの海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎかくる見ゆ(万1068)
   右の一首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
   雑歌
  詠天
 天海丹雲之波立月船星之林丹榜隠所見
  右一首柿本朝臣人麻呂之謌集出

 大意は、「天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕いで隠れて行くのが見える。」(新大系文庫本235頁)といったものである。
 この歌は外国の方に好まれている模様である。英訳をいくつかあげる。
 ON the sea of heaven the waves of cloud arise,
 And the moon's ship is seen sailing
 To hide in a forest of stars. (Donald Keene)
 In the sea of sky
 The waves of cloud rise up,
 And the moon-boat
 Is seen rowing out of sight
 Into the forest of the stars. (Edwin A. Cranston)
 In the sea of heaven
 cloud waves rise and
 the moon boat sails
 into a forest of stars,
 then is seen no more (Janine Beichman)
 On the sea of heaven
 the waves of cloud rise,
 and I can see
 the moon ship disappearing
 as it is rowed into the forest of stars. (Hideo Levy)
 Cloud waves rise
 in the sea of heaven.
 The moon is a boat
 that rows till it hides
 in a wood of stars.(Peter MacMillan)
 そういう意味で通っている。天を海、雲を波、月を船、星を林に譬えて、月が天空を渡る様を壮大に描いているものとされている。類するものに次のようなものがあげられている。

 天の海に 月の船け かつらかぢ かけて漕ぐ見ゆ 月人つきひと壮士をとこ(万2223、「詠月」)
 春日かすがなる 三笠の山に 月の船出づ 遊士みやびをの 飲む酒杯さかづきに 影に見えつつ(万1295、(「旋頭歌」))
 月舟げつしううつリ霧渚むしよニ 楓檝ふうしふうかブ霞浜かひんニ(懐風藻、文武天皇「詠月」)

 懐風藻は漢詩集であり、万葉集はヤマトコトバをもとにする歌である。「月人つきひと壮士をとこ」は、月を擬人化して言った言葉である。

 夕星ゆふつつも 通ふあまを 何時いつまでか あふぎて待たむ 月人壮士(万2010、(秋雑歌「七夕」))
 天の原 きて射てむと 白真弓しらまゆみ 引きてかくれる 月人壮士(万2051、(秋雑歌「七夕」))
 大船に かぢしじ貫き 海原を 漕ぎ出て渡る 月人壮士(万3611、「七夕歌一首」)

 これらの例を前にして、万1068番歌の解釈には唐突感、違和感がある。何を詠んでいるかがわからない。漢籍の転用との考慮があるものの、典拠は不明とされている。
 問題は、「月の船」というからには三日月程度は厚みがなければならず、そうであるならかなり明るい。星は一等星、二等星といった見かけの明るさで比べられている。太陽は-26.8等級と非常に明るくて、昼間、他の星は肉眼ではほぼ確認できない。いわゆる「星」の場合、金星が-4.7等級、シリウスが-1.5等級と明るい。それらの明るさは天球全体で他の星を見るのにさして邪魔しないが、月が明るいと天体観測に支障が出る。満月なら-12.7等級、三日月でも-9.7等級ほどであるとされている。
 すなわち、月が星の群れに近づくと、星は見えなくなってしまう。「月」が「隠る」のではなく「星」が「隠る」ことになる。歌意が通らない。
 ハヤシという語の解釈に誤りがある。

 …… おほきみに  吾は仕へむ 吾が角は かさのはやし〔御笠乃波夜詩〕 吾が耳は 御墨のつぼ 吾が目らは すみの鏡 吾が爪は 御弓のはず 吾が毛らは 御筆みふみてはやし〔御筆波夜斯〕 吾が皮は 御箱の皮に 吾がししは 御膾みなますはやし〔御奈麻須波夜志〕 吾が肝も 御膾はやし〔御奈麻須波夜之〕 吾がみげは 御塩のはやし〔御塩乃波夜之〕 いぬるやつこ 吾が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね〔白賞尼〕 申し賞さね〔々々々〕(万3885)
 つる 稚室葛わかむろかづ、築き立つる はしらは、家長いへのきみの 御心みこころしづまりなり。ぐる 棟梁むねうつはりは、此の家長の 御心のはやしなり〔御心之林也〕。…(顕宗前紀)

 「はやし」の意は、立派に見えるようにするもの、映えるようにするもの、いっそう引き立てるもの、栄えあらしめるもの、の意である(時代別国語大辞典595頁参照)。動詞「やす」の名詞形で、動詞は、はえあらしめる、もてはやす、ほめそやす、の意である(同596頁参照)。祭りのお囃子は盛り立て役である。白川1995.の「はやし〔林〕」の項に、「「やす」の名詞形。「生やす」は他動詞形であるが、自然にまかせて繁茂したところの意であろう。……「心の波夜志はやし」は「はやし」、「え」「はやる」「はやす」などみな同系の語で、さかんなさまをいう。」(630頁)と説明されている。
 したがって、「月」は「雲(の波)」に「隠」れて「星」が映えるようにしたと考えるのが妥当である。上にあげた万2051番歌に、弓月が、獲物を狙うために物陰に隠れることの譬えとして歌われていたのが類例とわかる。月の神である「月読尊」は「月弓尊」(神代紀第五段本文ほか)とも記されている。助詞「に」は目的を示す。二句目は終止形で句切れである。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻みに 八重垣作る その八重垣を(記1)
 君により ことしげきを 故郷ふるさとの 明日香の川に 禊身みそぎく(万626)

 天の海に 雲の波立つ 月の船 星のはやしに 漕ぎ隠る見ゆ(万1068)
 (大意)天の海に雲の波が立っている。月の船は星を映えるようにするために、その雲の波のなかへ漕ぎ隠れて行っているのが見える。
 On the sea of heaven cloud waves are rising.
 It seems like the moon boat rows and hides into them
 so that more stars could be seen well. (Ryohei Kato)
 月の船が雲の波立つところへ漕ぎ隠れていると見立てることは理解に難くない。このように解釈すれば、この歌の正体が何か理解できるようになる。七夕歌である。主演の二人は「織女たなばたつめ」(織姫星)と「彦星ひこぼし」である。今宵、月読壮士はお呼びでない。他の万葉歌との整合性も保たれている。当時の人が聞いてわかる歌である。今日的な解釈による誤読の上の“鑑賞”は、もともとの万葉歌とは別のところにある。

(引用・参考文献)
Donald Keene Donald Keene, 1940. THE MANYŌSHŪ. INTERNET ARCHIVE https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.182951/page/n139/mode/2up
Edwin A. Cranston Edwin A. Cranston, 1993. A WAKA Anthology Volume One: The Gem-Glistening Cup Translated, with a Commentary and Notes. California, Stanford University Press. p.236.
Hideo Levy リービ英雄『英語でよむ万葉集』岩波書店(岩波新書)、2004年、77頁。
Janine Beichman 大岡信著、ジャニーン・バイチマン訳『対訳 折々のうた』講談社インターナショナル、2002年、97頁。
Peter MacMillan ピーター・マクミラン『英語で味わう万葉集』文藝春秋(文春新書)、2019年、155頁。
飯島2018. 飯島奨「はやし・はやす─「乞食者詠」鹿の歌の「はやし」とは何か─」吉田修作編『ことばの呪力─古代語から古代文学を読む─』おうふう、2018年。
勝俣2017. 勝俣隆『上代日本の神話・伝説・万葉歌の解釈』おうふう、2017年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(二)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
多田2009. 多田一臣訳注『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。

(English Summary)
The poem of Manyōshū No.1068 is misinterpreted. Since the moon is brighter than stars, the moon cannot hide in the "forest of stars''. In ancient Japanese, the word "Hayashi" which was forest or woods, also meant to serve as a foil to something else. We can understand that they could see stars well when the moon hid in the cloud.

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