古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集の「恋忘れ貝」と「忘れ貝」─「言にしありけり」とともに─

2023年10月06日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 「恋忘こひわすがひ」という言い方は万葉集に五例見られる。それを手にすると恋を忘れることができるといわれる貝である。「置き忘れ貝」や「忘れ草」などからの連想で「恋忘れ貝」というのだという。特定の種を指すのではないと考えられている。諸説あるが、「拾ふ」、「岸に寄る」と形容されるところから、打ち上げられた貝殻と考えられ、二枚貝の片方だけが残されているものをいうとされている(注1)。一枚の貝殻であるアワビについては、そもそも貝殻が一片のため片恋、片想いの比喩に用いられている(注2)。「恋忘れ貝」のほうは、生命体としての二枚貝は死んで身は失われ、その貝殻も片方だけとなり、貝合わせの道具にもならないものをいうのであろう。二つが合わさるのなら身がなくても形式的には一つの貝、人であれば気持ちはともあれ二人は出会うことに相当しようが、波にもまれてもう片方は行方知れずとなっている。そんなものを拾ったら、恋はなかったことになるというので恋を忘れる貝であるとされたのだろう。結果的に、「恋忘れ草」と同じように使われている。



 実際に歌意を検討しながら確認していこう。

 吾が袖は 手本たもと通りて 濡れぬとも 恋忘こひわすがひ 取らずはかじ〔和我袖波多毛登等保里弖奴礼奴等母故非和須礼我比等良受波由可自〕(万3711)

 現行の解釈では、私の袖がたもとからすっかり濡れ通ってしまうとしても、恋を忘れさせるという貝を拾わないではここを去って行くことはできない、袖口からぐっしょりと濡れたとしても、恋の辛さを忘れさせるという貝は何としても採ろう、の意であるとされている。この歌は遣新羅使歌群中の歌である。望郷の念、故郷にいる妻への情を振り払おうとする思いを歌っているのだとしている。
 しかし、この解釈では単なるモノローグとならないか。また、上代に「ズハ」の構文とされるものがあったのか疑問である。
 筆者は、通説で「ズハ」の構文と呼ばれているものは存在しないと考えている。すべて、PハQという形で理解可能である。係助詞ハによって、PはQである、PはどういうことかというとQである、PはQと同等なものである、といった内容を示す(注3)

 「吾が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らず」ハ「行か」ジ

 私の袖は袂からどんどん濡れてしまっていても恋忘れ貝と呼ばれる貝を取ることはない、とはどういうことかというと、ここからどこかへ行くつもりはないということである、と言っている。袖が濡れたのは自分の涙によってである。恋をしているのに現状では郷里に帰ることなどかなわない。すでに袖は濡れているのだから、水の中の恋忘れ貝を手に取るとしても大して変わりはないが、そうはしない。それはここを去って行くつもりはないということだ、と言っている。逆に言うと、恋忘れ貝を取ってはじめて新羅へ行くことができるようになる、というのである。それは、あなたへの恋心を忘れてしまわない限り、異国へ行くなんてできることではない、ということであり、当たり前の話だがお上の命令で新羅へ遣わされていて、仕事なのだから行かないわけにはいかないのであるが、後ろ髪を引かれる思いとして唯一あるのはあなたへの恋心なのだ、と言っているのである。
 竜頭蛇尾の文型である。五句目の途中までを「行かじ」だけで承けている。「行く」は新羅へ行くことである。何かかんかいろいろ条件をクリアしてようやく行くことができるということを示そうとして頭でっかちの文にしている。むろん、宮仕えの身で行かないという選択肢はない。なのにそのことを天秤にかけ、恋心が激しくてどうにもならないと大げさに訴えている。誇張表現をするために「恋忘れ貝」という言葉を用いている。



 「恋忘れ貝」と「ことにしありけり」とが絡む例が二首見られる。

 住吉すみのえに くといふ道に 昨日きのふ見し 恋忘こひわすがひ ことにしありけり〔住吉尓徃云道尓昨日見之戀忘貝事二四有家里〕(万1149)
 手に取るが からに忘ると 海人あまの言ひし 恋忘こひわすがひ ことにしありけり〔手取之柄二忘跡礒人之曰師戀忘貝言二師有来〕(万1197)

 これらの「言にしありけり」について、現行の解釈では、言葉にすぎないことだった、言葉だけのことであった、名前ばかりであった、といった意にとられ、「恋ひ忘れ貝」の効果がなかったと解されている。この考え方は誤っている(注4)
 上代語において、コトという言葉は言葉でもあり、事柄でもあった。その両者が一致することが強く意識されていた。当時は無文字時代である。言葉にしていることが実際に起こっている事柄と齟齬を来すと、もはや言葉は内実を伴わないということになり、すべてが虚ろな表出と化してしまう。文字がなく、文字を使わないとは、証文が取れないということである。そんな時代に言葉が事柄と遊離してしまったら、言うことに担保が取れず、社会はカオス化して成り立たなくなる。そもそも何のために言葉があるのかさえわからない。だから、そうならないよう気をつけて言葉を使っていたのが「こと」であった。
 したがって、「言にしありけり」とは、強意を表す助詞シを含んでいること確かなように、言葉≒事柄であったことである、まったくうまく言い当てたものであった、の意である。上の二首の歌の大意は次のようになる。
 この道を道なりに行くと住吉へ着くという道で昨日、恋忘れ貝を見た。恋忘れ貝というだけのことはあった。
 手に取るとそれでもって忘れられると海人が言っていた恋忘れ貝は、まったくそのとおりだった。
 これらの解釈は通説とは相容れない。よく見るとこの二つの例には共通点がある。スミノエとアマである。スミは須弥すみ、すなわち須弥山しゆみせんのこと(注5)、アマはあまのことである。須弥山は仏教が構想している世界観で、大海に囲まれた世界の中心に聳える山をいう。そこへ通じる道が「住吉すみのえに行くといふ道」であるととぼけている(注6)。仏道の道にあれば、実際はともあれ色欲から解放されることになる。世俗にあって悩んでいた恋のことは自動的に雲散霧消する。尼僧を意味するあまも同様である。実際がどうかではなく、観念としてそういうことになっている。だからそういうことを歌に詠んで楽しんでいる。



 時間があったら拾おうという歌が二首ある。

 背子せこに 恋ふれば苦し いとまあらば ひりひて行かむ 恋忘こひわすがひ〔吾背子尓戀者苦暇有者拾而将去戀忘貝〕(万964)
 いとまあらば ひりひにかむ 住吉すみのえの 岸に寄るといふ 恋忘こひわすがひ〔暇有者拾尓将徃住吉之岸因云戀忘貝〕(万1147)

 現行の解釈では、いとしい人を恋うていると苦しいから恋を忘れるという貝を時間があったら拾って行こう、住吉の岸に寄って来るという恋を忘れるという貝を時間があったら拾いに行こう、という意に解している。
 これまで「いとまあらば」などと条件をつけている理由が検討されて来なかった(注7)。反対の状況を想定すればわかりやすい。時間がなくて「恋忘れ貝」が拾えないのである。「いとま」のことを官吏の職務時間外のことを表すとも考えられているが、忙しい現代人と同じように思ってはいけない。そうではなく、今、この時には、拾おうにも拾えないという状況下にある、だから「いとま」が必要とされている。
 万964番歌の題詞に、「同じく坂上郎女のみやこに向ふ海路うなぢに浜を見て作る歌一首」とある。船に乗って進んでいる。時間が許せば見えている浜に上陸して貝殻拾いをしよう、と呑気なことを言っているのではなく、今、船を泊めようにも泊められないということであろう。古代には、潮の満ち引きに従って船を泊める方法がとられていた。潮が満ちている時に陸に寄せて、潮が引いたらそこに取り残される形で船は着実に停泊する。再び潮が満ちて来た時、船は海に浮かぶことができて出航可能となる。今、坂上郎女は船の上から浜を見ている。浜が見えているということは潮が引いているということで、船を泊めることはできない。満ちたら船は泊められるが、そのとき浜は海面下に沈んでいる。となると、貝殻拾いはできない。貝殻拾いをするには潮が引かなければならないから、一日に二回、潮の干満をくり返すとしても、船の停泊から出航まで、半日その地にいなければならない。今は干潮時だから満潮を待ってということになる。「いとまあらば」と歌っただけで、その船の同乗者の笑いを誘ったことであろう。
 すなわち、「いとまあらば」とあるところがこの歌の肝である。もし、この三句目のない形、「が背子に 恋ふれば苦し ひりひて行かむ 恋忘れ貝」といった言辞があるとして、それはなんら歌とはならない。いとしいあの人のことを恋しがると苦しいから恋忘れ貝を拾って行こう、などと言うのでは、恋忘れ貝の取扱説明書にすぎなくなる。「いとまあらば」の句を挟むと、一転して、恋忘れ貝のことは実はどうでもいいこと、恋忘れ貝を拾うつもりなどさらさらないことを示すことになる。それが歌を歌った時の郎女の心である。あの人のことが恋しいという思いを技巧的に歌にしている。
 万1147番歌で「いとまあらば」とあるのも、同じように船の上から詠まれたものと考えられる。「住吉すみのえ」は津としての機能を持つ名立たる地である。恋忘れ貝がその「岸に寄るといふ」としている。須弥山関連の地だからそう言われていると伝聞形式にしている。仏道に関係すると目されて色欲が消えると思われてである。この歌は巻七の雑歌、「摂津作歌」の標題として集められている。他意は特にないと考えるべきで、シンプルに歌ばかりで論理的に整合する解釈が求められる。したがって、今乗っていて降りることのない船とは、歌い手の人生を譬えたものと捉えるのが妥当である。仏門に下る暇のない人生を送っている、ごくふつうの人である私は、恋をしています、ということを歌っている。



 「恋忘れ貝」に似て、ただ「忘れ貝」という言葉も万葉集には五例見られる。

 大伴おほともの 御津みつの浜なる 忘れ貝 家なるいもを 忘れて思へや〔大伴乃美津能濱尓有忘貝家尓有妹乎忘而念哉〕(万68)
 の国の 飽等あくとの浜の 忘れ貝 我は忘れじ 年はぬとも〔木國之飽等濱之礒貝之我者不忘年者雖歴〕(万2795)
 海人娘子あまをとめ かづき取るといふ 忘れ貝 世にも忘れじ いもが姿は〔海處女潜取云忘貝代二毛不忘妹之容儀者〕(万3084)
 わかの浦に 袖さへれて 忘れ貝 ひりへどいもは 忘らえなくに〈或本の歌の末句に云はく、忘れかねつも〉〔若乃浦尓袖左倍沾而忘貝拾杼妹者不所忘尓〈或本歌末句云、忘可祢都母〉〕(万3175)
 秋さらば 我が船てむ 忘れ貝 寄せ来て置けれ 沖つ白波〔安伎左良婆和我布祢波弖牟和須礼我比与世伎弖於家礼於伎都之良奈美〕(万3629)

 はじめの四例は序詞として用いられており、「忘る」を導くために「忘れ貝」が登場している。この「忘れ貝」も「恋忘れ貝」同様、実態としては二枚貝の貝殻の片方だけとなったものを見ているものと思われる。万3084番歌から、海人娘子が捕るのだから、身が入っている生きた貝であるとされている。しかし、上述の須弥山や尼の洒落に同じく、海人娘子も尼僧のことを想定してのもの言いと考えられる。「潜き取るといふ・・・」とあり、「潜き取りてし」などとない。「といふ」(「とふ」)は、そういう話だ、の意である。アマというのだから仏道に励んで恋をしない禁欲者の性格をもっていて、そんなアマは殺生も慎むから、潜って取る貝も身のない貝殻ばかりだととぼけている。
 こういった言語遊戯性は、序詞の内実となっている地名にも当てはまる。万68番歌の「三津」は「満つ」、万2795番歌の「飽等」は「飽く」ことを連想させる。満ち飽きる状態となれば固執することはなくなる。だから、忘れることができるというので、「忘れ貝」のある場所として選ばれている。序詞といえども手抜かりなく周到に作られている。
 万3629番歌でも、語呂合わせの趣向がとられている。この歌は万3627番の長歌の第二反歌である。題詞は「属物発思の歌一首〈并せて短歌〉」で、遣新羅使が海路の道中において作った歌である。現在、往路にあり、新羅に向かう途上である。この歌意は、秋になれば新羅から帰る頃だからまたここに停泊しよう。沖の白波よ、忘れ貝を寄せてきて置いておけ、といったことである。長歌と第一反歌では玉の話をしている。第二反歌では一転して貝のことをとりあげている。一転しているのは今のこと、往路のことを歌うのではなく、未来の、復路のことを歌うことでもある。そして、「秋」はアキ(「飽き」、キは甲類)との音つながりで固執することがないこと、よって「忘れ貝」のことを歌う準備としている。
 すべてを縁語的に考えるこのような考え方を万3175番歌の「若の浦」に及ぼせば、「浦」は「占」のことを連想させようとしているかと推測される。若い占いとは、まだ始まったばかりの新しい占い法ということで、それはとりもなおさず「忘れ貝」を取ると忘れられるというもののことを指しているのであろう。ところが、そんな貝殻拾いに際して袖を濡らしている。潮が満ちてきていた。その状態のことは、「かた無し」(万199)である。カタは卜象のこと、古くから伝わる正統派の占いである鹿の骨を焼いた時にあらわれ出るひび割れの形のことをもいう。それが無いのだから、「忘れ貝」を取ったからと言って忘れることがないのは当然のことなのである。
 これらの「忘れ貝」を「恋忘れ貝」とまったく同じこと、恋を忘れる貝の意ととるのは誤りである。何であれ一般に忘れることを促すものとして「忘れ貝」と言っている。実体としては二枚貝の貝殻の片割れで同じでも、言葉にしたときの概念カテゴリーは少し外れる。

(注)
(注1)東1935.に、「この時代迄に知られた貝の名称はアハビ、サヾエ、ニシ、カキ、ハマグリ(オフ、ウムキ)、イガヒ(クロガヒ)、アカガヒ(キサ)など数種に過ぎず、しかも皆何かの特長を持つもの許りである。今日云ふワスレガヒの棲息する場所や、その空貝の打上げられた海岸には、ハマグリ、アサリ、カガミガヒ、ナミノコ、ユフシホガヒ、シホフキ、バカガヒ、オキシジミ、シラヲガヒなど何れもよく似た貝が一所に混在してゐる筈である。これ等の貝類の中で、大した特長も持たないワスレガヒだけを、分類学には無頓着な当時の人が、果して識別し得たであらうか。……私の解釈も肉の失せた空殻ではあるが、忘貝とは二枚介(即ち斧足類)の空になって、一枚一枚に放れた一片を云ふのであつて、後世の所謂片し貝・・・、或は片せ貝・・・の事であると考へるのである。」(481~482頁)とある。
(注2)「伊勢の海人あまの 朝な夕なに かづくといふ あはびの貝の 片思かたもひにして」〔伊勢乃白水郎之朝魚夕菜尓潜云鰒貝之獨念荷指天〕(万2798)などとある。全集本萬葉集では一枚貝の鰒も「恋忘れ貝」に含めているが誤りであろう。
(注3)拙稿「恋ひつつあらずは」参照。
(注4)「ことにしありけり」の形は以下の例にも見られる。

 忘れ草 吾が下紐したひもに けたれど しこ醜草しこぐさ ことにしありけり〔萱草吾下紐尓著有跡鬼乃志許草事二思安利家理〕(万727)
 この歌は「大伴宿禰家持の坂上家さかのうへのいへ大嬢おほをとめに贈る歌二首〈さかり絶ゆること数年にしてまた会ひて相聞さうもん往来わうらいす。〉」という題詞の一首目にある。以前、別れる前にそうしたから「離絶数年」ということになったのだ、という歌である。「ことにしありけり」を、言葉だけだったと解すると、忘れないでまたふたたびここに会っているという意になるが、まったく言葉どおりだと解すると、本当に忘れていた、ということになる。後者の考えが優れているのは、まったく不覚にも数年間忘れていた、と言うのにふさわしい点である。すっかり忘れていて気づかぬうちに時が過ぎていたということを言い訳するのにうまい言い回しになっている。すべてを「忘れ草」のせいにして、「忘れ草」は「醜の醜草」だと貶めている。本当にこの「忘れ草」というのはとんでもない草だ、身に着けていたら言葉どおりに「離絶数年」になってしまった、ひどい草だ、とののしっている。

 いめのわだ ことにしありけり うつつにも 見てるものを 思ひし思へば〔夢乃和太事西在来寤毛見而来物乎念四念者〕(万1132)

 「いめのわだ」と呼ばれるところは吉野にあり、宮滝近くの吉野川の湾曲した部分の淵である。通説では、「ことにしありけり」を言葉だけだったととり、夢のわだという名は言葉だけのことで、ひたすら見たいと思っていたので現実にこうして来て見たのだなあ、という意味に解されている。一方、筆者のように言葉どおりだととると、見たいと思っていたから現にこうして来て見ているのは、まさに、夢のわだという名の示すところである、の意になる。
 イメ(夢)という語は、イ(寝、寐)+メ(目)の意であろうとされている。万葉集での「いめ」には、①夢は睡眠中に見る像、②夢で見るような非現実のこと、③夢でしか見られないような美しいこと、また、もの、を表している(古典基礎語辞典154頁。この項、大野晋)。
 「いめ」と「うつつ」とを二つながらあげている例に次のものがある。②の意の一例とされている。

 うつつにも いめにもわれは 思はずき りたる君に ここに逢はむとは〔現毛夢毛吾者不思寸振有公尓此間将會十羽〕(万2601)

 旧知のあなたにここで逢おうとは、覚めていても夢でさえも私は思わなかった、と歌っている。この「うつつ」と「いめ」とは並置されている。だからともに「にも」で承けている。この発想は万1132番歌でも同様であろう。「いめのわだ」という地名に対して「うつつにも」と言っている。この部分が「うつつ」とあるのなら、通説のように解されてもおかしくはないが、「うつつ」とある限りにおいて、「いめにも」見ているはずなのである。なぜなら、「いめ」はイ(寝、寐)+メ(目)だからである。

 名草山なぐさやま ことにしありけり 吾が恋ふる 千重ちへ一重ひとへも なぐさめなくに〔名草山事西在来吾戀千重一重名草目名國〕(万1213)

 通説では、ナグサ山というのは言葉だけであったなあ、私の恋心を千に一つも慰められないことだのに、の意であるとされている。原文の「千重一重」は万207番歌同様、「千重ちへ一重ひとへも」と訓む。恋心が何重にも重なっているというレトリックが使われている。
 この通説は正確な語義理解を欠いている。ナグサ(慰)は、波立ちを静め、おだやかにする意である。その意が心情に対応するようにさせられて、波立つ心を鎮静化させるかもしれないもの、気休めのもののことをいう。次の例でも、恋の気休めになるから、大げさですぐに嘘とわかることでいいから逢おうと言ってください、という意味で使っている。

 浅茅原あさぢはら 小野をのしめふ 空言むなことも 逢はむと聞こせ 恋のなぐさに〈或本の歌に曰はく、むと知らせし 君をし待たむ……〉〔淺茅原小野尓標結空言毛将相跡令聞戀之名種尓〈或本歌曰将来知志君矣志将待……〉〕(万3063)

 万1213番歌の五句目の「慰めなくに」の「慰め」は、下二段活用の動詞「慰む」の連体形である。なぐさめられる、という受身形の意味を表す。
 これを直訳すれば、気休め山というのは言葉どおりであった、私が恋しているその千分の一も慰められることはないのに、ということになる。これだけなら理解されることだが、ナグサという言葉を入れてナグサ山とすると、途端にその名を負っているのに慰められないではないか、だから、「ことにしありけり」は言葉だけの偽りだった、と誤解してしまう。
 上代には、自動詞としては四段活用の「なぐさもる」があり、他動詞には下二段活用の「なぐさむ」があった。自動詞は、おのずとなぐさめになる、自然と気持ちの波立ちがやわらぐ、他動詞は、気持ちの波立ちがやわらげられる、という意味である。それら動詞の出自が名詞の「なぐさ」である。気持ちの波立ちのやわらぐことをいう。波立っているのは事実であり、それを穏やかにするには穏やかになるまで待っているのが常道である。消極的な対応である。側に寄り添い、見守るのが唯一の方法である。
 この歌では、おもしろいことに、波立っているのを静めるという意味のナグサがなぜだか山となっていて、その様子につながるであろう形容として「千重」と言っている。連峰的な様相の山なのであろう。波立ちはなかなか収まりそうにない。つまり、ナグサヤマという名は慰めているだけで解決策があるわけではないことを如実に語る名なのであり、恋心の波立ちをやわらげられるべくもないのである。
(注5)「仍りて須弥山すみのやまの形及び呉橋くれはし南庭おほばけとおほす。」(推古紀二十年是歳)とある。この部分の「須弥」には、岩崎本の平安中期末点として声点(去上)が加えられている。
(注6)万葉集のなかで地名の「住吉すみのえ」は40例ほどを数える。後述の万1147番歌はやはり須弥山のこと、仏道から恋を忘れるものと捉えている。実際の住吉の地のことを言うばかりではなく、地口として須弥山と関係して歌われている。その際、「須弥すみ」は言葉としては知っていても話でしか知らないから、伝え聞いたことであることを表すために「とふ」、すなわち、……という、という語をはさむことになっている。次の例も同様である。

 住吉すみのえの 浜に寄るといふ うつせ貝 なきこともち 吾恋ひめやも〔住吉之濱尓縁云打背貝實無言以余将戀八方〕(万2797)

(注7)賀古1965.は「[万1147番歌]の内実は、「恋」の「憂」にたえず苦しみながらも、その「憂」を一時的にも「忘れ」させてくれるという「貝」を「拾ひに行く」「暇」さえもない苦しさを歌い表わしている歌である。」(601頁)としている。

(引用・参考文献)
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
村田2018. 村田右富実「「(恋ひ)忘れ貝」と「(恋ひ)忘れ草」」『美夫君志』第97号、平成30年10月。
賀古1965. 賀古明『万葉集新論─万葉情意語の探究─』風間書房、昭和40年。(「萬葉情意語の生成─「忘れ貝」・「恋忘れ貝」─」『上代文学』第13号、1962年11月。上代文学会ホームページhttp://jodaibungakukai.org/02_contents.html)
全集本萬葉集 小島憲之・木下正俊・佐竹昭広校注・訳『日本古典文学全集 萬葉集三』小学館、昭和48年。
東1935. 東光治『万葉動物考』人文書院、昭和10年。

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