古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

藤原卿と鏡王女の贈答歌

2023年10月03日 | 古事記・日本書紀・万葉集


 万葉集巻二、相聞の部立に藤原鎌足と鏡王女の歌が載る。

  内大臣うちつおほまへつきみ藤原卿ふぢはらのまへつきみの、鏡王女かがみのおほきみあとふる(注1)時、鏡王女の内大臣に贈る歌一首〔内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大臣歌一首〕
 玉櫛笥たまくしげ おほふをやすみ けてなば 君が名はあれど 吾が名ししも〔玉匣覆乎安美開而行者君名者雖有吾名之惜毛〕(万93)
  内大臣藤原卿の、鏡王女にこたへ贈る歌一首〔内大臣藤原卿報贈鏡王女歌一首〕
 玉櫛笥 みむまろ山の さなかづら さずはつひに ありかつましじ〈或る本の歌に曰はく、「玉櫛笥 三室戸山みむろとやまの」〉〔玉匣将見圓山乃狭名葛佐不寐者遂尓有勝麻之自〈或本歌曰玉匣三室戸山乃〉〕(万94)

 あまり議論されてはいないが、注釈書では解釈に多少の違いがある。比較できるように訳を例示してみる。

  内大臣藤原卿(鎌足)が鏡王女に求婚した時、鏡王女が内大臣に贈った歌一首
 美しい櫛箱の、その蓋(ふた)をするのは簡単だからと、櫛箱を開けるように夜が明けてからお帰りになったら、あなたの御名はさておいて私の名こそ惜しゅうございます。
 (玉くしげ)みもろの山のさな葛、さ寝ずにはとても生きていられないでしょう〈或る本の歌には「(玉くしげ)三室戸山の」と言う〉。(新大系文庫本123~125頁)
  内大臣藤原(鎌足かまたり)卿が鏡王女に妻問いした時に、鏡王女が内大臣に贈った歌一首
 美しい櫛箱くしばこふたが覆うようにまだ関係が外に露見していないのをよいことに、すっかり夜が明けてから帰るなら、あなたの名はともかく私の浮き名の立つのが口惜しいことだ。
  内大臣藤原(鎌足)卿が鏡王女に答え贈った歌一首
 玉櫛笥を開けて見る、みもろの山のさなかずらではないが、さ寝(共寝)をしないでは、とても生きていられないほど耐え難くなるだろう〔ある本の歌に言う、「玉櫛笥を開けて見る、三室戸山の」〕。(多田2009.100~101頁)

 枕詞、序詞の扱いが異なっていて、現代語訳に差が出ている。現在の言葉づかいとは異なるから、訳すのに手こずってニュアンスが伝わりにくい。問題は、修辞的な表現について、どのような意図をもって行われ、どのような実態をなしているか、それをきちんと把握することである。
 例えば、一首目で、玉櫛笥の蓋をするのは簡単だからと、夜が明けてから帰る、ととるのと、玉櫛笥の蓋が覆うように関係が露呈していないのをよいことに、夜が明けてから帰る、ととるのでは、明らかに理解が違う。
 二首目になると、共寝をしないと生きていられない、という嘆き節であるととられている。しかし、それでは、一首目に対する「贈歌」とは呼べない。それぞれの歌に使われている言葉が共通するからといって、贈られた歌に対する「報」であるとは考えられない。歌ってきた内容を捉え返して相手を言いくるめてしまうこと、時には揚げ足取りのようなことであれ、まるごと言葉を返すことがなければダイアローグとしての興趣を生まない。短詩文形式の言語芸術をくり広げている理由は、言語活動として高度であるからおもしろいと認められていたからであろう。恋関連の歌を交わすダイアローグを相聞と言っている。



 要領を得ていない二首目から検討していこう。

 玉櫛笥 みむまろ山の さなかづら さずはつひに ありかつましじ(万94)

 二首目の二句目は、「将見圓山」を「みもろの山」、「みむまど山」などと訓む説もある。
 歌のなかに「ズハ」とある。この「ズハ」については一つの意味ではまとめることができない難解な語法であるとされ、訳出に工夫するようにと注意されている(注2)。しかし、その捉え方、すなわち、「ズハ」を連語として考えることは誤りである。「ズハ」の形の使い方の肝は係助詞「ハ」にある。PハQ、とあれば、ほかのRのことなど知らず、ただただPとQとが分かちがたく一体なのだと言っている。これを少しばかり論理学的に展開した言い回しが、「ハ」の前を否定してみせた「ズ」を伴う形となって現れている。現代の表現にはない言い回しが上代に行われていた。
 基本的には、係助詞「ハ」が、「ハ」の前と「ハ」の後とを結びつけて離さない関係に拘束する役割を果たしていて、それが全体の構文の決め手である。これまで、「ハ」の前の、枕詞を含む多彩な修辞と、後にある表現とが絡みあっていること、係助詞ならではの前後の係わりについて理解されて来なかった。「ハ」が前後を結束させているのだから、その間の絡みを巧みにせずには歌の表現として拙いことになる。そういうところに目が行っていたのが、上代の歌の特色である。 
 「玉櫛笥みむまろ山のさなかづらさ寝ず」ハドウイウコトカトイウト「遂にありかつましじ」トイフコトデアル、「玉櫛笥みむまろ山のさなかづらさ寝ず」ハ「遂にありかつましじ」ト同等デアル、と言っている。
 「玉櫛笥」については、櫛がおさめられている容器のことであると思われている。ただ、櫛専用とは言えない。一般に、すてきな櫛笥のこと、櫛笥とは櫛や髪飾りなどを入れておく箱のこととされている。櫛はもともと髪を梳くための道具であり、そのまま髪につけて装飾品にも使うようになっている。ブラシと髪飾りのいずれであれ、その容器は櫛入れ、つまり、櫛笥ということになる。そしてまた、髪を梳くという本来の目的からすれば、自分できれいに梳くためには同時に鏡が必要となる。すなわち、タマクシゲと呼ばれるものには、鏡も一緒に収納されたと推測される。鏡を入れるには鏡の形に合わせて容器は作られる。丸くなければならない。そうであるならクシゲに丸いものを示すタマと冠する理由も説明がつく(注3)。そして、二句目が「みむまろ・・山」と続く理由もはっきりする。ミモロ(三諸)の山のことを地口的になぞった言い方をしているのである。藤原卿がこの歌を歌うために編み出した言葉である(注4)
 山にサナカヅラがあるという。今、サネカズラと呼ばれる。別名をビナンカズラといい、粘液を採って整髪剤に用いていた。「玉櫛笥」で始まる歌に、芋蔓式に連想されて出てきた言葉である。蔓性植物だけにそうなっている。そして、とても興味深いことに、このサナカヅラの粘液は紙漉きにも使われた。後にはトロロアオイの根から抽出した液をネリと称し、紙漉きの際に槽に加えてうまく仕上げる薬剤となっている。繊維を均一に分散させ、水が簾を抜けるスピードを遅くし、繊維を簾に定着させやすくする効用があった。つまり、サナカヅラは、かみくのにも、かみくのにも用いられたのだった(注5)
サネカズラ(花期)
 五句目にある「かつ」という下二段活用の動詞は、じっとこらえて相手に負けないこと、物事をなし得ることを意味する「克(堪)」字で表す言葉だけでなく、まぜる(糅)の意味にも使われている(注6)。おそらく、四句目の「さ寝ず」のネにはネリ(練)、ネヤス(錬)の頭音を掛ける意識もあったのだろう。粘り気を出すために捏ねたりくねったりすることをいう。

 醤酢ひしほすに ひるきかてて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱なぎあつもの〔醤酢尓蒜都伎合而鯛願吾尓勿所見水䓗乃煑物〕(万3829)
 真金まかねあり、きたねやす、(西大寺本金光明最勝王経平安初期点)

 つまり、この歌は、髪についてと紙についてとをパラレルに述べた、高等テクニックの修辞が施された歌なのである。

 玉櫛笥 みむまろ山の さなかづら さずはつひに ありかつましじ(万94)
 玉櫛笥を見たいというミムマロ山のことが思われるのはあなたが「鏡」王女という名だからで、鏡を見て髪を梳いて整えるときに使うサネカヅラが、見ようとしている鏡のように丸いことを表すミムマロ山に生えていて、そのサネカヅラと音つながりの「さ」(下二段)というのは共寝をすることだけれど、共寝をしないということはどういうことかというと、最終的にはどうしたって我慢できないだろうことだ。というもの、玉櫛笥を見たいというミムマロ山のサナカヅラを紙漉きの練りに加えないでいるということは、最後の段階まで混ぜないでいるだろうというのと同じこと、うまくいかないものである。要約すると、サナカヅラを加えないでいては紙がうまく漉けないように、サナカヅラがないといくら鏡に櫛があっても結局のところ髪はうまくは梳けないもので、そうならないようにあなたと私は共寝をするのです。



 二首目がわかったところで、一首目について確認しておこう。

 玉櫛笥たまくしげ おほふをやすみ けてなば 君が名はあれど 吾が名ししも(万93)

 「~ヲ~ミ」はいわゆるミ語法で、形容詞の語幹にミをつけた形になっていて、~が~なので、の意を表す。「~ヲ」は名詞をうけるのが原則だから、「覆ふを」ではなく「覆ひを」ではないかとも早くから指摘されており(注7)、ミ語法のヲの上には連用形名詞が来るはずだから「覆ひを安み」でなければならないという(注8)。「覆ひ」は「覆ふこと」の意である。
 玉櫛笥を覆うことは簡単なことだというのが歌の前半で修辞的に前置きされている。なぜ玉櫛笥を覆うことが簡単だと言えるのか。それはこの歌の作者、歌い手が鏡王女だからである。
 鏡王女の持っている「玉櫛笥」は、櫛ばかりではなく鏡も入っていることを言っていて、鏡は丸いものだから丸い蓋がついているということ、つまり、角を合わせる必要がないということである。だから覆うのが簡単だと言える。
 この前半の修辞からつづけて「あけていなば」とあるから、蓋を開けたまま立ち去ってしまうことと、夜が明けてから立ち去ってしまうことが掛かっている。
 夜が明けてから女の家を後にすれば、人目について二人の関係は知られてしまう。ただし、この歌では、名が知られることにばかり目が向いている。顔がバレることではなく、名前を知られることに関心が集まっている。
 「君が名」とは「内」大臣藤原卿のことである。箱が蓋されずに空きっぱなしなのだから、箱の「内」が見えてしまっている。「内」が知られるとはそういうものである。だから、「君が名はあれど」なのであるが、「吾が名し惜しも」と言っていて、特段に自分の名前こそが知られることがもったいない、残念だ、と言っている。箱のうちには鏡が入っていて、それは「鏡」王女の名である。見えてしまうから知られてしまうが、カガミ(鏡)mirror がカガミ(鑑)good example たり得ていない。使い終わったら箱にしまって蓋をしておくのが規範なのに、お行儀の手本となっていないのである。事もあろうにカガミさんが、片づけられない女として知られてしまう。せっかく自らが名に負っているのに名を汚してしまう。だから「惜し」と思うのである(注9)

 玉櫛笥たまくしげ おほひをやすみ けてなば 君が名はあれど 吾が名ししも(万93)

 玉櫛笥と呼ばれる箱は丸いから、蓋をするのに角を合わせる必要もなく覆うのは容易だからと、開けておくように夜が明けてからお帰りになったら、あなたの御名のウチは見られてもかまわないでしょうけれど、私の名のカガミはそうとばかりは言えません。なぜといって鏡は使い終わったら箱に大切にしまっておくのが模範、鑑ですから、名前を実現し損なったことになってしまいます。ですから、蓋を開けたままにしておくことは惜しまれることです。そのことは、夜が明けてからお帰りになったら、あなたは夜這いしていることが世に知れ渡ってしまってもかまわないでしょうけれど、噂が立ってうるさくなるのは私には惜しいことであるということを兼ねて申し述べているところでございます。

 内大臣藤原卿と鏡王女との間で交わされた二つの歌は、ともに使用されている言葉を二重の意味でとってパラレルに読み進められるように構えた歌となっている。それぞれの意味に解して歌の最後まで一つの文脈を構成しているとともに、もう一つの文脈と絡み合う関係となっている。短詩文形式の言語表現として、高度な技術を駆使して織り上げられたテクスチャーとなっている。

(注)
(注1)「娉」字をアトフと訓むことについては、拙稿「万葉集の題詞、左注にあらわれたる「娉」字の読み方について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/a95547d31866c92e05461c8d6acfb231参照。
(注2)「ズハ」の構文において、仮定条件として捉えられるケース、特殊語法と呼んで分けたケースがあるとされている。前件と後件との関係をさらに考察するとさらに細分化されるという。「ズハ」の歌を訳すのに、「~んよりは」(本居宣長)、「~ないで」(橋本進吉)のほか、「~ないとすれば」、「~しないですむならば」、「~くらいなら~の方がましだ」、「~の場合には」などとも訳し分けている。これが誤りであることは、実は当たり前のことである。そう訳されるような言葉は上代語として、「ヨリハ」や「ズテ」のように別の言葉として存在している。そう言いたいのならその言葉を使えばよいのであり、わざわざ「ズハ」と言う必要はない。そもそも一つの言語系において、完全に一致する意味を表す言葉─とりわけ助動詞と助詞のような基本語彙─が複数存在することはない。
 外来語を受け入れた場合、例えば、電池とバッテリー、後発医薬品とジェネリック医薬品のようにまったく同じ意味の言葉が複数存在することがある。業界用語でこのようなことがよくあり、呼び方に固執するほど幼稚な専門家もいる。そのようなことが上代に通行していたとは想定できない。無文字の人どうしのやりとりで、しかも山一つ隔てた隣村へ行って滅多に会わない人の間に言語コミュニケーションが成り立つためには、最小限の処理コスト(労力)で、最大限の認知効果を得ようと試みられつづけていたであろうからである。関連性理論が成り立たないとは考え難いのである。
 万葉集の歌や記紀歌謡の例として、佐佐木1999.は「ズハ」の用例を66例数えている。66例もあるということは、上代人にとってそれは特別なものではなかったであろう。今日の研究者が理解に難渋するように隣村の人に通じないことが生じたら、ヤマトコトバ人の集合体、ヤマトの国はまとまらなくなる。「ズハ」の所説は最初からボタンの掛け違いをしている。
(注3)タマについては、魂の宿るような神聖な、の意、玉で作った、の意、美しい、の意などを表す接頭語とされている。タマ ball の形状属性から、丸い、の意を表すことはとても自然なことである。
(注4)ゆかの上に玉櫛笥を置いたところを山になぞらえている。「みむまろ山」のマロは、丸いことを表しつつ、高貴な男性のことを表すマロ(麿)でもあるらしい。藤原卿が歌った歌として確かな言葉となっている。なお、旧訓はミムマトヤマである。
(注5「かみ」という言葉は、「かん」の字音 kan に i を添えた kani の転とする説が有力である。n 声の音が m と発音されるのは、江南から伝わった音、または、朝鮮半島を経由した音であるからとも考えられている。「かみ」、「かみ」ともミは甲類であったろう。
(注6)カツを「克」と「糅」とを兼ねていること、カツ(「且」)の義のもとに一括していることを示唆している可能性も十分にある。上代語の使用特性として、発語を逐次的に説明するのにメタレベルから同じ言葉で説明し、いわゆるカテゴリー錯誤を冒しながらぐうの音も出ないように言いくるめることが行われていた。
(注7)「(下河辺)長流が老後にかける」(契沖・万葉集代匠記初稿本、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2552055/1/9)という。
(注8)佐佐木1999.431~435頁。
(注9)拙稿「「あれど」について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/df24f231151880acc1d1be477a692a2c参照。 

(引用・参考文献)
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(一)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
佐佐木1999. 佐佐木隆『萬葉集と上代語』ひつじ書房、1999年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解Ⅰ』筑摩書房、2009年。

※本稿は、2023年10月稿を2024年6月に若干加筆したものである。

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