枕詞「おしてる」「おしてるや」は「難波」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。説としては、難波に宮があり、朝日・夕日のただ射す宮だからと褒めたたえる意であるとする説、おしなべて光る浪の華の意であるとする説、岬が突堤のように押し出しているとする説、襲い立てるように浪速だから、などいろいろ理由づけている(注1)が、いずれも決定打に欠けている。枕詞以外の動詞「おし照る」等を含めて上代の例をあげる。
おしてる〔於辞氐屡〕 難波の崎の 並び浜 並べむとこそ その子は有りけめ(紀48、仁徳紀二十二年正月)
…… 大君の 命恐み おしてる〔押光〕 難波の国に あらたまの 年経るまでに ……(万443、大伴三中)
おしてる〔押照〕 難波の菅の ねもころに 君が聞して 年深く 長くし言へば ……(万619、大伴坂上郎女)
おしてる〔忍照〕 難波の国は 葦垣の 古りにし郷と 人皆の 思ひ休みて ……(万928、笠金村)
天地の 遠きが如く 日月の 長きが如く おしてる〔臨照〕 難波の宮に わご大君 国知らすらし ……(万933、山部赤人)
おしてる〔忍照〕 難波を過ぎて うち靡く 草香の山を 夕暮に 吾が越え来れば ……(万1428)
おしてる〔押照〕 難波堀江の 葦辺には 雁寝たるかも 霜の降らくに(万2135)
おしてる〔臨照〕 難波菅笠 置き古し 後は誰が着む 笠ならなくに(万2819)
おしてる〔忍照〕 難波の崎に 引き上る 赤のそほ舟 そほ船に 綱取り繋け ……(万3300)
そらみつ 大和の国 あをによし 平城の都ゆ おしてる〔忍照〕 難波に下り 住吉の 御津に船乗り ……(万4245)
皇祖の 遠き御代にも おしてる〔於之弖流〕 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ ……(万4360、大伴家持)
おしてるや〔淤志弖流夜〕 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 淤能碁呂島 檳榔の 島も見ゆ 離つ島見ゆ(記53、仁徳記)
直越の この道にして おしてるや〔押照哉〕 難波の海と 名付けけらしも(万977、神社老麻呂)
おしてるや〔忍照八〕 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと …… さひづるや 唐臼に舂き 庭に立つ 手臼に舂き おしてるや〔忍光八〕 難波の小江の 初垂を 辛く垂れ来て 陶人の 作れる瓶を ……(万3886、乞食者)
おしてるや〔於之弖流夜〕 難波の津ゆり 船装ひ 我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ(万4365、物部道足)
春日山 おして照らせる〔押而照有〕 この月は 妹が庭にも 清けかりけり(万1074)
我が屋戸に 月おし照れり〔月押照有〕 霍公鳥 心あれ今夜 来鳴きとよもせ(万1480、大伴書持)
窓越しに 月おし照りて〔月臨照而〕 あしひきの 下風吹く夜は 君をしそ思ふ(万2679)
桜花 今盛りなり 難波の海 おし照る宮に〔於之弖流宮尓〕 聞しめすなへ(万4361、大伴家持)
動詞の用例では、月が照り輝いて夜なのに明るいことを示そうとしている。万1480番歌では、鳥目のホトトギスでも今夜、来て鳴いてくれと歌っている。そんな「おしてる」が「難波」にかかっており、当たり前のつながりであると感じられて枕詞となっている。強烈な太陽光線がナニハという言葉にかかって然るべきとする考えは、難波の平野部に展開された水田が干上がって畑になっていることをもって成り立つ。むろん、実景を述べるものではない。ナニハという地名が先にあり、そのナニハという言葉(音)が、ナ(菜)+ニハ(庭)を意味し、畑を表すからである。光が押し照るから全部畑になってしまったようなところ、それがナニハだ、と笑っている(注2)。文字を持たなかったヤマトコトバが言葉の音を頼りにしながら戯れていた言語遊戯である。不思議な言語ゲームをくり広げており、書契以後の我々とは言葉に対する向き合い方が異なっている。ものの考え方が稚拙であるというものではないが、我々の現代的な思考法のなかに何かをもたらすかといえば、下手な暗号のようなもので、ほぼ何ももたらさないと言えるだろう。
(注)
(注1)時代別国語大辞典は、万977番歌をとりあげ、生駒山から難波の海に日が照っているのを見て言っているのを、この枕詞に対する万葉人の一つの解釈を示すものとしている(149頁)。作者、神社老麻呂は、ただとぼけたことを言っているものと筆者は考える。真面目に言っているとしたら、歌として聞く人は窮屈なことを歌っていると思い、ブーイングを発したことだろう。
(注2)似たような枕詞に、「しなてる」がある。「片」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。
しなてる〔斯那提流〕 片岡山に 飯に飢て 臥せる その田人あはれ 親無しに 汝生りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥せる その田人あはれ(紀104)
しなてる〔級照〕 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす児は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき吾妹が 家の知らなく(万1742)
シナは坂の意である。登る坂があってそこへ照りつけていたら、峠を越えて反対側で降りる坂のほうには照りつけていない。片方にしか照らないから、シナテルはカタ(片)に掛かるのであろう。
(参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
おしてる〔於辞氐屡〕 難波の崎の 並び浜 並べむとこそ その子は有りけめ(紀48、仁徳紀二十二年正月)
…… 大君の 命恐み おしてる〔押光〕 難波の国に あらたまの 年経るまでに ……(万443、大伴三中)
おしてる〔押照〕 難波の菅の ねもころに 君が聞して 年深く 長くし言へば ……(万619、大伴坂上郎女)
おしてる〔忍照〕 難波の国は 葦垣の 古りにし郷と 人皆の 思ひ休みて ……(万928、笠金村)
天地の 遠きが如く 日月の 長きが如く おしてる〔臨照〕 難波の宮に わご大君 国知らすらし ……(万933、山部赤人)
おしてる〔忍照〕 難波を過ぎて うち靡く 草香の山を 夕暮に 吾が越え来れば ……(万1428)
おしてる〔押照〕 難波堀江の 葦辺には 雁寝たるかも 霜の降らくに(万2135)
おしてる〔臨照〕 難波菅笠 置き古し 後は誰が着む 笠ならなくに(万2819)
おしてる〔忍照〕 難波の崎に 引き上る 赤のそほ舟 そほ船に 綱取り繋け ……(万3300)
そらみつ 大和の国 あをによし 平城の都ゆ おしてる〔忍照〕 難波に下り 住吉の 御津に船乗り ……(万4245)
皇祖の 遠き御代にも おしてる〔於之弖流〕 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ ……(万4360、大伴家持)
おしてるや〔淤志弖流夜〕 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 淤能碁呂島 檳榔の 島も見ゆ 離つ島見ゆ(記53、仁徳記)
直越の この道にして おしてるや〔押照哉〕 難波の海と 名付けけらしも(万977、神社老麻呂)
おしてるや〔忍照八〕 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと …… さひづるや 唐臼に舂き 庭に立つ 手臼に舂き おしてるや〔忍光八〕 難波の小江の 初垂を 辛く垂れ来て 陶人の 作れる瓶を ……(万3886、乞食者)
おしてるや〔於之弖流夜〕 難波の津ゆり 船装ひ 我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ(万4365、物部道足)
春日山 おして照らせる〔押而照有〕 この月は 妹が庭にも 清けかりけり(万1074)
我が屋戸に 月おし照れり〔月押照有〕 霍公鳥 心あれ今夜 来鳴きとよもせ(万1480、大伴書持)
窓越しに 月おし照りて〔月臨照而〕 あしひきの 下風吹く夜は 君をしそ思ふ(万2679)
桜花 今盛りなり 難波の海 おし照る宮に〔於之弖流宮尓〕 聞しめすなへ(万4361、大伴家持)
動詞の用例では、月が照り輝いて夜なのに明るいことを示そうとしている。万1480番歌では、鳥目のホトトギスでも今夜、来て鳴いてくれと歌っている。そんな「おしてる」が「難波」にかかっており、当たり前のつながりであると感じられて枕詞となっている。強烈な太陽光線がナニハという言葉にかかって然るべきとする考えは、難波の平野部に展開された水田が干上がって畑になっていることをもって成り立つ。むろん、実景を述べるものではない。ナニハという地名が先にあり、そのナニハという言葉(音)が、ナ(菜)+ニハ(庭)を意味し、畑を表すからである。光が押し照るから全部畑になってしまったようなところ、それがナニハだ、と笑っている(注2)。文字を持たなかったヤマトコトバが言葉の音を頼りにしながら戯れていた言語遊戯である。不思議な言語ゲームをくり広げており、書契以後の我々とは言葉に対する向き合い方が異なっている。ものの考え方が稚拙であるというものではないが、我々の現代的な思考法のなかに何かをもたらすかといえば、下手な暗号のようなもので、ほぼ何ももたらさないと言えるだろう。
(注)
(注1)時代別国語大辞典は、万977番歌をとりあげ、生駒山から難波の海に日が照っているのを見て言っているのを、この枕詞に対する万葉人の一つの解釈を示すものとしている(149頁)。作者、神社老麻呂は、ただとぼけたことを言っているものと筆者は考える。真面目に言っているとしたら、歌として聞く人は窮屈なことを歌っていると思い、ブーイングを発したことだろう。
(注2)似たような枕詞に、「しなてる」がある。「片」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。
しなてる〔斯那提流〕 片岡山に 飯に飢て 臥せる その田人あはれ 親無しに 汝生りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥せる その田人あはれ(紀104)
しなてる〔級照〕 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす児は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき吾妹が 家の知らなく(万1742)
シナは坂の意である。登る坂があってそこへ照りつけていたら、峠を越えて反対側で降りる坂のほうには照りつけていない。片方にしか照らないから、シナテルはカタ(片)に掛かるのであろう。
(参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。