古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

枕詞「おしてる」「おしてるや」について

2024年08月09日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 枕詞「おしてる」「おしてるや」は「難波なには」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。説としては、難波に宮があり、朝日・夕日のただ射す宮だからと褒めたたえる意であるとする説、おしなべて光る浪の華の意であるとする説、岬が突堤のように押し出しているとする説、襲い立てるように浪速なみはやだから、などいろいろ理由づけている(注1)が、いずれも決定打に欠けている。枕詞以外の動詞「おし照る」等を含めて上代の例をあげる。

 おしてる〔於辞氐屡〕 難波の崎の ならび浜 並べむとこそ その子は有りけめ(紀48、仁徳紀二十二年正月)
 …… 大君おほきみの みことかしこみ おしてる〔押光〕 難波の国に あらたまの 年るまでに ……(万443、大伴三中)
 おしてる〔押照〕 難波のすげの ねもころに 君がきこして 年深く 長くし言へば ……(万619、大伴坂上郎女)
 おしてる〔忍照〕 難波の国は 葦垣あしかきの りにしさとと 人皆の 思ひ休みて ……(万928、笠金村)
 天地あめつちの 遠きが如く 日月ひつきの 長きが如く おしてる〔臨照〕 難波の宮に わご大君 国知らすらし ……(万933、山部赤人)
 おしてる〔忍照〕 難波を過ぎて うちなびく 草香くさかの山を 夕暮に が越え来れば ……(万1428)
 おしてる〔押照〕 難波堀江の 葦辺あしへには かり寝たるかも 霜の降らくに(万2135)
 おしてる〔臨照〕 難波菅笠すがかさ 置きふるし 後はが着む 笠ならなくに(万2819)
 おしてる〔忍照〕 難波の崎に 引きのぼる あけのそほ舟 そほ船に 綱取りけ ……(万3300)
 そらみつ 大和やまとの国 あをによし 平城ならの都ゆ おしてる〔忍照〕 難波にくだり 住吉すみのえの 御津みつ船乗ふなのり ……(万4245)
 皇祖すめろきの 遠き御代みよにも おしてる〔於之弖流〕 難波の国に あめの下 知らしめしきと 今のに 絶えず言ひつつ ……(万4360、大伴家持)

 おしてるや〔淤志弖流夜〕 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島あはしま 淤能碁呂おのごろしま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ(記53、仁徳記)
 直越ただこえの この道にして おしてるや〔押照哉〕 難波の海と 名付けけらしも(万977、神社かむこその老麻呂おゆまろ
 おしてるや〔忍照八〕 難波の小江をえに いほ作り なまりてる 葦蟹あしがにを 大君すと …… さひづるや 唐臼からうすき 庭に立つ 手臼てうすに舂き おしてるや〔忍光八〕 難波の小江の 初垂はつたりを からく垂れ来て 陶人すゑひとの 作れるかめを ……(万3886、乞食者ほかひびと
 おしてるや〔於之弖流夜〕 難波の津ゆり 船装ふなよそひ あれは漕ぎぬと 妹に告ぎこそ(万4365、物部道足)

 春日山かすがやま おして照らせる〔押而照有〕 この月は 妹が庭にも さやけかりけり(万1074)
 我が屋戸やどに 月おし照れり〔月押照有〕 霍公鳥ほととぎす 心あれ今夜こよひ 来鳴きとよもせ(万1480、大伴書持)
 窓越しに 月おし照りて〔月臨照而〕 あしひきの 下風あらし吹くは 君をしそ思ふ(万2679)
 桜花さくらばな 今盛りなり 難波の海 おし照る宮に〔於之弖流宮尓〕 きこしめすなへ(万4361、大伴家持)

 動詞の用例では、月が照り輝いて夜なのに明るいことを示そうとしている。万1480番歌では、鳥目のホトトギスでも今夜、来て鳴いてくれと歌っている。そんな「おしてる」が「難波」にかかっており、当たり前のつながりであると感じられて枕詞となっている。強烈な太陽光線がナニハという言葉にかかって然るべきとする考えは、難波の平野部に展開された水田が干上がって畑になっていることをもって成り立つ。むろん、実景を述べるものではない。ナニハという地名が先にあり、そのナニハという言葉(音)が、ナ(菜)+ニハ(庭)を意味し、畑を表すからである。光が押し照るから全部畑になってしまったようなところ、それがナニハだ、と笑っている(注2)。文字を持たなかったヤマトコトバが言葉の音を頼りにしながら戯れていた言語遊戯である。不思議な言語ゲームをくり広げており、書契以後の我々とは言葉に対する向き合い方が異なっている。ものの考え方が稚拙であるというものではないが、我々の現代的な思考法のなかに何かをもたらすかといえば、下手な暗号のようなもので、ほぼ何ももたらさないと言えるだろう。

(注)
(注1)時代別国語大辞典は、万977番歌をとりあげ、生駒山から難波の海に日が照っているのを見て言っているのを、この枕詞に対する万葉人の一つの解釈を示すものとしている(149頁)。作者、神社老麻呂は、ただとぼけたことを言っているものと筆者は考える。真面目に言っているとしたら、歌として聞く人は窮屈なことを歌っていると思い、ブーイングを発したことだろう。
(注2)似たような枕詞に、「しなてる」がある。「かた」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。

 しなてる〔斯那提流〕 片岡山かたをかやまに いひて こやせる その田人たひとあはれ 親無しに なれりけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥せる その田人あはれ(紀104)
 しなてる〔級照〕 片足羽川かたしはかはの さ塗りの 大橋の上ゆ くれなゐの 赤裳あかもすそ引き 山藍やまあゐもち れるきぬ着て ただ独り い渡らすは 若草の つまかあるらむ 橿かしの実の 独りからむ 問はまくの 欲しき吾妹わぎもが 家の知らなく(万1742)

 シナは坂の意である。登る坂があってそこへ照りつけていたら、峠を越えて反対側で降りる坂のほうには照りつけていない。片方にしか照らないから、シナテルはカタ(片)に掛かるのであろう。

(参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。

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