古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

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額田王の春秋競憐歌、「山乎茂入而毛不取草深執手母不見」の訓みについて

2024年08月15日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 額田王の春秋競憐歌の「山乎茂入而毛不取草深執手母不見」の訓み方について検討する。一般に次のように訓まれている。

 冬ごもり 春さりれば 鳴かざりし 鳥もきぬ かざりし 花も咲けれど 山をみ りても取らず くさふかみ 取りても見ず 秋山あきやまの の葉を見ては 黄葉もみちをば 取りてそしのふ あをきをば きてそなげく そこしうらめし 秋山そあれ(注1)(万16)
  近江大津宮御宇天皇代〈天命開別天皇謚曰天智天皇〉
  天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
 冬木成春去来者不喧有之鳥毛来鳴奴不開有之花毛佐家礼杼山乎茂入而毛不取草深執手母不見秋山乃木葉乎見而者黄葉乎婆取而曽思努布青乎者置而曽歎久曽許之恨之秋山吾者

 問題にあげた部分は、「山をみ りても取らず くさふかみ 取りても見ず」と訓まれることが多い(注2)。中西1978.は、「茂」字について、形容詞「し」のミ語法であるとする。「し」という形容詞は確例に乏しく、万185番歌に「もく咲く道を〔木丘開道乎〕」と「し」の例は確かめられることを根拠にしている(注2)
 だが、そもそもこの議論には見落としがある。「山乎茂……草深……」を「山が茂っているので山に入って取ることもせず、草が深いので手に取って見ることもありません」という意味であると捉えているのだが、前半の「入りても取らず」は「入って取ることもしない」ではなく、「入ったとしても取ることはない」であり、後半の「取りても見ず」は「取って見ることもない」ではなく、「取ったとしても見ることはない」、すなわち、取ったっとて見ないで捨てる、の意と考えるのが適当である。いちいち花のことを気にかけたりしていられないほど深草なところになっている。咲いた花を含めて取っても見ることがないのは、目的が草刈りだからである。草刈り時には、草があまりにも深いので作業に追われ、選別して花を取って愛でている間などなく全部捨てるというのである。
 「山乎茂入而毛不取」は、草刈り時の「深執手母不見」とは異なる状況を表していると考えられる。「入りても取らず」は、入ったとしても取らない、の意である。その前に「山乎茂」がある。「茂」字を形容詞のシシ、モシと解する限りにおいて、山が茂っているという意味になる。近現代には山が茂るという言い方は馴染んでいる。山にはたくさん木が生えていて、その木が茂っていることをもって比喩的に、山が茂ると言うことができている。植林に精を出したおかげである。古代にも山に木はたくさん生えていたとは思うが、生えていない山もあっただろう。「畝傍山うねびやま 木立こたちうすしと ……」(舒明前紀、紀105)といった例が見える。山が茂るという言い方で木々が生い茂っていることを表すことはなかっただろう。「し」、「し」は、草木やその枝葉が繁茂していることをいう。「山」を形容していることにならない(注4)
 他の考え方をするなら、「乎茂」を借字と捉え、「山しみ」と訓む説があげられる(注5)。「山が惜しいので、入っても花を取ることはしない」という意味である。後続の「草深み 取りても見ず」は草ぼうぼうの中の花の様子を表していた。春が押し詰まって夏も近づいた晩春のことを言っている。それに対して早春の、枝先に花が咲き始めた頃、いまだ葉の出ていない時に花を取ってしまったら、冬山のように見る影もなくなってしまうから、もったいなくて花を取ることはしないというのである。

 冬ごもり 春さりれば 鳴かざりし 鳥もきぬ かざりし 花も咲けれど 山しみ りても取らず くさふかみ 取りても見ず 秋山あきやまの の葉を見ては 黄葉もみちをば 取りてそしのふ あをきをば きてそなげく そこしうらめし 秋山そあれは(万16)

 つまり、春の山の魅力に花はあげられるけれど、春の早い時期も、遅い時期も、花を手に取って愛でることは実際のところしていないのだ、という主張が行われている。それに対して秋の山は、紅葉狩りと呼ぶのに値するように紅葉した枝を手に取っているというのである。その比較により額田王は「判之歌」を成している。
 このように捉えた時、「茂」字をシミと訓んでいることになる。現在、形容詞のシシという語は存在が疑われている。そんななか、字余りとならないようにシミと訓みそうな例が一例、また、副詞のシミニ、シミミニの例で「繁」字を用いた表記も見られる(注6)

 うら若み 花咲きがたき 梅を植ゑて 人のことしみ〔人之事重三〕 思ひそがする(万788)
 忘れ草 かきもしみみに〔垣毛繁森〕 植ゑたれど しこ醜草しこくさ なほ恋ひにけり(万3062)

 また、「敷」、「布」、「及」、「如」で表されることの多いシクという動詞は多義に用いられ、「茂」字を用いたものも見られる。

 やすみしし わご大王おほきみ たからす 日の皇子みこ しきいます〔茂座〕 大殿おほとのの上に ひさかたの 天伝あまつたひ来る 白雪ゆきじもの きかよひつつ いや常世とこよまで(万261)

 一面に広がり及んでゆくことを表す動詞としてシクという語があり、その形容詞形としてシシという語があったとして不自然さはない(注7)。それらの語に「茂」という字を当てることについては訓義からも肯定され、戯書的用法としても首肯される。草がぼうぼうに生えているところには、シシ(獣)が隠れているではないか。

(注)
(注1)新大系文庫本66頁。
(注2)旧訓では字余りを厭わず「山をしげみ」と訓まれていた。
(注3)池原2016.は「茂」字をシシという形容詞で訓むことへの批判としてこの説を追認し、北原2011.がク活用形容詞の語幹末がイ列音になることは古代語では基本的にないと指摘している点をあげている。ただし、北原氏は例外として、キビシ、ヒキシがあるとし、ク活用形容詞かと疑われるものとして、サキク、マサキクがあるとしている。
 なお、「茂」をシムという四段動詞の連用形のミ語法とする説もある。
(注4)山が連なって何重にもなっていることを表そうとしたかもしれないが、その形容に「し」、「し」は使われないだろう。
(注5)ミ語法は、AヲBミの形をとるが、「草深み」のように格助詞ヲが省かれることも多い。

 …… 名告藻なのりその おのが名惜しみ 間使まつかひも らずてわれは けりともなし(万946)
 防人さきもりに 立ちし朝明あさけの 金門出かなとでに 手離たばなれ惜しみ 泣きしらばも (万3569)

(注6)武田1956.に、シミ、シキ、シジ、シミミなどを「綜合して考えれば、繁茂を意味する古語シが考へられそうでもある。」(112頁)との指摘がある。
(注7)シシという形容詞の活用形がク活用かシク活用か、見極めるに足る用例数がない。キビシはキブシという異形があって後にシク活用に転じており、ヒキシは中古にヒキナリという形容動詞形で使われ後にヒクシという語形に転じている。シシにはシゲシという異形があり後には使われなくなっている点からして、ク活用であったと推定することは可能である。

(引用・参考文献)
池原2016. 池原陽斉「「献新田部皇子歌」訓読試論─「茂座」借訓説をめぐって─」『萬葉集訓読の資料と方法』笠間書院、2016年。(「「献新田部皇子歌」訓読試論─「茂座」借訓説をめぐって─」『美夫君志』第87号、2013年11月。)
北原2010. 北原保雄「形容詞の語音構造」『日本語の形容詞』大修館書店、2010年。(「形容詞の語音構造」『中田祝夫博士功績記念国語学論集』勉誠社、1979年。)
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(一)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
武田1956. 武田祐吉『増訂 萬葉集全註釈 三』角川書店、昭和31年。
中西1986. 中西進『万葉集 全訳注原文付(一)』講談社(講談社文庫)、1978年。

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