古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る(万271)

2024年04月01日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 次の歌は万葉集のなかでもよく知られた歌である。

 さくらへ たづ鳴き渡る 年魚市あゆちかた しほにけらし 鶴鳴き渡る〔櫻田部鶴鳴渡年魚市方塩干二家良之鶴鳴渡〕(万271)

 題詞に、「高市たけちのむらじ黒人くろひと羈旅たびの歌八首」とあるうちの一首である。現在の解釈の主流は、「桜田の方へ鶴が鳴きながら渡って行く。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴きながら渡って行く。▷干潮の年魚市潟に餌を求めて移動する鶴の声。「たづ」は「つる」の歌語である。「桜田」は名古屋市南区元桜田町の周辺か。「年魚市潟」は「桜田」の海浜部であろう。」(新大系文庫本233頁)である。以前は、「見れば作良の田の方へ鶴の鳴きつつ移るなる。かくあるは蓋し、鶴の今まで居たあゆち潟は塩干になりて、魚を求食るに便なくなりしが為ならむとなり。蓋しこれは作者が作良の地より以外にありて、そこよりながめてよみしならむ。」(山田1943.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1880320/1/88、漢字の旧字体は改めた)と、ツルは年魚市潟から桜田へ鳴きながら飛翔していると捉えていた。桜田と年魚市潟の位置関係が問題となり、現在の名古屋付近の地理について論じられることもあった。
 その議論は不毛である。桜田や年魚市潟に土地勘がなくてはわからない歌が歌われて、それが多くの人に享受されることは考え難い。高市黒人の羈旅たびの歌であり、黒人もその付近の地理に詳しいわけではない。歌が歌われた場で聞いた人も、また、歌を万葉集に採録した人も同様である。知らないところの風景を言葉にされて、それを聞いて情景を思い浮かべられるほど情報化社会ではなく、ツーリズムが流行っていたわけでもない。耳にした人や後から知った人も理解できる歌であったはずである。
 ツルが鳴いて渡っているのを黒人は目にして歌っている。桜田の方へ向かっていて、その理由は、年魚市潟が干潮になったらしいからだと推測している。干潟が現れたらどうしてツルは鳴きながら移動して行っているのか。これまでツルが餌を求めて移動していると思われていた。ツルはどういうところで餌を食べるのかばかり気にかけていた。しかし、鳴き声をあげて進んで行ったら獲物は逃げるのではないか。
ツルの寝姿イメージ
 ツルは水があるところで立って眠る。水位の浅い水があるところで一本足で眠る。水が張っていれば天敵の哺乳類が近づきにくく、水面を伝わってくる波紋で接近を知ることができるからと言われている。年魚市潟でアユ(年魚・鮎)を食べておなかがよくなりウトウトしていたところ、潮が引いて水がなくなってしまった。潟には潮の満ち干がある。キツネでも近づいたのだろうか。あわてて鳴きながら逃げ飛んで行って、水のある田圃のところ、桜田へと移動しようとしている。寝る場所を確保するためである。寝るのだから暗くないといけない。サタというのだから、少しクラくて寝るのに好都合である。アユチガタもサクラタも実際に存在した地名で、その名を使って地口にした歌が万271番歌である。自然詠を志向した近代の短歌界でもてはやされたのとはまったく別の動機、ヤマトコトバの言葉づかいによって作られている。無文字時代にヤマトコトバを使うこととは、頓智や洒落をルールとした言語ゲームであった。

 さくらへ たづ鳴き渡る 年魚市あゆちかた しほにけらし 鶴鳴き渡る(万271)
 桜田へ鶴が鳴きながら渡って行く。年魚市潟は潮が引いたらしい。(潮が引いてまわりに水がなくなったら天敵に襲われかねない。アユを食べて満腹になってその場で寝落ちすることはできない。厳しいな、泣けてくるよと思いながら、寝場所を求めて薄暗がりの名のついた浅い水が常時あるところ、桜田へ)鶴が鳴きながら渡って行く。


(引用・参考文献)
出水市ツル博物館・クレインパークいずみ「ツルの生態」https://www.city.kagoshima-izumi.lg.jp/page/page_80087.html(2023年12月28日閲覧)
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(一)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
山田1943.山田孝雄『萬葉集講義 巻第三』宝文館、昭和18年。国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1880320/

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