(承前)
B.雉の頓使
……即ち天若日子(あめわかひこ)、天つ神の賜へりし天(あめ)のはじ弓・天のかく矢を持ちて、其の雉(きぎし)を射殺しき。爾に其の矢、雉の胸より通りて、逆(さかしま)に射上げらえて、天の安の河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所(みもと)に逮(いた)りき。……其の矢を取りて、其の矢の穴より衝き返し下(くだ)したまへば、天若日子が故床(あぐら)に寝(いね)たる高胸坂(たかむなさか)に中(あた)りて死にき。〈此れ還矢(かへりや)の本なり。〉亦、其の雉、還らざりき。故、今に諺に「雉の頓使(ひたつかひ)」と曰ふ本は是れなり。(記上)
この諺について、先行研究と呼べるほどの論考は管見にして見られない。西郷信綱『古事記注釈 第三巻』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2005年)に解説がある。
雉(キギシ)の頓使(ヒタツカヒ) ヒタツカヒのヒタはヒタスラ、ヒタフルなどのヒタで、まっすぐに一途なこと、おそらく「一(ヒト)」に由来する語。で、行ったきり還って来ぬことを「雉の頓使」といい慣わしたのだろう。「雉の」というのは、飛び立つことあわただしく、翔舞するすべを知らぬこの鳥の習性と関係がある。これは「キギシノ、ヒタツカヒ」と二句構成に読むべきである。コトワザは広くいって詩の一体で、必ずしも定型は踏まないが、きびきびした簡潔さを持たねばならなかった。コトワザが多く二句構成になるのは、それがこうした要求にもっともよく適合する形式であったことを暗示する。(238頁)
西郷先生の“解説”は当然のことであり、正しい。行ったきりで還らないことを言い表わしている。けれども、古代における「諺」とは何か、について検討されなければならない。わかりやすく言えば、「雉ハ頓使」なる言い方は「諺」とはならず、「雉ノ頓使」は「諺」という概念に該当した。雉は何か、鳥である。助詞のノは、連体修飾語を作ったり、所有・所属、同格、ならびに比喩の、~のようなの意を表す。ここで、「雉」は使者となっている。使者のことをいう名詞「使(つかひ)」は、動詞「使ふ」の連用形であるとされている。「雉が使ふ」を助詞ノによって単に「雉の使」という連体修飾語としたのではない。「使」は行って用を足したら還ってきて報告しなければならない。それができていないことを言い表わしたのが、「雉の頓使」という言葉である。
天飛ぶ 鳥も使ぞ 鶴(たづ)が音(ね)の 聞えむ時は 我が名問はさね(記84)
ここに、鶴が「使」に譬えられている。現実に伝書鳩のように手紙を伝えるわけではない。けれども、鶴は、来たら還っていくもの、行ったら還って来るものと認識されていた。なぜなら、渡り鳥だからである。季節の変化に応じて大陸と列島とを飛び渡る。「使」とは往還するものである。毎日、スーパーへ買物に行くことはお使いである。行って買って還ってくる。買った商品を忘れてきてはお使いにはならない。買物は済ませたが、認知機能が低下していて還れなくてはお使いにならない。渡り鳥は「使」となる鳥であると考えていた。スズメのような小鳥や、カラスのような大きな鳥も留鳥としている。キジもその概念で「使」とはならない鳥の仲間にしていればいいところを、なぜか一方的にのみ渡る鳥であると言っている。行ったきりにしか渡らない鳥であると言っている。それは洒落である。その理由は、この雉という鳥の呼び名にある。
ジョン・グールド「アジアの鳥類」(1850~1853年、ロンドン、東洋文庫ミュージアム展示品)
雉のことは、「きぎし(岐芸斯)」(記2)、「きぎし(枳々始)」(紀110)、「きぎし(吉芸志)」(万3375)といった仮名書きや、歌謡の3音使いから、上代にはキギシ(キ・ギは甲類)の形が多く用いられていたと考えられている。しかし、和名抄に、「雉 広雅に云はく、雉〈音智、上声の重、岐々須(きぎす)、一に岐之(きし)と云ふ〉は野鶏也といふ」とある。神代紀第九段本文の兼方本の傍訓には、「無名雉」箇所に「キシ」とある。一般にキジと濁って訓まれているが、表記からは清音であった可能性も残っている。上代に古語としてキギシ、キギスばかりか、キシと清音で呼ばれていたのではないか。キシ(キは甲類)とは、「来(き、キは甲類)し」と同音である。現代語訳すると、「来た」である。来た鳥は還るはずである。渡り鳥のはずである。ところが「翔舞するすべを知らぬ」から還るに還れない。変な鳥である。つまり、雉は「頓使」なわけだが、「雉ハ頓使」なる命題は、真であるにすぎない。命題を語っているのではない。雉の、雉による、雉のための「頓使」を言わんとしている。属性を修飾限定し、同格、比喩を表わす助詞の用法として、「雉ノ頓使」とあるから、はじめて「諺」と呼ばれるにふさわしい性格の言辞となる。行ったきりで還らないことを「雉(きし)」という言葉自体が表わしている。その同語反復を「諺」化して言い表したのが、「雉の頓使」という言い方である。
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波国語辞典』(岩波書店、1974年)に、連体助詞「の」に見える古代的心性について明解な解説が載る。
……所有と所属とでは、力の関係は逆であるが、古代的心性の表現としては、所有することと所有されることとはしばしば混同されたので、「の」にも所有と並んで所属の用法が存在する(5)。また、古代的心性においては、所属しているということは、その所属しているものの属性を保持していることでもあるので、「の」は、属性を持つことを示す用法を展開した。「あはれの鳥」は、「あはれ」に所在する鳥、つまり「あはれ」に所属する鳥であり、「あはれ」という属性を保有する鳥である(6)。
(5)「み船さす賤男の伴は川の瀬申せ」<万四〇六一>「初春のはつねの今日の玉箒手にとるからにゆらく玉の緒」<万四四九三>
(6)「くれなゐの色も移ろひ」<万四一六〇>「聞くごとに心つごきてうち嘆きあはれの鳥といはぬ時なし」<万四〇八九>(1443頁)
すなわち、「雉の頓使」は、「雉」=「来し」に所属する「頓使」であり、「雉」=「来し」という属性を保有する「頓使」であるという滑稽な言辞である。それが成り立っているから、まさに「諺」=コト(言・事)+ワザ(技・業)なのである。そして、助詞ノの用法の広がりに合わせて、「雉の頓使」とは、「雉が頓使ふ」でも、「雉である頓使」でも、「雉のような頓使」でもある。雉とは「来し」だけで還らぬ鳥だからである。
西郷先生の仰られる「二句構成に読むべき」とするお考えは、後代に諺と呼ばれている言い方、例えば、「犬も歩けば、棒に当たる。」、「論より、証拠。」、「七転び、八起き。」などに当てはまる。ピッチャーが投げたボールがこちらに到達する間に変化球となって曲がって来るものが、後代の諺である。「二句構成」に読まなければバットで打ち返すことはできない。了解することができない。それに対して、古代に「諺」とされた言い方は、コト(言=事)+ワザ(技・業)なのである。言葉自体が意味を語ってしまい、すなわち、言辞の次元に飛躍があって、論理階梯を無視した洒落が存在している。だからこそ、わざわざコトワザという名称をあてがっている。「雉の頓使」とは、「『きし(雉・来し)』の頓使」であり、来た鳥なのに還らない雉という鳥、という何とも腑に落ちない変な言葉ということを言っている。
西郷、前掲書に、「天若日子の話が『雉の頓使』という諺の本縁譚扱いされているのはなぜか。書紀が一方これを『反矢可レ畏』という諺の本縁譚にしているところから見て、この話と『雉の頓使』とが最初から結びついていたとは考えにくい。多分、それは古事記において結びついたのだろう。」(同頁)とされている。こういった解説は多く行われている。記紀の歌謡と地の文との関係がわからないと、歌は後からその部分へと挿入されたのであるといったおざなりな解釈である。自分がわからないからといってテキストのせいにしてはならない。この部分、紀に「本縁譚」とされている箇所には、
此(これ)世人(よのひと)の所謂る、返矢(かへしや)畏(い)むべしといふ縁(ことのもと)なり。(神代紀第九段本文)
此、世人の所謂る、返矢(かへしや)畏るべしといふ縁なり。(神代紀第九段一書第一)
とある。「縁」とあるだけで、「諺」とはない。記に、「故、今に諺に『雉の頓使』と曰ふ本は是れなり」などとしらばっくれて言っている。後代の意味の諺と取り違えてはいけない。「石の上にも三年」という後代の諺を座右の銘に刻むのとでは、「諺」という概念が異なる。来た鳥なのに還らない雉という鳥、という変てこな言葉のもともとは天若日子の話に登場しているのですよ、と古事記が話している。何の不思議もない。ネタなのだから、笑うべきところである。「諺」の「起源説話を絶えず求めていた」(西郷、前掲書、同頁)のではなく、「雉」という名の鳥が出てきたところでついでにこの言葉、キシについて面白話をしておこう、というのが古事記のスタンスである。記紀の説話とは、話(咄・噺・譚)である。それ以上でもそれ以下でもない。
(つづく)
B.雉の頓使
……即ち天若日子(あめわかひこ)、天つ神の賜へりし天(あめ)のはじ弓・天のかく矢を持ちて、其の雉(きぎし)を射殺しき。爾に其の矢、雉の胸より通りて、逆(さかしま)に射上げらえて、天の安の河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所(みもと)に逮(いた)りき。……其の矢を取りて、其の矢の穴より衝き返し下(くだ)したまへば、天若日子が故床(あぐら)に寝(いね)たる高胸坂(たかむなさか)に中(あた)りて死にき。〈此れ還矢(かへりや)の本なり。〉亦、其の雉、還らざりき。故、今に諺に「雉の頓使(ひたつかひ)」と曰ふ本は是れなり。(記上)
この諺について、先行研究と呼べるほどの論考は管見にして見られない。西郷信綱『古事記注釈 第三巻』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2005年)に解説がある。
雉(キギシ)の頓使(ヒタツカヒ) ヒタツカヒのヒタはヒタスラ、ヒタフルなどのヒタで、まっすぐに一途なこと、おそらく「一(ヒト)」に由来する語。で、行ったきり還って来ぬことを「雉の頓使」といい慣わしたのだろう。「雉の」というのは、飛び立つことあわただしく、翔舞するすべを知らぬこの鳥の習性と関係がある。これは「キギシノ、ヒタツカヒ」と二句構成に読むべきである。コトワザは広くいって詩の一体で、必ずしも定型は踏まないが、きびきびした簡潔さを持たねばならなかった。コトワザが多く二句構成になるのは、それがこうした要求にもっともよく適合する形式であったことを暗示する。(238頁)
西郷先生の“解説”は当然のことであり、正しい。行ったきりで還らないことを言い表わしている。けれども、古代における「諺」とは何か、について検討されなければならない。わかりやすく言えば、「雉ハ頓使」なる言い方は「諺」とはならず、「雉ノ頓使」は「諺」という概念に該当した。雉は何か、鳥である。助詞のノは、連体修飾語を作ったり、所有・所属、同格、ならびに比喩の、~のようなの意を表す。ここで、「雉」は使者となっている。使者のことをいう名詞「使(つかひ)」は、動詞「使ふ」の連用形であるとされている。「雉が使ふ」を助詞ノによって単に「雉の使」という連体修飾語としたのではない。「使」は行って用を足したら還ってきて報告しなければならない。それができていないことを言い表わしたのが、「雉の頓使」という言葉である。
天飛ぶ 鳥も使ぞ 鶴(たづ)が音(ね)の 聞えむ時は 我が名問はさね(記84)
ここに、鶴が「使」に譬えられている。現実に伝書鳩のように手紙を伝えるわけではない。けれども、鶴は、来たら還っていくもの、行ったら還って来るものと認識されていた。なぜなら、渡り鳥だからである。季節の変化に応じて大陸と列島とを飛び渡る。「使」とは往還するものである。毎日、スーパーへ買物に行くことはお使いである。行って買って還ってくる。買った商品を忘れてきてはお使いにはならない。買物は済ませたが、認知機能が低下していて還れなくてはお使いにならない。渡り鳥は「使」となる鳥であると考えていた。スズメのような小鳥や、カラスのような大きな鳥も留鳥としている。キジもその概念で「使」とはならない鳥の仲間にしていればいいところを、なぜか一方的にのみ渡る鳥であると言っている。行ったきりにしか渡らない鳥であると言っている。それは洒落である。その理由は、この雉という鳥の呼び名にある。
ジョン・グールド「アジアの鳥類」(1850~1853年、ロンドン、東洋文庫ミュージアム展示品)
雉のことは、「きぎし(岐芸斯)」(記2)、「きぎし(枳々始)」(紀110)、「きぎし(吉芸志)」(万3375)といった仮名書きや、歌謡の3音使いから、上代にはキギシ(キ・ギは甲類)の形が多く用いられていたと考えられている。しかし、和名抄に、「雉 広雅に云はく、雉〈音智、上声の重、岐々須(きぎす)、一に岐之(きし)と云ふ〉は野鶏也といふ」とある。神代紀第九段本文の兼方本の傍訓には、「無名雉」箇所に「キシ」とある。一般にキジと濁って訓まれているが、表記からは清音であった可能性も残っている。上代に古語としてキギシ、キギスばかりか、キシと清音で呼ばれていたのではないか。キシ(キは甲類)とは、「来(き、キは甲類)し」と同音である。現代語訳すると、「来た」である。来た鳥は還るはずである。渡り鳥のはずである。ところが「翔舞するすべを知らぬ」から還るに還れない。変な鳥である。つまり、雉は「頓使」なわけだが、「雉ハ頓使」なる命題は、真であるにすぎない。命題を語っているのではない。雉の、雉による、雉のための「頓使」を言わんとしている。属性を修飾限定し、同格、比喩を表わす助詞の用法として、「雉ノ頓使」とあるから、はじめて「諺」と呼ばれるにふさわしい性格の言辞となる。行ったきりで還らないことを「雉(きし)」という言葉自体が表わしている。その同語反復を「諺」化して言い表したのが、「雉の頓使」という言い方である。
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波国語辞典』(岩波書店、1974年)に、連体助詞「の」に見える古代的心性について明解な解説が載る。
……所有と所属とでは、力の関係は逆であるが、古代的心性の表現としては、所有することと所有されることとはしばしば混同されたので、「の」にも所有と並んで所属の用法が存在する(5)。また、古代的心性においては、所属しているということは、その所属しているものの属性を保持していることでもあるので、「の」は、属性を持つことを示す用法を展開した。「あはれの鳥」は、「あはれ」に所在する鳥、つまり「あはれ」に所属する鳥であり、「あはれ」という属性を保有する鳥である(6)。
(5)「み船さす賤男の伴は川の瀬申せ」<万四〇六一>「初春のはつねの今日の玉箒手にとるからにゆらく玉の緒」<万四四九三>
(6)「くれなゐの色も移ろひ」<万四一六〇>「聞くごとに心つごきてうち嘆きあはれの鳥といはぬ時なし」<万四〇八九>(1443頁)
すなわち、「雉の頓使」は、「雉」=「来し」に所属する「頓使」であり、「雉」=「来し」という属性を保有する「頓使」であるという滑稽な言辞である。それが成り立っているから、まさに「諺」=コト(言・事)+ワザ(技・業)なのである。そして、助詞ノの用法の広がりに合わせて、「雉の頓使」とは、「雉が頓使ふ」でも、「雉である頓使」でも、「雉のような頓使」でもある。雉とは「来し」だけで還らぬ鳥だからである。
西郷先生の仰られる「二句構成に読むべき」とするお考えは、後代に諺と呼ばれている言い方、例えば、「犬も歩けば、棒に当たる。」、「論より、証拠。」、「七転び、八起き。」などに当てはまる。ピッチャーが投げたボールがこちらに到達する間に変化球となって曲がって来るものが、後代の諺である。「二句構成」に読まなければバットで打ち返すことはできない。了解することができない。それに対して、古代に「諺」とされた言い方は、コト(言=事)+ワザ(技・業)なのである。言葉自体が意味を語ってしまい、すなわち、言辞の次元に飛躍があって、論理階梯を無視した洒落が存在している。だからこそ、わざわざコトワザという名称をあてがっている。「雉の頓使」とは、「『きし(雉・来し)』の頓使」であり、来た鳥なのに還らない雉という鳥、という何とも腑に落ちない変な言葉ということを言っている。
西郷、前掲書に、「天若日子の話が『雉の頓使』という諺の本縁譚扱いされているのはなぜか。書紀が一方これを『反矢可レ畏』という諺の本縁譚にしているところから見て、この話と『雉の頓使』とが最初から結びついていたとは考えにくい。多分、それは古事記において結びついたのだろう。」(同頁)とされている。こういった解説は多く行われている。記紀の歌謡と地の文との関係がわからないと、歌は後からその部分へと挿入されたのであるといったおざなりな解釈である。自分がわからないからといってテキストのせいにしてはならない。この部分、紀に「本縁譚」とされている箇所には、
此(これ)世人(よのひと)の所謂る、返矢(かへしや)畏(い)むべしといふ縁(ことのもと)なり。(神代紀第九段本文)
此、世人の所謂る、返矢(かへしや)畏るべしといふ縁なり。(神代紀第九段一書第一)
とある。「縁」とあるだけで、「諺」とはない。記に、「故、今に諺に『雉の頓使』と曰ふ本は是れなり」などとしらばっくれて言っている。後代の意味の諺と取り違えてはいけない。「石の上にも三年」という後代の諺を座右の銘に刻むのとでは、「諺」という概念が異なる。来た鳥なのに還らない雉という鳥、という変てこな言葉のもともとは天若日子の話に登場しているのですよ、と古事記が話している。何の不思議もない。ネタなのだから、笑うべきところである。「諺」の「起源説話を絶えず求めていた」(西郷、前掲書、同頁)のではなく、「雉」という名の鳥が出てきたところでついでにこの言葉、キシについて面白話をしておこう、というのが古事記のスタンスである。記紀の説話とは、話(咄・噺・譚)である。それ以上でもそれ以下でもない。
(つづく)