記紀に「諺」と記された語は、全部で七例ある。その七例について、正面から論じた先行研究はとても少ない。奇妙奇天烈でよくわからない言葉である。わからないことを考えていくのが研究であると思うが、わかることだけで全体像を組み立てることを良しとしているケースが多い。上代文学や神話学、日本古代史では、そうだったのか! という感動よりも、そうなのだ! という自己主張が行われている。弁護士のような人たちが多い。
河野2013.は、漢書・韋賢伝の、「少子玄成、復以明経歴位至丞相。故鄒魯諺曰、『遺子黄金満籯、不如一経』。(少子玄成、復明経を以て位を歴て丞相に至る。故に鄒魯の諺に曰く、『子に黄金満籯を遺すは、一経に如かず』と。)の部分の顔師古の注に注目している。「これに対して、顔師古はまず「籯」とは陳留で民間に用いられる竹の器であるとする如淳の注を引き、……筺籠のたぐいであるとする。そしていま注目したいのは、……「今書本」において「籯」字を「盈」に作るものがあるが、その場合も「容器いっぱい」の意となり、両方共に通じると述べることである。……「諺」が本来口づてに伝えられるものであるという性格を鑑みれば、これは「諺」のまさにそうした口頭語としての性質と、それが文字に表記される際にまま生じたであろう可変性、流動性を示す注記だとはいえないだろうか。」(59頁)と鋭い着眼をしている。
顔師古は、諺の注の字の説明に納得しているのである。諺が口頭語で飛び交って空中を流れて行ったその先に字に直した時、なるほど確かであったと確認が取れたということである。俗に言われていることのなかにも、確からしいことは結構あるということである。みんなの意見は案外正しい(スロウィッキー)。河野氏の論文の本意は、その点を見ながら源為憲・世俗諺文の研究にある。筆者は、記紀が「諺」をとり上げているそのとり上げ方に興味を覚える。
古事記では四例、「諺曰」として諺がとり上げられ、そのうち「故諺曰」が三例、「故於今諺曰」が一例である。日本書紀では四例、「諺曰」として諺がとり上げられ、そのうち「故諺曰」が三例、「是以諺曰」が一例である。ダカラ、コレデモッテ、「諺曰」と書いてある。小咄の最後にそうやって諺が登場する。表現として「諺」風なものに、日本書紀には、「古人有云」、「古人有言」、「古人云」、「古人曰」、「古人所謂」、「時人因号」、「時人号」、「時人歌之曰」、「時人曰」などといった例があげられる。「古人」にダカラ、コレデモッテの類の論理記号付与はない。「時人」には、ダカラ(故・因・乃)、コレデモッテ(因此・是以)の冠する例も見られるが、地名の由来を説く場合(「号」、「作」)、以下に歌を歌う場合(「歌」)、人名の由来を説く場合(「曰」、「号」)がほとんどである。例外的に、亡き人の偉大さと死者への冒瀆を糺す場合(「故、時人云はく、「田道既に亡にたりと雖も、遂に讎を報ゆ。何ぞ死にたる人の知無からむや」といふ。」(仁徳紀五十五年))、神の教えの正当性を唱える場合(「故、時人曰はく、「二社の神の教へたまへる辞、適に是なり」といふ。」(天武紀元年七月))といった例があるのみである。人知にまさることを指し示すために「故」と使っている。理由を示しているというより、理屈を示している。この二例で、「時人」は誘導尋問に陥らされている。
紀の編者は、「諺」とその他(「古人云」や「時人曰」など)とを使い分けている。それは、認識として、言葉のなかでも「諺」とは特異なものであり、他の言葉づかいとは異なる方術と考えていたことを示している。「諺」とある言葉は、後掲するように一筋縄では了解できない意味不明のものばかりである。一方、「古人」や「時人」の後に続く言葉に、比較的容易に理解できる。難しいものは、雄略紀の一例(「古人、云へること有り、「娜毗騰耶皤麼珥(汝人や母似?)。」〈此の古語未だ詳らかならず。〉」)のみである。「汝人は母似」の意味であることが確からしいのに、「此古語未レ詳也。」なる注がついている。この一例には紀の編纂者の異常ともいえる作為が感じられるのでここでは考慮から除外する。当面の課題である「諺」については、「諺」という特殊な言葉を用いるに当たり、「故諺曰」というように、ダカラ諺でそう言うのだよ、と使われている。曲解せずに受け止めなくてはならない。「諺」の例を列挙する。
A.地得ぬ玉作り
故、其の軍士等、還り来て奏言さく、「御髪、自ら落ち、御衣易く破れ、亦、御手に纏かせる玉の緖、便ち絶えぬ。故、御祖を獲らずて、御子を取り得まつりき」とまをす。爾くして、天皇、悔ひ恨みたまひて、玉を作る人等を悪み、其の地を皆奪取りたまふ。故、諺に「地得ぬ玉作」と曰ふ。(垂仁記)
B.雉の頓使
……即ち天若日子、天つ神の賜へりし天のはじ弓・天のかく矢を持ちて、其の雉を射殺しき。爾くして、其の矢、雉の胸より通りて、逆に射上がりて、天の安の河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所に逮りき。……其の矢を取りて、其の矢の穴より衝き返し下したまへば、天若日子が朝床に寝ねたる高胸坂に中りて死にき。〈此れ還矢の本ぞ。〉亦、其の雉、還らず。故、今に、諺に「雉の頓使」と曰ふ本は是ぞ。(記上)
C.神の神庫も樹梯の随に
五十瓊敷命の曰はく、「神庫高しと雖も、我能く神庫の為に梯を造てむ。豈庫に登るに煩はむや」といふ。故、諺に曰はく、「神の神庫も樹梯の随に」といふは、此れ其の縁なり。(垂仁紀八十七年二月)
D.さばあま
十一月に、処処の海人、訕哤きて命に従はず。〈訕哤、此には佐麼売玖と云ふ。〉則ち阿曇連の祖大浜宿禰を遣して、其の訕哤を平ぐ。因りて海人の宰とす。故、俗人の諺に曰はく、「佐麼阿摩」といふは、其れ是の縁なり。(応神紀三年十一月)
E.堅石も酔人を避く
故、是の須須許理、大御酒を醸みて献る。是に天皇、是の献れる大御酒にうらげて、御歌に曰みたまはく、
須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり(記49)
如此歌ひて、幸行す時に、御杖以て大坂の道中の大石を打ちたまへば、其の石走り避く。故、諺に「堅石も酔人を避く」と曰ふ。(応神記)
F.海人なれや、己が物から泣く
是に、大雀命と宇遅能和紀郎子との二柱、各、天下を譲れる間に、海人、大贄を貢る。爾くして、兄は辞びて弟に貢らしめ、弟は辞びて兄に貢らしめて、相譲れる間に、既に多たの日を経。如此相譲ること、一二時に非ず。故、海人、既に往還に疲れて泣く。故、諺に曰はく、「海人なれや、己が物から泣く」といふ。(応神記)
是に、海人の苞苴、往還に鯘れぬ。更に返りて、他し鮮魚を取りて献る。譲りたまふこと前の日の如し。鮮魚、亦鯘れぬ。海人、屢還るに苦みて、乃ち鮮魚を棄てて哭く。故、諺に曰はく、「海人なれや、己が物から泣く」といふは、其れ是の縁なり。(仁徳前紀)
G.鳴く牡鹿なれや、相夢の随に
時に宿れる人、心の裏に異ぶ。未及昧爽に、猟人有りて、牡鹿を射て殺しつ。是を以て、時人の諺に曰はく、「鳴く牡鹿なれや、相夢の随に」といふ。(仁徳紀三十八年七月)
以上が記紀における「諺」のすべてである。飛鳥時代のコトワザという言葉の使用に合致するものは、これら以外にないということである。風土記ならびにその逸文や霊異記に、「諺」の語は登場する。一例だけ挙げる。
国俗の諺に、水泳る茨城の国と云ふ。(常陸風土記・茨城郡)
記紀の「諺」とこの例との間には、「諺」概念に大きなクレバスのあることを見る。どちらが先かと言えば、記紀の方が先に著されているから先である。そう考えられるが、今日的見解はそうはなっていない。白川1995.に、「諺とされるものに、〔常陸風土記〕にみえる「風俗の諺」として地名に冠して用いるものと、〔記〕〔紀〕にみえるような「緣」のある語とがある。「ことわざ」が呪能をもつ語を意味することからいえば、説話の要約として生れたという世俗的な智を示す「緣」のある語よりも、「風俗の諺」として地名に冠して用いる語の方が、本来的なありかたを示すものであろう。のち序詞や枕詞をして地名に冠していうものはみなこの種のもので、もとは地霊である「祇つ神」に対してよびかける語であった。」(334頁)とある(注1)。筆者はこの考え方に疑問を抱く。コトワザとは、コト(言・事)+ワザ(技・業)という合成語であろう。呪能のワザを使って国つ神に訴えたとすると、天つ神に訴える時の語は、コトワザワザとでも呼ぶのであろうか。
増井1988.も、同じような考えである。少し長くなるが引用する。
「ことわざ」とマイナーな神との関係は論じられていない。推し量るに、ことわざは「反文化的なもの」(158頁)らしい。納得がいかない。「<わざ>は根源的に「神わざ」であ」るとの見解も罷り通っている。人がしたのではないようだと思う時、それを神さまがやったように感じる。だから、譬えとして「神わざ」という言い方をする。古代にそのような言い方をした可能性はゼロである。なぜなら、神さまの行うことは人智では計り知れないから、人間がやっとこさ行う「わざ」と比較することは神さまに対して冒瀆に当たる。人が技巧を駆使して行うことが「わざ」である。どこまでいっても人わざである。「ことわざ」とは、人が技巧を駆使して言葉として発した事柄、つまり、すごく難解で回りくどいながらもきちんと言い当てている言葉のことである。「ことわざ」を見える化するなら、伝統工法でする柱の継ぎ方、腰掛け鎌継ぎのような言葉の仕掛けが「ことわざ」に当たる。それも、メビウスの輪、クラインの壺のような柱のめぐり方である。言葉が言葉に返って来ていて一筋の円環となっているから、言葉がすごい技を仕掛けているものだと誰しも思うであろう。しかし、今日まで、記紀の諺の仕掛けが読み解けておらず、言葉のからくりがわからないから、諺という語の本来の意味まで誤解している。今日使うコトワザという語とは義が違うというのが筆者の語学的検討である。今日、「おはよう」は挨拶、「開け胡麻」は呪文、「渡りに船」は慣用句、「七転び八起き」は諺であろうが、それと同じ感覚で「さばあま」という言い方を諺と考えることはできない。上代におけるコトワザ(諺)という語の定義の方を再検討しなければならない。
諺の誤解史を繙いてみる。池田1983.に、「「記・紀」に見られる諺の大部分は、……みな疑ってかかると、諺と本縁譚との間に距離が感じられる。「古事記」や「日本紀」のように古い書物でも、日本人の歴史に比べれば、ずっと新しい時代に属するわけだ。日本人には記録以前に長い歴史があって、その間に伝えられていた叙事詩などはいったん崩壊して、断篇となった歌や諺がさらに別の叙事詩と結びつけられた。記録に載せられているのは、そういう第二次の叙事詩なのであって、したがって、歌や諺とそれを説明する物語との間にくいちがいがあるのが当然なのである。折口信夫先生の上代文学に対する解釈はこの点に大きな特色を見せている。」(34~35頁)とある。発端は、折口信夫にあるようである。
暴論に聞こえる。「所得ぬ玉作り」という諺が「玉作り所得ず」という奇怪な言葉に転化してしまっている。玉作部(玉造部)が職人扱いしたか、奴婢であったか、いま、問題としない。諺の話をしている。「犬も歩けば棒に当たる」という諺は「棒に当たる犬」という諺(?)に遷移しない。それは、命題に関してテーマとなる、「すべての……」と「ある……」の違い( every, all, any の性質の違い)といったことによるのではない。諺が諺として成立しているからには、「渡る世間に鬼はなし」が諺である。「渡る世間は鬼ばかり」はそれを捩ったドラマのタイトルにすぎない。諺とは決まり文句であり、それが揺らぐようでは力を発揮しない。コトワザとしての言葉の技が「一本」を取れずに、「有効」や「効果」でしかなく(注2)、「技あり」でさえないということになる。江戸の俳諧ではなく、記紀のコトワザの話をしている(注3)。コト(言・事)のワザ(技・業)が仕掛けられた物言いが上代の諺である。
(注)
(注1)本居宣長以来の考え方である。「今ノ世にも、神又死人霊などの祟るを、物の和邪と云是なり、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920805/1/326、漢字の旧字体は改めた)。
(注2)初稿当時、柔道のスコアに存在していた。
(注3)比較的近年の論考でもコトワザ自体については論じられていない。コトワザとは何かを考察せずに屋上屋を築いている。山田2000.に次のようにあり、天動説のように誤解を正当化している。
また、歴史学の方面からは、小林2007.には次のようにあり、諺をまるでヘイトスピーチのように捉えている。
(引用・参考文献)
池田1983. 池田弥三郎『日本故事物語 下』河出書房新社(河出文庫)、昭和58年。
折口1995. 折口信夫「日本文学の発生 序説」『折口信夫全集4』中央公論社、1995年。
河野2013. 河野貴美子「「言」「語」と「文」─諺を記すこと─」河野貴美子・Wiebke DENECKE編『日本における「文」と「ブンガク」』勉誠出版(アジア遊学162)、2013年。
小林2007. 小林茂文「諺と古代王権」『玉藻』第42号、フェリス女学院大学国文学会、2007年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
中村1989. 中村禎里「カラス」『動物たちの霊力』筑摩書房、1989年。
増井1988. 増井元「わざ」古代語誌刊行会編『古代語を読む』桜楓社、1988年。
山田2000. 山田直巳『古代文学の主題と構想』おうふう、平成12年。
※本稿は、2016年11月稿を2024年10月に整理してルビ形式に改めたものである。
河野2013.は、漢書・韋賢伝の、「少子玄成、復以明経歴位至丞相。故鄒魯諺曰、『遺子黄金満籯、不如一経』。(少子玄成、復明経を以て位を歴て丞相に至る。故に鄒魯の諺に曰く、『子に黄金満籯を遺すは、一経に如かず』と。)の部分の顔師古の注に注目している。「これに対して、顔師古はまず「籯」とは陳留で民間に用いられる竹の器であるとする如淳の注を引き、……筺籠のたぐいであるとする。そしていま注目したいのは、……「今書本」において「籯」字を「盈」に作るものがあるが、その場合も「容器いっぱい」の意となり、両方共に通じると述べることである。……「諺」が本来口づてに伝えられるものであるという性格を鑑みれば、これは「諺」のまさにそうした口頭語としての性質と、それが文字に表記される際にまま生じたであろう可変性、流動性を示す注記だとはいえないだろうか。」(59頁)と鋭い着眼をしている。
顔師古は、諺の注の字の説明に納得しているのである。諺が口頭語で飛び交って空中を流れて行ったその先に字に直した時、なるほど確かであったと確認が取れたということである。俗に言われていることのなかにも、確からしいことは結構あるということである。みんなの意見は案外正しい(スロウィッキー)。河野氏の論文の本意は、その点を見ながら源為憲・世俗諺文の研究にある。筆者は、記紀が「諺」をとり上げているそのとり上げ方に興味を覚える。
古事記では四例、「諺曰」として諺がとり上げられ、そのうち「故諺曰」が三例、「故於今諺曰」が一例である。日本書紀では四例、「諺曰」として諺がとり上げられ、そのうち「故諺曰」が三例、「是以諺曰」が一例である。ダカラ、コレデモッテ、「諺曰」と書いてある。小咄の最後にそうやって諺が登場する。表現として「諺」風なものに、日本書紀には、「古人有云」、「古人有言」、「古人云」、「古人曰」、「古人所謂」、「時人因号」、「時人号」、「時人歌之曰」、「時人曰」などといった例があげられる。「古人」にダカラ、コレデモッテの類の論理記号付与はない。「時人」には、ダカラ(故・因・乃)、コレデモッテ(因此・是以)の冠する例も見られるが、地名の由来を説く場合(「号」、「作」)、以下に歌を歌う場合(「歌」)、人名の由来を説く場合(「曰」、「号」)がほとんどである。例外的に、亡き人の偉大さと死者への冒瀆を糺す場合(「故、時人云はく、「田道既に亡にたりと雖も、遂に讎を報ゆ。何ぞ死にたる人の知無からむや」といふ。」(仁徳紀五十五年))、神の教えの正当性を唱える場合(「故、時人曰はく、「二社の神の教へたまへる辞、適に是なり」といふ。」(天武紀元年七月))といった例があるのみである。人知にまさることを指し示すために「故」と使っている。理由を示しているというより、理屈を示している。この二例で、「時人」は誘導尋問に陥らされている。
紀の編者は、「諺」とその他(「古人云」や「時人曰」など)とを使い分けている。それは、認識として、言葉のなかでも「諺」とは特異なものであり、他の言葉づかいとは異なる方術と考えていたことを示している。「諺」とある言葉は、後掲するように一筋縄では了解できない意味不明のものばかりである。一方、「古人」や「時人」の後に続く言葉に、比較的容易に理解できる。難しいものは、雄略紀の一例(「古人、云へること有り、「娜毗騰耶皤麼珥(汝人や母似?)。」〈此の古語未だ詳らかならず。〉」)のみである。「汝人は母似」の意味であることが確からしいのに、「此古語未レ詳也。」なる注がついている。この一例には紀の編纂者の異常ともいえる作為が感じられるのでここでは考慮から除外する。当面の課題である「諺」については、「諺」という特殊な言葉を用いるに当たり、「故諺曰」というように、ダカラ諺でそう言うのだよ、と使われている。曲解せずに受け止めなくてはならない。「諺」の例を列挙する。
A.地得ぬ玉作り
故、其の軍士等、還り来て奏言さく、「御髪、自ら落ち、御衣易く破れ、亦、御手に纏かせる玉の緖、便ち絶えぬ。故、御祖を獲らずて、御子を取り得まつりき」とまをす。爾くして、天皇、悔ひ恨みたまひて、玉を作る人等を悪み、其の地を皆奪取りたまふ。故、諺に「地得ぬ玉作」と曰ふ。(垂仁記)
B.雉の頓使
……即ち天若日子、天つ神の賜へりし天のはじ弓・天のかく矢を持ちて、其の雉を射殺しき。爾くして、其の矢、雉の胸より通りて、逆に射上がりて、天の安の河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所に逮りき。……其の矢を取りて、其の矢の穴より衝き返し下したまへば、天若日子が朝床に寝ねたる高胸坂に中りて死にき。〈此れ還矢の本ぞ。〉亦、其の雉、還らず。故、今に、諺に「雉の頓使」と曰ふ本は是ぞ。(記上)
C.神の神庫も樹梯の随に
五十瓊敷命の曰はく、「神庫高しと雖も、我能く神庫の為に梯を造てむ。豈庫に登るに煩はむや」といふ。故、諺に曰はく、「神の神庫も樹梯の随に」といふは、此れ其の縁なり。(垂仁紀八十七年二月)
D.さばあま
十一月に、処処の海人、訕哤きて命に従はず。〈訕哤、此には佐麼売玖と云ふ。〉則ち阿曇連の祖大浜宿禰を遣して、其の訕哤を平ぐ。因りて海人の宰とす。故、俗人の諺に曰はく、「佐麼阿摩」といふは、其れ是の縁なり。(応神紀三年十一月)
E.堅石も酔人を避く
故、是の須須許理、大御酒を醸みて献る。是に天皇、是の献れる大御酒にうらげて、御歌に曰みたまはく、
須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり(記49)
如此歌ひて、幸行す時に、御杖以て大坂の道中の大石を打ちたまへば、其の石走り避く。故、諺に「堅石も酔人を避く」と曰ふ。(応神記)
F.海人なれや、己が物から泣く
是に、大雀命と宇遅能和紀郎子との二柱、各、天下を譲れる間に、海人、大贄を貢る。爾くして、兄は辞びて弟に貢らしめ、弟は辞びて兄に貢らしめて、相譲れる間に、既に多たの日を経。如此相譲ること、一二時に非ず。故、海人、既に往還に疲れて泣く。故、諺に曰はく、「海人なれや、己が物から泣く」といふ。(応神記)
是に、海人の苞苴、往還に鯘れぬ。更に返りて、他し鮮魚を取りて献る。譲りたまふこと前の日の如し。鮮魚、亦鯘れぬ。海人、屢還るに苦みて、乃ち鮮魚を棄てて哭く。故、諺に曰はく、「海人なれや、己が物から泣く」といふは、其れ是の縁なり。(仁徳前紀)
G.鳴く牡鹿なれや、相夢の随に
時に宿れる人、心の裏に異ぶ。未及昧爽に、猟人有りて、牡鹿を射て殺しつ。是を以て、時人の諺に曰はく、「鳴く牡鹿なれや、相夢の随に」といふ。(仁徳紀三十八年七月)
以上が記紀における「諺」のすべてである。飛鳥時代のコトワザという言葉の使用に合致するものは、これら以外にないということである。風土記ならびにその逸文や霊異記に、「諺」の語は登場する。一例だけ挙げる。
国俗の諺に、水泳る茨城の国と云ふ。(常陸風土記・茨城郡)
記紀の「諺」とこの例との間には、「諺」概念に大きなクレバスのあることを見る。どちらが先かと言えば、記紀の方が先に著されているから先である。そう考えられるが、今日的見解はそうはなっていない。白川1995.に、「諺とされるものに、〔常陸風土記〕にみえる「風俗の諺」として地名に冠して用いるものと、〔記〕〔紀〕にみえるような「緣」のある語とがある。「ことわざ」が呪能をもつ語を意味することからいえば、説話の要約として生れたという世俗的な智を示す「緣」のある語よりも、「風俗の諺」として地名に冠して用いる語の方が、本来的なありかたを示すものであろう。のち序詞や枕詞をして地名に冠していうものはみなこの種のもので、もとは地霊である「祇つ神」に対してよびかける語であった。」(334頁)とある(注1)。筆者はこの考え方に疑問を抱く。コトワザとは、コト(言・事)+ワザ(技・業)という合成語であろう。呪能のワザを使って国つ神に訴えたとすると、天つ神に訴える時の語は、コトワザワザとでも呼ぶのであろうか。
増井1988.も、同じような考えである。少し長くなるが引用する。
上代の用例から導かれる<わざ>の語義は、行為・所行・仕事・技術、あるいは行事・事態・次第といったものである。ただし、それらは、「朕が敬ひ報いまつる和佐としてなも」(続日本紀宣命)のように天皇の統治行為であったり、「此の山を領く神の昔より禁めぬ行事」(万、9・一七五九)であったりするように、軽々しく扱えない、重大な意味を持つ行為である。現代でも、「しわざ」「わざと」「わざわざ」などの語群には、意図をもって殊更する行為の意が認められる。また、仕事・職業・技芸の意に解される<わざ>にしても、容易には習得できない重要な技術の意であったと言えよう。さらに、「古へにありける和射の奇ばしき事」(万、19・四二一一)のように事態・出来事を意味する場面では、その出来事の意味が問題とされ、あるいは、そうした出来事の背後に、人智を超えたものの意図がはかられようとしている。<わざ>は重大な行為・出来事であり、その現象としての現れの重大さと同時に、それがもたらされた事情や意味が深く問われねばならない事象であった。それを突き詰めれば、<わざ>とは、人間の思惑を超えた力や意図、その発動である。<わざ>は根源的に「神わざ」であった。しかし、そうした<わざ>をなす神々は、記紀においてマイナーな位置を付与されている。(158~159頁)
「ことわざ」……には幾つかの分類が可能だが、おおまかに、常陸国風土記などに見える風俗諺(握飯 筑波の国」「薦枕 多珂の国」など)の類と、「堅石も酔人を避く」「地得ぬ玉作り」のようないわゆる諺・格言の類とに分けられる。言語の機能としては、とりあえず、前者は懸詞や比喩を介した接続関係による称詞、後者は寓意だとしておく。これらが「ことわざ」であり得るのは、共に、日常語とは異なる言語表現として、表面的な意味をたどるだけでは感知し得ない、言語の働きを含んでいると受け取られた点においてである。これらは現代の視点からすれば、レトリックの形態の一つ一つであるが、そうした言語の働きを合理化・論理化せず、神・霊が言わせた言葉、霊がひそむ言葉あるいは言葉にひそむ威力というレベルのままに取り出したものが「ことわざ」であった。ある尋常でない形での言語表現に伴う、不可思議な作用──それが「ことわざ」の<わざ>であり、また、言霊の実体である。これを文学的・詩的な表現についての消極的な認識だと言うこともできる。(160~161頁)
「ことわざ」……には幾つかの分類が可能だが、おおまかに、常陸国風土記などに見える風俗諺(握飯 筑波の国」「薦枕 多珂の国」など)の類と、「堅石も酔人を避く」「地得ぬ玉作り」のようないわゆる諺・格言の類とに分けられる。言語の機能としては、とりあえず、前者は懸詞や比喩を介した接続関係による称詞、後者は寓意だとしておく。これらが「ことわざ」であり得るのは、共に、日常語とは異なる言語表現として、表面的な意味をたどるだけでは感知し得ない、言語の働きを含んでいると受け取られた点においてである。これらは現代の視点からすれば、レトリックの形態の一つ一つであるが、そうした言語の働きを合理化・論理化せず、神・霊が言わせた言葉、霊がひそむ言葉あるいは言葉にひそむ威力というレベルのままに取り出したものが「ことわざ」であった。ある尋常でない形での言語表現に伴う、不可思議な作用──それが「ことわざ」の<わざ>であり、また、言霊の実体である。これを文学的・詩的な表現についての消極的な認識だと言うこともできる。(160~161頁)
「ことわざ」とマイナーな神との関係は論じられていない。推し量るに、ことわざは「反文化的なもの」(158頁)らしい。納得がいかない。「<わざ>は根源的に「神わざ」であ」るとの見解も罷り通っている。人がしたのではないようだと思う時、それを神さまがやったように感じる。だから、譬えとして「神わざ」という言い方をする。古代にそのような言い方をした可能性はゼロである。なぜなら、神さまの行うことは人智では計り知れないから、人間がやっとこさ行う「わざ」と比較することは神さまに対して冒瀆に当たる。人が技巧を駆使して行うことが「わざ」である。どこまでいっても人わざである。「ことわざ」とは、人が技巧を駆使して言葉として発した事柄、つまり、すごく難解で回りくどいながらもきちんと言い当てている言葉のことである。「ことわざ」を見える化するなら、伝統工法でする柱の継ぎ方、腰掛け鎌継ぎのような言葉の仕掛けが「ことわざ」に当たる。それも、メビウスの輪、クラインの壺のような柱のめぐり方である。言葉が言葉に返って来ていて一筋の円環となっているから、言葉がすごい技を仕掛けているものだと誰しも思うであろう。しかし、今日まで、記紀の諺の仕掛けが読み解けておらず、言葉のからくりがわからないから、諺という語の本来の意味まで誤解している。今日使うコトワザという語とは義が違うというのが筆者の語学的検討である。今日、「おはよう」は挨拶、「開け胡麻」は呪文、「渡りに船」は慣用句、「七転び八起き」は諺であろうが、それと同じ感覚で「さばあま」という言い方を諺と考えることはできない。上代におけるコトワザ(諺)という語の定義の方を再検討しなければならない。
諺の誤解史を繙いてみる。池田1983.に、「「記・紀」に見られる諺の大部分は、……みな疑ってかかると、諺と本縁譚との間に距離が感じられる。「古事記」や「日本紀」のように古い書物でも、日本人の歴史に比べれば、ずっと新しい時代に属するわけだ。日本人には記録以前に長い歴史があって、その間に伝えられていた叙事詩などはいったん崩壊して、断篇となった歌や諺がさらに別の叙事詩と結びつけられた。記録に載せられているのは、そういう第二次の叙事詩なのであって、したがって、歌や諺とそれを説明する物語との間にくいちがいがあるのが当然なのである。折口信夫先生の上代文学に対する解釈はこの点に大きな特色を見せている。」(34~35頁)とある。発端は、折口信夫にあるようである。
……「ところえぬ玉作」といふ諺があつて、「玉作りの職業者ではないが、ところえぬ」と言ふ風に、ところえぬと言ふ成語に関した語の一種の誹諧なのである。玉作部に限らず、後の所謂職人の類以外の、土地に生業の根拠を持つ者は、職とは言はぬ慣はしである。狭く手工に限らないまでも、広くは土地の生産に関係ない者は、なりはひとは謂はなかつた。神事に関聯深い生業であり乍ら、職人として後代までも分類せられる手人は、土地を持つことを許されなかつた。其中の一つなる玉作部を代表として、「ところえぬ」をきかしたのである。さうして又、単に職人に土地なしといふ概念を述べたゞけの語では、又意味がない。恐らく、「玉作りではないが、ところえぬ」と言ふ詞章は、其地位・其職に堪へぬ者即不適任者をさして言ふ擯斥の詞ではなかつたか。ところえずとは、其在る位置の適しない事を言ふ語だからである。かうして見れば、之を垂仁記にとり入れたのは、単に外貌の接近からばかりであつて、詞章の意義すら、深くは酌みとつて居らぬやうである。(折口1995.126~127頁)
暴論に聞こえる。「所得ぬ玉作り」という諺が「玉作り所得ず」という奇怪な言葉に転化してしまっている。玉作部(玉造部)が職人扱いしたか、奴婢であったか、いま、問題としない。諺の話をしている。「犬も歩けば棒に当たる」という諺は「棒に当たる犬」という諺(?)に遷移しない。それは、命題に関してテーマとなる、「すべての……」と「ある……」の違い( every, all, any の性質の違い)といったことによるのではない。諺が諺として成立しているからには、「渡る世間に鬼はなし」が諺である。「渡る世間は鬼ばかり」はそれを捩ったドラマのタイトルにすぎない。諺とは決まり文句であり、それが揺らぐようでは力を発揮しない。コトワザとしての言葉の技が「一本」を取れずに、「有効」や「効果」でしかなく(注2)、「技あり」でさえないということになる。江戸の俳諧ではなく、記紀のコトワザの話をしている(注3)。コト(言・事)のワザ(技・業)が仕掛けられた物言いが上代の諺である。
(注)
(注1)本居宣長以来の考え方である。「今ノ世にも、神又死人霊などの祟るを、物の和邪と云是なり、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920805/1/326、漢字の旧字体は改めた)。
(注2)初稿当時、柔道のスコアに存在していた。
(注3)比較的近年の論考でもコトワザ自体については論じられていない。コトワザとは何かを考察せずに屋上屋を築いている。山田2000.に次のようにあり、天動説のように誤解を正当化している。
……現在我々が目にする『古事記』には[雉の頓使という]諺が付加された形で示されている。……『古事記』原文完成時点で、物語と諺とが何等かの誘因を得て結合し、一つの全体を構成したと見なければなるまい。その誘因たる条件は何かというに、この諺の中に見られる「雉」であり、……むしろ諺という形を採った物語の「索引化」現象だったのではないか、と思われる。「雉の頓使」という一つの成句たる諺を言うことで、耳目にする人々は、その前部に書かれる話の筋全てを知る、といった態を想定するのである。……諺の短章をもって、全体の話を代表させ、話の筋立ても印象付ける。いわば物語のダイジェストを最後尾に付した、という機能を呈していると思われる。即ち、語られた大部の叙事詩の全てを、この極めて短かい言葉に凝縮させて示そうとする表現法としてこの諺を理解したらどうか、と考えるのである。ある意味では長歌に対する反歌のような性格を帯びているとも言えよう。(394~395頁)
……[折口信夫の「地得ぬ玉作」についての記述に]玉作部が土地を持たなかったという事実がはっきりと見据えられており、さらにそこから展じて、その事実を強調することで戯味を出す─俳諧化していたのであった。そこに諺の新たな機能が発見されていたのである。一方で本縁譚めかした諺の成立を信じ、他方ではそれが明らかに強い語りに過ぎないことを知っていた、という実に複雑な心情をそこには予測せしめるのである。そして、そこに文芸意識というか、生活と密着したところからやや余裕を持って物事を見ることのできる新しい意識の覚醒を見ないわけには行かないのである。(400頁)
……[折口信夫の「地得ぬ玉作」についての記述に]玉作部が土地を持たなかったという事実がはっきりと見据えられており、さらにそこから展じて、その事実を強調することで戯味を出す─俳諧化していたのであった。そこに諺の新たな機能が発見されていたのである。一方で本縁譚めかした諺の成立を信じ、他方ではそれが明らかに強い語りに過ぎないことを知っていた、という実に複雑な心情をそこには予測せしめるのである。そして、そこに文芸意識というか、生活と密着したところからやや余裕を持って物事を見ることのできる新しい意識の覚醒を見ないわけには行かないのである。(400頁)
また、歴史学の方面からは、小林2007.には次のようにあり、諺をまるでヘイトスピーチのように捉えている。
「さばめく」の意味が、騒々しくて従わないことだとすると、「サバアマ」だけでは騒々しく従わない海人との意味にはならないだろう。海人の歴史が共有化されていないと、理解されない諺である。むしろ、地名サバの海人の意味と考えられる。周防国佐波郡佐波郷……の海人は、騒々しくて従わないとの海人認識と結びついている。そこには、海人に対する編者の認識と、海人の歴史的背景がある。……推古朝前後に大和政権による海人再編がなされており、「サバアマ」は漁場での活気ある喧噪などではなく、再編にともなう抵抗的言動であろう。決して古い諺ではない。再編は、鮮魚貢納の役割にとどまらず、六世紀以降の緊急課題となった対新羅外交に関連する措置であったことは、言を俟たないであろう。ここでの諺の役割は、海人統轄が古いことを主張することにあった。(22~23頁)
『海人なれや、己が物から泣く』……海人であろうか、海人でもないのに、同じように自分の物が原因で泣くことよ。海人は鮮魚保存に失敗して泣くことが多かったのであろう。応神天皇記にも記載されており、世間で知られていた諺であった。この諺が使われる場面は、持ち物が原因で泣いている人を揶揄するときである。そのとき海人を持ち出して揶揄するように、海人はからかいの対象であった。……[皇位]の譲り合いに翻弄されて右往左往する海人は滑稽であり、海人は揶揄の対象であるが、その揶揄は大雀命らに向かっていないことに注目したい。王権内部の美徳に、海人の滑稽さを対比させることで、過剰な美徳が招く、収拾がつかなくなった王権物語の崩壊の危機を止揚する役割を果たしている。ここでの諺は、王権物語の崩壊を防ぎ、王権の行動の正しさを演出する効果を担っている。その際、滑稽な存在として海人を引き合いにしていることが留意される。構成上の問題に加え、背景には非農業民への差別があった。(23~24頁)
神代記[の]……『雉の頓使』……[は]神代紀第九段と……内容はほぼ同じであるが、紀に諺は紹介されていなかった。雉はアメワカヒコが放った矢で射殺されて、使者として復命を果たせなかった。物語では雉は殺され還らないが、雉が行った切りの鳥であるとの認識がなければ成立しない諺である。しかし、その説明はない。アメワカヒコの葬送儀礼では、雉は泣き女として登場している。鳥が生死にかかわる霊魂の表象であることが、思想基盤にある。中村禎里氏は、アメワカヒコの葬儀に奉仕したトリは一族のトーテムであり、ともに高天原の住人であって、この世界観は北方の大陸から伝わった新しい支配観念とする。同じ使者でもヤタカラスは神武天皇の東遷を助け、カラスはその後も熊野の神使いである。雉が使者として「頓使」とされる理由は不明だが、行ったままのことがからかわれ、使命を果たさずに非難されていることを、確認しておく。(27~28頁)
『地得ぬ玉作』[は]……漂泊する技術民を想起させる諺である。……定着している農耕民にとって、不可解な番上部民の生活形態の起源を失敗による結果とし、諺をそのように理解して玉作を非難する。技術民に対する無知と誤解と蔑視がそうさせるのであるが、諺に彼らを登場させることで、それだけに読み手の想像力を掻き立て、物語理解を助ける働きをするのである。(28~29頁)
『海人なれや、己が物から泣く』……海人であろうか、海人でもないのに、同じように自分の物が原因で泣くことよ。海人は鮮魚保存に失敗して泣くことが多かったのであろう。応神天皇記にも記載されており、世間で知られていた諺であった。この諺が使われる場面は、持ち物が原因で泣いている人を揶揄するときである。そのとき海人を持ち出して揶揄するように、海人はからかいの対象であった。……[皇位]の譲り合いに翻弄されて右往左往する海人は滑稽であり、海人は揶揄の対象であるが、その揶揄は大雀命らに向かっていないことに注目したい。王権内部の美徳に、海人の滑稽さを対比させることで、過剰な美徳が招く、収拾がつかなくなった王権物語の崩壊の危機を止揚する役割を果たしている。ここでの諺は、王権物語の崩壊を防ぎ、王権の行動の正しさを演出する効果を担っている。その際、滑稽な存在として海人を引き合いにしていることが留意される。構成上の問題に加え、背景には非農業民への差別があった。(23~24頁)
神代記[の]……『雉の頓使』……[は]神代紀第九段と……内容はほぼ同じであるが、紀に諺は紹介されていなかった。雉はアメワカヒコが放った矢で射殺されて、使者として復命を果たせなかった。物語では雉は殺され還らないが、雉が行った切りの鳥であるとの認識がなければ成立しない諺である。しかし、その説明はない。アメワカヒコの葬送儀礼では、雉は泣き女として登場している。鳥が生死にかかわる霊魂の表象であることが、思想基盤にある。中村禎里氏は、アメワカヒコの葬儀に奉仕したトリは一族のトーテムであり、ともに高天原の住人であって、この世界観は北方の大陸から伝わった新しい支配観念とする。同じ使者でもヤタカラスは神武天皇の東遷を助け、カラスはその後も熊野の神使いである。雉が使者として「頓使」とされる理由は不明だが、行ったままのことがからかわれ、使命を果たさずに非難されていることを、確認しておく。(27~28頁)
『地得ぬ玉作』[は]……漂泊する技術民を想起させる諺である。……定着している農耕民にとって、不可解な番上部民の生活形態の起源を失敗による結果とし、諺をそのように理解して玉作を非難する。技術民に対する無知と誤解と蔑視がそうさせるのであるが、諺に彼らを登場させることで、それだけに読み手の想像力を掻き立て、物語理解を助ける働きをするのである。(28~29頁)
(引用・参考文献)
池田1983. 池田弥三郎『日本故事物語 下』河出書房新社(河出文庫)、昭和58年。
折口1995. 折口信夫「日本文学の発生 序説」『折口信夫全集4』中央公論社、1995年。
河野2013. 河野貴美子「「言」「語」と「文」─諺を記すこと─」河野貴美子・Wiebke DENECKE編『日本における「文」と「ブンガク」』勉誠出版(アジア遊学162)、2013年。
小林2007. 小林茂文「諺と古代王権」『玉藻』第42号、フェリス女学院大学国文学会、2007年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
中村1989. 中村禎里「カラス」『動物たちの霊力』筑摩書房、1989年。
増井1988. 増井元「わざ」古代語誌刊行会編『古代語を読む』桜楓社、1988年。
山田2000. 山田直巳『古代文学の主題と構想』おうふう、平成12年。
※本稿は、2016年11月稿を2024年10月に整理してルビ形式に改めたものである。