古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

「事の 語り言も 此をば」考 其の一

2018年10月01日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 記の歌謡に、コトノカタゴトモコヲバ(事の 語り言も 此をば)という慣用表現がある。記2~4、記100~102歌謡である。「神語」、「天語歌」と記されている。記2・3歌謡に、イシタフヤアマハセヅカヒ(いしたふや 海人/天馳使)という語が冠する場合も見られる。

 八千矛(やちほこ)の 神の命(みこと)は 八島国 妻枕(ま)きかねて 遠遠(とほとほ)し 高志(こし)の国に 賢(さか)し女(め)を 有りと聞かして 麗(くは)し女を 有りと聞こして さ婚(よば)ひに あり立たし 婚ひに あり通はせ 大刀が緒(を)も いまだ解かずて 襲(おすひ)をも いまだ解かね 嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸を 押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 青山に 鵼(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く 心痛(うれた)くも 鳴くなる鳥か 此の鳥も 打ち止(や)めこせね いしたふや 海人馳使(あまはせづかひ) 事の 語り言も 此(こ)をば(記2)
 八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦渚(うらす)の鳥ぞ 今こそは 我(わ)鳥(どり)にあらめ 後は 汝(な)鳥にあらむを 命(いのち)は な殺(し)せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語り言も 此をば
 青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜(よ)は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱(たくづの)の 白き腕(ただむき) 沫雪(あわゆき)の 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手(またまで) 玉手さし枕き 百長(ももなが)に 寝(い)は寝(な)さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語り言も 此をば(記3)
 ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を ま具(つぶ)さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸(むな)見る時 はたたぎも 此れは適(ふさ)はず 辺(へ)つ波 磯(そ)に脱き棄(う)て 鴗鳥(そにどり)の 青き御衣(みけし)を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此(こ)も適はず 辺つ波 磯に脱き棄て 山方(やまがた)に 蒔きし あたたね舂(つ)き 染(そ)め木が汁に 染衣(しめころも)を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此(こ)し宜(よろ)し 愛子(いとこ)やの 妹の命 群鳥(むらとり)の 我が群れ去(い)なば 引け鳥の 我が引け去なば 泣かじとは 汝(な)は言ふとも 山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき) 項(うな)傾(かぶ)し 汝が泣かさまく 朝雨の ぎりに立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語り言も 此をば(記4)
 纏向(まきむく)の 日代(ひしろ)の宮は 朝日の 日照(で)る宮 夕日の 日影(がけ)る宮 竹の根の 根垂(だ)る宮 木(こ)の根の 根延(ば)ふ宮 八百土(やほに)よし い築(きづ)きの宮 真木(まき)栄(さ)く 檜(ひ)の御門(みかど) 新嘗屋(にひなへや)に 生ひ立(だ)てる 百足(ももだ)る 槻(つき)が枝(え)は 上(ほ)つ枝は 天(あめ)を覆(お)へり 中(なか)つ枝は 東(あづま)を覆へり 下(しづ)枝は 鄙(ひな)を覆へり 上つ枝の 枝の末葉(うらば)は 中つ枝に 落ち触(ふ)らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下(しも)つ枝に 落ち触らばへ 下(しづ)枝の 枝の末葉は 蟻衣(ありきぬ)の 三重(みへ)の子が 捧がせる 瑞玉盞(みづたまうき)に 浮きし脂(あぶら) 落ちなづさひ 水(みな)こをろこをろに 是(こ)しも あやに恐(かしこ)し 高光る 日の御子 事の 語り言も 此をば(記100)
 倭(やまと)の 此の高市(たけち)に 小高(こだか)る 市の高処(つかさ) 新嘗屋に 生ひ立(だ)てる 葉広(はびろ) 斎(ゆ)つ真椿 其(そ)が葉の 広(ひろ)り坐(いま)し 其の花の 照り坐す 高光る 日の御子に 豊御酒(とよみき) 献らせ 事の 語り言も 此をば (記101)
 ももしきの 大宮人は 鶉鳥(うづらとり) 領巾(ひれ)取り懸けて 鶺鴒(まなばしら) 尾(を)行き合(あ)へ 庭雀(にはすずめ) うずすまり居て 今日(けふ)もかも 酒水漬(さかみづ)くらし 高光る 日の宮人(みやひと) 事の 語り言も 此をば (記102)

 記2・3・4で歌っているのは、八千矛神と沼河日売(ぬなかはひめ)である。ともにとても長い歌を歌っている。その長い歌の末尾に、「事の 語り言も 此をば」と締めくくっている。橋本1986.に従うと、記2歌謡は、「八千矛の 神の命は …… 此の鳥も 打ち止めこせね」という歌全体を一つとして提示したものが「此(こ)」であり、「いしたふや 海人/天馳使 事の語り言」なのであると言っていることになる(注1)
 「事の語り言」について、コトという語に事と言の2種を考えて殊更に述べ立てる論者が多い。しかし、本来、コトとは、事柄でもあり言葉でもある。言葉は事柄をまさしくそのとおりに伝えるために編み出されており、同時に、言葉で発することでそれ自体がひとつの事柄になるのであって、無文字時代に言霊信仰と呼ばれたものとは言=事である、ないしはそれを志向すべきであるというものの考え方であった。それをわざわざここに、「事の語り言」としているのは、事柄を言葉で語るときの本来あるべき言葉のつらなりのことを言っている。長いから、ひょっとしたら間違っているのかもしれない。でも、そんなに外れてはいない。だから、「事の語り言此をば」と言っている。
 モは不確実性を示す助詞である(注2)。伝言ゲームに見られるように、伝達された内容は、必ず元の言葉・事柄と同じであるか定かでない。保証しきれないものである。けれども、なかには暗記のとても得意な人がいる。それがアマハセヅカヒで、信頼の置ける使者であった。だから、今べらべらと喋った長い文言は本当のことなのだと言いたいがために、取ってつけたように言いつけている。彼らを以てして事を説く言葉も、今歌い上げたこれに同じだと言っている。
 指示詞のコについては議論が深められている。小田2015.に、「古代語の指示代名詞は「こ・そ・か」であるが、「か」「かれ」の確例は上代文献中、『万葉集』に各1例みえるだけである。(用例……[万4045・3565])。日本語の指示代名詞は、本来コとソの2系列だったと考えられる(山田孝雄1954.[『奈良朝文法史』宝文館出版])……。そして、コ系の指示代名詞は直示、……ソ系の指示代名詞は非直示を表した……。」(624頁)とある。指示代名詞コの用例に次のものが引かれている。

 ひとり居て 物思ふ夕(よひ)に 霍公鳥(ほととぎす) こゆ鳴き渡る 心しあるらし(万1476)

 この歌については、特に異論をはさむ余地もなく、平明に説かれている。伊藤1996.に、次のようにある。

 一首は、独り坐って物思いにふけっている夜に、時鳥がここを通って鳴き渡っていく。思いやり心があってのことらしい。の意。私の物思いを慰めてくれるつもりで鳴き過ぎてゆくらしいというのである。この時鳥の声は一声なのであろう。「心しあるらし」はやや理屈っぽいが、時鳥の駆ける空の彼方に耳を傾ける作者の姿勢は窺われる。(514頁)

 一声ホトトギスが鳴いたとされている。どこで鳴いたのかといえば、「此間(こ)」である。「従(ゆ)」は通過地を示す助詞である。具体的に何をしたかといえば、「鳴渡(なきわたる)」をした。すると、鳴いたのはコであり、渡ったからユとなっているということとなる。伊藤1996.の説明はしっくり来ない。一声鳴いたのではなく、鳴きながら作者が居るところを通り過ぎていったということではないのか。
 そんな当たり前のことが問題なのではない。指示詞コの用法として、現場に現前する「物」を指示していたり、歌の歌われている現場を指示すると考えられている。李2002.に、「上代語の「コ系」指示詞の基本形「コ」の用法は、いずれも正にその表現の現場において現前する対象を指示している意味において、現場に直結するものと言える。」(130頁)と解説されている。
 それはそのとおりであるが、この解説には盲点があるように思われる。いまここにあるまさに当該の事柄に対してコと言い表すことに、何のメリットがあるか。万1476番歌を換骨奪胎して散文化してみると次のように書くことができる。

 ひとり居て物思ふ夕に、霍公鳥(ほととぎす)鳴き渡る。心しあるらし。

 このように、コユを除いた表現でも、ホトトギスの鳴き声が聞こえて心の慰めになったと語ることに十分である。ホトトギスが近くを通ったことを言っているとしても、聞こえているのだから真近を鳴いて行ったことはわかるはずである。コユはなくても意を尽くしている。万葉集の他の例も示しておく。

 卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥 雨間(あまま)も置かず こゆ〔従此間〕鳴き渡る(万1491)
 誰(たれ)聞きつ こゆ〔従此間〕鳴き渡る 雁がねの 嬬(つま)呼ぶ声の 羨(とも)しくもあるか(万1562)
 雨晴れの 雲に副(たぐ)ひて 霍公鳥 春日を指して こゆ〔従此〕鳴き渡る(万1959)
 聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて こゆ〔従此〕鳴き渡る(万1977)
 霍公鳥 厭(いと)ふ時なし 菖蒲(あやめぐさ) 蘰(かづら)にせむ日 こゆ〔従此〕鳴き渡れ(万1955)
 霍公鳥 厭ふ時なし 菖蒲 蘰にせむ日 こゆ〔許由〕鳴き渡れ(万4035)
 妹に恋ひ 寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に 鴛鴦(をしどり)の こゆ〔従是〕かく渡る 妹が使か(万2491)
 慰めて 今夜(こよひ)は寝(ね)なむ 明日よりは 恋ひかも行かむ こゆ〔従此間〕別れなば(万1728)
 直(ただ)に来ず こゆ〔自此〕巨勢道(こせぢ)から 岩橋踏み なづみぞ吾が来し 恋ひてすべなみ(万3257)
 直に行かず こゆ〔此従〕巨勢道から 石瀬踏み 求(と)めそ吾が来し 恋ひてすべなみ(万3320)

 コユと差し挟んで慣用表現となっている。記歌謡の「事の語り言もコをば」のコも慣用表現である。例えば記2歌謡は、「八千矛の 神の命は 八島国 …… 此の鳥も 打ち止めこせね」と歌ってきて、その歌を承けて「いしたふや海人/天馳使、事の語り言の如し」と言って「此をば」を略すのに内容的には同じである。
 詞章として型式立てられている。「神語(かむがたり)」(記2~4)、「天語歌(あまがたりうた)」(記100~102)であると記されている。「事の 語り言も 此をば」と常套句で締めくくられる歌に名称がついている。名称の意味については諸説あるが、詳細については(注7)に触れるにとどめる。いずれにせよ長い歌であるという共通性がある。その長い歌の本文を承けてコといい、事柄を正確に語る言葉も左様でございましょう、と言っている。正真正銘の伝承もきっとこのようなことでございますと言い添えている。
 すなわち、わざわざコとして指示する意味は、再帰的に提示する点にある。再帰させることは、ただ再帰させることだけで、それ自体を際立たせて強調の意を示すに至る仕業となる。英語の再帰代名詞は、その点をよく表している。

 I have a pen by myself.

 上の例では、リハビリ中の患者が、手の麻痺が癒えて独力でペンを握っているという意味にも、また、支給された物ではなく、自前のペンを持っているという表現にもなろう。

 She was beauty itself.
 
 彼女は本当に美しかった、ということを、美そのものであると大げさに表現して語っている。

 History is itself.

 歴史は繰り返す、と訳される例文である。歴史とは事柄の経過に沿って時間を追いかけて話にすることである。時間はいつでも経過して行っているから、話しているうちにそれはただちに歴史になる。余計なことだが、古事記の研究も、今日では古事記研究史の研究の方が盛んなほどである。メタヒストリーが隆盛をきわめている。それに対して現実の世の中は、Apple、Google、Amazon など、半世紀前には姿かたちさえなかった企業に席巻されている。「歴史は繰り返す」という訳は誤訳らしい。
 それはさて、美という概念それ自体を強調したり、時間の経過が続くことをそれ自体であると言いくるめてしまっている。まるで循環論法を正当化するように、言説がメタ言語を絡めとりながら行われている。
 ヤマトコトバの上代語のコについても、再帰する点で同じであるから、コととり上げることそれだけで、必然的に強意、強調の意を発揮していると考えられる。「事の 語り言も 此をば」という決まり文句の指示詞のコは、再帰させることで強意の意を含んでいるであろうし、だからわざわざ倒置形で最後に「此をば」と言い放っているのである。
 「こゆ鳴き渡る」の場合も同様であろう。万葉集中で、類例のうちホトトギスの鳴き渡る例が6例、カリガネが1例、ヲシドリが1例となっていて、「こゆ鳴き渡る」鳥の種類にホトトギスがより選択的に選ばれていると推測される。ホトトギスの鳴き声は、テッペンカケタカ、特許許可局などと聞き分けられるに至っているが、万葉集には次のような例がある。

 暁(あかとき)に 名告(の)り鳴くなる 霍公鳥(ほととぎす) いやめづらしく 思ほゆるかも(万4084)
 卯の花の ともにし鳴けば 霍公鳥 いやめづらしも 名告り鳴くなへ(万4091) 

 自分の名を名乗って鳴いたとすると、ホトトギスはホトトキなどと鳴いていると聞いていたことになる。鳴き声が名前になっていることは、再帰語というに値する。そういう機知を上代人は身につけていた。だから、「こゆ鳴き渡る」の例はホトトギスが親和する存在になっている(注3)

 Unhappy myself, I understood what he meant.(私自身不幸だったので、彼の言うことがわかった。)
 
 上の英文例は示唆的である。不幸な彼の境遇と似通うことがあったから、彼の言っている意味がわかったのである。同じように、万1476番歌に見える「こゆ鳴き渡る」という慣用表現は、独居して悲しくナク(泣)存在としての自らと、ホトトギスの鳴くこととを重ね合わせた歌の表現である。自分が泣きたい気持ちであることを鳥が代弁するかのように、自分がいま居るコ(此間)を経由して鳴いて渡っていく。その感情と場所の交差地点が、現在地コである。
 万葉集の用字に、「此間」とある点について、中国六朝時代の俗語的表現として片づけられている。そうではなく、万葉人が六朝時代の用字法をどういう気持ちでとり入れたか、それが問題である。「此間」とあれば、時間的な意味合いがあるのではないかと想定されるのに、直示を表すコ、非直示を表すソに、「指示代名詞がコとソとの2対立だった時代には、空間的・時間的遠近による指示代名詞の使い分けはなされていなかった。」(小田2015.624頁)とされている。比較対照する意味、つまり、空間・時間の意味で「間」という字が解されてはいない。「間」は文字どおり、アヒダ、マの意と捉えられる。直示行為とは、まさに手で取って浮かび上がらせることである。他と峻別して他を排除して、いまここに現前しているものばかりにスポットライトを当てて注目させている。まわりには何かがあり、いつかがある。そのまわりについては無視して忽然と浮かび上がらせるわけである。むろん、光の当たらない陰の部分に左右や先後が控えていて、そのアヒダ、マに位置していることは暗黙のうちに了解している。だから経由を表わすユという助詞を伴っていて理解される。
 以上をまとめると、指示詞コは、再帰性を表して、現況の優位性のためにいろいろ言い含める言葉として成り立っている。生々しさを強調するために、言わずもがなの指示をしている。それがコである。自分が所在する現場において現前する対象は、元来は特に指示するも何もない。わかりきっている。現場、現前するものを直示することは、必然的に循環的な再帰性を帯びる。結果として意図的に他の人に伝える形となる。枠組みを構えて括弧で括り、他の人にも了解できるようにする。初めて聞いた人でも、コとあれば話し手の目の前にある物だ、とフレームづけが行われる。自分の手元に意識がハタと回帰して、それだけで脈絡が発生し理解することができる。裏返して言えば、いま・ここにいる自分、という自己意識の芽生えを発露するのに、コという指示詞は、好むと好まざるとにかかわらず、よくマッチしているといえる。その点、コはうぬ惚れの指示詞と呼ぶことができるのかもしれない。記4歌謡中の、「此(こ)をば適(かな)はず」、「此し宜し」の用例は、まさにその意にかなっている。青い衣や染め衣を身にまとった時の自分の姿を見て感想を述べている。鏡に写った像を自分のものとみなして良し悪しを判断している。自分の姿を自分の目で見て良いか悪いか決められるのは、それはすなわち自己の意識があるからである(注4)。そして、反対に、いま・ここにいる自分が定かでなくなった時に発する言葉は、「ここはどこ? 私は誰?」である。現存在の焦点が、コであるといえる。
 次に、アマハセヅカヒについて検討する。今日まで、アマハセヅカヒは天馳使か海人馳使か議論が二分している。その前のイシタフヤは枕詞であるとする点はみな賛同しているが、アマハセヅカヒという言葉が定まらないので、枕詞の掛かり方もわからないままである。それでも、天馳使に掛かるはずだから、イ(強意の接頭辞)+シタフ(慕ふ)+ヤ(間投助詞)と考える説、海人馳使に掛かるとみれば、イ+シタ(下)+フ(経)+ヤであって、海人を導いているとする説が提出されている。もうひとつの問題は、このイシタフヤアマハセヅカヒを歌詞のなかに組み入れるか、それともコトノカタリゴトモコヲバの序と考えるかの違いがある。
 本居宣長・古事記伝では、「言(コト)通(カヨ)はす使(ツカヒ)を、虚空(ソラ)飛(トブ)鳥(トリ)に譬へていへるにや」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933884(8/285))と天馳使説をとっている。折口信夫全集では、「海人部(アマベ)の上流子弟で、神祇官に召された者が、海部駈使丁(アマハセヅカヒ)であり」(①174頁)と海人馳使説をとっている。
 天馳使説は、記2・3歌謡に鳥の形容が頻出するからその一種であるように考える向きもある。その場合、「八千矛の 神の命は ……  鳴くなる鳥か 此の鳥も 打ち止めこせね いしたふや 天馳使」(記2)、「八千矛の 神の命 …… 後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 天馳使」(記3)までが歌の詞章と捉えている。「事の語り言も 此をば」で終わる歌の中で、イシタフヤアマハセヅカヒと出てくるのは、歌の中で鳥が盛んに歌われているものに限られるから正しいと主張するが、後付けの講釈のように思われる。アマハセヅカヒは何鳥なのか、該当するものを指し示さずにそこだけの抽象的なことを言うとは考えにくい(注5)
 上代人が、使者は天をゆくと想念していたか、必ずしも確かめられない。

 雉(きぎし)の頓使(ひたつかひ)(記上)
 天飛ぶ 鳥も使(つかひ)そ 鶴(たづ)が音(ね)の 聞えむ時は 我が名問はさね(記84)
 み空行く 雲も使と 人は言へど 家苞(いへづと)遣らむ たづき知らずも(万4410)

 このように類例があるのに不十分と筆者が考えるのは、第2・3例に、「鳥」、「雲」と不確定、非限定、仮定的を表わす助詞モが下接しているような状況からである。「鳥」や「雲」は「使」者とはいえないと言外に表明してしまっているのである。天を行くものが使者であるかのように比喩で譬えることはあっても、それ以上のことではない。この当り前の想定が正しいのは、第1例に確かめられる。「雉、名は鳴女(なきめ)を遣はすべし」として、天若日子のもとへ派遣されたという話がある。それは笑い話である。話の締めくくりは、「亦、其の雉還らず。故、今に、諺に「雉の頓使」と曰ふ本は是ぞ。」となっている。キジは飛翔が得意な鳥ではない。低空をまっすぐ駆けるように飛ぶことはあっても、上空を旋回したり、鋭角に方向転換するような技は持ちあわせていない。だから、行ったきりで、鳴かずば撃たれまいのに、キーキー鳴いてうるさがられて撃たれてしまい、還らない役回りを演じている。使えない使者として登場させられている。役どころとして雉はいるのであり、使者としての利用価値は最初から誰も期待していない。鳥は使者として不確かな存在である。
 死者が鳥のようにゆくと考えていたことは、景行記の倭建命が亡くなってから「白鳥」(景行紀四十年是歳)、「八尋(やひろ)の白ち鳥」(景行記)となって飛んで行ったという説話に知られている。また、「天鴿船(あまのはとふね)」(神代紀第九段本文)という形容も見られる。ただ、それも、使者が空を飛んだという事実や譬えに直接結びつくものではない。ハトを船の形容に用いているのは、波止場に繋留されている船が、潮汐や波の影響で上下する様を、木の枝にとまるハトの大きく上下する様に見立てたからであると考えられる。ハトだから波止場である。使者が天を駆け抜けるのだという形容は、伝書鳩によるのであるとすることも可能ではあるが、それをアマハセヅカヒと称することは信じがたい。なぜなら、無文字時代に伝書鳩がいてもあまり役に立たないからである。魚群を見つけたら「○」、見つからなければ「×」の木札をつけて沖合の船から陸に向かってハトを飛ばすようなことはできたとしても、記2・3にあるような長い詞章を文字なしに“伝書”することは不可能である。
 他方の、海人馳使説としては、折口信夫全集に、万4328左注「助丁丈部造人麻呂(ジヨチヤウハセツカヒベノミヤツコヒトマロ)」の解説として、「……丈部ははせつかひべと言ふ名の如く、駈使の役に仕へる者で、鹵簿の前駆か、さなくば、駅伝或は貢進の事に預る家筋であらう。丈の字、又、杖の字を書くのは、駈使丁として、しるしの杖を持つて居たからであらう。」(⑦69頁)とする。また、西郷2005.に、「歌がらから見て、アマハセヅカヒは妻問いの旅に八千矛神と行をともにしているもののいいであるはずで、その従僕が海人馳使に他ならぬと私は考える。海人部を宰領する安曇氏は、食膳のことにあずかる内膳司の長官だが、令の規定によるとその下に馳使丁(ハセツカヒノヨホロ)二十人が配されている。(……とくに馳使丁を置くのは、……宮内省の被官諸司に限られている。それはこの省が諸国の調、雑物、官田の出納や諸方の口味事を掌ることに関連する。馳使丁は、使部や直丁が宮内の使をするのとは違い、山野に馳使するもののいいで、内膳司のそれは当然、諸国の海人部から徴されていたはずである。「令義解」職員令の条参照。)この馳使丁が宮廷の宴席にまかり出て海人馳使の名のもとに八千矛神の従者の役をつとめるというのは大いにありうることではなかろうか。」(100~101頁)とある。
 筆者は、西郷ほかの言うようには、アマハセヅカヒは八千矛神に随伴していないと考える。単に、イシタフヤアマハセヅカヒという言葉が、言葉として冠されているに過ぎない。言葉第一主義である。折口の指摘する「丈」の字を駈使丁の持つしるしとする説もいただけない。杖を携えて往来したことによるとする説もあるが、馬を走らせるときに、杖(鞭)を使ったら速かろうと想念されてそのように記されたのであろう。「丈」が「杖」の通字である意味は、むちうつの意である。しるしは駅鈴であったに違いない。事ここのイシタフヤアマハセヅカヒを、海人馳使の意と考える理由は、海人であれば海を渡ることに通暁していて、速達便で遠くまで伝達するお使い役になるのにかなっているからである。海の駅制のようなことを示した物言いであると考えられる(注6)
 すなわち、イシタフヤとあるのは、イシ(石)+タフ(塔)+ヤ(間投助詞)のことを言っていて、常夜灯の灯台に当たる。潮風に当たっても保たれるように石製で作られた。海人のメッセンジャーは、その灯台を頼りにしながら伝達していった。当然ながら文字はないから、すべてを暗記してその暗記した言葉を伝えた。早く行けば行くほど忘れることなく正しく伝えられる。夜通し航海を続けるほどに迅速に進んで、確かな情報を、一言半句誤らずに伝える人であると表わすために、イシタフヤアマハセヅカヒという句がおまじないの言葉のように被さっている。
鞆の浦の灯篭燈(とうろどう)(江戸時代、「鞆の浦ナビ」様http://tomomachi.jp/sightseeing/2011/05/post-4.html#!prettyPhoto[photo]/0/)
 記2・3歌謡に、いま言ったことが聞いたことと同じで、まさしく当該のことであると形容するために、「石塔や 海人馳使 事の語り言」なる句が第一義的にはある。そのうえ、「語り言」と断っている。カタルという語は、「出来事・事件・行為の一部始終を言葉にすること」(大野1968.580頁)(注7)であるから、事柄の要約として正しいといったレベルではない。逐一言葉にして表わしてしまう棒暗記の達人の言があるとするなら、それに限りなく近いと主張することとなっている。もちろん、歌っているのは八千矛神であり、応答する沼河日売である。暗記に長けた無文字時代の伝言人、海人馳使が代弁するのではない(注8)。ふつうの人が覚えてきたとおりに一生懸命に歌う歌の文句について、ちっとも間違っていないと言い張りたいから、「石塔や 海人馳使」と頭に冠している。長々と歌ってきたことが“正しい”伝達であると訴えんとしている。記3・4番歌の言葉に単音節のコやモが選ばれて、自己完結的、自己循環的な言いっぷりになっている。上代歌謡の特徴を示す好例といえる。
(つづく)

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