文化の日を明治の日とする動きが稲田元防衛大臣らの所属する団体が進めているらしい。おおよその見当では、外来文化を吸収し、富国強兵のもとに栄えた神国日本を意図していると思われる。では個別具体的に見ていくと、先ず、外来文化を吸収するとは、現国会で取り上げられている外国人雇用拡大がこれに当たると思われる。外国人雇用と言えば聞こえは良いが、所謂低コストの労働力を確保することだろう。明治に行われた徴用工制度に等しいと考えた方が妥当だろう。次に富国強兵であるが、これは憲法改正に伴う憲法9条に自衛隊を加えるものである。自衛隊を加えるだけじゃないかと思われるが、内閣総理大臣の統括指揮のもと自衛隊を銘記すれば、時の総理大臣の恣意的な命令でいかようにも動かせることができるようになり、歯止めが利かなくなる恐れが多分にある。神国日本は天皇を長とするものであり、来年の新たな天皇になることで、天皇を担ぎ上げて日本の最高指揮官とし、内閣総理大臣の助言によりすべての政務を行うというものである。法律は天皇の名のもとになし崩し的に変更可能となり、結局時の内閣が恣意的にと天皇を利用でいることになる。
来年の元号はおそらく明治の一文字が使われることになろう。
これが実現するとどうなるか。答えは歴史がすでに示していることであろう。先の大戦が誰がどのように起こしたか、その結果どうなったかを見ればすぐにわかる。
ところで、一体だれがこのようなことを望んでいるかであるが、靖国神社を毎年参拝している議員団が挙げられる。彼らは、単に使命感で参拝しているわけではないはずである。然るに、永久戦犯とされた子孫にあたる議員がこれらを推進していると考えろのが妥当であろう。庶民は何も知らずに元将校らの恨みを晴らすために使われることになる。しかし、戦争で庶民は赤紙で強制的に軍隊に招聘され非国民の家族を犠牲にされた深い傷を負った。同じことが繰り返されても良いのか。考えてる時間や議論などは不要である。これに同意してしまえば庶民は愚かとしか言いいようがない。