自由民主党、立憲民主党、国民民主党と民主と名の付く政党が多いが何故だろうか?
民主という名をつければ民主主義を強調し、国民のための政治をやってますよと言いたいのだろう。国民の間でも、選挙で選ばれた議員が集まって議論し、多数決で決められたのだから民主主義国家なのだろうと思っているだろう。では、地方自治体は何故、住民が首長たる知事をリコールできるのか。それは、住民の生活に直結する行政の長を住民が監視するためである。では、国会議員は何故リコールできないのか。それは、議員が各議員が国民の代表者であり、国会が行政を監視する機能を果たすことが約束されているからである。果たしてそうなっているだろうか?否である。そもそも、民主主義そのものの認識が間違っている。
民主主義と対立するしくみは国家主義である。国家主義とは、国家がすべてを支配し、国家の決めたことに国民は従がわなければならないというものである。王政の時代は国家主義に支配され、国民は国家に抑圧され、国家は腐敗しきっていた。
そこで、国民が自ら決起し、国家と戦って勝ち取ったのが民主主義である。いくら選挙で選ばれたものが、議会で多数決で行ったとしても、国家が暴走し、無謀な法律を作り上げ、強制的に従わなければならないのであれば、国家主義と同じことになる。
米国では、囚人ですら権利を主張し、ストライキを行う。国家の不当な行為には、民衆自らが声を上げ、反旗を翻すことが認められる。果たして、現状はどうであろうか。国会会期中だけ、デモやら抗議行動を起こすが、国会が閉じれば何も問題が解決されていないのに、民衆も野党議員も何もなかったかのように静かになる。これでは、まともな民主主義とは言えない。国家の好き勝手になるのは当然である。本当に民主国家を目指すならば、国会が開いていようと閉じていようと関係なく問題が解決されるまでとことんボイコットするのが当然であろう。
ただ単に、集会を開き声を挙げても、辞めてしまってはそれを認めたのと同じことになる。一体、あの騒ぎは何だったのかということになるだけであり、エネルギーの無駄である。
残念ながら、今の国家は民主主義ではない。国家主義である。国家が決めたことだから仕方がないと諦めるのなら、何もしないことと同じ。次の選挙まで待つしかないのであれば、待っても何も変わらなければ受け入れざる負えないのか。その間に国家が暴走したらその時はもう手遅れになる。
果たして、数年後には無事でいられるか。マスコミもメディアもバラエティしか流さなくなり、臭い者には蓋がされ、目には見えないように巧妙に数字が誤魔化され、美辞麗句に踊らされる。
国家主義とはそのようなものである。
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茶番だ。