ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

アイダナさん第1位に:第22回日本語による世界平和弁論大会

2011-11-17 08:38:04 | Weblog
アイダナさん第1位に:第22回日本語による世界平和弁論大会
国際平和の集い プログラム
主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター
日時:2011年11月13日(日)
場所:広鳥工業大学広島校舎
開会の挨拶 理事長 鶴 衛

第1部 第22回日本語による世界平和弁論大会10時00分~11時00分5Fホール
1 世界平和 王澤超(オウタクチョウ)(中国) IGL健康福祉専門学校
2 広島で気付いた私の幸せ トゥッティ・ウーシパースト(フィンランド) 山陽女学園高等部
3 世界の平和と私 チャン・ハンソル(韓国) 美鈴が丘高校
4 しあわせをあげる チュティガーン・ジェーントゥラグーンロート(タイ) 広島女学院高校
5 私の心の中の世界平和 隋暁斐(ズイギョウヒ)(中国) 広島工業大学
6 広島に来て思ったこと ジョシュア・コレー・ワッツ(オーストラリァ) 広島県瀬戸内高枝
7 今、平和を考えることが~ アシクパエワ・アイダナ(カザフスタン) 山陽女学園高等部
8 ノーベル平和賞 グロ・ペトゥニア・ティレセン・スパゴル(ノルウエー) 広島国際学院高校
9 広島、優しいところ 魂萱(ギケン)(中国) 舟入高校
10 日本に来て感じたこと モハメド・サイード・パヒャ(マレーシア) 賀茂高校
11 平和について ツォルモンバータル・タミル(モンゴル) 比治山大学
12 歴史を通じて平和 アルダパ・カトリナ(フィりツピン) 山陽女学園高等部
13 兵器の代わりにバラを アンナ・マーティンセン・オルソポル(ノルゥェー) 安芸府中高枝
14 世界平和について曹恩鳳(ソウオンホウ)(中国) 広島工業大学

第2部 第23回谷本清平和賞贈呈式11碕10分~11時50分5Fホール
受賞者紹介 理事 谷本健
表彰状・平和の牌・副賞授与 理事長 鶴 衛
花束贈呈 理亭 近藤紘子
受賞者 謝辞 坪井 直氏

第3部弁論大会表彰式12時00分~12時20分5'Fホール
容査委員長講評 理事 大濱好且
容査結果発表:賞状・最優秀賞楯・副賞授与 理事長 鶴 衛

第4部 懇親・交流会12時30分~13時30分2Fホール
乾杯の辞 理事 谷本健
閉会の挨拶 理事 大濱好且
【坪井直さんにザマナイを進呈】

発表原稿「今、平和を考えることが、次の世代に平和をもたらす」

 初めまして、私はアイダナです。カザフスタンのセメイから来ました。セメイの昔の名前はセミパラチンスクです。今、山陽女学園高等部の2年生です。これは私の国の国旗です。
 
日本に来るのは、私の子どものころからの夢でした。私が日本に行きたがっていることを知った両親は、佐々木禎子さんの話や広島と長崎の悲劇についても話してくれました。その時私は、広島と長崎はセメイに似ていると感じました。
 1949年から1989年まで40年間、セメイの人々はセミパラチンスクの核実験に苦しんでいました。
 セメイには佐々木禎子さんと同じ子どもたちがたくさんいました。そんな子供の一人は私の伯母さんでした。アルフィア(Alfiya)伯母さんは、私の母のお姉さんでした。1962年にチャロバイという田舎に生まれました。チャロバイはセメイから約150キロ離れています。そこの住民は、セミパラチンスクの核実験場で、もう10年以上核実験が行われていることを知りませんでした。
 伯母さんは元気いっぱいな子どもでした。でも、10才の時、突然発作が起こりました。田舎の先生は発作の理由がわかりませんでした。両親は彼女をセミパラチンスクの病院につれて行きました。そこで診断を下されました。白血病でした。「何の病気?どうして彼女は病気になったのかしら?今まで家族のみんなは元気だったのに...」と両親は思いました。先生に核実験のせいですと言われました。伯母さんは入院させられました。病院で彼女は、自分と同じ病気になったたくさんの子どもたちと会いました。
 母から伯母さんは本を読むことが好きで、学校では優等生だったと聞きました。病気になったころから、彼女に医師になりたいという夢ができました。病気で苦しむ人々を助けたかったからです。
 でも病気のせいで、伯母さんはほとんどの時間を病院で過ごしました。彼女は16才になりました。高校での最終学年です。また一年、医師になる夢の実現が近づいてきました。伯母さんは卒業式の準備をしました。かわいいドレスと靴を買いました。でも、6月の20日に最後の発作が起きました。私の伯母さんの心臓は、それにたえられませんでした。彼女のかわいい服は着られないままでした。彼女の大学で医学を勉強するという夢はかないませんでした。
 私の母と伯母さんは、とても仲良しでした。二人はよく未来のことや平和について話をしたそうです。そんな恐ろしい病気になっても、伯母さんは平和な世界を信じ続けていました。
 これは私の家族の佐々木禎子さんの話です。もし病気になったのが伯母さんではなくて私の母だったら、私は生まれていませんでした。
 
今、福島の人々のことを思う時、悲しくなります。原発事故の結果として、たくさんの人々が病気になるかもしれません。一番恐ろしいことは放射線が次の世代に影響することです。今の世代は核兵器や核実験によってもたらされる悲劇を忘れていけません。ずっと覚えておいて、次の世代に伝えなければなりません。
 カザフスタンでは、20年前に核実験は廃止されました。オルジャス・スメレノフ(oljyas
Suleimenov )さんの呼びかけで、核実験の廃絶を訴えるネバダ・セミパラチンスク運動がつくられました。この活動に賛同した人々の抗議活動が始まりました。セメイの近くで働く13万人以上の坑夫たちもデモ行進に参加しました。この抗議運動は各地に広がり、規模はだんだん大きくなりました。そしてついに核実験をやめさせることが出来ました。カザフスタンで出来た事が他の国で出来ない事はありません。私は将来国と国のかけ橋になる仕事をしたいと思います。そしてふつうの人々の力で核実験をやめさせる事が出来たカザフスタンの事を知らせたいと思います。
 未来は私たちに掛っています。今、国を越えて平和を訴える事が、次の世代の安全を守ると思います。





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