いつか何処かで

今日の散歩道

No.345 元気だぁ!

2013年01月31日 15時42分40秒 | 日記

1月31日

今朝、日の出前に携帯がなった

「すわっ!何事だ!

と、携帯に飛びついたら

なんと、元気なの?よかった・・・だと・・・

ブログが書き込んで無いから、どうにかなっちゃったのかしら・・・

と、心配の電話だと言うのだ

ありがたいことだ・・・

 

今日は久々の好天気の予報に踊らされ

待ちに待った、裏磐梯を歩く日である

と言っても、一人で決めて一人で行くわけだから

別にどうってことないのだが

久しぶりなので、いつになく手間取っておろおろしていたので

余計に電話に驚いたらしい

 

まずは「桧原湖の朝」

テントは旬のワカサギ釣り

 

次は、本命の磐梯山を従えた「風紋」

 

そして強い助っ人

これで今日も3,000歩、歩いてきました

潜らない、滑らない・・・頼りになります。

 

のんびりしたかったのに、今度はメール・・・

「10時半頃、遊びに行きます」

駄目だよ、午後にして!!!

と言いつつ、次のポイントへ

(絵は次回のお楽しみ)

 

早々に切り上げて帰ってきました

それにしても、今日は汗だく・・・

このまま春だといいな・・・


No.343 レオ来る

2013年01月12日 20時10分19秒 | 日記

2013年1月12日

今日は下の叔父の49日

朝のうちに墓参りを済ませ、郡山の病院へ向った

田村は曇り空だったのに郡山は青空だもんね

午後から可愛い訪問者が来んですよ!

なんて、用事が済んだ帰り道

るんるん気分で49線を東に走っていると

前方に白い雲が横に繋がっているではないか?

まったく偶然だよ、これって「ロール雲」でねぇかい

あの伝説の・・・モーニング・グローリーか?

2013.1.12 11:30頃 郡山市(GzOne携帯)

 

こんな時に限って、カメラが無いんだよなぁ・・・

ロール・ケーキのような長い雲が

三春から須賀川まで一直線だよ

10km以上あんない・・・

旧「N通信」の前まで来たら、待ちきれず

阿武隈川の堤防に駆け上がって見たものの

どうしても記録に残さなければと

思いついたのが携帯なんだけど

使いなれて無いから、ブレブレのブレちゃん

そして電線の無い高台を探して走った所が

郡山の花見山でした 感動ものです

ここから東にちょっと走ると、もう見えません

真昼の夢 でした

 

 

感動の渦の中でPCに取り込んでいるところへ

オレタチレオタチ?が・・・

すっかり成長して なんと可愛いこと

一眼レフ持っていんだかんない

出たばかりの Kiss X6

レオ君

しゅんた君 -1-

しゅんた君 -2-

兄弟

 

なんや、なついてしまって、孫のようです

目がいいない!

すっかり遊んでもらって、眠気が吹っ飛びました

2時間ほどで帰りましたが 途端に睡魔が襲来

今朝、起き出したの2時半なんですよ!

 

今日は、とってもいい日でした


No.342 夜明け

2013年01月05日 04時15分56秒 | 日記

平成25年1月5日

年明け早々、お葬式のお話

一人は我が家を建ててくれた棟梁の爺ちゃんが

暮れの30日に旅立って明日告別式

そして、隣組のYさんが年明け早々に旅立って8日の告別式

共に82歳

棟梁の爺ちゃんは何の係わりもないが

隣組のYさんについては無縁とは言えない

一回りちょっとの歳の差だから

おじさんが社会に飛び込んだ17の頃は30代で

地域のパイオニア的立場だったなぁ

Yさんの親父さんが町内でも名の通った人だから

見えない苦労はあったのかもしれないが、いつも穏やかな話し方だった

一ヶ月前の叔父の通夜は歩いて焼香に来てくれたので

誰もが知らせに驚いた

 

あの頃は、農業近代化、農業構造改善、集団就職、金の卵

所得倍増論、日本列島改造論など

高度成長時代のとんぼ口で

田舎にも夢と希望が飛び跳ねていたし

家々の家長制度がしっかりしていたから

学校のいじめとか自殺など無かった

多少曲がった話でも、目上の人は絶対的な威厳があった

 

洞の行事に出る度に

いろいろ教えてくれたYさんの優しさが嬉しかったない

頑固爺がそっちにも、こっちにもいたんだぞい

1960年代の話だから、眠たくなるかい?

 

まっ、今年も科学技術の発展は大賛成

しかし 心の絆は大事にない

そんな夜明けに なってほしいない