いつか何処かで

今日の散歩道

逝くひと

2010年01月23日 08時54分11秒 | 日記

敗戦色濃い、昭和19年の夏の終わりに
「赤紙」がきました

その出征前日、慌しい婚礼がありました
たった一夜の契り・・・

翌日、日の丸と軍歌と歓喜に送られて
それはそれは、立派な出征だったそうです


間もなくして、戦死の知らせが届きました
花嫁さんは、やむなく実家に戻り
男児がうまれました

しばらくして、良縁に恵まれ
子どもを実家に残し、再婚しました
先妻の子も、自分の子も立派に育てました

あの日からずうっと
春の彼岸、お盆、秋の彼岸と
年に三度の墓参りは、かかしませんでした
その人の名を 「オアキさん」 と呼んでいました
子ども心に
「自転車で来るオアキさん」は 偉いとおもいました
毎年、必ず来るからです

こんなにも
切なく、やるせない、過去があったことなど
知る由もありません
知ったのは、父と母の死後のことです
思うほどに
悔やまれて、胸がつまります

その「オアキさん」は、今年から来ません
二日前、二人の夫の元へ旅たちました
享年 91歳

戦争に翻弄された人生が
またひとつ、消えていきます


父の代に納めた位牌があります

昭和19年10月4日
硫黄島ニ於イテ戦死
陸軍兵長 叶 清十郎 
行年 28歳

合掌・・・


Ps:名前は仮名です。






冬の想い出-その2-

2010年01月15日 04時38分52秒 | 日記

9つの冬


「寒くね?」と聞けば

「わけね・・・」といい

「ぬぐいべ?」といえば

「ん・・・ぬぐい・・・」という


納屋の 藁しびの中にもぐり 顔だけだす

おかっぱあたまの ミヨちゃんは 目をほそめる

動くと ガサコソ と 音がする


ただ こうしていると

何もかも忘れて 

夢の世界が 広がるような

暖かい ほぁ~とした 気持ちになった


薄日差す 昼下がりの午後


ここが 隠れ家

9つの 冬





冬の想い出-その1-

2010年01月12日 05時09分20秒 | 日記

かさどり

 小さい頃、正月と言えば「旧正月」でした。

旧正月の頃に、大分前に消滅した「かさどり」または「かさおどり」と言う行事がありました。
年取りの夜(大晦日)だったと思います。
餅を入れたザルを、よその家の玄関に置いて、トントンと戸を叩きます。
すると、代わりにみかんとか手ぬぐい、餅、家によってはお金を入れて戻します。

それを、見つからないように持ち帰る行事です。
見つかると、水をかけられてしまうと教えられていました。
ごく限られた家では、見張っていて水をかけたり、怒鳴ったりします。
見つからないように、素早く逃げ帰るわけです。

一軒ごとに家に戻り、水をかけられなかったことの報告と、ザルの中を見せます。
「誰げでは白餅だわ。今度は誰々どんげさいってこ」などと言われ、組中を回りました。

白餅って、今では死語です。わかりますか?普通の餅です。
それとは別に、粉餅と言うのがありました。
当時大部分の家では粉餅でしたが、ごく一部の裕福な家では白餅があったのです。

それと成人式の人とか厄年の人は、その旨、紙に書いて入れます。
「二十歳男」とか「四拾二男」
すると、お祝いとして気を張った、お返しをするのが慣わしでした。
一緒に回りながら、羨ましく思ったものです。
子どもどうしで「あそこではえんぴつだと!行ってくっぺ」などと情報交換。

・・・こうして、10時頃まで、月明かりの夜道を歩き回った記憶があります・・・

       



 

温泉

2010年01月10日 07時49分23秒 | 日記
 一昨日の朝早く携帯が鳴りました。
いつもだと8時前に携帯は鳴りません。
この時期のこの時間帯は家でのんびりしているので
固定で用が足りるのです。
何事かとびっくりして出てみると「湯入りに行くべ」とのこと。
何しろ暇ですから断る理由など無く
即、話が纏まりましたが行き先だけが決まりません。
とりあえずコーヒーを入れて待ってるからと電話を切りました。

 ほどなく男の二人連れがやってきて、場所の詮議です。
いつもはすべすべ美人の湯なのですが
今回は昨年の暮れに全国版テレビでやっていた「弘法不動の湯」に行ってみることにしました。
昨夜の雪が融け切らないのでかなり滑るので
山へ行きたくない気持ちが強かったし
距離的にも丁度良い場所で、あそこにそんなものあったっけ?と言うのが決め手。
 
 東北道鏡石Pの近くで、見落としそうな小さな設備ですが
その湯はPH9.21の強アルカリ泉で、これは日本一だと能書きがあります。
褐色の湯は温く源泉かけ流しで飲用可。飲んでみると少し変な味(苦味?)がします。
なかなかいいじゃん!!と言うのが大方の感想なのですが
個室なし食事は出前、宿泊不可と設備はなにもありません。
ただ入るだけです。でも、今(1月10日朝)でも手足はすべすべしています。
私的には二重丸です。ハイ。

 お昼は49号からちょっと入ったところで、蕎麦をいただいて帰りました。

 こちらの方へお出かけの折は、試してみてください。美人の湯ですよ。
ぽっきり 500円 !!
鏡石PはETC専用の出入り口があり、100m以内です。

病院

2010年01月07日 04時51分11秒 | 日記
 昨日、30Kmほど離れた町の病院まで運転手を頼まれ、冷たい風の中出かけました。朝、7時40分です。

 この病院、最近増築が終わり中も外も随分様変わりして、特に中は迷路です。
これまで何回か行っているのに、またまた迷子になり通りがかりの人に尋ねたり、はたまた、うろうろしていて不審者と思われたのか、「どちらへ・・・?」などと丁寧に尋問される始末で、トイレに行くのも不便な、ありがたくない病院です。
物覚えが悪いからと言い聞かせてはみたものの、周りを見渡すと似たような素振りの人がいるので、あながちおじさん一人だけが悪いのでもなさそうだ。

 こうなると好奇心が頭を持ち上げて、本を読みながら人物の観察。
女医さんが多いのでちょっと見はいいのだけど、よく見ると若くないみたい。
会釈はするけれども親しみは感じられません。なんでかなぁ・・・

 外来に来ている人の多くは女性で、男は2割から3割位と少なく、
付き添いと思われる人は齢の具合から見て、大半が母親もしくは娘かな?
男は少ないので注目の的。
何とも変な視線を感じでいたたまれず、逃げ出して車の中で一眠りです。

 丁度頃良く行ってみると、検査が終わって結果の説明がありました。
なんと脳梗塞の始まりだそうで、即、入院です。
脳外科の医師は男性で、初期の脳梗塞を白く映し出す技術の説明を三度も説明しくれました。
点滴で血流を良くして対応するとのことで、カテーテル等の外科的手法はしないでも良いとの話を聞いて、当人もそのおくさんもおじさんたちも一安心です。

 帰宅は午後5時。
若いおくさんは自宅に帰り、入院に必要なものをまとめもう一度行くと言ってましたが、おじさんは疲れてこたつに寝てしまいました。齢です・・・。




Gooブログ開設

2010年01月04日 07時37分55秒 | 日記



あけましておめでとうございます

年の始めにやっと、でられました。よろしくで~す

今年の正月は例年に無く寒く、家の中で縮こまってます。

春よこい!!!

赤いはなおの・・・そんなきもちで

春をまっています