いつか何処かで

今日の散歩道

No.227 いつか ある日

2011年03月27日 06時55分30秒 | 日記

3月27日

 今日は大字の総会がある日
朝から穏やかで、なんともないような、そんな一日の始まりだ

ようやく復興の兆しが見え始めたが、原発は日増しに悪化している
状況が見えるほどに、ことの重大さがわかってくるきたのか
報道が慎重になってきた

もしかしたら、ここに留まることは危ないのかもしれない
だけど、飛び出した人が戻ってきたのだ
一人じゃない、何家族も・・・
これって、なんなんだ?
危ないのはこれからにのに・・・

慣れない避難生活に耐えられないとでも言うのか?
それとも何?
比較的裕福そうに見える人たちなのに・・・

そんな時に「いつかある日」と巡りあった
原作 ロジォ・デュプロ
訳詩 深田久弥
作曲 南郷 孝
歌  TOSNA
-HP動画参照-

いつか ある日
なにごとも なかったように
いつもの生活ができることを祈って・・・


No.226 近況報告

2011年03月21日 17時53分00秒 | 日記
3月21日

 彼岸の中日・・・
小雨の降る中、墓参り・・・では、ありません。
墓参りは昨日のあさざ(朝食前の一仕事のこと)に済ませて、愛車CR-Vの給油です。
郡山まで行って駄目で、帰りに春山のスタンドで1時間半も並んで、3千円分入れてきました。
久しぶりの満タンです!
ガソリンが満タンになったら、気持ちも大らかだこと・・・

 一昨日の夜、90を越えた叔父が救急車で運ばれました。
付き添いが一人乗り込みますが、その他の家族が乗る車に燃料が無いのです。
勿論、おじさんも行けません。悲しいねぇ・・・
翌日、やりくりして行ってみると、28度の体温が徐々に回復してきたそうで
午後には他の病院に移ると言うのだ。
その生命力に脱帽です。そして今日、付き添い不要だって。
転寝をしていると、従兄弟が来て経過報告。

 何だか、わかんないうちに日が暮れたよう・・・

 おかんが帰ってきて、仕事を抜け出してガソリンを入れたと・・・
何と、地元のスタンドがやったと言うではないか!
俺は、くたびれ損なのだぁ・・・

 あと3日もすれば、ことは解決しそうな感じがする。
これもまずは一安心。残るは原発・・・
こいつは着地点が難しいぞ!
かんちゃん頑張って・・・などと、言ってていいのかなぁ
国民は何をすればいいのか、誰かわかりませんか?


 

 

No.225 屋内退避生活

2011年03月16日 14時52分09秒 | 日記
3月16日

 今日も頑張って、情報収集で~す。
とは言っても、専門知識があって対策などに役立つものではありません。
不安だから・・・ただそれだけ・・・です。

いろんな方から心配メールや、励ましの電話をいただいて思うのは、
・・・人間は心だない・・・
望みの糸を辛うじてつないでいる時、何度目頭が潤んだことか・・・
男だから、家長だから無理に笑っていますが、 本当は一時も早く、楽になりたい。
・・・遠くに行きたい・・・
だけどガソリンが無いし、生活必需品はスーパーは締まっていて駄目。
食料が買えないのでは、出られません。
辿り着くまでに、人も車もガスケツだなんて
この飽食の時代に、あまりにも惨めです。


 今、家にあるものを食いつなぐことしか、選択肢が無いんです。
同じ内容のTVを見るのに飽きたら、昼寝・・・
おかんの寝顔を見ても、今更・・・だない。

 そんな時、電話が・・・
ガソリンがある!とのこと。
裏道を教わり、すんなり10リッター獲得!
帰宅間もなく、電話の主が隣の町で食料を仕入れて来た。
屋内退避30Kmをクリアーすると、いくらでもあるそうだ。
なんとも、やりきれない・・・

と、娘から電話・・・
「まだ、そっちにいんの?大丈夫なんだべか?」
・・・いよいよになったら頼むぞい・・・

 間もなく帳が下りようとしています。
・・・今夜は寒そう・・・







号外! 原発の情報恐怖

2011年03月15日 16時45分56秒 | 日記

3月15日  16:47

 福島第一原発の状況がやっと理解できて、胸を撫で下ろしました。
原発から35Km地点の、次期危険範囲住人としては、TVの報道に右往左往・・・
地震の後片付けも終わらないのに、心臓に悪いこと、悪いこと。


今日の朝の報道で、
「400ミリ・シーベルトを観測したので、第一原発から半径~20kmは避難指示
半径20km~30kmのは屋内待機」の指示が出た。
この官房長官の報道と、それを解説するTV報道に、居合わせた友人達は勿論
おじさんも驚愕し、笑って死ぬことを真顔で話し合った。
なにしろ、単位が今までより1,000倍も高い、μからmになったからだ。

・・・こりゃ、ほんとに死ぬのか???

400ミリ・シーベルトは死につながるレベルだ。
と、TVの偉い人が解説している・・・。
形ばかりの昼食をとって、彼らも帰った。

 意を決して、避難先の確認をした。
知人、友人、そして最終的には、娘の所、猪苗代に逃げるべ・・・
そのことを兄弟、従兄弟、叔父叔母に連絡したけれども
いつ戻ってこれるか解らない旅立ちと思うと、そうやすやすと行動に移れなかった。
車の燃料を確かめてから、気を落ち付かせるために、お茶を飲むことにした。

 折りよく、TVのSWを入れると丁度、総理と官房長官のコメントが流れてきた。
この中に「400ミリ・シーベルト」の言葉は無くて、500数10マイクロ・シーベルト
と云々。なんだそれ・・・?

 400ミリ・シーベルトは「瞬間最大値」だそうな・・・
そう、言ってくれよ・・・
ちなみに、今日の福島県の観測値は福島0.05μシーベルト白河4.3μシーベルトで
風下の白河が最も高くて23.7μシーベルトだったとのテロップが流れた。
なんでぃ~まだまだ大丈夫だべ・・・

・・・やれやれ、人騒がせなことだ・・・


 今回の事故での報道には疑問がある。
まず、発表者のレベルが低すぎる。
国民(おじさんのこと)が聞いて解らないのだ。
正しい日本語で話してくれよ!意味が通じない報告は、いたずらに不安を煽るだけであるし、
良く内容を知っている人が言うべきで、肩書きで言うものではない。
原子力安全保安院?何だあれ?聞いていて、苛立った!
もっと、適任者は居ないのか?税金泥棒め!
東電も東電だ。あの程度のものに、原発を任せていたと思うと胃が痛い。
もっともこれは、東電にだけ任せること自体間違いだよ、菅ちゃん。
設計したもの、作ったもの、運営管理するものが状況を把握して、誰が何をどうするか?
国力を結集して対処しなくちゃ!
そして、ここには原発が10機あることを前提に、人、物等の対応をすべきである。

・・・燃料切れで冷却ポンプが停止しました・・・これは、ひどすぎるべ・・・


 今回の事故対策本部は、日本の最高技術者と科学技術を結集し、それに権力者と実行部隊とを
整えて、現場に密着してリアルタイムに事にあたることが基本だと思う。
だって、未曾有の地震と津波によって起こった、初めての原子力発電所の事故なんだから・・・

で、精一杯やって駄目だったなら、諦めもつきます。だけども、これじゃ死ねないぞ!

と、言いながらも、現場で命を懸けている人たちに、エールをおくります。

・・・あなた達は、今生の仏様です・・・

こんな時、世の国会議員の先生様は、何やっていんのかなぁ?
(やること無いならボランティアやってみたらどう?屋根の瓦直し、いっぺある~)


 今、TVで盛んに、放射能のレベルが命に別状無いことを繰り返しています。

 新潟まで避難したり、親に黙って何処かへ避難した一家もあります。


 この始末、誰が取るのでしょうか?      
 だ~れも いないよねぇ・・・

 ぎりぎりまで粘るつもりです。  生まれた故郷だから・・・  亮  



追記
  今、東電の会見が放映されて、解り易い納得できる内容だった。
  人の命が託されているのだから、このようにしっかりと応えてほしい。
  次回に期待したい。

  2011.3.15  21:30 by ryo









No.224 元気です!

2011年03月14日 05時34分27秒 | 日記

3月14日 5:00

 光回線復旧!!!
固定電話&インターネットが、やっとOK!
携帯は受信のみ可、発信はできません
(メールはOK)

地震、怖かった!
屋根の棟瓦が崩れました
瓦屋根はほとんどの家が被害をうけ
手の施しようが無い状態です
幸いなことに、我が家はご覧の通り
ほんの軽微な被害で済みました


修復してくれたみなさん、ありがとうございます
報道カメラマン???  亮




室内は落下倒伏で散乱、足の踏み場無し


これらは各自
3.12~13でほぼ回復しました
電気は正常でTVと防災無線にて
情報が伝わってきます
水は水道、井戸ともに濁ってます
スーパー等の食料品売り切れ
ガソリンは売り切れ状態
震度"6"の恐怖は文字で表せません
更に、原発の恐怖が今も続いてます

原発から直線距離で35km
避難準備をして、2夜を明かしました
退避命令10km範囲の人が公共施設に来てます
これから20km範囲の人が来るとか・・・
原発の早期冷却、安定化を只管祈るばかりです


原発は要らない・・・と、思います
これまでの報道経過を見て
・・・まだまだ、使いこなせてない・・・
と、言うのがその理由です

穏やかな朝日が昇り始めました

No.223  回 想

2011年03月10日 09時14分59秒 | 日記

3月10日

春だと言うのに 寒いこと・・・
連日、小雪が舞い散っている

同窓会のDVDの礼状や電話があって
中学時代の思い出に 慕っていると
おかんが又もや 古い写真を出してきた

これをDVDに纏めろと 言わんばかり・・・
見るほどに 懐かし~い

成人式のアルバムの中に
ぎょっ、ぎょっぎょ!
これは!
無いと思っていた
胸に秘めた 無垢な思い出の
あの時の写真が・・・2枚も・・・
なんでここに・・・

これ、おかんが持っていたのか?
やれやれ、何としたことか・・・

自分で撮った写真だから
構図も光の当たり具合も
全部覚えている・・・
何てったって隣のひろちゃんに借りた
ミノルタ SR-7
1眼レフだったから・・・


この時のおじさん、19の夏!






その頃は18で大型免許がとれたので
待望のダンプやブルに乗って
列島改造計画に汗してました



左側が、おじさんのブル
後ろの山は、大滝根山
あれから、43年???
数え切れません

これを足がかりに
翌年、神奈川の相模原で運転手
横浜、八王子、府中、町田・・・
大都会の周りを走ってきました
遊びが度を越し、落第したのもこの年

呼び戻されて、地元でダンプの運転手
運転手しながら、当時最先端の
テレビの理論講座受講
そして、電子技術に目覚め
某大手会社に転職と同時に結婚
面接日の夜が、仕組まれたお見合いでした
・・・23の正月・・・

以降、34年間 
おじさんの我がまま、気侭
最先端の電子技術分野に籍を置かせてくれた
おかんと家族に乾杯です
何しろ「単身赴任」30年
愛妻弁当は4年しか食って無いんだから・・・

今思うと、高度成長期に合わせて
青春を駆け上がったことは、大変幸せなことでした

夢と希望があって
やればできる時代に、居合わせたことに
今、感謝しています




No.222 卒業

2011年03月05日 18時59分31秒 | 日記
3月5日

総会の準備で戸棚の整理をしていたら
古いアルバムが目に付いた

お茶を飲みながら開いてみると
「青春」どころか戦中まで遡り
一服のつもりが、2時間もつっかかってしまった

あの、密封したはずの「青春」の
あの写真があるではないか・・・


1枚目は目頭が潤む
どんな歳を重ねたのか



新年会のようだが、朦朧としている

俺は負けない、何でもできる!
夢と野望に満ちて、怖いもの無!
そんな「顔」だ


2枚目はNHK学園の卒業式
何とギターを持ち出し、人前で歌ったのだ
何度も間違えて 下手くそな・・・
今思い出しても ぞっとする



1年落第した悔しさ
一緒に卒業したかった・・・


今年も卒業の季節が来た
どんな卒業であっても
それは「通過点」にすぎない・・・と、思う

1年遅れた悔しさが
後の頑張りにつながった・・・と思っている