わからない

葉もない… 花も実もない…

めーちゃんを散歩させながら

よかった


今晩は、なんとか関係を修復し
疲れた…

葉もない… 花も実もない…
そんな木を見て…
親としての自信も…経験も
今ではすっかり無くなった…
私のようだと思いました。
☆。.:*・゜
体調の悪いオトは、マイナス発言が多いです。
小さな事でなかなか立ち直れない。
上手くいかないことがあれば、たちまち体調不良を悪化させ
何かのせいにして上手くできないことを誤魔化したり。
トゲのあるような言い方をして暗に私を責めています。
私からしたら、わがままに見えてきて
『なんとかしなきゃ』というセンサーが働いてしまい、私までイライラしてしまう悪循環です。
変な事を言ってしまうぐらいなら
むしろ何にも言わない方がいいと思って耐え忍んでいましたが、
黙って耐えるにも耐えきれず、
今日はついに「もういい!」と怒りに突き放してしまう瞬間がありました。
外に出て、散歩して…
『自分の機嫌は自分でとる』
そう自分に言い聞かせながら歩き、
歩きながらふと枯れ木が目に入ったんです。
私の心のよう…
そう思ってすぐ…
“オトかもしれない“とも思いました。
オトはやっぱりまだまだ自分に自信がないんです。
私はずっと褒めて育ててたんですが、自信がつくどころか虚栄心ばかりが育ってしまったようです。
私が『すごいね』『えらいね』と褒めれば褒めるほど、オトは自分は『すごくてえらい人にならなくてはならない』と思ってしまってたんだと思います。
大きくなるごとに気づく、理想と現実に深く傷つき自己否定をして不登校になったのかもしれません。
現に、オトが体調不良を言う時は単純に体調からの場合もありますが、
自分の能力がそれほどでも無かった時におきるときが多い気がします。
本当は体調なんかじゃない。
自分が他人より“できていない”と感じた時にすごく傷つくんだと思いました。
そして、それは他人と“同等“かもしくは他人より“できている“時は不調にならないことから見えてきました。
“他人が怖い”は
ここから来ているのかもしれません。
枯れた木を見て
私は必死に新芽を見つけようとしました。
街路樹を思い出して見る。
左右に伸びた枝を切られても切られても
丸裸になっても
必ず枝が伸びてきて
綺麗なイチョウの葉を育てるじゃないか。
きっとこの木にも
枝の先には次に芽吹く新芽があるはず。

めーちゃんを散歩させながら
あっちの木
こっちの木を見て
桜の木を見つけて
枝先を見る。

よかった
今は固く閉ざされているけれど
きっと次も咲く。
小さく膨らんだ枝の先。
今から冬を越して咲くんだ。
きっとオトも。
小さな挫折を繰り返して
自分は自分でいいと咲く日が来るはず。

私は冬はじっと待って
春のような暖かさを持たなくちゃね。

今晩は、なんとか関係を修復し
一緒にバターチキンカレーを作りました。
そして、『呪術廻戦』を一緒に見ました。
オトの不機嫌に試されている。
でも、その度にちゃんと許し歩み寄ろう。
春のような暖かい心になるように
オトが私を成長させてくれているのかもしれない。