私は私の人生を送れているだろうか

親と子どもとの真ん中に私

母子関係が不登校の全てではないし、

自分の人生を誰かのせいにしてなかっただろうか…

親と子どもとの真ん中に私
父を見て
あんな風になってはいけない
反面教師だ
そう思って生きてきた
子どもに
あんな大人にならないようにと
『もっと積極的に』『もっと自分から』
『嫌なことも受け入れて』
『人を恨まず人のいいところを見つけて』
そう理想を植え付けます
その真ん中で私は、
だんだんと父に似てきてきます。
子育てをしながらだんだんと父を知る。
『思い通りにならないと怒る』には
『わかってくれなないから真剣に伝える』感情が含まれていて、
一方的なモラハラだと思っていた中には
愛情があるものもあったんだ…
どうしてわかってくれないんだろう、上手くいかないんだろうと子育てにイライラし、怒ってばかりの日々。
そんな怒ってばかりの私はモラハラな『父』そのものではないか。
耳を患ってからは、特に自分の感情には正直になっていく…
めまいが起きるくらないなら、自分の想いを正直に表して、『優しいママにならなくてもいい』と自分を正当化させていたんです…。
ある日
娘は学校に行けなくなりました。
そんな時、
『こんな大人にはなってはいけない』のと
『こんな大人になってほしい』の
フィルムを通してしか我が子を見ていなかった私は
“娘が変わってしまった”
と、そう思ったのでした。

母子関係が不登校の全てではないし、
私の愛情が不足していたわけじゃない。
むしろ、私からの愛情は深かったと思います。
だけど、オトが求めていた愛情では無かったのかもしれない。
愛情はオトの苦手を克服させることに集中し、オトがどうしたいかを見ていないものでした。
そして 苦手を克服するために必要なことに
親の力は必要ないということに気づいていなかった私です。
苦手にぶつかり
落ち込み
動けなくなり
そして自分なりにまた動く
それは誰も代われないし手助けしてはいけないことでした。
私が死んでしまっても
続いていく娘の人生は、娘の力で立ち上がり進んでいかなくてはいけませんから。

今、1番大切な『動けない』時期を過ごしているオト。
動けない時間は自分自身で立ち直る時間だと考え直します。
ママは何度もオトの立ち直る時間を奪っていました。
今度は奪ってはいけない。
オトの人生をオトが歩めるように。