今回は市内のほぼ中心地、広島市中区上幟町に位置する「名勝 縮景園」です。
江戸時代から受け継がれてきた歴史ある大名庭園。
元和6年(1620年)に築成された縮景園は、その後歴代藩主により手を加えられ、ほぼ今日の姿になりました。
途中、江戸時代の大火や原子爆弾により大きな打撃を受けましたが、その都度復旧し、2020年には築庭400年を迎えました。
名勝 縮景園。
清風館。
縮景園を代表する建物として親しまれる数寄屋造りの茶室です。
園内のほぼ中央部に位置しており、周辺に点在するその他の建物は、清風館を基準に配置が決められたと考えられています。
現在見られるのは昭和39年(1964)に復元されたもので、お茶会などのイベント時のみ中に入れます。
御前水井戸。
調馬場跡地。
江戸時代に使用されていた調馬場跡地です。
現在は19種類・114本の梅が立ち並ぶ梅林。
濯纓池。
明月亭(めいげつてい)。
数寄屋造りの茶室です。
屋根は芽葺き、ひさしは柿葺きで一部書院造りの様式を持ちます。
現在見られるのは昭和49年(1974)に復元されたものです。
内部には茶室のほか、控之間・水屋之間・玄関之間が設けられています。
霊迹壇(れいせきだん)。
別名「十王堂」として親しまれるお堂。
約200余年前の天明年間に神田川が氾濫した際、園内に漂着した3体の像のうちの1体を安置する目的で建造されました。
祺福山(きふくざん)。
5代藩主・浅野吉長(よしなが)が、正徳3年(1713)に稲荷神社(泉邸稲荷)を築いた場所。
大銀杏。
昭和20年(1945)8月6日原爆投下後の火災から生き残った木の1本。
幹周約4m、木の高さは約17mで樹齢は推定二百年以上と言われている。
原爆投下により発生した強烈な爆風によって傾いたそうです。
終戦から76年経つ今でもしっかりと生育を続けており、毎年11月中旬から12月初旬には見事な紅葉を見せます。
御腰掛なば石。
看花榻(かんかとう)。
榻(とう)とは「腰掛け」を意味する。
座席はロクロ式に作られているため、360度回転可能です。
現在見られるのは戦後に復元されたもの。
香菜圃(こうさいほ)。
茶畑で、江戸時代には藩内の有名品種が栽培されていたそう。
茶畑は1958年に復元されたもので、毎年5月に催される茶摘茶会に使用されています。
迎暉峰(げいきほう)。
悠々停(ゆうゆうてい)。
対岸から悠々停。
跨虹橋(ここうきょう)。
濯纓池の中央に架かる石造りの太鼓橋で、縮景園のシンボル的な存在として親しまれています。
地上と天上を結ぶ虹のように構築されており、橋が大きく反っているのが特徴。
堅固な造りをしていて、原爆による爆風にも耐えました。
この橋は、7代藩主・浅野重晟(あさの しげあきら)が天明の大改修の際に清水七郎右衛門に造らせたものです。
藩主が完成後の出来栄えに満足しなかったことから、1度築いたものを取り取り壊して再度造り直したと伝えられています。
有年場(ゆうねんじょう)。
江戸時代に藩主が田植えをして、五穀豊穣を祈ったとされる4枚の小水田。
よく見ると、水田として使用されていた部分が窪んでいるのが確認できます。
お恥ずかしいです 💦
ただ只お弁当を持って・・・写真を撮って・・・
と、四季折々に訪れてはいました。
ありがとうございました、お勉強になりましたよ~
もうネタ切れになりそうです。
縮景園は、今夜は休みだとゆう時に、仕事終わった足で撮影に行っていました。
植物公園もね。
天気のいい日に、何も考えずにぶらぶらするのが楽しくてね良く行きました。
シバさん弁当持参ですか、私は一人なので昼には切り上げていました。
植物公園とか動物園はレストランが有るのでそこで。
勉強だなんて、私は暇ですから、下手な写真で申し訳ないです。