旅情 ☆ 花

あの町この町ふるさと便・ぶらりと出掛けた一人カメラ旅

思い出撮影写真(名勝 縮景園)

2024年10月31日 13時46分00秒 | 年寄りのつぶやき

今回は市内のほぼ中心地、広島市中区上幟町に位置する「名勝 縮景園」です。

江戸時代から受け継がれてきた歴史ある大名庭園。

元和6年(1620年)に築成された縮景園は、その後歴代藩主により手を加えられ、ほぼ今日の姿になりました。

途中、江戸時代の大火や原子爆弾により大きな打撃を受けましたが、その都度復旧し、2020年には築庭400年を迎えました。

 

名勝 縮景園。

 

清風館。

縮景園を代表する建物として親しまれる数寄屋造りの茶室です。

園内のほぼ中央部に位置しており、周辺に点在するその他の建物は、清風館を基準に配置が決められたと考えられています。

現在見られるのは昭和39年(1964)に復元されたもので、お茶会などのイベント時のみ中に入れます。

 

 

御前水井戸。

 

調馬場跡地。

江戸時代に使用されていた調馬場跡地です。

現在は19種類・114本の梅が立ち並ぶ梅林。

 

濯纓池。

 

明月亭(めいげつてい)。

数寄屋造りの茶室です。

屋根は芽葺き、ひさしは柿葺きで一部書院造りの様式を持ちます。

現在見られるのは昭和49年(1974)に復元されたものです。

内部には茶室のほか、控之間・水屋之間・玄関之間が設けられています。

 

霊迹壇(れいせきだん)。

別名「十王堂」として親しまれるお堂。

約200余年前の天明年間に神田川が氾濫した際、園内に漂着した3体の像のうちの1体を安置する目的で建造されました。

 

祺福山(きふくざん)。

5代藩主・浅野吉長(よしなが)が、正徳3年(1713)に稲荷神社(泉邸稲荷)を築いた場所。

 

 

大銀杏。

昭和20年(1945)8月6日原爆投下後の火災から生き残った木の1本。

幹周約4m、木の高さは約17mで樹齢は推定二百年以上と言われている。

原爆投下により発生した強烈な爆風によって傾いたそうです。

終戦から76年経つ今でもしっかりと生育を続けており、毎年11月中旬から12月初旬には見事な紅葉を見せます。

 

御腰掛なば石。

 

看花榻(かんかとう)。

榻(とう)とは「腰掛け」を意味する。

座席はロクロ式に作られているため、360度回転可能です。

現在見られるのは戦後に復元されたもの。

 

香菜圃(こうさいほ)。

茶畑で、江戸時代には藩内の有名品種が栽培されていたそう。

茶畑は1958年に復元されたもので、毎年5月に催される茶摘茶会に使用されています。

 

 

迎暉峰(げいきほう)。

 

悠々停(ゆうゆうてい)。

対岸から悠々停。

 

跨虹橋(ここうきょう)。

濯纓池の中央に架かる石造りの太鼓橋で、縮景園のシンボル的な存在として親しまれています。

地上と天上を結ぶ虹のように構築されており、橋が大きく反っているのが特徴。

堅固な造りをしていて、原爆による爆風にも耐えました。

この橋は、7代藩主・浅野重晟(あさの しげあきら)が天明の大改修の際に清水七郎右衛門に造らせたものです。

藩主が完成後の出来栄えに満足しなかったことから、1度築いたものを取り取り壊して再度造り直したと伝えられています。

 

有年場(ゆうねんじょう)。

江戸時代に藩主が田植えをして、五穀豊穣を祈ったとされる4枚の小水田。

よく見ると、水田として使用されていた部分が窪んでいるのが確認できます。

 

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思い出撮影写真(広島県竹原市)。

2024年10月27日 10時48分49秒 | 年寄りのつぶやき

今回も、昔から残る古い町並みを見て回るのが好きで写真に収めています。

今回は、広島県竹原市本町周辺の町並み風景ですが、枚数が可なりあります。

 

平安時代に下鴨神社の荘園となっていた竹原は、安芸の小京都と呼ばれるほどに栄えた町でした。

さらに、江戸時代初期に行われた竹原湾の干拓地に、播州赤穂から入り浜式塩田による製塩業が移入され、元禄時代以降になると、製塩業や酒造業、それに伴う廻船業で、町は栄え続けました。

竹原市本町周辺には、最も古い建物は元禄4年(1691年)に建てられたものがあり、江戸時代から明治・大正・昭和の各時代の建造物が数多く残されています。

棒瓦の屋根と塗り籠め壁、意匠を凝らした様々な格子など、長い年月を経た趣のある街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に認定されています。

 

普明閣(西方寺)。

西方寺本堂横の高台に位置する普明閣は、1758年の建築。

西方寺の地に妙法寺があった頃の本尊である、木造十一面観音立像(県重要文化財)を祀っています。

西方寺は、もとは田中町に在る禅寺で地蔵堂の隣にありました。現在地には、もと禅寺の妙法寺があり、1602年に火災で焼失し、翌年、妙法寺跡のこの地へ移り、浄土宗に改宗しました。

下から写した普明閣(西方寺)。

 

森川邸。

 

旧松坂家住宅。

 

復古館。

 

県史跡 頼惟清旧宅。

 

初代郵便局跡。

 

照蓮寺。

 

西方寺。

 

胡堂。

 

地蔵堂。

 

伊勢神社。

 

まちなみ竹工房。

 

懭憬の広場。

 

町並み保存センター。

 

竹原市歴史民俗資料館。

 

町並みが続きますが、落ち着いた風情を漂わす国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された町並み保存地区も含まれます。

 

懐いている黒猫少しの間後ろについて来ていたんですが、帰りも同じ場所で待っていて、「帰るからねぇ~バイバイ」とゆうと、言葉が分かるのかこの姿勢で見送ってくれました。

可愛い黒猫。

 

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久々に銃で的撃ち。

2024年10月22日 13時51分39秒 | 年寄りのつぶやき

この前から寒くなった。

部屋の中で、朝は19℃で日中は20℃だ。

もうそろそろガス銃は使用できなくなるな、マガジンにBB弾とガスを詰めるんですが、寒くなると撃っているとそのガスが凍るから。

銃は、「ウエスタンアームズ社のWA コルト M4A1 アメリカン・スナイパー S-ver」と、「マルイ VSR-10にNEWイルミネーテッド・ショートズームスコープ(3~9×32mm)」を取り付け。

銃の銃声が近所迷惑になるから、二丁ともBB弾を込めて使い切ったら止めた。

なんかストレスが溜まりそうだ。

的の結果は、二丁ともスコープが付いてるから百発百中だ。

 

韓流ドラマ「イサン」を観終わったので、今回は「ホジュン~伝説の心医」です。

低い身分の家に生れたホジュンは、苦労して医学の道へ進む。
数々の困難を乗り越え、王の主治医となる。

ひたむきな努力で、出世の道を極めたホジュンの一生を描いたドラマ。

45巻 135話(最終回)。

 

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思い出撮影写真(安芸の宮島)

2024年10月20日 09時28分54秒 | 年寄りのつぶやき

今回は、安芸の宮島厳島神社、繁華街、風情ある街並みを。

日本三景のひとつで、世界文化遺産に指定された「嚴島神社」があります。

島全体が聖地とされ、伐採を禁じられたため豊かな原生林が残されています。

古来より神々の島として崇められ、歴史も古く、史実に残る多くの人が崇敬してきました。

特に平清盛・平家一門の宮島崇拝は有名で、嚴島神社の造営まで行っています。

 

宮島行きフェリー乗り場。

フェリーから。

宮島桟橋。

宮島港前の広場。

厳島神社入り口。

東廻廊。

嚴島神社の廻廊は、高潮対策のため隙間の空いた構造と成っています。
ハイヒール等、隙間に挟まる事がありますので、参拝時は履物にご配慮お。

入り口付近の東廻廊

客神社祓殿(まろうどじんじゃはらいでん)。

客神社(まろうどじんじゃ)。

平舞台。

平舞台から見た大鳥居。

高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、主柱(しゅちゅう:中心となる柱)は楠の自然木を、袖柱(そでばしら:主柱の左右に立てた補強用の小柱)は杉の自然木を使用しています。

現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、1875年に再建されました。

根元は海中に置かれているだけで、鳥居そのものの重さだけで立っています。

左が能舞台、右が能楽屋。

能舞台。

左が朝座屋(あさざや)。

反橋。

千畳閣(せんじょうかく)。

豊臣秀吉が戦没者のために、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊に建立を命じましたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっています。

明治時代に豊臣秀吉と加藤清正が祀られ、豊国神社と言われております。

中の様子が続きます。

街並みや、表参道商店街が続きます。

厳島神社宝物館。

五重塔。

五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。

高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。

町屋通り。

嚴島神社の出口と人力車。

私事ですが、右側のお店で手前から3軒目までのお店で木刀を購入。

二十歳の頃ですが、ここのはええでと皆がゆうもんだから。

購入から約53年変形ひとつしていません。

アーケードの表参道商店街、大きなしゃもじも展示。

私事ならの広島風お好み焼きで一杯、訪れた時には欠かせません。

 

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思い出撮影写真。(三瓶山、立久恵峡)

2024年10月19日 04時37分36秒 | 年寄りのつぶやき

スーパーに行ったら、米の値段も落ち着いたようです、4~5百円から下がっていました。

今回は、三瓶山と立久恵峡に行ったのですが紅葉はダメでした、この年は全体的に悪かったようです、まずは三瓶山。

 

三瓶山(さんべさん : Mt. Sanbe)は、島根県のほぼ中央部、大田市と飯石郡飯南町にまたがりそびえる火山。

大山火山帯に属する。

2003年(平成15年)の活火山の定義見直しで活火山に指定された。

大山隠岐国立公園の一部。

日本二百名山に選出されている。

三瓶山が最後に噴火したのは、約4000年前です。

かつて噴火を繰り返してきた活火山で、主峰の男三瓶、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山、太平山、日影山の6つの峰から成っています。

火口には室の内と呼ばれる火口湖があり、美しい風景をしていることから二百名山にも数えられ、山頂からの眺望も抜群。

東の原駐車場にある観光リフトは、10分で標高差255mの太平山まで行くことができるので、太平山・女三瓶山に登るのもぐっと近くなります。

 

三瓶山、西の原から右が子三瓶、左が男三瓶。

 

浮布池(うきぬののいけ)

三瓶山の西側にある面積13万5100平方メートルの大きな湖で、三瓶山の噴火によってせき止められてできたせきとめ湖からの男三瓶山、子三瓶山撮影。

 

定めの松(西の原) 江戸時代の一里塚松(樹齢300年)

 

東の原スキー場の観光リフト。

10分で標高差255mの太平山まで行くことができるので、隣に見える電波塔があるのが女三瓶山で登るのもぐっと近くなります。

 

女三瓶山。

リフトで太平山へ。

一人でもリフトを動かしてくださいました。

太平山到着。リフトを降りて歩くにマムシを踏みそうになり、二匹を確認。

女三瓶山も直ぐ近くですが軽装備なので断念。

360度パノラマですが、霞んでいて撮影はしていない。

男三瓶山は欠けてる、子三瓶山。孫三瓶山。

三瓶山の中央付近の噴火口に、雨水や地下水が溜まってできたのが室の内の火口湖が有りますが、軽装備なので断念。

帰りのリフト。

 

載せるのが逆に成りましたが、朝一に立久恵峡へ行きましたが、紅葉はダメでしたので、帰りに三瓶山周りでした。

立久恵峡は、出雲市乙立町に位置し、出雲市内を流れる神戸川上流にある渓谷です。
その景観が九州の耶馬渓谷に似ていることから「山陰の耶馬渓」とも称され、約1kmにわたり高さ100~200mもの奇岩柱石がそそり立っています。

1927年に国の名勝・天然記念物に指定され、1964年には県立自然公園になりました。

紅葉がダメでしたので枚数少なし、即引き上げました。

 

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思い出撮影写真(広島県庄原市東城)

2024年10月12日 10時21分54秒 | 年寄りのつぶやき

かっての中国路の要衝、物流の中心として栄えた街道東城路。

明治・大正・昭和の懐かしくも温かい雰囲気が漂うレトロな佇まい。

どこか懐かしさを感じさせるレトロな町並みと自然に恵まれた、東城町。

帝釈峡では、天然橋の雄橋、鍾乳洞や清流など、長い時間をかけて自然が作り出した造形美を堪能。

 

町を穏やかに流れる東城川。

 

元旅館 三楽荘。

 

北村醸造場。

地元の造り酒屋、合鴨純米原酒「菊文明」、キリッとした旨辛口なお酒です。

三枚目の写真が全面写真。

 

竹屋饅頭本舗。

糀の発酵の力で膨らませたふわふわの皮と自家製こしあんの酒饅頭。

竹屋饅頭本舗を代表する饅頭です。

食べたことはありますが、市内でも販売していたのですが最近はどうでしょう?

 

生熊酒造。

生熊酒造の「超群(チョウゲン」辛口の酒。

 

 

帝釈峡国定公園に位置する帝釈峡神龍湖と遊覧船。

神龍湖は人造湖です。

 

雄橋。

帝釈川の渓流と石灰岩大きな岩盤、木々のコントラストがとても綺麗です。

雄橋は石灰岩の岩盤を流水が侵食してできた天然橋で、世界三大天然橋のひとつといわれ、国の天然記念物に指定されています。

反対側。

 

帝釈川一部。

飼い猫と思われる懐いた猫。

 

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思い出撮影写真(石見畳ヶ浦)

2024年10月10日 02時54分21秒 | 年寄りのつぶやき

今回は、島根県浜田市国分町に位置する、国指定天然記念物に指定されている石見畳ヶ浦の撮影写真です。

私が訪れた時はもう10年くらい前ですが、今のように綺麗にはされてはなくて、綺麗に撮影しようとは思われない風景だったし、ガイドの方も居られなかったですね。

今はネットで見ると月と鼈の風景ですね。

トンネルを抜けると、およそ1,600万年前の地層を見て歩くことができます。
そこでは、無数の貝の化石や鯨の化石などを見ることができ、波の侵食によってできた腰掛け状の岩(ノジュール)やマグマの跡など普段は見ることのできない世界が広がっています。

 

海食崖に掘られた畳ヶ浦隧道入り口。

 

「賽の河原洞窟」という波の浸食で作られた洞窟(海食洞)。

 

ノジュール。

 

背びれのようなギザギザの突起がゴジラを思わせる「馬の背」。

大地が動いて地層が傾きながら隆起したもので、「馬の背中」の様な小高い丘の様になった岩場です。

 

猫島。

 

海食崖。

 

韓流ドラマ「トンイ」を観終わったので、今回は「イサン」です。

サンが11歳のとき、王位継承者であった父は、何者かの陰謀により謀反の濡れ衣を着せられ、サンの祖父である第21代王・英祖(ヨンジョ)によって死に至らしめられる。
父を救えなかった無念、また最後に父が残した「聖君になれ」という言葉を胸に抱き、王位継承者となったサンは、民を大切にする賢君である祖父・英祖から、王としての哲学や手腕を学ぶ。
一方で、サンの父を陥れた黒幕とその一派は朝廷内にはびこり、今度はサンの廃位や暗殺を企むのだった。
しかし、陰謀や策略が渦巻く中にあっても、幼い頃に友情で結ばれたソンヨンとテス、頭脳明晰な側近ホン・グギョンなど周囲の人びとに支えられ、幾多の困難を乗り越えていく。

30巻 60話(最終回)。

 

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思い出撮影写真(色々)。

2024年10月03日 06時41分25秒 | 年寄りのつぶやき

私は一輪の花、接写撮影が多いけど、マクロレンズが180mmだからそこまでは接写はないけど。

機材は。

カメラ=ニコンD300 「マルチパワーバッテリーバック取り付け」・ワイヤレスリモートコントローラーセット WR-10

角窓用変倍アングルファインダー取り付け

レンズ=タムロンSP AF180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

三脚=ベルボンカーボン 「セミオートラチェット式3段開脚」

これが重いんです、全部取り付けて4.3kg。

ほんの一部色々。

 

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思い出撮影写真(平和記念公園)

2024年10月02日 03時52分45秒 | 年寄りのつぶやき

平和記念公園の桜の時期に撮影した写真ですが全部は撮影していません。

一部ですが載せています。

 

祈りの泉。

平和記念資料館本館の南側の広場にある噴水で、夜間はライトアップされています。

原爆により全身を焼かれ、水を求めて亡くなっていった犠牲者の霊を慰める泉として造られたものです。

 

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)。

この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである。

中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている。

平和記念資料館から、慰霊碑、平和の灯、原爆ドームまでは、一直線上に位置するよう配置されている。

 

原爆ドーム。

世界文化遺産に登録されている「原爆ドーム」です。

原爆の遺構として、補強・修復を経て現在まで残されています。

原爆がほぼ真上の上空で爆発し、爆風が上から垂直に吹いたため、厚い造りだった壁や鉄骨枠がなぎ倒されることなく、倒壊しませんでした。

5月だったかな?イベントの時に

ライトアップされた、今回だけ。

 

原爆の子の像。

2歳で被爆し、11歳で白血病を発症、12歳で亡くなった佐々木貞子さんがモデルとなった像です。

佐々木さんが亡くなったことを知った同級生が資金を集め、原爆で被害を受けた子どもたちの慰霊のために建てられました。

佐々木さんは入院中、薬の包み紙で折り鶴を折っていました。

千羽の鶴を折ると願いが叶うと信じ、自らの病気の治癒を願って折り続けていたそうです。

 

平和祈念像。

 

平和の鐘。

 

平和の時計塔。

 

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思い出撮影写真(コスモス)。

2024年10月01日 04時54分47秒 | 年寄りのつぶやき

今回は、コスモス。

広島県庄原市に位置する国営備北丘陵公園、市内から高速経由で2時間は掛かる。

時々高速バスを利用してた、撮影し終わるのが昼頃、一杯飲んで車中で仮眠、これが一番だ。

コスモスが咲き始めたようで、9月14日から10月20日まで開催されてるようだ。

今回は一部のコスモス写真を載せます。

 

 

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