今朝の天気予報では、今年の秋は短いとか、11月に成るとグット冷えるようです。
とうてい今年は撮影に行けそうにないかな、足の調子がまだまだ完ぺきではない。
広島県世羅郡世羅町に位置する「世羅高原農場」では、ダリアとガーデンマム、ローズと宿根草、コキアとコスモスが咲き始めたようです。
今回はダリアを載せます、本数が多いですが。
今朝の天気予報では、今年の秋は短いとか、11月に成るとグット冷えるようです。
とうてい今年は撮影に行けそうにないかな、足の調子がまだまだ完ぺきではない。
広島県世羅郡世羅町に位置する「世羅高原農場」では、ダリアとガーデンマム、ローズと宿根草、コキアとコスモスが咲き始めたようです。
今回はダリアを載せます、本数が多いですが。
思い出撮影写真、吹屋ふるさと村の続きで、帰り道に時間があまり無かったけど、小京都備中高梁に寄った撮影写真を載せます。
備中松山城の城下町高梁
重要文化財・備中松山城(山城)の城下町として発展した高梁は、城下町の町割りや町家が今も残り神社の祭事や松山踊りなどの伝統行事と歴史的町並みが一体的となって良好な市街地環境が形成されています。
頼久寺。
頼久寺は、1339年に足利尊氏が安国寺として建立したと伝わる由緒ある禅寺です。
庭園が有名らしく、国指定名勝になっているそうですが、時間も無いし拝観料がいるので庭までは行きませんでした。
臥牛天神社。
この神社はもともと松山城が建つ臥牛山天神の丸に祀られていた、松山城の鎮守だったそうです。
武家屋敷が建ち並ぶ通り。
高梁市武家屋敷館。
からくり人形が出迎えてくれます。
旧折井家。
旧埴原家。
備中松山城。
標高430メートルと、現存する天守閣がある山城としては最も高い場所に位置します。
鎌倉時代に秋庭重信が城を築き、1683年に水谷勝宗が3年がかりで修築し現在の姿となりました。
展示品は有りません。
レトロでかわいい教会、高梁基督教会堂。
明治22年に建てられた岡山県最古の教会堂で、明治の洋風建築としても貴重な建物です。
藩校有終館跡。
延享3(1746)年に備中松山藩の学問所として創設、明治4(1871)年の閉校まで多くの人材を育てた。現在は高梁幼稚園となっている。山田方谷も21歳の時ここ有終館で学び、32歳からは学頭(校長)を勤めている。
紺屋川美観地区。
日本の道100選にもはいっているようですが、そうなのかなと思う程度でした。
川の両岸は桜の並木になっているが、桜の時期は綺麗でしょうね。
これで旅の思い出撮影写真は終わりです。
スーパーの棚には、今まで通りに米が沢山積まれてるけど、私は5kgを購入してるが価格が高騰してるようだ。
新潟産新米5kgで¥3.000超だ、どうなってるんでしょうね。
今回の撮影写真は「吹屋ふるさと村」。
岡山県高梁市成羽町吹屋に一泊二日で撮影に行ったときのです。
吹屋は江戸時代に銅山と弁柄(ベンガラ)という赤色顔料によって大きく繁栄した地区であり、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。
昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区に、そして令和2年6月19日に「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」として日本遺産の認定を受けました。
旧吹屋小学校。
平成24年3月までは高梁市立吹屋小学校として使われていましたが、児童数減少により廃校に。
平成27年から全面解体して地盤補強、建物の構造補強が行なわれ、令和4年に公開されています。
夜のライトアップ。(何時もライトアップされてるかわ不明)
ラ・フォーレ吹屋。
小学校の横にあるこれまた元々学校っぽい雰囲気の建物は現在ホテルとして営業中。
宿泊者以外でも喫茶コーナーの利用は可能です。
このホテルに一泊でした。
広兼邸。
銅山とベンガラの原料・緑礬(ローハ=鉄鉱石を焼いて生成)の製造で富を築いた豪商。
映画「八つ墓村」のロケ地にもなっている。
ふるさと村。
旧片山家住宅。
弁柄屋としての店構えを残す主屋とともに弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並ぶ「近世弁柄商家の典型」と高く評価され、平成18年12月、国の重要文化財に指定された。
ベンガラ館。
ベンガラ(紅殻)は、吹屋銅山の硫化鉄鉱(酸化第二鉄)から不純物を取り除いた結晶の緑著(ローハ)を原料にした無機赤色顔料。
吹屋銅山の捨石から偶然発見された天然弁柄がルーツで、銅鉱採掘時に銅鉱脈の近くで産出するので「銅近」とも呼ばれていました。
高級なベンガラ(紅殻)、陶磁器の模様書き、塗椀の下塗りなどにも使われ、重宝されたのです。
このベンガラ館は、明治時代のベンガラ(紅殻)工場を資料館として復元したもの。
手前が緑礬(ローハ)奥が乾燥緑礬(ローハ)その奥が焼き。
吹屋銅山 笹畝坑道。
吹屋銅山の観光用の坑道が笹畝坑道(ささうねこうどう)。
大同2年(807年)の発見と伝えられる吹屋銅山。
笹畝坑道は、吹屋が財を築いたベンガラ(紅殻)は、銅鉱採掘時に銅鉱脈の近くで産出する硫化鉄鉱(酸化第二鉄)が原料となったため、日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」の構成資産になっています。
銅山は昭和47年に閉山していますが、江戸から大正時代まで採掘され、おもに黄銅鉱などを産出した笹畝坑道を復元整備したもの。
復元整備された延長320mには、鉱石搬出軌道なども残り、坑道内に配された人形などで、当時の採掘の様子を再現しています。
通年15度前後と一定した気温、夏は涼しく、冬は暖かく感じます。
見学者はヘルメット装着の上、徒歩で坑道内を移動。
録音テープが流れている、見学者は私一人。
外に出ると、カメラは見る見るうちに水を掛けたようにびっしょり。
レンズがダメになり修理依頼。
帰りに高梁市を観光して帰りましたので次回載せます。
一雨降ってから朝晩が大分涼しくなりました。
08時時点で、部屋の温度は24℃、今までは29℃から30℃あったのに風が冷たく気持ちいいですね。
今回は、広島県府中市上下町上下の2月23日から3月24日(日)まで開催される「天領上下ひなまつり」の撮影に行ったのですが、残念なことにひな祭り撮影写真が残っていなくて、街並みだけを載せます。
人影はほぼ見なくて、上下のメインストリートには現在でも白壁やなまこ壁、格子戸といった格式のある懐かしい町並みが続いているのを撮影です。
上下は江戸時代、世界の銀の1/3を産出していたという石見銀山から瀬戸内海へ続く銀山街道の宿場町で、石見銀山からの銀の集積中継地となっていたため、幕府直轄の天領となり、代官所も置かれていました。
天領上下 白壁の街並み
手前から4軒目の建物が上下キリスト教会。
手前から2軒目が旧警察署。
休憩所。
片野制パン所。
かなり歴史を感じる建物のパン屋さんです。
今は閉店しているものの、ひなまつり期間中のみ店主のおばあさんが作られ店頭販売される幻のパン屋さんですが、近くにあるピザ屋さん「ケーキ・パン・ピザハウス ビットリオ 」でパンを買うことができるようですが、現在は不明。
天領上下代官所跡。
思い出撮影写真も残り少なくなった。
今回は、広島県福山市鞆の浦の撮影写真、一部しか残っていない。
鞆の浦は、瀬戸内の中でも日本経済の中心を担う要港として発展した港町です。
坂本龍馬ゆかりの地でもあるのですが写真無し。
常夜燈(とうろどう=燈籠塔)は、何と言っても鞆の浦の1番のシンボル。
「安政六年己未七月」(1859年)に建造された。
海中の亀腹型石積まで含めると10mを越す大きさで、港の常夜燈としては日本一。
瀬戸内の誇れる景観。
鞆の浦の波止、結構な長さで一部撮影。
大可島を陸続きにしたため、港の海底に土砂が堆積して浅くなったり、また台風は自然の波止ではさすがに防ぎきれずに、船舶が損傷を受けたりして、いよいよ波止場の造営の必要が出てきた。
太田家住宅は、1991(平成3)年に国の重要文化財指定を受けました。
瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物群です。主屋や炊事場、保命酒蔵が見事に保存されている。
高台の上に悠然と建つのが『福禅寺対潮楼』。
対潮楼は、1694(元禄7)年に、憲意上人によって本堂が改築された際に、新しく建てられた客殿で、朝鮮通信使三役の迎賓館として使われてきた。
対潮楼、朝鮮通信使も絶賛した、この絶景。
仙酔島へ行く観光船。
福山西警察署 鞆交番。
韓流ドラマ「大王の夢」を観終わったので、今回は「トンイ」です。
賤民の娘として生まれたトンイは、権力争いの陰謀により父と兄を殺され、幼くして過酷な境遇に追い込まれてしまう。
成長したトンイは、父と兄の無罪を証明するため、宮廷で掌楽院の奴婢として働き始める。
やがて、朝鮮王朝第19代王・粛宗(スクチョン)、そして側室のチャン禧嬪(ヒビン)との運命的な出会いを果たしたトンイ。
宮廷内の熾烈な権力争いに巻き込まれながらも、王の側室へと上り詰めていく。
30巻60話(最終回)
思い出写真を載せるのもいや気がさしてきてるが、他に載せるものも無いしな。
それはそうと、広島市内スーパーに米が無い。
この前スーパーに買い物に行ったんじゃけど、米を買うのに陳列棚の5kg入りが3袋。
店員さんに聞くと、丁度さっき入荷でお客さん良かったですね。
朝からのお客さんは買えずじまいでねぇ~。
南海トラフ、台風10号の影響でお客さんの買い占め、すなわちお客さんが多い人で5袋とか。
私にはこうゆう方の心理が解らん。
今月の中旬には落ち着くでしょうとの事でした。
今回は、広島市安佐動物公園の動物たちをほんの一部紹介ですが枚数が多くなりました。
広島市安佐動物公園。
今回は望遠レンズ、AF-S Zoom-NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6G ED VRは焦点距離80-400mmのレンズ使用。
アヌビスヒヒ。
クロサイ。
マルミミゾウ。
アミメキリン。
ダチョウ。
ニホンカモシカ。
アナグマ。
ホンドギツネ。
マレーバク。
フタコブラクダ。
羽を広げているのがチリーフラミンゴ、右側ピンクがベニイロフラミンゴ、左側白色がコフラミンゴ。
シフゾウ。
白と茶色がポニー、茶色のみがノマウマ。
レッサーパンダ。
ユーラシアカワウソ。
アムールヒョウ。
ライオン。
ツキノワグマ。
この熊は芸をします、今はもう歳だからどうでしょうか?。
体と垂直に短い棒を回すんですが、決まった時間は無く毎日するのかも解りませんが、見応えがあり時間がすぐ立ちます。
観客が多くて正面から撮影出来なかったのが残念です。
思い出撮影写真を見ながらまだ鮮明に思い出される。
こんなことに成るんなら全部残しとくんだった。
みんなのデジブック広場に載せていたからほとんど残っていない。
デジブック広場は、大きな画像が残せたから見がいがあったが残念だ。
今回のは、山口県萩市を一泊二日でちゃりを借りたのと、車で回った時のほんの一部写真です。
家の中も見られて撮影も出来ました、何百枚と撮影をしました。
高杉晋作誕生地。
木戸孝允誕生地。
金毘羅社円政寺。
高杉晋作・伊藤博文が学び遊んだ大きな天狗面のある寺。
吉田松陰の誕生地と萩の眺望。
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。
萩城跡。
毛利家の菩提寺。
天樹院墓所。
堀内鍵曲。
萩・明倫学舎。
菊屋家住宅。
菊ヶ浜から。
思い出撮影写続きます。
もうそろそろ、9月の中頃から彼岸花が咲き始めますね。
何時も撮影に行くのは、広島県三次市吉舎町辻に流れる 馬洗川沿いで、約15アールの彼岸花の大群生が見られます。
地元の住民グループが20年以上前から草刈りなど群生地の整備を続け、その甲斐があって彼岸花の名所として認識されるようになりました。
講談社発行「週刊 花百科」で「ヒガンバナの名所、全国ベスト10」に選ばれた、西日本有数のヒガンバナの名所です。
開花情報には気を付けて、近年では、シカの食害で彼岸花の開花が少ない年があるようです。
お金を入れる箱が置いてあります、気持ちを置いて帰りましょう。
韓流ドラマ「華政(ファジョン)」を観終わったので、今回は「大王の夢」です。
伽耶の国王を先祖に持つ新羅の貴族キム・ユシン。
ユシンは新羅の25第王の孫、キム・チュンチュとともに育てられた。
三韓統一という夢を掲げ、成長したユシンとチュンチュ。
2人は善徳女王の右腕となり、スンマン王后勢力と対立関係に。
朝鮮で有名な武将と新羅第29代王の友情は必見!
本格的時代劇です。
35巻70話(最終回)。
残り少ない思い出撮影写真、普通なら新しく撮影して来た写真を載せるのだが。。。
今回は市内の元宇品、元宇品島でしたが今は短い橋で繋がっています。
写真の中ほどに見えるのが元宇品です、そこに高い建物が見えるのが「グランドプリンスホテル」です。
夜のプリンスホテル。
裏側、海沿いからの撮影。
遊歩道を歩きながらの風景、夕日にフエリー撮影。