泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

丸二年

2008-08-01 01:20:53 | エッセイ
 暑中お見舞い申し上げます。
 八月一日は、このブログにとって、正月です。始めてから丸二年経ったことになります。
 改めて、読者の方々、ありがとうございます。みなさんがあって、初めてこの『泉を聴く』は成り立っています。どうぞこれからもよろしくお願いします。みなさんのコメントが、来訪が力になります。
 この二年、僕はどう変わったのでしょうか? 少しは成長できたのでしょうか?
 やはり大きかったのは、カウンセリングから卒業し、小説を書いたことでしょうか。今まで、『ぶれんど』は24名の読者を得ました。一人ひとりにサインしました。一人ひとりの笑顔、言葉、批判、期待、あるいは勘違い、などが思い出されます。それは僕が作ったものです。僕がここに生き、書かなければ生まれなかった。その事実を、今初めて知りました。このブログもそうかもしれない。そこに僕は、僕であることの意味を見ます。誇りに思ってもいいのかもしれない。
 しかし、まだまだですね。読んだ人はわかるでしょうが。僕自身も納得していない。ぜんぜんだめです。いいものを書くにはどうしたらいいのか。日々意識していることです。日々腕を上げる努力をしないといけません。
 自分の世界を広げるしか、深めるしかないのでしょう。そのために、もっと見る目を、聴く耳を澄ませたい。まだまだ曇っています。つい最近も、そのために失敗しました。相手の気持ち、立場を十分に汲み取ることができていません。自分の感情にばかり流されて、待つことができていません。未熟者です。
 関わりたい人、対象は、心の中に芽としてあります。もう恐れずに、そこを頼りに関わっていくことです。当たることで見えてくる。諦めることもできる。そしてそこからまた始めるだけです。何度も、何度も繰り返す。ついには柳に手が届いているでしょう。僕は小さな蛙のようなものです。
 この二年、書店で働き続けてもきました。そこで得たのは自信です。それしかありません。
 どんなに疲れていても、最低限の責任を果たすことができている。仲間と協力できている。支えあっている。関わりあっている。働き続けることで貯金もできている。人間関係も広がり、深まっている。この実感、経験が、なにより僕には必要でした。その積み重なりが、自信になりました。様々な出会い、別れ、感情の交差、すれ違い、ためらい、たまには怒りや悲しみなどもありますが、それらはすべて落ち着くべきところに行っている、と思える。
 この夏は、書き溜めた詩と取り組もうと思っています。もう一度自分の感情を辿り直す。そのことではっきりすることがあるだろう。そこにしか次の小説の芽はないだろうと思うのです。詩は、確かに僕が感じ取ったものなのです。僕にしか書けないことばかりなのです。そこを頼らずに、見ずに、何が書けるというのでしょうか。詩をまとめることで、また節目にもなると思う。それなら親にも見せることができる、家に残していくこともできる。
 僕の知っている世界は、ほんのわずかです。まだまだ読書も足りない。おのれの小ささを自覚し、自分にしかできないことを鍛えていきたい。そのことで道も拓けてゆくはずです。
 わからないところ、知らないところは補っていくしかありません。謙虚に、尋ねるしかありません。無理のない範囲で、積極的に外に関わっていこうとも思っています。
 書かなくてはならないことがあるはずです。こんな世の中だからこそ、そして僕だからこそ。詩を書き直していく中で、それをしっかりと把握しようと思います。

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