泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

2008-10-05 11:28:45 | 読書
 すばらしい詩でした。これぞ詩なのでしょう。
 一度読んだだけでは、そのよさがつかめなかった。
 『鳥』という長編詩の後に、『詩』というタイトルの、ノーベル文学賞受賞記念講演(1960年12月10日)が収録されています。これがまたいい。全部ここに紹介したいほどです。3回は読みました。
 最後にこう言っている。
「そして詩人にとっては、おのれの時代の痛める良心となることで充分なのであります」
 これは、読売新聞にも紹介されていた。誰が引用したのか忘れてしまいましたが。詩人必読の書だ、とも言っていて、読みたいと思ってすぐに買った。その必読さはわかった。後は、どれだけ自分のものにできたかが問われる。
 著者のサン=ジョン・ペルスを調べました。フランス人で外交官をしていたそうです。戦時中はアメリカに亡命。この人もまた戦争という痛みを引き受けていた。
 もともとこの『鳥』は、画家のジョルジュ・ブラックの『鳥』シリーズに触発されて産まれた。その『鳥』も探しました。いろんなパターンがあるのですが、まさに『鳥』そのものが生きている。目を半ば閉じ、うっとりとしているのか苦しんでいるのか、翼の輪郭は風を捉え、静と動がひとつになっている。それはブラックが、禅から学んだようです。じっと観ていると、不思議に心のなかに鳥が住む。いや、自らが鳥になったように感じる。燃焼し、虚空を舞う。全体を見て、細部にすばやくピントを合わせ、降りていく。関わり、また旅するために飛んで行く。
 ブラックの画集を刊行するに当たり、文章を依頼されたようですが、ペルスはその前から『鳥』を書いていた。結局、画集発売後、単独で『鳥』という詩は世に出たそうです。絵から詩が産まれ、また詩から音楽も産まれている。その豊かな連鎖。それこそが命の営みなのでしょう。
 そして、また頭から読みました。するとどうでしょう? 難しい語の列が、すべて手をつないでいて、飛んで行く。僕も釣られて、足取りも軽く、心が浮き上がるよう。対岸までひとっとび。体の鎧が消えていく。見えなかったものが見えてくる。
 読んでください。としか言えません。映画や小説と違って、詩は粗筋を追ったり、その構造や意味を分析することもできない。人間に直接訴える。最も手がかりとなるもの。人間の詰まったもの。心の暗闇を切り拓くもの。
 ここでまた講演から、特に印象的なところを取り出してみます。
「芸術を生命から、認識を愛から分離することを拒む、すなわち詩は行為であり、情熱であり、力であり、そして常に限界を拡げてゆく革新であります。愛はその中核、不服従はその掟、そしてその領域は、すべてに先駆けるところ、あらゆる場所にあります。詩は不在や拒否であることを決して欲しないのです」(80ページ)
 詩とはなんなのか? よくわからなくなります。
 しかし、一気にはわからないけど、鍵はつかめた。
 生命である、信頼できる、良心、心を照らす、すべてとつながる、人為的なものではない・・・。
 まだまだ、ある。一つずつ、確かに自分のものに。
 それにしても、世界にはまだ「僕」には知られていない、すばらしい人たちがたくさんいる。20世紀のノーベル文学賞受賞者も見てみましたが、読んだことのある人は一割もいるでしょうか。まったく、僕の世界は卑小です。
 でも、だからこそ『鳥』に打たれるのかもしれない。もっと高く、もっと遠く。鳥のように、行くべき場所は無数にある。これで終り、なんてものはない。
 ブラックの『鳥』のカレンダー、あるかな。欲しいです。

サン=ジョン・ペルス著/有田忠朗訳/書肆山田/2008

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