泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

あすなろ物語

2020-07-30 18:31:04 | 読書
 心に残っている名作を再読シリーズ。
 この本は、確か大学に入る前に読んだ。井上靖さんの「孔子」も読んだ記憶がある。
「あすなろ」とは、明日は檜(ヒノキ)になろうと思っていながら永遠に檜にはなれない木のこと。翌檜と書きます。
 檜に似ているだけで翌檜が本当に檜になりたがっているかはわからないのですが、そういう名を付けられてしまった。
 檜にはないヒノキチオールという成分を多く持ち、殺菌力と耐湿性に優れるため、最高級の木材なのだそうです。
 で、「あすなろ物語」ですが、すっかり中身は忘れていました。ただタイトルの魅力が強く、もう一度読みたいと手が伸びた。
 大学に入る直前だったなら、私は19歳。今はもう43歳。24年の歳月があったことになる。
 それでもまた読みたい本って、やっぱり本物なのでしょう。
 読んでいきなり驚いた。主人公の梶鮎太は、実の両親ではなく、祖父のおめかけさんに育てられている。祖父の嫁が亡くなった後で転がり込んできたようなお婆さん。周りは散々悪口を言うけれど、鮎太としては大事に育てられていたので文句はなかった。
 鮎太が13歳のとき、冴子という19歳の親戚と暮らすようになる。その冴子が、近くの旅館に泊まりに来ていた大学生と心中事件を起こす。
 鮎太は、仲間たちと深い深い雪山に入り、二人の死体を見つける。
「克己」という言葉を鮎太に教えたのが死んだ大学生だった。鮎太は、勉強ばかりするようになり、「神童」とさえ呼ばれた。
 その後、中学、大学、新入社員、30歳ごろ、40歳すぎと話が進み、あわせて日本が戦争に負け、焼け野原と化した背景が重なります。
 それぞれの時代に重要な女性と友人やライバルが現れます。
 読み終えて解説を読んで腑に落ちた。これは感受性の劇なのだと。
 またこうも言われていてなるほどと思った。著者もまた若いとき詩を書いていました。詩はパン種だったということ。
 パンという食べ物が小説ならば、小説の種は詩。
 パン種は、生地を発酵させる酵母のことであり、焼く前のパンのことでもあります。
 著者の詩は絵画的だというのも私に似ている。
 小説も、場面の積み重ねで出来ていて、説明など一切ない。どのようにも読める。
「あすなろ」という言葉から、一生願うものになれないという悲しみを読み取ってしまうけれど、作品に込められた思いは違う。
 大事に大事に育ててきた感受性の種が、必要なものが揃って、いよいよパンになって人々に食される作品となったもの。
 だから「あすなろ」は「愛」なんだと思った。
 書ける、見える、ということは、受け入れている、肯定しているということなのかもしれません。善悪や、あれかこれかという分割を越えて。
 著者は、生い立ちがこの小説のモデルとなっているように複雑なので、人にわかってもらえない孤独と劣等感を抱いていたようです。
 書くことで受け入れようとしていたのかもしれません。
 そして、あるとき、他者に受け入れられるようになる。
 詩もまた、村上春樹さんが言う「地下二階」、あるいは集合無意識に属している。
 しっかりした地盤に建った家は頑丈だ、と言うこともできそうです。
 以上のように読めたこと、それは私がこれまでの24年を受け入れたことを物語っているのかもしれません。
 あすなろう、あすなろうと思いながら。

 井上靖 著/新潮文庫/1958

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