いぬバカ・ねこバカ

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シャガール 「愛しのベラ」

2012年03月23日 23時59分25秒 | 日記

シャガールの妻であるベラを描いたものです。

タイトルの通り、シャガールのベラに対する愛情が絵に表れていますね。

ベラの表情、特に目。瞳が大きく描かれており、お互いが愛し合っている「アツアツの仲」だったのでしょう。

ベラは花が好きな方だったらしいです。美しい人ですね。

花が好きな女性、すごく魅力的ですね。


シャガールの愛 ②

2012年03月23日 23時58分23秒 | 日記

●新品アートポスター/マルク シャガール/デイジーと恋人たち_画像1

『デイジーと恋人たち』

 アートポスター マルク・シャガール 散歩_画像1

『散歩』

2枚とも愛情が感じられます。まさに恋人同士のような初々しい愛情です。

今すぐでも一緒にいて抱きしめたい!ぐらいに気持が絵から伝わります。皆様もこんな時代があったでしょう。

シャガールは愛妻家だったのでしょうか?それともただのスケベエおじさんだったのでしょうか?

シャガールおじさんはベラの死後、他の女性と親しくしています。夢二先生なんか二股かけていましたね。

 

【シャガールについて】

ロシア、ウィテブスクに生まれる。ユダヤ人で、シャガールの家族は敬虔なユダヤ教徒でした。
世界は第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦と激動していく、それはユダヤ人にとっては特に重い経験であり、。シャガールの絵にはユダヤが主題になるものも多くあります。後年、父のルーツであるパレスティナ、エジプト、シリアを旅行しています。
ペテルブルクの美術学校に学び、幻想的な絵画は、ユダヤ教の象徴やロシア民衆版画などからくるものといえます。民族や、異邦人の悲劇、悲哀など、人間の苦悩が根底にあり、未来派や前衛美術に多くの影響を与えました。
初期には褐色系の色彩を基調とし、ゴーガンやナビ派の影響が見られ、パリに出てからは故郷ヴィテプスクやロシアの情景、幼い日々の家庭内の情景、祭りや婚礼などの絵を描きました。
1910年パリへ行き、「ラ・リュッシュ(蜂の巣箱)」(芸術家たちの宿)で、B・サンドラール(詩人)やドローネーらと出会います。ここで多くの前衛芸術家と知りあい、フォーヴィズム、キュビズム、未来派など新しいスタイルを知ることになります。
1914年 ベルリンの「シュトゥルム画廊」で個展を開く。これは「青騎士」のメンバーに称賛された。
    ベラと結婚。ベラとの結婚後は幸福な日々をパリの街や故郷を背景に描いた。
1914-23年までロシアに滞在。マレーヴィチと衝突した。画風の幻想性と非現実性がロシア政府に嫌われた。
1923年 パリに戻り、ゴーゴリ作「死せる魂」の挿絵を描く。
1941年 ニューヨーク近代美術館の招待でアメリカへ行く。
1944年 妻のベラが死去。
    ベラの死去後は花嫁と花婿を主題に繰り返し描いていた。
1947年 フランスに戻る。
1950年 ヴァンス(南フランス)に住んで、陶器を制作していた。
1957年くらいから、ステンドグラスの制作を始めた。メッツ大聖堂(北フランス)、ハダサ病院(エルサレム)などにシャガールのステンドグラスがある。
1964年 パリのオペラ座の天井画を制作。

シャガールの愛

2012年03月23日 23時58分05秒 | 日記

私はシャガールが好きである。

理由がA子が好きだったからである(すいません・・・・)。

確かにシャガールは「愛」を表現している絵が多い。

ポスター・絵●新品●シャガール●Birthday_画像1

「Birthday」

シャガールが妻ベラにキスをしている。それはシャガールの愛情が込められている。

シャガールが飛び上がっているのはシャガールの想いを表す。

愛しているベラにキスをしたい。そんな気持がシャガールの分身を浮き上がらせ、ベラにキスをする。

もちろん、実これはシャガールの気持を表しているので実体ではない。

ベラは予期せぬ出来事に、びっくりしている。

シャガールのベラに対する愛情を表した1枚である・・・・・・。羨ましい・・・・。