朝日新聞の書評でマンガ嫌韓流が取り上げられる
(【他称:原理関係者】mumurブログ)
さて、ようやく「マンガ嫌韓流」が朝日新聞のベストセラー快読に取り上げられた。評を書くのはあの「と学会」運営委員にして「トリビアの泉」のアドバイザーでもある唐沢俊一。
全文は上記のブログで読める。
私見だが、この欄は、朝日の思想から逸脱したベストセラーを、みんな相対化してしまう。典型的なのは小林よしのりのマンガで、いかにけなさず、受け入れがたい本かを些細な点からつく。
そこを抜きにすると、前段のベストセラーに対する分析はおもしろい。ただやはり気になるのは後段。
なぜ嫌いなものを嫌いを言ってはいけないと強制するのか、本の内容の否定の前に真摯に回答する義務が、われわれ大人世代、そして知識人諸氏にはまず、求められるのではあるまいか。
うーん。ただのしつけの問題にされてしまっている。
ではまず単純に、なぜ韓国を「嫌い」になるのか考えてみる。
政府が弱腰だからだ。理解できないほどに。
国際政治というものは、私のような素人には体感できないほど、厳しいものなのだろう。しかしながら、現状を知れば知るほど韓国(そして北朝鮮・在日コリアン)の、横暴さに我慢できなくなっていく。
そして連日、隣の小国のわがままに唯々諾々と政府が応じるさまが報道される。
その怒りを、マスコミが重石をつけて封じる。友好ムードをつくりだし、水をさすような発言を認めない。他国ならテレビや新聞が、あほみたいに韓国・北朝鮮を叩くだろう。それが良い・悪いというわけではなく、そこに乖離が生じているということだ。
つぎになぜ「嫌いと言ってはいけないのか」考えてみる。
まず思いつくのは「韓国が大東亜戦争の被害者だから」か。
笑止。
補償は済んでいる。払いすぎだ。人道的云々の説教は結構。有り体にいえば、現代において命を償えるのは金銭だけである。その常識を持たず、政治など語るなかれ。
では「隣国を嫌いと言ってはいけない」ということだと解釈する。
思い当たらない。
政治家がおいそれとそんな反応はできまい。
マスコミがそれを安易に垂れ流すこともできまい。
しかし、庶民はそうした感情を持ち、語る。そんなのは世界中の酒場でやっていることだ。
政治家はそうした国民感情をすくい上げて、うまくコントロールする必要がある。それが「統治」であろう。
政治家……とくに経験の浅い政治家、または勉強不足の政治家は、新聞の報道に弱いのだという。ある分野の政策の決定に関わらなければならず、専門知識がなければ、やはり新聞を読んで勉強し、国際的な風潮や、世論を感じとろうとするだろう。加えて自分がどのように取り上げられているか、新聞で確認しもするだろう。そうした意味で、新聞は国民感情の鏡でなければならないはずであった。
しかし、いまはマスコミが両者の楔(くさび)となっているのではないか。
この視点を持てば、このマンガがベストセラーとなって現れた理由は、瞬時に理解できる。
もちろんこのような現象の大きな要因に、インターネットの普及があるだろう。
インターネットの普及は、「空気」をすり抜ける効果があった。周囲の誰も口にせず、報道もされない意見は、おかしいなと感じても、口に出せない。それがネット界のコミュニティでは、標準的な意見として交換されている。それが伝播し、現実にようやく突きつけられた。それが「マンガ嫌韓流」なのだ。
(【他称:原理関係者】mumurブログ)
さて、ようやく「マンガ嫌韓流」が朝日新聞のベストセラー快読に取り上げられた。評を書くのはあの「と学会」運営委員にして「トリビアの泉」のアドバイザーでもある唐沢俊一。
全文は上記のブログで読める。
私見だが、この欄は、朝日の思想から逸脱したベストセラーを、みんな相対化してしまう。典型的なのは小林よしのりのマンガで、いかにけなさず、受け入れがたい本かを些細な点からつく。
そこを抜きにすると、前段のベストセラーに対する分析はおもしろい。ただやはり気になるのは後段。
なぜ嫌いなものを嫌いを言ってはいけないと強制するのか、本の内容の否定の前に真摯に回答する義務が、われわれ大人世代、そして知識人諸氏にはまず、求められるのではあるまいか。
うーん。ただのしつけの問題にされてしまっている。
ではまず単純に、なぜ韓国を「嫌い」になるのか考えてみる。
政府が弱腰だからだ。理解できないほどに。
国際政治というものは、私のような素人には体感できないほど、厳しいものなのだろう。しかしながら、現状を知れば知るほど韓国(そして北朝鮮・在日コリアン)の、横暴さに我慢できなくなっていく。
そして連日、隣の小国のわがままに唯々諾々と政府が応じるさまが報道される。
その怒りを、マスコミが重石をつけて封じる。友好ムードをつくりだし、水をさすような発言を認めない。他国ならテレビや新聞が、あほみたいに韓国・北朝鮮を叩くだろう。それが良い・悪いというわけではなく、そこに乖離が生じているということだ。
つぎになぜ「嫌いと言ってはいけないのか」考えてみる。
まず思いつくのは「韓国が大東亜戦争の被害者だから」か。
笑止。
補償は済んでいる。払いすぎだ。人道的云々の説教は結構。有り体にいえば、現代において命を償えるのは金銭だけである。その常識を持たず、政治など語るなかれ。
では「隣国を嫌いと言ってはいけない」ということだと解釈する。
思い当たらない。
政治家がおいそれとそんな反応はできまい。
マスコミがそれを安易に垂れ流すこともできまい。
しかし、庶民はそうした感情を持ち、語る。そんなのは世界中の酒場でやっていることだ。
政治家はそうした国民感情をすくい上げて、うまくコントロールする必要がある。それが「統治」であろう。
政治家……とくに経験の浅い政治家、または勉強不足の政治家は、新聞の報道に弱いのだという。ある分野の政策の決定に関わらなければならず、専門知識がなければ、やはり新聞を読んで勉強し、国際的な風潮や、世論を感じとろうとするだろう。加えて自分がどのように取り上げられているか、新聞で確認しもするだろう。そうした意味で、新聞は国民感情の鏡でなければならないはずであった。
しかし、いまはマスコミが両者の楔(くさび)となっているのではないか。
この視点を持てば、このマンガがベストセラーとなって現れた理由は、瞬時に理解できる。
もちろんこのような現象の大きな要因に、インターネットの普及があるだろう。
インターネットの普及は、「空気」をすり抜ける効果があった。周囲の誰も口にせず、報道もされない意見は、おかしいなと感じても、口に出せない。それがネット界のコミュニティでは、標準的な意見として交換されている。それが伝播し、現実にようやく突きつけられた。それが「マンガ嫌韓流」なのだ。