随思録

日々思うことを記す。

歴史を「簡単」に教えるな

2006-02-28 03:21:48 | Weblog
日中の過去知り変化 反日デモに反発の高校生 (共同通信) - goo ニュース

9割が「昔の戦争を今さら中国が持ち出すのはおかしい」。「日本は十分反省している」も7割に。デモ拡大の理由は「分からない」などの答えが返ってきた。

教諭は「歴史を知らない」と感じ、近代史を簡単に教えた。犠牲になった住民の遺骨を残す中国の記念館を見た体験を話し、南京事件の生き残りの中国人証言などを特集したテレビ番組のビデオも見せた。


「反日」に「反中」をもってすれば、ただのガキのケンカ。
だから戦争(外交)や政治というものをきちんと理解することが必要で、その基礎となる歴史を知ることは重要。それは教育者として至極当然な態度だ。

ただし、歴史は「簡単」に教えられるものではない。
インターネットの流儀で言うならば、「敢えて言ってみるテスト」だ。

そもそも王権はどのようにして成り立ち、戦はどのようにして生起し、そののち近代国家はどのようにして成立し、衝突していったか。
あの時代、支那大陸はどのような状態にあったか。なぜ日本は満州国を建国したのか。
これを「簡単」に教えられる人間はいるのか。
歴史の重みを知らぬ歴史教員よ。
恥を知れ。

みな勘違いしているのだが、実のところ現代の教員はフリーランサーの集まりのようなものだ。(その昔、吉田戦車の4コマに「一匹狼の集い」というのがあったが、そのようなもの。)
学習指導要領によって、カリキュラムの目指す目標は定められ、その単位も明記されているが、実際の授業の中身は、すべて教員まかせである。よってその内容は恣意的にゆがめられることもある。
もちろん、すべての発端は良心による。
だから今回のようなことを行うことができるのだ。
しかも、教員に査定などない。
(かといって児童・生徒からの評価を受け入れよというのは、愚の骨頂。)

教師という人種には理想主義者が多い。理想へ子どもたちを導きたいと考えるから、教師なのだろう。しかしながら、理想は安易な人間が持てば、偏狭に陥る。
戦前の過ちを繰り返さない教育を標榜しながらも、その体質そのものはまったく変わっていないように見受けられる。

ただ、戦前・戦中の教師は、国家のために全身で殉じ、徳育に身を捧げ、尊敬され、魂を燃やし尽くしたと聞く。
そうした意味で、歴史上の位置づけにおいては様々に論があろうが、とても純粋で、すばらしい職業だったと思う。

比して、現代の教員はどうか。
その「歴史を知らない」とほざく教員が、戦前に生まれていれば、「天皇陛下万歳」と、無我夢中で叫んでいたに違いないのである。
私はそのような無責任さこそを、最も嫌う。

空気読めるオタクは苦労すんだよ

2006-02-24 23:49:07 | Weblog
一般にオタクが体育会系の人を「ゲス」とか「馬鹿」だと軽んじる傾向があるのは、体育会系がコミュニケーションをとろうとして、「馬鹿」なことを言うからである。

逆に、体育会系がオタクを「根暗」とか「真面目すぎ」とか「変に気取っている」と考えるのは、オタクが体育会系のコミュニケーションに反応せず、自分の「馬鹿さ」をさらけ出さないから。


体育会系ジョークとオタクジョーク、その間にある深い溝(九尾のネコ鞭)

体育会系のコミュニケーション方法は「馬鹿さをさらけ出す」ことだというこの論考は、類型的ではあるかもしれないけれども、似たような経験があるので非常に興味深く読んだ。
とくにガテンな人たち(≒体育会系)が集まる場では下ネタ多いし、うまくやっていくためには適度にバカなことをやってみせる度胸も必要だと思う。
もちろんスタイルじゃないから、つらいのだが。

またjeffsfiaさんという方がこうコメントしていた。
『オタクは体育会に対応できるけど、体育会はオタクに対応できない。
体育会はオタクと付き合うことができるけど、オタクは体育会と付き合おうとしない。
っていうのが体育会出の僕の経験論なのですが、どうなんでしょうね。』
まったくそのとおりだな~

論争ってむづかしい

2006-02-17 01:55:52 | Weblog
昔の某大学の入試問題で

ジョーカーを除いたトランプ52枚の中から1枚のカードを抜き出し、
表を見ないで箱の中にしまった。
そして、残りのカードをよく切ってから3枚抜き出したところ、
3枚ともダイアであった。

このとき、箱の中のカードがダイヤである確率はいくらか。

答えが1/4ってのは納得出来ない!
10/49だろ!!


この問題おかしい!!/ニャー速。)

という書き込みを皮切りに、答えが1/4であるのか、10/49であるのか掲示板で論争になった模様。一応の結論を見、それがまとめBlogに掲載されたものの……
すごい。レスが3000近くついている。
1/4派、10/49派にわかれ、お互い一歩も譲らず。
ひっかけ問題にだまされたままなのか、条件付きの確率を理解できていないのか、それともいわゆる「釣り」なのか。定かではないが、まあ、よくここまで論争が続くなあ、と。

箱の中のカードのとらえ方によって違うのだろうけれど、通常の文脈で判断すれば、箱の中のカードは52枚マイナス3枚で49枚。ダイヤはこの時点ですでに3枚引かれているので、13枚マイナス3枚で10枚。よって、10/49。これが答えだと最初は私も思った。
しかし1/4が正答であると提示されている以上、1/4に辻褄をあわせないといけない。そこで箱の中のカード1枚のカードを抜き出し、表を見ないで箱の中にしまったとされた最初の1枚であるという「ひっかけ」なのではないかという推定がなされたわけである。

いやだからなにが言いたいのかと言うと、こんな論争でさえ解決ができない私たち人間に、歴史認識の共有なんて無理ですって。
それが冷徹な人類に対する観察ってもんでしょう。(大げさ?)

理由のない反日……韓国はいつも反面教師

2006-02-15 13:58:15 | Weblog
【韓国】理由のない反日はもうやめにしないか
(murmurブルログ)

タイトルで期待して読むと、苦笑いが待っている。まさかこんなとんでもない主張が繰り出されるとは……
ニュースソースは「オーマイニュース」。どこかのいわゆる「痛い」個人サイトの言説ではない。投稿型のニュースサイトということだから、管理者の目は届いているはずだ。記事が削除されない限りは、少なくとも韓国内において問題はない論なのだと推測できる。
(参考:韓国で影響力を強める、市民記者の投稿によるニュースサイト/Hotwired Japan)

先日「嫌日流」という言葉を知ったが、思い返してみれば理由がない「嫌日」という感情は、90年代まで日本人自身が感じていたものではなかっただろうか。ただ「日本が悪い」と教師たちに吹き込まれて。
それが「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の名残であることは、江藤淳の著作に詳しい。『閉ざされた言語空間』は、日本人なら必読だろう。
ここ数年は自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』シリーズや、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』のヒット、そして「新しい歴史教科書をつくる会」の活動などを通じてだろうか、いつのまにか「日本が嫌い」という声はあまり聞かれなくなってしまった。代わりにマスコミから流されるようになったのは「過剰なナショナリズムの台頭」というキーワード。「国を愛する心情」の育成が学習指導要領にも盛り込まれるくらいだから、時代は変わったとしか言い様がない。

教育というものは基本的に共同体から受ける洗脳だ。それを理解している人間は、学校や教科書、常識といったものから適切な距離を置いて判断ができる。しかしながらほとんどの人間はそれに盲目的に従い、暮らしていく。非難しているわけではない。正常に機能する教育は、社会にとって有用なものだ。
だから私たちは教育を「共同体を利するもの」としてきちんととらえ、なにが一番自分の属する共同体に益をもたらすのか、考えなければならない。
そして韓国の理由なき反日が本当に韓国自体に利があるのか指摘するとともに、韓国を反面教師としつつ、自国の教育についても単に「日本はすごい」と空疎に刷り込むだけではない教育内容を、充実させていく必要があるだろう。

マンガ嫌日流……下衆は、下衆だ。

2006-02-10 16:44:17 | Weblog
[韓国情報]マンガ嫌日流1(棒太郎の備暴録)

しかし、ここまでもパクるのか?
出だしからして妄想だ。妄想に果てはないから、おそらくいつまでたっても韓国と歴史論争においては平行線をたどる。このような隣国の民度の低さをマスメディアは取り上げ、周知とするべきだ。みながそれを知り、その上で忍耐強くつきあっていく必要があるだろう。
同時に足元をすくわれないよう、注意を怠らずに。

映画「青春の輝き」のラストシーンを思い出す。
ニュー・イングランドの名門校に編入したフットボール奨学生デヴィッド(ブレンダン・フレイザー)は、実はユダヤ人だった。デヴィッドはそれを隠すが、ふとしたことで明らかになり、周囲からは掌を返したような、偏見に基づく扱いを受けるようになってしまう。
世界史の試験で、不正行為があったことを教師が発見する。生徒の間で解決し、犯人を出頭させるように求められ、チームメイトのディロン(マット・デイモン)は、その犯人をデヴィッドだと主張する。ユダヤ人だから、こいつに違いない。不正はディロンが行っていたにもかかわらず。
ラスト、ディロンは、デヴィッドに言う。
「ユダヤ人はユダヤ人だ」
デヴィッドは答える。
「下衆は下衆だ」

つまり、朝鮮人はこう言っている。
「チョッパリはチョッパリだ」

……私はこう答えたい。
「下衆は下衆だ」