随思録

日々思うことを記す。

Sono Giapponese イタリア日記

2011-12-25 11:05:20 | italia
これはブログ主が2011年6月28日~7月15日にイタリアを一人旅したときの手記です。
ローマ往復の航空券と、最初の3日間だけホテルを日本で手配し、あとは現地で宿と旅程を決めて行動しました。
4大都市をローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノと北上し、ローマに戻りつつ南下して気になるところに立ち寄る、という周遊イメージだったのですが、実際はこのような結果に。

6/28 成田発→ローマ着
6/29 ローマ
6/30 ローマ(ヴァチカン市国)
7/1  ローマ
7/2 ローマ→フィレンツェ
7/3 フィレンツェ
7/4 フィレンツェ
7/5 フィレンツェ→タヴァルネッレ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ペーザ)
7/6 タヴァルネッレ
7/7 タヴァルネッレ→フィレンツェ→ヴェネツィア
7/8 ヴェネツィア
7/9 ヴェネツィア→ミラノ
7/10 ミラノ→バーリ(ICN:夜行列車で移動)
7/11 バーリ(アルベロベッロ)
7/12 バーリ→ナポリ
7/13 ナポリ(カプリ)
7/14 ローマ(アッピア街道)
7/15 ローマ発
7/16 成田着

ブログ中、“ガイドブック”とあるのは『地球の歩き方'11-'12 イタリア』。
“YHリスト”とあるのは『ヨーロッパ2000円の宿―ヨーロッパ・ユースホステルガイド』のイタリアの部分をコピーしたものを指します。

いまどきガイドブック片手に旅、というのは古風すぎました。
スマートフォンやノートPCは必携ですね。
また、突発的な思い付きでイタリア旅行を決めたので、渡航の準備に追われ、観光情報等の収集まで手が回らず。
ろくに下調べもせず旅立ったため、効率も悪く、苦労の連続でした。
思いつきで行動するとろくなことがない……という典型です。
いつかよい思い出になるのでしょうか?

7/14 ローマ(アッピア街道)

2011-12-24 19:08:36 | italia
6時半起床。
7時朝食。
食堂に2人の姿はない。
昨夜聞いた予定では、2人ともすでに外出している時刻のはずだ。

30分前にはナポリ中央駅に到着。
そのままAVに乗り込み、ローマへ。

10時にはローマに着き、勝手知ったるテルミニ駅から、YWCA DOGへ。
ルームクリーニングは済んでいるようなので、部屋へ荷物を置き、近くにある“ローマで一番レートがいい両替屋”という名の両替屋へ。
TCをユーロに替え、本日の軍資金を確保。

最後に“すべての道はローマに通ず”の象徴ともいえるアッピア街道を見よう……いろいろ考えたが、そう決めて、行動を開始する。
まず共和国広場横にあるベンチに座り、ガイドブックを広げる。
アッピア街道へは、アルケオバスに乗って向かう。
カラカラ浴場などとも同じ方面だという。
せっかくだから両方見ようかな
……なんとなく視線を上げたら、共和国広場手前に、アルケオバスが停車している。
どうやらあそこ乗り場のようだ。

急いで駆け込み運転手にアルケオバスか確認すると、やはりアルケオバス。
料金は12ユーロだが、チケットを売る専門のスタッフがいるらしく、英語がうまくないのか、待ってくれ、と言われる。
そこで運転手に「“カラカラ”で降りたい」と片言のイタリア語で伝えたら、いきなりテンションが上がって猛烈な勢いで話しかけてくる。
いやいや、喋れないから。


チケットと一緒にもらった路線図によれば、ローマ中心部の遺跡も押さえつつ、アッピア街道も巡回するようだ。
これをうまく活用すれば、カラカラ浴場とアッピア街道を短時間で観ることができるだろう。
共和国広場を出たアルケオバスは、ヴェネツィア広場、コロッセオ前、チルコ・マッシモと走る。
4番目がカラカラ浴場。

ちなみにこの日の私は、Tシャツに7分丈のカーゴ、ひげは伸ばし放題で、頭にタオルを巻いていた。
アルケオバスには屋根がない。
カラカラ浴場前でバスは停車し、運転手が降りるよう合図を送ってきた。
手を挙げて応じ、下車。


カラカラ浴場を見学。
ともかく巨大。
映像や写真から思い浮かべていたものよりも、ずっと大きな規模の浴場だ。
屋根があって、様々に装飾されていた往時の姿を想像すると、いまではもう同じものを造れないのではないか、と感じる。

アルケオバスの運行は16時半までなので、あまりのんびりとしていられない。
現在12時。
カラカラ浴場を出、入口前で次のバスを待つが、なかなかやってこない。
20分ほど待っただろうか。
それでもやってこない。

するとカラカラ浴場から出てきた老夫婦が、バス停ではなく、歩道にそって歩き始めた。
歩いたほうが早いかもしれない……
追いかけて進むと、交差点があり、「Appia Antica」の標識が。
これを目印に進めば、間違いないだろう。


前を歩くご主人の手には『地球の歩き方 ローマ』が。
ヤマモトさんの訓示を活かすべく、「日本の方ですか?」と話しかけてみた。
やはり日本人のご夫婦で、旦那さんが古代ローマ好きで、イタリアに来たらしい。
明日はポンペイを見るのだとか。
ご主人の解説によれば「この先にサン・セバスティアーノ門があり、まっすぐ行けばアッピア街道」らしい。
昨日はカプリ島にいたことを告げると、「あそこにはティベリウス帝の別荘跡があるね」とマニアックな会話が成立。

サン・セバスティアーノ門に着いたところで、お2人は付設された展示室を見学するというので、そこでお別れ。
短い出会いでした……


意外と長丁場になりそうなので、サン・セバスティアーノ門そばの水道で、手持ちの空きペットボトル(2L)に水を補充。
(いつも500MLを買っていたが、ナポリで会った2人の節約術を真似た。)
そこで今度は年配の女性2人組(おそらくイタリア人)に話しかけられた。
ここはアッピア街道か、と聞かれたので、この先だよ、と受け売り。

ずんずん歩き、ドミネ・クォ・ヴァディス教会前に。
せっかくだから見ておくかと周囲を見回すが、それらしきものが見当たらない。
バス停前に(ツーリスト)インフォメーションの表示があったので訪ねると、おそらく兼務している男性が対応してくれた。
場所を尋ねると、すぐそこの左側にある、と言われる。
そこには塀があるだけなので当惑していると、表に連れ出され、再度方向を示される。
その様子を見て、隣の店舗の男性が「またジャポネーゼか」という感じで笑っていた。


ともかくわからないものの進むことにし、すぐそこの角を曲がると、曲がる前は見えなかった左側に扉が。
中に入り、写真を撮る。

表に出ると、すぐ近くに周辺図があり、先ほどの女性2人組が話し合っていた。
近づくと「カタコンペに行きたいのだが、とれくらいだろう」と質問された。
周辺図だけではわからないので、ガイドブックも取り出して見積もる。
1~1.25kmくらいか?
「one or...」と言いかけると、「one or one and half?」と聞かれる。
間違ってはいないのでうなずくと、2人は心が折れてしまったようで、路線バスのバス停へ向かっていった。


アルケオバス「カタコンペ」の停車場(サン・カッリストのカタコンペ)には、私の足で15分後くらいについたので、距離的には間違っていなかったと思う。
写真だけ撮ってさらに進むことに。
ここで日本から持ってきたアミノ酸の粉末を服用。
昼食を食べている時間はなさそうだ。

歩いていたら、さっき乗ってきたアルケオバスとすれ違う。
クラクションに手を挙げて応える。


続けて歩きサン・セバスティアーノ聖堂へ。
通り沿いに1つだけあった売店(屋台)でジェラートを買い小腹を埋める。
(3ユーロと高い上にまずいジェラートだったが……)


そのままチェチーリア・メッテラの墓まで歩き(ロムルスの墓は扱いが小さすぎて素通りしてしまった)、さらにアルケオバスの到達点(2011年7月現在)であるVilla Capo di Bove(Capo di Bove=牛の首)へ。
これ以上はガイドブックも地図もないコースだ。

ただガイドブックには“遠くにアーチを描く水道橋が見られる”といった記述があった。
もしかすると、あの水道橋がこのあたりで見られるのだろうか。
いままで見られるポイントはなかったし、見られるものなら最後に見たい……

私はさらに南下することに決めた。
現在14時。
16時までにここに戻ってくれば帰りのバスには間に合うから、大丈夫だ。


バス亭の近くに、古い屋敷の遺跡と、その再現をした建物(?)が無料公開されており、庭園では子どもたちが遊んでいた。
(※ここがCapo di Boveの遺跡だったようだ。)
なにかのキャンペーンがアッピア街道では行われているらしく、旗がなびいている。


屋敷跡を出るとそばに周辺図があったので、手がかりがないか見ていたら、同じく屋敷跡から出てきた若者が私に並んで周辺図を見つめ始めた。
「この辺に住んでるの?」と英語で話しかけたら、「違うけど、わかる範囲で答えようか?」といった感じの返答をくれた。
そこで、イタリア語で「水道」と言ってみたり、英語で「古代の水道管」と言ってみると「アクアドット?」という名称が。
周辺図にも「acquedotto」と表示された線が引かれている。
若者の話では3キロくらいだろう、とのこと。
いま14時15分なので、際どいかもしれないが、行けるだけ行ってみよう。

若者に礼を言って、さらに進むことに。
若者はウォーキングの最中らしく、イヤホンをして歩いていく。
私は歩くスピードを上げた。


ここからが悪夢、白昼夢の始まりだった。
いつまで歩いても、何も見えてこない。
しかも、人がほとんどいない。
3キロなら、私の足なら30分ほど。
しかし、30分を超えても、何も現れない。
ヴィラ・ヨヴィスと違い、地図もなければ道連れもいない。
水はあるが、どこまでスタミナが持つか……

不安に耐えかね、前から走ってくる自転車を止め話しかける。
「すみません。アクアドットはこの近くにありますか?」
「アクアドット? そんなのすぐ近くにあるよ。だってローマまで続いているんだから。この左手はアクアドットさ」
1キロも進めば見えてくるだろう、とその中年男性は言う。

礼を言って別れ、またしばらく進むが、光景は変わらない。
この辺りは広大な邸宅が多いようで、石塀と高い木が両側を塞ぎ続けている。

停車中の車があった。
ドライブデートの最中らしい中年紳士に聞いてみるが、「アクアドットは知っているけど、このあたりにあるかは知らないなあ」。


さらに進むと遺跡が。
これか? と興奮するが、これは周辺図に示されていた「Villa dei Quintili」だろう。
あとどれくらい進めばいいんだろう……
するとさっきの若者が、上半身裸となり、ものすごいスピードで背後から迫ってきた。
どうやらランニングに切り替えたようだ。
挨拶すると立ち止まった。
「これかい?」
「違う。これは古代の村の跡だ」
「そっか」
若者は私を追い抜いて、またたくまに小さくなった。

さらに歩く。
もうすぐ15時だ。
時間的にも体力的にも限界か。

前から男性のランナーがやってきたので、止めて、話しかける。
「すみません、この近くにアクアドットはありませんか?」
「アクアドット? 見たいの? でもここから先もコピーみたいに同じ光景が3~4キロ続くよ。遮られて何も見えないんじゃないかな。進むのを止めはしないけど、引き返すことをおすすめするけどね」
礼を言って別れる。

それはすぐそばに存在しているが、私たちはそれを見ることができない。


もう少しだけ進み、新道方面へ向かう交差点を発見。
遠くにこれかなー、というものを見つけ、写真に収めるのが精一杯。
迂闊な旅の迂闊な終わりとしては、ふさわしい一枚なのだろう。

引き返し始めた私に、若者が、再び猛烈な勢いで迫ってきた。
かなり先から折り返してきたに違いない。
声をかけると立ち止まった。
「アクアドット見えた?」
「いや、このそばにあるけど、私たちには木が邪魔で見えないらしい」
若者はイヤホンを外して歩み寄ってきた。
「どこから来たの?」
「日本」
「へえ、日本のどこ? トウキョウとか?」
「サイタマ。トウキョウの北にある」
「おれ、トウキョウに友だちが住んでるんだ」
「私は明日、日本に帰るよ。その前にアクアドット見たかったんだけど……」
それ以上は話すことがなくなってしまい、沈黙が訪れた。
(本当はそのトウキョウの友だちについて話せばよかったのかもしれないけど。)
「じゃあ、元気で」
「気をつけてね」
若者は走り去っていった。

帰り道は思ったより順調で、アルケオバスのバス停に15時30分にはたどり着けた。
うまいタイミングでバスがやってきたので、乗り込んでそのまま共和国広場まで戻った。

*

いったんYHに戻ってシャワー。
夕食には早いので、共和国広場のバールに寄ってみたり(鳩にフンを落とされた!)、みやげ物をUpimやSmaで物色。
その後ガイドブックにあった「サンディ」で夕食をとる(7/1に行こうとしていた店)。
ツーリストメニューの料金はかなりお得だった。
味は普通。
日本語メニューがあったけれど、業者が自動翻訳を使ったせいか、間違った表現が多くて苦笑する。

*

最後の夜は1人でしんみりやろうとしていたら、ナポリYHの交流が心地よすぎたせいか、さみしくなってしまった。
食事を終えて、寝酒を買って、YHに戻っても21時。
日没したが、空はまだ明るい。

初日のトラウマを克服すべく、ライトアップされているという共和国広場を見に行くことにした。
ただし、観光客には見えないように、用心してカメラは外していく。

行ってみるとそこは、観光客だらけで、ほとんど心配のいらない場所だった。
満月に近い月が美しく、ライトアップされた噴水に映えていた。
月の写真がほしいな、と感じる。
噴水の写真はどちらでもいい気がした。

帰り道、iPhoneで何かを撮ろうとしている男性がいた。
隣に立ち、同じ角度から空を眺めると、月と街角が一枚絵のように切り取れる。
こちらに気づき視線を向けた男性に「Beatiful!」と言うと、男性は微笑んだ。

7/13 ナポリ(カプリ)

2011-12-14 01:39:27 | italia
5時半起床。
身支度を整えて、6時にロビーへ。
2人のアドバイスでビーサンを所持(ビニール袋に入れ、カーゴのポケットに)。
5分ほど遅れてヤマモトさんがロビーへ。

レセプション(別人)に昨夜得た情報を再確認のためにぶつけると、フェリーはさらに奥のPortoから出るので、歩いていくのは無理だ、バスに乗れ、と言われる。
15分まで待つが、タイヨウくんはやってこない。
おろらく私の足なら、さらに奥のPortoでも、1時間歩けば余裕で着くだろうが……女性の足ではどうか。

ここでヤマモトさんにバスで行くことも提案してみるが、歩ける、というので予定通り歩きで行くことにする。
また、タイヨウくんは仕方ないが置いていく。
(私もヤマモトさんも乗り物のチケットは買ってある。タイヨウくんだけ未購入だったのだが……)
YHの朝食は7時からなので、何も食べずに出発。


メルジェッリーナの早朝の海岸は、とてもさわやか。
ヤマモトさんと旅行術の情報交換や、互いの旅の思い出などを話してのんびり歩く。
私はトレッキングシューズだが、ヤマモトさんは足元ビーサン。
島に行くのだから適切な装備だが、少々ペースがゆっくりだ。
それでも1時間ほど歩くと、港が見えてきた。
船が停泊しており、チケット売り場もある。

「No.18 Nave Capri」の文字。
よし、到着、と思ったら、乗り場はこの1km先だという。
どういうことなんだ……
時刻は7:25。
フェリーの出発は10分後だ。

「走りましょう!」のヤマモトさんの声で走りだす。
いきなり汗だく。
どれくらいで1キロなのか……ともかく走る。
「絶対間に合う!」とスポーツ経験者なのか、非常に強いメンタルを発揮するヤマモトさん。

そろそろかな、と港の様子が変わりはじめたところで立ち止まる。
手分けして聞き込み。
警備員らしき若者に、イタリア語で「カプリ島行きの船のチケット売り場はどこ?」と聞いたら、イタリア語で返答されわかりません。
「English?」と反問され、うなずくと「緑のライトが見える? あの奥だ」と教えてくれた。
「薬局?(イタリアでは緑十字が薬局のサイン)」
「そう、薬局」
「グラッツィエ ミーレ!」
後方で同じくイタリア人に話しかけているヤマモトさんに、わかったことを大声で伝え、再び走りだす。

200mほど先にある建物までダッシュ。
この時点で7時半を回っている。
次のフェリーは12:50だ。
1階の奥がチケット売り場になっていた。

窓口に駆けつけ、「カプリ行き7時35分!」とイタリア語で怒鳴ると、閉まっていた受付が開いて、切符を売ってくれた。
(男女だったせいか、私にいきなり2枚分請求がきた。)
ともかく買って、すでに出港準備を終えている船に飛び乗り、甲板へ。
乗船した時点で、すでに7時35分を過ぎている。
イタリアのルーズさにまた助けられた。


「この甲板に出たかったんですよ!」
ヤマモトさんはおおはしゃぎ。
加えて達成感にひたっているようだ。
(全力疾走した暑さでそれどころではない私……)


なんでも高速艇は、外に出られない構造らしい。
甲板でしばらくすごしたあと、前のほうに移動してみることに。
海風が気持ちいい。


午前中のおだやかな日差しの下、フェリーは順調にカプリ島へ。
マリーナ・グランデ (Marina Grande) 、9時着。

ここからはヤマモトさんが収集したweb情報を元に、どんどん進んでいった。

まずマリーナ・グランデにあるアナカプリ(Anacapli)行きのバス乗り場へ。
通常よりずいぶん小型のバス(料金は1.6ユーロ)。
島の狭い道路に合わせた仕様のようだ。
すし詰め状態で発車。
車内は冷房がないのか、効かないのか、ものすごく暑い。
汗が止まらない。

アナカプリに着いたら、今度は青の洞窟 (Grotta Azzurra) 行きのバスに乗り換え。
(表示を頼りに進むが、わからなくなってあたりの人に尋ねた。)
アナカプリから、同じような小型のバス(同じく1.6ユーロ)に乗り、青の洞窟へ。
バスは約20分間隔で運行していた。


青の洞窟着。
マリーナ・グランデからモーターボートでやってきた人たちが、海上で順番待ちをしているのが見える。
ビーチサンダルに履き替え、トレッキングシューズをビニール袋に入れる(これが重い上にかさばった……)。


階段を降り、洞窟前へ。
手漕ぎボートの空きを待つ。
ほとんど波もないせいか、優先されるモーターボートの観光客もどんどんはけて、すぐにバス停からの観光客がボートに乗り込むことに。
一艘に4~5人というのが普通のようだが、前後がグループだったらしく、ヤマモトさんと2人で乗り込む。
(そのままボートは回旋し、料金所で12.5ユーロを支払った。)

洞窟の入口は狭いので、乗客は密着し、頭を舳先より低くしなければならない。
仰向けになるのだが、ここでヤマモトさんの手を潰してしまうなど、体勢づくりに困惑する。
船頭の合図で一気に中へ。
すると暗闇の中に青い水面が広がっている……
これが青の洞窟か……


船頭が漕ぎながら歌(カンツォーネ?)を歌う。
先に入ったもう一艘とユニゾン。
歌の合間に「アモーレ、アモーレ! キッス! キッス!」と訴える。
だからカップルじゃないんだよ。

洞窟内を一周し、再び外へ。
入り口をくぐるときはスリリングだし、中は美しくキッスして「アモーレ」と囁くには適している。
なんというか……“アミューズメント”?
古代から続く観光名所である理由がわかった気がした。

船頭が「ナイスチップ10ユーロプリーズ!」と言ってきたので、ヤマモトさんに相談したら「いいとこ1ユーロじゃないですか?」と冷静な対応。
私はこういうとき弱気なので、心強い。
1ユーロずつ渡して下船。

バス停に戻ると10:20発のバスが停車中だったので、そのまま乗り込みアナカプリへ。
復路のバスは空いていて、余裕で座ることができた。

帰りのフェリーがなくなるまでには、かなりの時間がある。
私はカプリ島で時間が余ったら、ティベリウス帝の別荘跡「ヴィラ・ヨヴィス(Villa Jovis)」が観たいと考えていた。
ヤマモトさんに伝えたところ、予定はないので一緒に行くとのこと。
行き方がわからないので、いったんマリーナ・グランデまで引き返して、ツーリスト・インフォメーションで情報収集しなくてはならない。

マリーナ・グランデ行きのバスに乗り換えようとバス停に並ぶ。
するとヤマモトさんが、すぐ近くにいる東洋人の女性をじっと見つめ始めた。
服装から日本人だと推測したようだ。
ヤマモトさんが日本語で話しかけると、彼女はやはり日本人。
カプリ島だけで5日間滞在しているのだという。
なんでも今日アマルフィに移動するのだが、最後にどうしてももう一度飲みたいレモネードがあり、これから飲みに行くそうだ。
そんなにおいしいならついていくことにし、マリーナ・グランデではなくカプリ行きのバスに一緒に乗る。
女性たちは話がなにやら盛り上がっていたが、私は車内の暑さに再びやられ、朦朧としていた。

カプリに着く。
カプリ島にはカプリとアナカプリとう2つの町があり、このカプリは島の中心街のようだ。
フニコラーレ(ケーブルカー)の駅もあり、店も人も多い。
行列のできているジェラテリアの横を抜け、アウグストゥス公園のほうへ。


彼女はアウグストゥス公園を目指して歩いていたとき、途中で諦めて、この屋台に立ち寄ったのだという。
味はレモンなのに甘く、とても飲みやすい。
レモンが日本とは違うのか。
ともあれ、朝から動きっぱなしの身体を癒すのには、格好の一杯だった。

ヤマモトさんいわく、同じ場所に長く滞在している人はいい情報を持っている。
こういうのを味わわなきゃダメですよ、と旅行中ロクなものを食べていない私に言うのであった。

ホテルに戻る女性と別れ(そういや名前も聞かなかった)、偶然見つけたカプリのツーリスト・インフォメーションへ。
すると「ここからまっすぐ30分歩いたところにある」という。
現在11時。
余裕のスケジュール。
食事はまだ平気だとヤマモトさんが言うので、そのままヴィラ・ヨヴィスを目指すことにする。



30分なら楽勝のはずが……
30分の平坦な道と、30分の上り坂ではしんどさが違う。
いくら上ってもたどりつかない。
ましてや、炎天下だ。

途中で道を間違ったり、標識を見失ったりし、本当にこの先にあるのか、不安になる。
「12時まで進んで、何もなければ引き返しましょう」
とヤマモトさん。
限界時間の設定は私もよくやるが、妥当な設定と同意。
こういうとき同行者の存在は本当にありがたい。
予想外の長い道のりについて詫びると、「勝手についてきてるんですから気にしないでください」と大人の返答。

とうに30分は過ぎたころ……高台にそれらしき銅像が……
もしかしてあれか?
あそこまで上るのか?
ヴィラ・ヨヴィスからの復路を歩く人達は、すれ違うとき、なんとも優しげな微笑を浮かべている。
精も根も尽き果てて、ようやくヴィラ・ヨヴィスにたどり着く。


入場料を払い、足を踏み入れた瞬間、ヤマモトさんが歓声をあげて駆け出した。
海が青い。


一層涼しく感じる海風にあたりながら休息したあと、別荘跡を見て回る。
反対側の海も、銅像がある教会前のスペースから眺望できた。


ただひたすらに青い。
この青だけが孤独な皇帝の慰めだったのか。

ヤマモトさんもこの海の青さには感動したようだ。
「ついてきてラッキーでした。でも、もう1回やれと言われたら絶対やらない」とのことだった。

ヴィラ・ヨヴィスでビーチサンダルをトレッキングシューズに履き替えてから、坂道を下る。
下りのほうがシューズのせいもあるが、精神的に楽だった。
またしても道を間違えそうになるが、ヤマモトさんが正確に記憶しており、無事カプリに帰還。
先ほど見かけた行列のできるジェラテリアに寄り、エネルギー補給。


次のフェリーの時間までは随分あったが、フニコラーレを使い、マリーナ・グランデまで下りておくことにする。
何かアクシデントがあるかもしれないので。
マリーナ・グランデに並ぶ商店で土産物を物色。
リモンチェッロの小瓶がいいかな、と目をつけていたのだが、アナカプリではもっと安かったような……
ここでは1つ5ユーロだが、半額くらいだった気がする……記憶違いかもしれないが、なんとなく買う気がなくなった。
(ちなみに空港では6.5ユーロとさらに高くなっていた……)。

フェリーが入港してきたので、出港まで余裕があるが、乗り込んでおくことに。
チケットには往復と片道の2種類があるのだが、ヤマモトさんのweb情報によると、購入したのは価格的に往復券ということだった。
というわけで朝モギられたチケットの残りを保管していた。
ところが、取り出して船員に見せると、「チケットじゃないよ」と言われる。
どうやら勘違いして、片道切符の半券を後生大事に取っておいたらしい……
切符売り場で片道切符を購入。
また慌てるところでした。

冷房の効いた場所で休みたい私は船内へ(ヤマモトさんはまた景色を観たいと甲板へ)。
ソファに腰掛けた途端、眠気に襲われ、うたた寝するうちナポリ港は間近に。
甲板に出ると、ヤマモトさんも寝てしまったそうで、かなり日焼けが進んでいた。

このあと食事をどうするか、と相談したが、ヤマモトさんはお目当てのリストランテがあるそうで、魚介料理が評判だそうだ(私は貝が苦手なので、同行は遠慮した)。
私のほうはナポリピザを食べようと思っているのだが、彼女は昨日食べてしまったとのこと。
どうやらそこは私が行こうとしていた「ダ・ミケーレ(Da Michele)」のようだ。
彼女の目指す店はナポリ中央駅の反対側。
通り道なので、店の場所を教えてくれるという。

下船後、ナポリの中心街に向かって歩く。
ナポリの街はうさんくさい露天商が多く、不法投棄のゴミなども散らばっており、とても「ナポリを見て死ね」とまで言われた都には見えなかった。
ダ・ミケーレ前の路地で、ヤマモトさんと別れる。

*

「ダ・ミケーレ」はナポリピザの老舗。
それほど大きな店ではなく、20人も入れば一杯なのではないか。
いつも行列ということだったが、時間帯のせいか、相席ではあるがすぐにテーブルにつくことができた。
メニューは「マルゲリータ」と、「マルゲリータ(大)」のみ。
マルゲリータの普通サイズと、ナズーロ(イタリアのビール)を注文。

4人掛けで相席し、正面はカップルだったのだが、2人ともかなり大きいピザを食べている。
周囲を見回しても、みんな大きいピザだ。
これが「マルゲリータ(大)」か、でかいなあ……と感心していたら、私の目の前にも同じサイズのマルゲリータがやってきた。
私の表情を見て、隣のテーブルの人が笑いかけてくる。


こういうのは勢いが肝心なので、一気に食す。
ふかふかの食感。
トマトソースの味がよい。
とてもおいしいピザだ。
ただ、周辺が焦げていて、硬い。
そこだけが難点。
釜のせいなのだろうから、仕方ないか。

満腹となり、膨れた腹を抱えて休憩していた私。
奥のテーブルに座っていた、10代後半のグループが会計をしようと立ち上がった。
そのうちの1人の男の子と、偶然目が合う。
空となっている私の皿を見て、拳の親指を立てる。
「Perfect!」
私も親指を立てて笑顔を返す。
こういうやりとり、海外ならではですな。

*

歩いて10分ほどのナポリ中央駅へ。
両替をして、明日のローマ行きの切符を購入。
時間は8:50。
11時にはローマに着く。

地下鉄でメルジェッリーナへ。
購入済の1日券を使用(24時間なので、明朝も使える)。

YHへ戻り、まずシャワー。
次にイタリアで最後になるであろう洗濯。
洗剤の自販機や洗濯乾燥機の使い方がミラノなどとは違っていたので、レセプションに相談するために何度も行き来し、意外と苦労した。

すると、ベンジャミンがレセプションの裏に入って行き、ワインを手にして戻ってくるところに出くわす。
どうやら冷蔵庫があるようだ。
使えるの? と聞いたら、もちろん、とのこと。
YH共用の冷蔵庫がこんなところにあったとは。

洗濯物を乾燥にかけ、ビールを買い出しに。
一応、ヤマモトさんとタイヨウくんが帰ってきたとき3人で飲む可能性も考慮し、ハイネケン500ml瓶2本を買っておくことに。
(サービスでカップもつけてくれた。)

YHに戻ると、入り口脇のテラスで席で、ヤマモトさんがタバコを吸いながらハイネケンをすでに飲んでいた。
このあと時間があるなら晩酌につきあってくれないか、と聞くと、構わないととこと。
冷蔵庫にビールを入れ、洗濯物を回収。

改めてロビーのソファで乾杯。
ヴィラ・ヨヴィスに付き合ってもらったお礼の気持ちもあり、どんどん飲んでもらうことに。

実はイタリアでは缶ビールがほとんど売っていなくて、いつも栓抜きで苦労していた。
買ったとき開けてもらうことが多かったのだが、このときは厨房に行って栓抜きを借りた。
瞬く間に1本目がなくなり、2本目というとき、栓抜きの話題になったのだが、「わたし栓抜き持ってますよ」とヤマモトさん。
99cent shop(日本の100円ショップ)で買ったというのだ。
こういう発想はなかった……

2人で1時間くらい飲んで様々な旅の話をした。
特に言われたのが「日本人を見かけたら話しかけたほうがいい」ということ。
今日のように情報を得られたり、一緒に行動すれば、共感して楽しむことができる。
なるほど、確かに青の洞窟、1人ではかなり虚しかったかもしれない……

そのうちタイヨウくんも帰ってきて、3人で談笑。
やはり寝坊したらしく、朝食をたっぷり食べた後二度寝し、午後はポンペイを見てきたそうだ。
偶然とポンペイを観に行く日本人と会い、一緒に行動したのだという。
「ポンペイいいですよ! 遺跡にまったく興味のない僕でもよかったくらいですから。ナポリ滞在延ばして見てきたらどうです?」とタイヨウくん。

10時となり、ヤマモトさんが明日の準備のため部屋へ行くというので、お開きとなった。

7/12 バーリ→ナポリ

2011-12-03 22:48:13 | italia
今日はバーリからナポリへ移動する。
ナポリへはプルマン(pullman)……日本で言う高速バスが早いとガイドブックの情報があったので、バーリ駅発12:50に乗る予定で行動。
9:00発車もあったが、YHからバーリ駅まではバスで時間が読めないので、余裕をもったスケジュールにした。
(ここでがんばればポンペイも観られたのだが……まあいいや、と思ってしまった。)

8時前に起床し、朝食。
朝食はかなり広い食堂に私1人。
何人か食べた形跡はあるが、YHの朝食でこんなのは初めてだ。

9時に駅へ向かうバス停へ。
バーリは快晴。
朝から暑い。
滝のように汗が流れて止まらない。

20分後、ようやくバスが来たと思ったら、素通り。
まさかの乗車拒否?
憤慨しながら次を待つ。
さらに15分待ち、ようやく乗ることができた。

このバスは循環しているらしく、バーリ駅が終点ではない。
そこで運転手に「駅のそばで降りたい」と伊語で伝えたら、胸を叩いて「俺にまかせろ!」と言わんばかりのジェスチャー。
降車寸前、この先の交差点を左だ、と教えてくれる。
バスを降りて、交差点で信号待ちをしていたら、クラクションが。
さっきのバスが右折して目の前を通りすぎていく(イタリアは右側通行)。
運転手が駅の方向を何度も指さしていた。
いやいや前見てよ。
うれしいけど。

陸橋を使い、ツーリスト・インフォメーションのある北側に出る。
ツーリスト・インフォメーションでプルマンの乗車場を尋ねると、ブロックの番号を書いて渡してくれた。
駅の南東ようだ。
再度南側に出てみると、駅前に並ぶ各ビルに番号が表示されていたので、それを頼りに歩くと切符売り場が。
12:50発は空席があったので、購入。
プルマンの発着場所は、売り場から少し(200mほど)離れた場所にあるそうだ(英語でプリントアウトされた紙を見せられた)。
ガイドブックによればナポリ行きは2社が運行している。
チケットにはMARINAのプルマンとあったので、英語で「何色のバス?」と聞いてみたら「ブルー」と返答が。

現在11時。
12時半頃に、この周辺で青いバスを探せばいいわけだ。

時間があるので周囲に銀行や両替所の類を探してみるが、TCを現金化できそうなところは無し。
諦めて切符売り場の並びにあるバールで腹ごしらえと休憩。
SANPELLEGRINO ARANCIATA(サンペレグリノのオレンジ炭酸飲料)とジャガイモのピザ(意外とうまかった)。
食べ終えたあとは手記をつけて時間つぶし。
夏バテのせいか頭痛がする。

12:30になったので道路を見渡す。
周辺に停車している青いバスはない。
すると目の前をMARINAと白抜きで書かれた赤いバスが走っていく。
まさか……たしかに200mほど先で止まった。
席を立ち、近づいて正面の表示を見ると“NAPOLI”の文字が。

運転手がモギリも兼ねているようで、降りてきて切符を確認している。
チケットを見せると、ナポリ行きはこのプルマンで間違いないらしい。
(このとき、すぐ近くに東洋人がいたが、国籍がわからないので話しかけなかった。)

荷物を側面のトランクに載せ、着席したらすぐに出発になった。
停車時間は15分ほど。
危なかった……

プルマンは直行というわけではなく、途中の町で乗客をピックアップしているようだった。
景色を眺めたり、うとうとしたりするうちに、ナポリ中央駅前に到着。
16:30着のはずが、17時を回っていた。

まずはナポリ中央駅へ向かい、両替所でTCをユーロに両替。
100対90のレートだったので、悪くはない。
さらにツーリスト・インフォメーションでカプリ島への行き方を聞き、パンフレットをもらう。

これで駅でやることは終了。
地下鉄でYHへ向かうことにする。
構内のタバッキで1回券と1日券(明日用)を買い、地下鉄に乗ろうとするが……
「M2」とアイコンはあるので地下に下りたものの、改札が見当たらない。
困惑したが、何度か行き来するうちに理解した。
地下1階のホームがそのまま地下鉄の駅になっているのだ。
地下にある駅名の表示も、P.ガリバルディ駅となっていた。
(ローマやミラノは自動改札になっていたから、勘違いした。)

地下鉄でメルジェッリーナ駅へ。
駅裏手の高台にYH「Ostello Mergellina」がある。
YHリストの地図がなければ迷ったかもしれない。
なにか工事でもしているのか、車両用のゲートがあるのでその脇を抜け、きつい勾配を上る。
最後は急な階段を登りきってようやくYHだ。
ナポリも暑い。
汗だくだ。
でもこっちの人はあまり汗をかいてない。
身体の構造が違うのか………

YHにチェックイン。
ここのロビーは強烈に冷房が効いている。
荷物を部屋に置きにいくと、古い木製2段ベッドの6人部屋だった。
白人の青年が入ってきたので挨拶。
シカゴからきた、ベンジャミン。
ベンジャミンはずっと「Too hot... Too hot... 」とつぶやいていたので、「Is Chicago cool in summer?」と聞いてみた。
「Chicago is air-conditioned.」と真顔で返答。
もちろん、このYHも各部屋に冷房はない。

外出しようと再度ロビーを通ると、さきほどプルマンに乗り合わせた若い男性がいたので、なんとなく会釈。
すると「日本の方ですか?」と話しかけられた。
絶対中国人だと思ってたのに。
互いにそう思っていたようだから、どうやら日焼けして髭を伸ばすと、日本人には見えなくなるのかもしれない。

話をしてみると、いままでアジアを旅してきて、これからヨーロッパを回る予定だという。
この春までは学生で、10月入社の企業に内定をもらったので、入社までの期間、貧乏旅行をしているそうだ。
彼の話では、もう1人日本人がYHに泊まっているという。

せっかくだから一緒に周辺を探検しよう、とレセプションに地図をもらい、表に出る。
するとテラスでハイネケンの大瓶をラッパ飲みしながら、タバコをふかしている日本人らしき女性が。
豪快だな……
彼が話しかけたので、どうやら彼女がもう1人の日本人のようだった。

ここで自己紹介。
彼はタイヨウ(名前)くん。
彼女はヤマモトさん。
ヤマモトさんはヨーロッパを旅行しており、このYHに3日間滞在するのだという。
彼女も時間があるそうなので、3人でメルジェリーナを散策。


すぐ近くの海を見たり、市場に入ってみたり。
腹が減ってきたので、何か食べたいという話をしたら、タイヨウくんとヤマモトさんが道端で立ち話していたおじさん2人組をつかまえた。
タイヨウくんは安くて満腹になるのでピザが食べたいらしく、ピザ、デリシャスなど英単語をぶつけている。
行動的な2人だ……
私がイタリア語に言い換えてぶつけるうちに伝わったのか、ついてこい、とおじさんたちが歩き出し、すぐ眼の前にあるピッツェリアへ連れていかれる。
本当かよ。
(ここで昼食の遅かったヤマモトさんはYHへ帰った。)

私は夏バテ気味なので肉料理を食べようと考えていた。
「なら豚ですよ」とタイヨウくん。
店頭のメニューでどれが豚料理なのか検討していたら、スタッフの男性が出てきた。
タイヨウくんがポーク、と言うがわからない。
私もとっさにはイタリア語の単語が浮かばなかった(肉、というのは浮かんだのだが……)。

するとタイヨウくんはブヒブヒと鼻を鳴らして豚のマネをし始めた。
おもしろがって店の人もブヒブヒやりだした。
私も加わってYes! とばかりに3人で鼻を鳴らしていたら、店の人はこれだよこれ、とメニューを指した。

店に入ってその料理を注文したら、ビーフステーキが出てきたよ。
イタリアの牛はブヒブヒ鳴くらしい(結果夏バテは解消した。)。

食事を終えYHに戻ると、また入口脇のテラスで、ヤマモトさんがハイネケンをラッパ飲みしていた。
話しかけ、明日の予定の話になると、どうやら3人とも「青の洞窟」に行く予定のようだ。
じゃあ3人で行こう、となった。
(私には初のケースだが、ヤマモトさんによれば、YHで会った日本人同士、目的地が一緒なら共に行動するケースは多いらしい。)

iphoneでヤマモトさんが調べた結果や、パンフレットの情報を照合すると、まずメルジェッリーナ駅からナポリ中央駅へ戻り、バスでMassa港へ、そこからカプリ島へ渡る、というのがパターンのようだ。
カプリ島への渡航手段はフェリーと高速艇の2つがある。
また、青の洞窟は光の関係で午前中に観るのがよい、とされていた。

ヤマモトさんは高速艇はイヤ、絶対にフェリーがいい、という。
レセプションに相談すると、7:35発のフェリー以降、7・8月は午後まで欠便となる。
午前中に観るには、7:35のフェリーに乗る以外方法がない。

するとタイヨウくんはバス代がもったいないから歩いて行きたい、と言い出した。
たしかに地図で見る限り、40~50分も海沿いを歩けば、メルジェッリーナから港に着けるだろう。
乗り換えやらの時間を考えれば、歩いていってもそれほど変わらないのではないか。
私も歩いて行くことにすると、ヤマモトさんも歩く、と言い出した。
どちらにせよ朝6時に集合し、遅れたら置いていくということに。

ここでアクシデント。
ピッツェリアからの帰りにタバッキで買ったビールを、袋ごと床に落として割ってしまった。
時刻は21時半。
外は暗く、さすがにナポリで夜外出する勇気はない。
寝酒は無し……

解散となり、部屋へ戻る。
同室の人間はまだ誰も帰ってきていない。
シャワーを浴び、耳栓をし、ベッドに入る。
10時半。
ともかく体を休めようとするが、横たわっているだけなのに汗が止まらない。
開けっ放しの窓から蚊が侵入するので、虫除けスプレーをして、再び横になる。
目を閉じてじっとしていると、何度か目を覚ましつつも、4~5時間は眠ることができた。