随思録

日々思うことを記す。

7/3 フィレンツェ

2011-07-28 15:19:43 | italia
朝食の席でビルにつかまり、1時間ほど話す。
早く出たかったのだが、話し相手がいないのだろう。
こちらの言っていることは伝わるが、あちらの言っていることの半分も理解できない。
昨日もそんな感じで、理解できたのはビルが50歳で、カナダから来ていることくらいだ。

改めて話を聞いてみると、ビルは英語教師。
インターナショナルスクールで、さまざまな国籍の子どもに英語を教えているそうだ。
仕事の関係で大阪に来たこともあるらしい。

私は英語ができないから、もっと勉強しないとね、と言うと……
本気で英語を学びたいなら、skypeを活用しろ、とアドバイスされる。
語学学校に通うのはあまり意味がない、という。
ともかく会話することが重要で、いまはskypeで事が足りる。

時差がある、と反論したら……
インドはどうだ、中国もいまは英語を話せる人が増えていると言われる。
なるほどねー

外出しようとロビーを通ったら、昨日のスペインの大学生3人組がチェックアウトするところだった。
これから彼の友人の家に一泊し、その後ヴェネツィアを観光するのだという。
SMN駅までのバスも一緒で、会話する。
日本に戻ってからの就職を心配していたが、最近の表現でいうところの“コミュ力”強そうだし、彼ならだいじょうぶなんじゃないかな。


午前中はサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会(ドゥオモ)の内部を見ることにし、向かってみると、日曜日はミサが行われるため、入場は午後からとのこと。
ならば、と横に立つジョットの鐘楼に上り、ヴェネツィアの風景を楽しむ。

降りて11時。
ドゥオモの開場は13時半。
まだ時間があるので、距離的にも近いアカデミア美術館を狙ってみる。
大行列ができており、13時半には間に合いそうもない。

気分を変え、明日の宿探しをすることに。
できればアカデミア美術館は見ておきたいし、フィレンツェはもう一泊してもいいだろう。
今日はウッフィツィ美術館を見て、明日アカデミア美術館を回ろう。

SMN駅近くにも民営YHがあり、訪ねてみたが明日は満室とのこと。
次はガイドブックに載っていた比較的安いホテル。
「Giappone(日本)」という名のそのホテルは、エレベーターのない4階にあるらしい。

階段は気にならないので訪ねると、レセプションには年配の女性。
どうやらイタリア語のほうが通じるようだ。
明日はシングルシャワーつき(singola con docchia)なら空いているそうだ。
素泊まりで60ユーロ。
部屋を見せてもらうと、寝室はそれほど広くないが、洗面所がきれい。
少々高い気もしたが、ここで決めてしまうことに。
だいぶイタリア語を思い出してきた。
(あとでわかったが、SMN駅をはじめとする各所に出やすい、立地が非常によいホテルだった。)

ここで13時すぎ。
再びサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の前に戻ると、行列ができている。
どのくらい待つかわからないが、遅れるわけにはいかない。
フィレンツェに延泊するなら、無理にこの行列に並ぶ必要はないだろう。


14時くらいに予約しておけばよかったな、と思いつつ、南へ移動し、ウッフィツィ美術館の周辺で過ごすことにした。
アルノ河沿いを歩き、ヴェッキオ橋を渡って、目に止まったカフェで野菜のサンドイッチをカプチーノとともに食べて昼食。
それでも時間があまったので、予定では見学するつもりのなかった、ヴェッキオ宮殿内部を見学することにした。


ここでヴェッキオ橋からヴェッキオ宮へ向かって歩いていると、通りで何やらビラを配っている。
一度は無視したがLIBERO(無料)の文字が気になり、受け取ると入場無料のコンサートが19時から開催されるとある。
通りから入ったところに古い教会があり(調べたところサント・ステファノ教会)、そこで少年(少女)合唱団が歌うようだ。
こういうものに参加することこそ、個人旅行の醍醐味だ。
ウッフィツィ美術館のあとはコンサートに決めた。


ヴェッキオ宮は行列もなく、すぐに入場できた。
会議場跡は見ごたえアリ。
変な彫刻もあり、写真を撮っておもしろがる。
法王の私室も豪華で楽しめた。

予約時間30分前ににウッフィツィ美術館へ。
金属探知機でのチェックはもちろん予想していたが、ペットボトルを持ち込めず破棄したのは意外だった(ヴァティカン博物館は可能だった)。
オーディオガイドを借りたが、解説の量がすごすぎて、途中いくつか飛ばす。
また改修等で順路が変更になっているようで、オーディオガイドと順番が違い、序盤はかなり当惑した。

もちろん全面撮影禁止。
カメラのレンズカバーが外れているだけで、「No foto!」と係員が厳しく注意。
こういうところは却って好感が持てる。
芸術の都としての矜持だ。


ちなみに窓の外を撮ることは問題ないらしく、唯一撮ったヴェッキオ橋の写真。
そっと美術館内部も撮ろうとレンズを内側に向ける観光客もいたが、「No foto!」と注意されていた。

膨大なコレクションに圧倒されたが、その中でも最も魅了されたのはやはりティツアーノ「ウルビーノのビーナス」。
肌の美しさ、なめらかさがなんともいえない。
印象深かったのはミケランジェロ「聖家族」。
“ミケランジェロのマリア”と称されるそのマリアの描き方は、文学的主題になりえる。
(あと一点気に入った絵画があったが、残念ながら名前を失念。)

門外漢ながらある程度、宗教画からルネサンス美術に至る流れは把握していたが、それをかなり補強できた。
ちなみにカラヴァッジオはここでも貸し出し中。
どういうことやねん。
本当に縁がない……

もしかすると見終わらないかもしれないと、ヴァティカン博物館の二の舞を避けるため、後半の現代美術などはほとんど観ずに進んだ結果、予想より早くウッフィツィ美術館を出る。
コンサートまではまだ30分以上ある。
このあたりにレートのいい両替屋があるとガイドブックに載っていたので、地図を片手に歩いていたら、偶然にもタケムラさんと遭遇。
(すれ違い様、タケムラさんに発見された。)

タケムラさんは韓国人の女子大生ミンちゃんと行動中。
このあとどこへ、という話題になり、コンサートの話をすると2人とも興味を持ったようで、3人でコンサートを聴くことに。


コンサートは19時~20時のミニコンサート。
アメリカから招待された少年少女合唱団が賛美歌、ゴスペルなどを歌う。
無料が驚きなくらいの、すばらしい歌声だった。

コンサートが終わり、2人はこのあとヴェッキオ橋を見て、ミケランジェロ広場に向かうつもりだ、という。
ミケランジェロ広場から眺める夕景が美しいそうだ。
ミンちゃんによれば、ミケランジェロ広場で夕日を眺めながらビールを飲むのが最高、とあるBlogで読んだそうだ。
タケムラさんはミンちゃんに観光プランは任せている模様。
私もミケランジェロ広場は見てみたかったので、お供することに。

ミンちゃんは活力の溢れた子で、一時も止まることなく見たり、食べたり、写真を撮ったりしている。
自称4.5か国語がしゃべれるそうだ。
私たちとは日本語で会話し、英語も流暢に操る。

日没は21時(ミンちゃん情報)。
ヴェッキオ橋とアルノ河を写真におさめるうちに、夕暮れが迫ってくる。
見上げると高台にフラッシュが光る一帯があった。
どうやらあそこがミケランジェロ広場のようだ。

歩いていけそうな距離だが、2人はバスで行きたいらしい。
ガイドブックによればSMN駅前から12番バスに乗れとあるが、きっと付近にもバス停があるだろうとミンちゃんが言うので、探してみる。
アルノ河沿いの通りにあるバス停で待つ年輩の夫婦(Americano)にミンちゃんが話しかけると、この夫婦もミケランジェロ広場にいくつもりだが、確たることは言えないらしい。
続いて若い夫婦と子ども2人の一家(Francese)がやってくる。
こちらは方向は同じだが、目的地が少々違うようだ。

しばらく待つとバスがやってくる。
ミンちゃんが運転手に尋ねると、このバスの先で乗り換えればミケランジェロ広場に行けるらしい。
(切符がなかったので、ミンちゃんの手持ちを譲ってもらう。)

2区画ほど乗って、さっきの年輩の夫婦と一家が降りていく。
「ここじゃないのか?」と2人に確認する間にドアが閉まった。
夫婦も一家も「なんで降りないの?」という顔で私たちを見ていた。

しまった、乗り過ごしたか……と観念したら、次のバス停は意外と近く、数分遅れで乗り換えのバス停に到着。
拍手で迎えられる。
どうやらこれは12番バスのバス停のようだ。
結局12番バスか、と思いながら待っていたが、これがなかなかやって来ない。
日はとっくに沈み、周囲はどんどん暗くなっていく。
一家の子どもは退屈して眠気を見せ、年輩の夫婦の夫は立ったり座ったりを繰り返す。。
先ほどの盛り上がりが一転、みないらだちを感じ始める。

20分以上待っただろうか。
ようやくバスが。
夕景は無理だったが、夜景もきれいなはずだと話ながら、(途中さらに一つ前のバス停で降りてしまうというミスもあったが)ついに到着。


おそらく1人だったら夜出歩くなどできなかっただろうから、この出会いに感謝した。
ミンちゃんと私はビール、タケムラさんはミネラルウォーターで乾杯。

広場には観光客はもちろん、地元の若者も集っている。
抱き合っているカップルなどもいるから、デートスポットなのかもしれない。
(イタリア人は信号待ちの最中にキスしたりするから、詳細は不明だが。)
花売りはいるものの、周囲に犯罪の気配はない。
夜でも、人が多く、明るければ、決して危険ではないようだ。

バスの乗り換え時間(90分間は自由に乗り降りできる)と、YHの門限(24時)を考慮し、30分ほどで退散。
バスでSMN駅に戻り、ミンちゃんは駅前の宿舎へ。
私とタケムラさんはタクシーでYHへ(23時をすぎ、もうバスがない)。

YHに着き、タクシーを降りる。
星がきれいですね、とタケムラさん。
初めてイタリアで夜空を見上げた。

7/2 ローマ→フィレンツェ

2011-07-26 23:47:29 | italia

エウロスターイタリア(ES)のアルタヴェロチタ(AV)でフィレンツェへ。
9時すぎに窓口で一番早くフィレンツェに着く列車をたずねると、10:15発のミラノ行きを手配された。
フィレンツェ11:50着のようなので、途中下車を失敗するとミラノまで行ってしまう。
油断できない。
ESは日本でいえば新幹線のようなもので、主要都市間を結んでいる完全予約制の急行列車。
手記を書き、ガイドブックでフィレンツェを予習するうちにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(以下SMN駅)に到着。


まずはフィレンツェYHにきちんと予約が取れているかわからないので、直接確認しなくてはならない。
同時にウッフィツィ美術館が取れるなら取っておきたい。
とりあえずSMN駅そばの観光案内所に相談することに。

YH行きのバスは11番バス乗り場から出ているとのこと。
(YHリストおよびガイドブックともに記載が17番バス。2011年7月の時点では変更があった模様。)
ウッフィツィ美術館の予約については、この番号に電話しろ、と番号のコピーを渡される。
直接行って予約は取れないのだろうか。

ともかく荷物をYHに置いてしまおう。
YHリストの解説に従って、駅前のタバッキで切符を買う(1.2ユーロ)。
店主に確認すると、11番バスでYHに着くのは間違いないようだ。
使い方を聞くと、スタンプを押すんだよ、と店主から説明が。
ローマはROMA PASSがあったので、バスの切符を買うのはこれが初めてだ。

しばらく待つと11番バスが。
停留所の名前はYHリストとガイドブックで異なっているが、このどちらか、もしくは近い名前だろうと推測し、停留所を逃さないよう緊張して乗っていた。
バックパッカーらしき若者もいたので、若者たちが降りたら降りようとも考えていたのだが、なんと終点に着いてしまう。
みんなが降りるので降りてみたが、YHはどこのあるのだろうとキョロキョロしていたら、日本語で話しかけてくる声があった。
「同じところ(YH)ですか?」
「はい」と反応したら
「一緒に行きましょう」と誘ってくれた。
若い日本人の男性で、彼の指すほうにYHの看板がある。
彼と話しながらYHへの道を歩く。
この道がやたら長い上り坂だった。
スペインに交換留学中の大学生で、8月で帰国するため、友人たちと最後にヨーロッパを周遊するそうだ。
友人はスペイン人とフランス人。
1年間帰国してないそうで、震災後の日本の状況などについて伝える。

チェックイン。
やはり部屋は4人部屋のドミトリー。
荷物を置き、ウッフィツィ美術館の予約をしようとYH内の公衆電話へ。
この電話がどうやらカードしか受け付けないようで、コインに反応しない。
レセプションに確認してみると、現金で平気だ、と即答。
埒が明かないので、一旦外に出て、YH前のタバッキ(長い坂をくだった先にある)でテレホンカードを買おうとしたら、なんと売り切れ。
仕方ないので、このまま駅前までバスで行ってしまうことにする。
すぐ目の前にあるバス停で、バスを待つ。

バスでも切符が買えるので、やってきたバスの運転手から買ったらなんと1枚2ユーロ。
(しかもつり銭を間違えられて険悪な空気に。)
なんなのだろうこのシステムは……
さっきのタバッキで買っておけば1.2ユーロだったのに。



SMN駅から歩き、ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)、シニョーリア広場などを散策。

ここまで来たら、ウッフィツィ美術館も近いので、直接行って予約してみよう、と入っていったらあっさりOK。
ウッフィツィ美術館に着いたのは15時すぎだったのだが、当日予約をして、30分後には入れるとのことだった。
しかし、寝不足で集中力がもたない気がしたので、明日の夕方、同じ時間帯(15:45)の入場にしてもらう。
午前中どこかを見て、食事をしたらちょうどいい時間なのではないか。

次にアカデミア美術館に予約しようと、美術館のある方向歩き出したら、急激に空腹が襲ってきた。
そういや昼食抜き。
しかも腰に痛みが。
腰は3日目から調子が悪いが、寝不足のせいだろう、さらに重くなってきている。
まずい。
湿布はもちろん用意してあるが、こんなに早く痛みが出るとは。
枚数が足りないかも。


それでも気になる建築物があって入ってみる。
するとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だった。
いいたたずまいの教会。
外見もゴシック。
内装もゴシック。
見事な建築物だが、有名なフレスコ画よりも、ステンドグラスがすばらしかった。
正面入口(現在は閉鎖)から歩いていくと、神の美しさが伝わってくる。
(まあ、それもヴァティカンの宣伝のわけだが。)

すばらしく、計算されつくしたアーキテクトに心を奪われつつも、少々食傷気味な自分がいた。
ローマの次はフィレンツェと決め付けていたが、ナポリあたりで腰の静養に充てたほうがよかったかもしれない。

夕食まで中途半端な時間なので、街角のジェラテリアでジェラートを買い、食べながらアカデミア美術館を目指す。
するとのんびりしすぎたせいか、窓口が終了してしまったようだ。
予約は後日するしかない。


まだ明るい(17時)ので、もう少し見て回ろうかと歩き出したら、視界の先に不思議な建物が。
眠気と腰痛が襲ってきたが、振り払って進んでいくと、それはフィレンツェに来た最大の目的、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会だった。
塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』で触れられており、ずっと興味があった。


あんぐりと口を開けてしまうような美しい姿。
遠くから眺めれば一幅の絵画ように楽しむことができ、近くから眺めれば精緻な彫刻の一つ一つを楽しむことができる。
しばらく見上げていたが、そろそろ夕食の時間。
YHリストによれば、フィレンツェYHは予約なしで夕食が食べられ、格安のうえかなり豪華だという。
期待して早めに戻ることに。

先に洗濯だ。
部屋に洗濯物を取りにいくと、ベッドが続々埋まっている。
カナダ人のビル、スペインから来たアラン、同じくフレデリク。
早速耳栓が活躍しそうなメンツ。

大抵のYHはコインランドリーがあるので、レセプションに確認。
するとコインをレセプションで買って、投入すると動くらしい。
1枚買って、中庭に面しているランドリーに行ってみる。
日本でもほとんど使ったことのないコインランドリー。
壁に貼られた英語の注意書きを見ると、この洗濯機は洗剤自動注入式らしい。
温度や洗う時間などが設定できるようだが……どの程度が手持ちの洗濯物に適しているかわからない。
吸汗速乾系の衣類を除き、まとめて投入。
低い温度で、標準の時間で洗ってみる。

乾燥機にはもう一枚コインが必要だったり、一度乾燥機にかけてみたが設定温度を低くしすぎてまったく乾いてなかったりと、結局ランドリーにつきっきり。
中は蒸し暑いので、中庭で涼んで時間を潰す。
ようやく洗濯が終わってみると、すべての洗濯物が一様に劣化していた。
ほとんどの衣料品にタンブラー式乾燥機を避ける表示があることを初めて知る。
(ユニクロの衣料品もほぼそうで、もっと丈夫なものをつくってほしい)。

中庭から部屋に戻ろうとすると「日本の方ですか?」と女性から声をかけられる。
洗濯物を入れていたユニクロの袋で、そう思ったのだそうだ。
タケムラさんというひとり旅の女性で、こうしたYHにも多少は慣れている様子。
いくつかコツをきく(要ビーサン、要ランドリーネット)。
ひとり旅でもYHは同室の人と話をしたり、こうして日本人と会ったりできるので、さみしくないのがいいところなのだそうだ。
ときには一緒に行動したりすることもあり、タケムラさんは昨夜まで泊まっていたYHで出会った韓国の女性と、明日はフィレンツェを観光するのだという。

昨日まで泊まっていたYHについて聞いてみる。
なんでもトスカーナの田舎にもYHがあり、昨夜までそこに泊まっていたそうだ。
ワインの産地で、ワインが好きな人にはおすすめのYHらしい。
……そういう田舎でこの倦怠感をリセットしたほうがいいのかもしれない、そう感じる。
しばらく立ち話をして、フィレンツェは狭い街だし、朝食もあるしまた会うかも、などと話して別れる。

洗濯物を置きに部屋へ戻ると、室内では英語でアランとビルが話していた。
ビルは相当なおしゃべり好きで、私にも話しかけてきた。
私のつたない英語では話が続かない。
気まずいし、つかれていたので、逃げてシャワーを浴び、夕食を求めてラウンジへ。

すると……誰もその“豪華な夕食”を食べていない。
ラウンジの隣にはバールがあり、ジュース類はもちろん、アルコールやスナックも売っている。
みなテラスなどでビールを飲んでいるが、見るからにまずそうなパスタ(フジッリ?)を食べている若い娘がいるだけだ。
システムが変わったのだろうか?
確認するのも億劫で、ビールをバールで購入し、つまみにパスタも頼んでみる。
風呂上りにビールさえ飲めれば問題ない。
パスタはこれがブタのエサと表現するにふさわしい味。
冷凍モノを温めただけのようだが、ほとんど残す。

ビールがうまい。
飲んで酔っ払い、耳栓をしてベッドへもぐりこもう。
開け放たれた扉から、夜風が流れこんでくる。
フィレンツェYHは、高台にあるせいか、夜はまるで高原のように快適だ。

私はいまトスカーナの風に吹かれています。
自分でも驚きですが。


-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
たまに泊まるならこんなユースホステル


泊まったフィレンツエYH「エウローバ・ヴィッラ・カメラータ(Europa-Villa Camerata)」は後日起きる出来事のせいで、思い出深い宿となりました。
(イタリアではYHをOstelというので、Ostelloが頭につくことも。)
17世紀の邸宅を改装しているそうで、建物や中庭は非常に趣があります。
路線バスの終点にあることも、初めて訪れるには迷わないので、楽かな、と。


ただ門から続く長い坂にはほとんど照明がなく、夜は怖いと思うので、そこは難点かも。

個人的には冷えたビールがすぐ飲めるので、評価が高いYHでした。

7/1 ローマ

2011-07-25 20:40:40 | italia
今日は思いどおりにいった1日のはずだったが……

ホテルをチェックアウトし、まずは今晩の宿探し。
日本から手配をしておいたホテルは昨晩までなので、今日からは自分の手で宿をとらなくてはならない。
ガイドブックにテルミニ駅近くのYWCAがユースホステル(以下YH)をやっていると掲載されていた。
ホテルからも近いので、まずはそこに行って直接交渉してみることに。

怖そうなレセプションの中年女性と英伊織り交ぜて話してみると、シングルはない、ツインならある、33ユーロだという。
シャワー、トイレは共同。
ツイン1名で、33ユーロなら激安だろう。
さっそく料金を払い、宿が確定。

次に、明日はフィレンツェに移動する予定なので、フィレンツェYHの予約ができないか聞いてみた。
YH同士は、ほかのYHからの連絡(ファックス等)で予約可能なときがあるので。
あいにくそのシステムはないが、代わりに電話してくれるという。
日本でコピーしておいたイタリアのYHリストを見せると、フィレンツェYHに電話し、2泊とってくれた。
礼を言って荷物部屋にザックを置き、ローマでまだ見逃しているスポットへ。


まずはテルミニ駅から地下鉄でフラミニオ駅へ。
ポポロ広場(ポポロ門)を見る。
ポポロまではローマのうち、って感じですかね。

ここで第一大道芸人発見。
オベリスクの前に、ファラオの棺みたいなものが立ってて、あたらしいオブジェかな~ と横を通り過ぎたらこっち向いて驚く。
思わずコインを投げ入れた。
この手のネタは各地で見られるが、初めての遭遇。
コロッセオ前に剣闘士の格好をした人はいたが、こういうユーモアのあるほうが好きだ。


ポポロ広場から南へ歩いてアラ・パチスへ。
(アウグストゥス廟は改修中で見られない。)


アラ・パチスはアウグストゥス好きにはたまらない。
ローマパス所持で無料だった。


次は東に歩いてスペイン広場へ。
ジェラートが売っていないのも有名な話。
スペイン階段を上がっていくと「ナガトーモ!」の掛け声が。
ガイドブックの情報どおりに、ミサンガ売りがつきまとってきた。
「東京からきたのか。おれは大阪に“トモダチ”がいてレストランやってるんだ。これはトモダチへのプレゼントだ。無料だから安心して」とかなんとか英語でまくしたててくる。
「Thank you for Just only heart」とわかるようなわからないような返答をしたせいか付いてくる。
「Non mi piace アクセサリ!」(アクセサリ嫌い)と怒鳴ったら諦めた。

階段の上にあるトリニタ・ディ・モンティ広場からの眺めを楽しんで、反対側の階段から下っていったら「ナカータ!」の声が。
また別のミサンガ売りが現れた。
情報が古い上に、さらにしつこく追ってくる。
スペイン広場は落ち着かないので、早々に退散し、南にあるトレビの泉を目指す。


ガイドブックにはわかりにくい場所と書いてあったが、人が集まる方へ向かうとトレビの泉の姿が。
泉の前の広場にはパトカーが停まり、常時警戒中の模様。
安心して写真を撮る。
その後、泉の縁に腰掛けて休んでいたら、目の前に来た観光客が自分を撮ってほしい、という。
撮ってあげて、今度は「Me too please」と撮ってもらう(まさかの記念撮影)。
背中越し、10セント硬貨を投げ入れたのち、パンテオンへ向かう。

パンテオンはアグリッパが建設したもの(のちに焼失)を、ハドリアヌス帝が再建している。
アグリッパが建てたということで、見てみたかった。
途中、一瞬道に迷うが、ツアー客を尾行するという方法で入口へたどりつく。


パンテオンも、大きい。
ハコモノ好きにはたまらない。
神聖な場所なので、ノースリーブ、短パン禁止のはずだが、結構平気みたい。
6か国語で「静かにしてください」とテープが流れるのが不思議。


休憩も兼ねて祭壇の前にあるイスに座り、テルミニ駅までの戻り方を検討することに。
このあとマッシモ宮(ローマ国立博物館)を見学すれば、一応ローマで見ようと決めていた箇所は回り終わる。
マッシモ宮(ローマ国立博物館)はテルミニ駅前にあり、YHにも近い。

地図を見ると、パンテオンから西に歩くとナヴォーナ広場がある。
南北に広がるナヴォーナ広場を通り抜け、南に出ればエマヌエーレ2世通り。
ここは40番バスが通っているので、テルミニ駅まで一気に戻れる。
名所の1つであるナヴォーナ広場も見られるし、一石二鳥だ。


ナヴォーナ広場は噴水が有名。
歩きながらいくつか写真におさめ、エマヌエーレ2世通りに出る。
行ったり来たりして、ようやく40番バスのバス停を発見。
40番バスでテルミニ駅へ。
だいぶローマの交通網に慣れてきたかもしれない。

テルミニ駅に着いて、まずはカンビオ(両替屋)でTCを両替。
朝、ホテルを探していたとき前を通って、目をつけていた。

マッシモ宮へ。
マッシモ宮には歴代皇帝の彫刻や、考古学的な資料であるブロンズ像などが集められている。
古代から近代までの金貨のコレクションも展示されており、マニアにはたまらない場所だ。
有名なアウグストゥス像もここに展示されている。
(残念ながら館内は撮影禁止。)

一番笑ったのはアントニウス・ピウスの像。
なぜか全裸にマント。
普通チュニカ着るだろ。
どんなナルシストだよ。

堪能してマッシモ宮を出る。
すると時刻は18時。
日本の夏でいうと、16時くらいの気温や空の明るさだ。
日没までは時間があるし、位置的にスーパーも遠い。
そこで、外食をしてみることにした。

まだローマに来てから、“うまいなあ”というものを食べていない。
今日もホテルの朝食(パンとカプチーノ)、通りがかりに入ったバールでラザニアとコーラ(ラザニアは電子レンジで温めたもの)で、満足のいく食事ではなかった。
ここでガイドブックを頼ることに。
するとそう遠くない場所に日本語メニューを備えた、定食が安い店があるようだ。

この辺かなー、と探していたらいきなり
「コンバンワ! Welcome ROMA!」
と声をかけられた。
店のホールマスターとおぼしき中年男性が、“こんばんは”に反応したためか「日本語メニューがある」と渡してきた。
ここなのだろうか、と立ち止まると、歩道にあるテラス席を示されたので、ともかく座ってみる。
メニューに目を通すと、コースメニューばかりで、ガイドブックの解説にある平均予算とは異なる。
入口の傍らにある小さな黒板(日本でもカフェなんかによくある)が目に入り、よくみると“Today”とあり、10ユーロで食べられる定食があるようだ。
カタコトのイタリア語で「これは夜、食べられるのか?」と聞くと、もちろん頼めるらしい。
2つの定食のうち上段を注文。
パスタのカルボナーラだ、という。
ドリンクはどうする、というので、再び日本語メニューを見ると、やはりワインがずらり。
ビールもあるが、どれも瓶単位での注文になるし、高い。

よくメニューを見ると、隅のほうに、日本語表記のない“birri”(birra=ビールの複数形)の文字が。
そのうちの一つが単語から察するに……これはグラスビールなのではないか。
(あとから定番の注文になるが、birra alla spina=生ビールという意味らしい。)
周囲の席には飲んでいる人もいる。
これ、と頼んだら、いいチョイスだ、と返答。
予想どおりグラスビールで、よく考えたら日本人カモられてない?
(ちなみにガイドブックの店ではなかったようです。)

ビールを飲んで待っていたら、ペンネのカルボナーラが。
味付けは悪くないが、硬い。
量も多い。
なんとか片付けたら、なんとsecondo piattoが。
ミートボールのトマトソースにフレンチフライのつけあわせ。
イタリア人、どんだけ食うんじゃい。
これコースならさらに前菜まで食べてるはずだろう。
味はいいので(香草をうまく使っている)平らげ、ビールも飲み終えた。

ほかになにかというので、酔い覚ましにcaffe americanoを追加注文。
americanoで普通に通じる。
(lungoとは言わないようだ。)

コーヒー片手にガイドブックを読んでいたら、近くのテーブルにいた家族連れから、一人の年配の女性がテーブルを立って歩み寄ってきた。
どうやら日本人のようだ。
冊子を差し出し「これ、読んでください。いろいろ情報が載ってます。読み終わったらすてて構いませんので」。
受け取るとそれはフリーペーパーで、在伊日本人などを読者対象にしているようだ(日本の文化会館にも置いてあるらしい)。
いろいろな人がいるものだ。

19時半くらいまでテラス席ですごして、YWCAへ。
部屋の鍵をもらい、セーフティデポジットがあるか尋ねると、無いと返事が(0時以降レセプションが無人になるそうな)。
貴重品はやはり自主管理。
そうか……と部屋の扉を開けたら、ツインルームのもう一つのベッドの上にチノパンが脱ぎ捨てられている。
枕元のいすにはブリーフが干してある。
ツインならというのは――相部屋ということだったのだ!

ともかくシャワーを浴びる。
YHはシャンプーも石鹸も置かれていないので、自前の石鹸でひさびさに髪まで洗った。
20時すぎにはベッドに横たわり、手記に取り掛かる。

すると……書き終わらないうちに相手が帰ってきた。
握手と簡単な自己紹介。
リトアニア人だという若者は、なかなかいい人そう……
ワインを持って帰ってきて、シャワーを浴び、ワインを持って出かけていった。
YHには共用スペースがあるので、そこで談笑しているのかもしれない。
どちらにせよ私は英語がうまく話せないので、そういう輪に加わることができないんだよな~
語学は重要です。
本日の結論。

*

初めてのYHで悪戦苦闘。
まず冷房がない。
結局、暑さのため1時すぎまで眠れず。
するとルームメイトが帰還。
酔っているのか、すぐに眠りにつき、案の定……ものすごいいびき。
地鳴りみたい。
先に寝てしまうつもりだったのに!

廊下に出る。
廊下は涼しい。
置いてあるイスに腰掛け、ガイドブックで暇つぶし。
少し眠くなったので、部屋に入る。
室内もだいぶ涼しくなっていたが、いびきは相変わらず。
昔、マンガでいびきで眠れないシーンがあり、ティッシュで耳栓をしていたのを思い出す。
試して見ると、多少はマシか。
じっと眠りの訪れを待ち、おそらく、4時すぎに入眠。

*

7時前に目を覚まし、身支度をして朝食に行くつもりが、もう一つ波乱が。
なぜか鍵がうまくかけられない。
そのうち相方が起床(8時)。
その旨を伝えると、俺が閉めてシャワーに行くから、メシに行け、と言われ、食堂に行く。
朝食をとり終わったころ、相方が来て自室に戻り、一瞬迷ったが、部屋で彼が朝食を終えるまで待つことに。
別れも言いたかったし。

彼が来るまで歯磨きや荷物整理をし、この手記も書きとめる。
朝食から戻った彼の外出と一緒にチェックアウト。
だって鍵が閉められない(彼がやると一発で閉まる)。
なにかコツがあるのだろうか。
握手して、YH前で別れる。
変なヤツだと思われたに違いない。

おそらく、フィレンツェはドミトリー。
相部屋は初めての経験で懲りたが、予約はすでに入っている。
仕方ないので、テルミニ駅地下の薬局で、耳栓を購入。
トラブルかトラベルか。

そういえばYWCAのデスクからフレンツェYHに連絡を入れてもらったとき、明日ragazzoが行く、と伝えていた。
ragazzoというのは少年、若者という意味、英語で言えばboyである。
東洋人はそんなに若く見られるのか、と驚いたが、もしかすればYHではお決まりの呼称なのかもしれない。
ただ、現時点での私が、ただの“坊や”にすぎないことは、衆目の一致するところに違いなかった。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

“ローマで一番レートがいい両替屋”という名の両替屋。
基本ユーロのTCを現金に両替していましたが、ローマのこの両替屋は、銀行を除いて、旅行をとおし一番レートがよかったです。
実はスペイン広場にあるはずの、アメックスのトラベルサービスオフィスを見つけることができなかったため、利用しました。
ここかな、というところはあったのですが、空室になっていた……
もしかしてなくなったんじゃないのか?
誰かこの情報、真偽を確かめてほしいところ。

6/30 ローマ(ヴァティカン市国)

2011-07-22 00:11:50 | italia
今日も朝から迷子でした。

サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン博物館を見るために、テルミニ駅前発の観光客向け急行バス(40番バス)に乗る。
これが地元の通勤にも使われているらしく、車内は大混雑。
埼京線なみの鮨詰め。
これじゃあスリも働けないだろう。


終点で降ろされ、運転手に「サン・ピエトロ?」と聞くと、そうだ、と答えてさっさとバスを動かしてしまう。
何の表示もない場所に放置される。
まごまごするうちにほかの観光客はどこかへ消えてしまい、ともかく適当な方向に歩くと、大きな建物と、そこから一直線の道路で結ばれたきれいな建物が。


きれいな建物の写真を撮り、あっちの大きな建物がサンタンジェロ城だとあたりをつけて、近くにあるはずの大聖堂を探すが、それらしいものが見つからない。
30分ほど徘徊した後、車を路上駐車し居眠りしていた警官のお兄ちゃんがいたので、ノックして起こし尋ねる。
するとどうやらホテルと同じように、間違った区画を探索していたようだ。
指示どおりも進むと、最初の光景だ。
あのきれいな建物がサン・ピエトロ大聖堂だったのか……
がっかりしながらサン・ピエトロ広場へ。


時刻は10時半。
開館の9時には入り口で待つつもりが、すでにサン・ピエトロ大聖堂前にはかなりの行列が。

先にヴァティカン博物館を見学することにし、サン・ピエトロ広場から外壁に沿って横に伸びる通り(V. di P.ta Angelica)を抜け、角を左に曲がると、こちらもすでに行列の最後尾がここまできている。
500mほどの長さだろうか(地図で確認するとそれくらいの長さ)。
ここから2回角を曲がり(右、左)、200mほど歩いてようやく入り口なのだが……
先頭まで行って確認してみるが、予約のないやつは並べ、の一点張り。

どうやら入場は予約ありか、予約なしかで分けられており、ツアーも個人も予約なしはまとめて並ぶようだ。
ともかくツアー客が大挙して押し寄せている。
午前中はこの調子だろう。
予約がおすすめとガイドブックにあったが、まさかこれほどとは。

サン・ピエトロ広場に戻る。
11時すぎ。
大聖堂前の列は増えても減ってもいない。
昼時になれば減るのではないか……そう推測し、写真を撮ったり、オベリスクの傍らに腰掛けたりして時間を潰すと、列が増えなくなり、徐々に短くなった。
よし、と並ぶとそれほど待たずに大聖堂へ。

入り口脇でオーディオガイドを借りる。
すると「博物館(museo)のチケットがあわせて14ユーロだけど、大聖堂(Basilica)しか見ないのか」とブロークンイングリッシュで聞かれる。
(なんと、ここでもヴァティカン博物館のチケットが買えるのか)と喜んで購入(しかし、これは大きな勘違いだった)。


サン・ピエトロ大聖堂は、入った瞬間の衝撃がすごい。
これは法王にひざまずくのもわかる。
壮麗、という言葉が浮かぶ。
まるで宇宙の中心にいるような感覚。


ピエタは、目に入った瞬間、目頭が熱くなった。
何かを感じたのか、ついにあのピエタを見たという感激なのか。

サン・ピエトロ大聖堂の見学を終え、これはローマに来た甲斐があったと、充実した気分でいたが、次のヴァティカン美術館でそれが雲散霧消する。

足取りも軽く、サン・ピエトロ広場からヴァティカン博物館入口へ。
警備員にチケットを見せ、チケットあるよと言ったら、笑われて、列に並べとジェスチャー。
態度悪い。

現在、12時半すぎ。
このまま並ぶのもシャクなので、昼食をとって時間をずらしてみることに。
入り口近くにピッツェリアがあり、さっき通りすぎたとき、テラス席でおじいさんがビールとマルゲリータを食べていて、1人でのんびりしている様がひどく格好よかった。

来店すると1人のうえ外国人のためか、階段の下でトイレの前というかなり悪い席に通される。
これだけでも腹立たしいのだが、メニューをもらって、ドリンクがvino(ワイン)ばかりで戸惑っていたら、給仕が「コーラ? スプライト?」と何度も繰り返し注文を求めた。
ウエイターも男には愛想がない。
これには参って仕方なくコーラを注文。

ピザは私的定番のquattro formaggio。
これをイタリア人は1枚まるごと食べるようだ。
量が多い。
ピザはローマ風で普通の味だが、これがコーラとは異常に合わない。
必死に流し込んだら、追い出されるように皿が片付けられる。
しかもピザとコーラで20.5ユーロという勘定(コペルト=サービス料も加算される)。
まあ名所近くにあるからだろうが、この味で20ユーロならもう2度と来ません。

13時少し前に店へ入り、13時半ごろ食べ終わって店を出た。
すると店の前の行列が嘘のように短くなっている。
素早く並ぶと、列は順調に進み、30分ほどで入り口に。

さて、並びながらガイドブックを再読し、ヴァティカン博物館について直前の復習を行っていたら、驚きの事実が発覚した。
実はサン・ピエトロ大聖堂には、付設の博物館(museo)があるというのだ。
ガイドブックには“宝物館”と表記され、チケットとともに渡されたリーフレットには“歴史美術館”とある。
つまりヴァティカン博物館とは無関係……でも笑うことないだろ。





14時ごろ入場。
ともかく広い。
展示品が多い。
最初のうちはこまめに見ていたが、とても追いつかないので、ガイドブックに取り上げられているものを確実に鑑賞することにした。


ラオコーン、予想以上にウネウネしてました。
きっと大理石の質感がそう見せる。


ラファエッロの間は順路の終盤にあるので、多大な展示品を見続けたため集中力が低下し、気づかず通り抜けようとしてしまった。

ヴァティカン博物館は、基本的に展示品の撮影が可能。
ただしフラッシュ禁止。
例外がシスティーナ礼拝堂で、ここだけは全面撮影禁止なのだが、ほとんどの人は無視して撮影。
しかもフラッシュたきまくり。
警備員も諦めているのか、何も言わない(さすがに目の前で撮ると、一言言っていた)。
また礼拝堂なので静粛にするのが礼儀なのだが、みんなお構いなしに話している。

「最後の審判」を鑑賞する。
ラファエッロは肉体的で、ミケランジェロは肉感的だよなあ、などと美術に関しては門外漢ながら考えた。

最後絵画館を見学していたら、目当てのカラバッジオの手前で時間切れだと追い出される。
ガイドブックには18時閉館とあるが、なんと17時45分。
彼らにとっては、すべてを閉める時間が18時ということなのだろう。
今回は本当にカラバッジオに縁がない。

宝物館は19時までとガイドブックにあったので、7ユーロを無駄にするまいとサン・ピエトロ大聖堂に戻り、入場者の列で待ち、入場するが、18時半の時点で宝物館は閉まっていた。
自分のミスだが、どんどんローマが嫌いになってきた。

40番バスでテルミニ駅に戻り、明るいうちに駅の南側にある大きめのスーパーでビールとサラダ(一人前)を買い、ホテルへ帰還。
初日がトラウマになり、夜遅く周辺を歩きたくない。
ましてや酔うことなんてできそうもないと感じ、ホテルで部屋飲み。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

余談ですがヴァティカン美術館の警備員は押しなべて態度が悪く、やる気も感じられません。
女性には甘いようですが。
予約専用口で、とある女性が難儀していました。
おそらくネット経由で予約すると、画面にバーコードが表示され、プリントアウトするか、携帯電話に転送するのでしょう。
予約済みの人はバーコードを示し、警備員が手持ちの機器でスキャンして、通過していきます。
女性は携帯電話をいじっているものの、その画面がなかなか出せずにいるようでした。
すると警備員が女性の腰に手を回し、微笑み……
「あなたを信じます」とでも言ったのでしょう。
女性はそのまま予約ありとしてフリーパス。
男性ならどうなったのか知りたいところ。
(写真はヴァティカン博物館の入口付近と、そこに並ぶ行列。)

6/29 ローマ

2011-07-21 16:52:50 | italia
のどの渇きもあったが、我慢して就寝したものの、結局、2時過ぎまで眠れず。
加えて気の昂ぶりと利きすぎた冷房のため、断続的な眠りに。
めんどうくさいので、寝不足を承知で6時前に起きてしまう。

当日の下調べをガイドブックでしていたら、2時間以上かかり、朝食をすませてホテルを出るのが9時過ぎになってしまった。
予定より遅い。
まずすぐそばのテルミニ駅へ。
9時から開いているツーリスト・インフォメーションでローマパス(ROMA PASS)を買うつもり。
バスの案内所にはなかったが、ロータリー脇のタバッキ(売店)で売っているそうだ。
早速購入。
ついでにプリペイド式国際テレホンカード(Calta Telefonica Prepagata Internazionare)も買う。
ローマに着いたことを家に伝えなくては。


今日はガイドブックおすすめの市内中心地を歩く旅とする。
最初はテルミニ駅から共和国広場。
正面の建物に入っているカフェ、チャンスがあれば使いたい。
ざっと眺めるだけにして、ナツィオナーレ通りへ。

ナツィオナーレ通りは目抜き通りのはずだが、午前中のせいか、人はまばら。
日本人は私1人。
みんなスポット巡りをしているのだろうか。
おそらくこの通りにも名所はあるのだろうが、ガイドブックは開かず、そのままヴェネツィア広場へ。


途中、トライアヌス帝の記念柱を写真におさめつつ、ヴェネツィア広場に入り、眼前のヴィットリアーノへ。
デカイ。
が、そんなに古くない。
内部の展示は素通りし(だってイタリア統一戦争のこと知らない)、眺望が楽しめる途中階のテラスへ。
コロッセオやヴァティカン市国が見える。
のどが渇いたのでテラスにあるカフェで水500ml(1.5ユーロ)を買う。
このあたりから日差しが耐えがたいほどに。


さらにエレベーター(7ユーロ)で最上階に上ることができるので、少々日差しが不安だったが、上ってみるとそれはそれはパニラマが楽しめ、水もうまい最高の眺めで、水もうまい。
いい風もあり、しばし休憩。


ガイドブックどおりならヴィットリアーノを出たら、フォーリ・インペリアリ通りへ進み、フォロロマーノ、コロッセオと見学するのだが、日射病が怖いので、すぐ横のカンピドリオ広場へ上り、カピトリーノ美術館に入る。
ここには歴代皇帝の胸像などが数多く収蔵されている。
カエサル、アウグストゥスなどの容貌を見ることでき、個人的にはかなり楽しめた。
キケロが小心者っぽい顔だったり、セネカが苦労人っぽかったり、ハドリアヌスはいい人そうだったり。
若いときのマルクス・アウレリウスはまるでラファエッロの描く天使のよう。
それがあの騎馬像みたいになってしまうのだから、苦労の耐えない人生だったのだろう。
ネロはガキっぽいし、ゲルマニクスは童顔ながら利かん気が強そう。
(※『テルマエ・ロマエ』はハドリアヌスなど、登場する皇帝たちの再現度がかなり高し。)

絵画館ではティツィアーノ「キリストの洗礼」を鑑賞することはできたが、ルーヴェンス、カラヴァッジオはなんと貸し出し中とのこと。
ここのスタッフも聞く人によって返答が異なり、かなり歩き回った。
カピトリーノ美術館自体が、かなり複雑な順路をたどらせているせいもあるのだろうが。
とくにハドリアヌス帝の別荘にあったという「鳩のモザイク(Mosaico delle Colombe)」の展示場所を尋ねたときは、地下1階だと言われたり、3階だと言われたり、1時間近く探し回り、ようやくたどり着く。
なるほど、というくらいの感想……

美術館を出ると2時半すぎ(45分?)。
11時すぎに入館したので、3時間以上いたことになる。
ここで腰に若干の痛みを覚えたので、ヴェネツィア広場に戻り、アウグストゥスのフォルムを見ながら休むことにした。
30分ほど休み、屋台で水を求め(2.5ユーロ!)、アミノ酸を摂る。
ここで恐ろしい事実が発覚。
所持金が8ユーロしかない。
空港の両替所で1万円を両替したが、レートが悪いうえに手数料も高く、60ユーロくらいにしかならなかった。
考えてみれば、レオナルド・エクスプレス(15ユーロ)、ローマパス(25ユーロ)や、国際テレホンカード(5ユーロ)とかなり遣っている。
まだローマパスの2か所無料は残っているから、このあとの観光に差し障りはないものの、昼食が食べられない。


暑くて食欲もないので、ちょうどいい、とフォロ・ロマーノへ。
フォロ・ロマーノ、パラティーノの丘、コロッセオは共通の施設となっていて、入り口はヴェネツィア広場からフォーリ・インペリアリ通りを進んだ先にある。


フォロ・ロマーノはずっと見ていたかった。
ただの廃墟に過ぎないわけだが、大きいハコモノが好きなので。
とくに気に入った遺跡があり、そういえばセルフタイマーで自分を撮るってやったことないなー、試してみるか(直前にとあるカップルがセルフタイマーを使っていた)と試行錯誤していたら、写真を撮ってくれ、と男3人組。
お礼に撮ってくれました。
よかった、セルフタイマーじゃなくて。


本当に見所が多くて、続くパラティーノの丘ももう少し時間をかけたかったが、ガイドブックにコロッセオの入場が日没1時間前までとの情報があったので、後のほうは文字どおり駆け足で。
ひたすら汗をかく。
念のため日焼け止めは塗っているが、これでは流れてしまうだろう。
水は施設内の所々に水道があり、空のぺットボトルさえあれば、汲むことができる。
ローマの水道水はまずい。


いよいよコロッセオ。
この旅の目玉と言っていだろう。
入場できたことで気が緩んだせいもあり、通路のベンチに腰掛けて、一旦休息をとる。
なんだか感慨深い心持ちに。
失業者がなにやってんだ。
“いつか行きたい”を屋久島に続き2つもクリアしてしまったな。
悪い人生ではないんだろな。
ぼんやりとそんなことを思い浮かべる。
どの空でも悩みは変わらない。


気を取り直してコロッセオを歩く。
テレビで見た光景がそのままに。
周囲の緑とコロッセオ外壁の取り合わせを楽しむ。
むき出しのアレーナ地下を見て、控え室などがあったのだろうかと空想。
あまりにも気に入って、観光客をつかまえて記念撮影を頼んでしまった(英語で)。
こんなのは初めてですよ。


もう2度と来ないだろうし名残惜しいが、日もかなり傾いてきたのでコロッセオを後にしチルコ・マッシモへ。
チルコ・マシッモは映画「ベン・ハー」などで有名な戦車競技場の跡地なのだが……いまはただのジョギングコースのようだ。
(一部遺跡もあるが、塀で覆われ立ち入り禁止になっていた。)

地下鉄チルコ・マシッモ駅からテルミニ駅へ。
ホテルに戻りトラベラーズチェックを両替できないかとレセプションで聞くと、できないし、近所に銀行はあるが、もう閉まっているだろうとのこと。
ATMはあるらしいので、まだ明るいし、この旅行のために作成したCITYの国際キャッシュカードを活用することに。

イタリアのATMは基本的に、仕切りも何もなく、銀行の外壁に設置されている。
(日本のように店内にブースが設置されていることは稀。)
周囲を気にしつつ、引き落ろしに挑戦。
イタリア語の画面が難しすぎて読めず、半ば勘だったが、ユーロが出てきて、一安心。

夕食の原資もでき、せっかくローマにいるのだからピッツェリアにでも行きたいところだったが、昨日・今日と想定外に汗をかき、着回すつもりのものにも影響が出ているので、連泊の中日、大洗濯大会を開くことに。

テルミニ駅地下のスーパー(Conad)で夕食を探す。
ピザはうまそうなものがあったが、サラダは家族用(大)ばかりで、飲み物もいまひとつ冷えていない。
ピザをConadで買い、ついでに並びのパニーニ屋でサラダと飲み物を買おうとしたら、嫌な顔をされ、巨大なパニーニのセット(パニーニ・サラダ・コーラ)を買ってしまう。

洗面台で洗濯をしながら、ピザとパニーニを食す。
ピザはまあ、スーパーの味。
パニーニとサラダはチェーン店とは思えないほどうまかったが(モッツァレラチーズが違う。あとサラダのオリーブも)、あきらかに量が多く、2回に分けて無理やり食べた。

こういうところを跳ね除けるなり、もっと目ざとくなるなりしなくてはね。
外国だと経験も少ないし、視野が狭くなる。
スーパーからの帰り道、エノテカ(酒屋)を発見。
客のガラは悪そうだったが、あそこなら冷えたビールも買えただろう。
パニーニ屋にもビールあったっぽいし。
ビール買えばよかった。