随思録

日々思うことを記す。

7/8 ヴェネツィア

2011-09-24 02:03:38 | italia

朝、このホテルは朝食なしなので、近くのスーパーマーケットでクロワッサン(クリーム入り)と牛乳を買い、ホテル前に置かれたテーブルとイスで食べる。
その後、予約済みの「Domus Civica」へ。
宗教団体が運営しているYHで、素泊まりシングルで予約がとれている。
話を聞いてみるとツインルームに1人で宿泊らしいが、シングル料金で構わないとのこと(シャワーは共同)。
ここのレセプションの女性、日本語が話せました。
チェックインはできないが荷物は置けるということなので、荷物を置かせてもらう。

まずは駅でミラノ行きのチケットを買うことに(3時間待ちはイヤ)。
明朝8:58発の急行を買い、ついてにミラノ後の予定を立てるため、ミラノ中央駅の時刻表がほしいと言ったら、インフォメーションへ行け、と言われる。
検討材料が欲しかったのだが……当たり前だがインフォメーションは、こちらがほしいという情報しか出してこない。

ずっとミラノ後の日程を決めることができなくて、ヴェネツィア観光をしながらも、どこかで考え続けている。
ここで一気に決めてしまおう、と決心。
ラヴェンナ、シエナ、ピサなども候補に挙げてはいたものの、やはりアルベロベッロが観たい。
一気にバーリへ南下できないものだろうか。

日本語のできる現地の人を見つけたことは天佑だ、と、一旦Domus Civicaに戻り、思い切ってのレセプションの女性に相談してみた。
とても親切に相談に乗ってくれた。
ミラノからバーリへの列車の金額、所要時間をインターネットで調べてくれる。
準急で68ユーロ、10時間かかる。
(飛行機のことまではわからないとのこと。)
もっと詳しい情報は駅のインフォメーションで聞いたほうがいいだろう、とアドバイスしてくれた。

なんにせよ、列車の移動で半日潰してでもアルベロベッロを観たいかどうかということなら、観たい、というのが結論。
あとは列車の本数や、出発の時刻がわかれば、ミラノ滞在のスケジュールも立つ。
頭の中が整理された。
礼を言って再び駅へ。

駅のインフォメーション(鉄道会社の案内所)へ行き、ミラノ‐バーリ間の時刻表がほしい、と頼むと、全部は印刷できない、紙がなくなっちゃうよ、と返答される。
ここで思わぬ提案。
夜行列車―ICN(Intercity Notte)もあるよ、というのだ。
23時にミラノを出て、バーリに朝9時着。
ここはひとつ冒険してみるか。
日曜夜にミラノを出て、月曜朝にバーリに着ければ、大幅に移動効率が上がる。
そのためにはまずバーリに宿を取らねば。

バーリにもYHがある。
YHの受付はおそらく16時以降にならないと開かない。
ならそれまでは観光だ。
最悪、夜行の切符が取れなくても、月曜を移動日に充てればいい。


というわけで、サンタ・ルチア駅を出て、目の前のヴァポレット乗り場で、12時間券を購入。
ヴェネツィア、暑いし、道は迷路みたいだし、歩くの億劫。
ヴァポレットで再びサン・マルコ広場へ。
目玉である教会、鐘楼、博物館の3点セットがここに揃っている。
黄金パターンだ。


サン・マルコ寺院前には行列ができているが、鐘楼はほとんど人が並んでいないので、まず鐘楼に上ってみることに。
またいつものパターン……と思ったら、これが違う。
一番いいんじゃないかな。


海が見えるのがいい。
潮風も気持ちいいし。
それから興味深いことにヴェネツィアの鐘楼はエレベーターで昇るという、初めての展開。
また、展望階には土産物屋もあり、キーホルダーなんかも売っている(平日のためか売り子はいなかったが)。
これも初めての光景だった。

鐘楼を降り、サン・マルコ寺院前を見ると、ほとんど人の量に変化がない。
近くの公園でベンチに座り、日本から持っていったソイジョイを昼食代わりに食べる。
この時点で15時。


サン・マルコ寺院の入場時間は17時までだったので、こちらもほとんど人がいないドゥカーレ宮殿に入ることで、もう少し時間をずらすことにする。
これが1時間くらいと見積もったものの、宮殿や絵画は見ごたえがあってびっくり。
ヴェネツィアの歴史には詳しくないが、とくに後半では地下牢の跡が見れたり、武器や鎧の展示があったりと、飛ばしたいのに飛ばせなくて焦る。
(RPG好きにはたまらない……なんだよこの“火薬式斧”って!)
慌ててドゥカーレ宮殿を出る。
16:18.


サン・マルコ寺院の列に変化なし。
ダメ元で並んでみると、なんと15分ほどで内部へ。
内部はそれほど大きくないが、金色のモザイクで覆われており、豪華で、どこかエキゾチックな印象。
ローマ、フィレンツェとはまた違った文化を感じる。
ドゥカーレ宮殿もそうだが、金色をふんだんに使った装飾は、どこか日本の安土桃山時代を髣髴とさせる。
さしずめヴェネツィア人の商魂は、大阪商人といったところか。

有料の宝物館などは見ず、17時過ぎに表へ出ると、容赦なく17時で入場が打ち切られていた。
まだ50人くらいは並んでいたのではないか。

そろそろバーリYHへ電話したいが、サン・マルコ広場の公衆電話ではうるさくて無理だろう。
ヴァポレットに乗って、どこかへ移動することにする。
乗り場に行くとリド島行きが入ってきたので、見てみたい場所だったし、静かなところなら電話しようと乗り込む。


リド島は、高級リゾート地といった印象。
ホテルより別荘、といった雰囲気(勝手なイメージだが)。
あの有名な海水浴場があるというので、周辺を歩いてみたが、見つからず断念。
ヴァポレット乗り場に戻り、公衆電話からバーリYHに電話。
するとこれが番号違いのようだ。
手持ちの資料であるYHリストだけではわからない。
仕方ないが、ザックの中に入っているイタリアYH地図(政府観光局でもらっておいた。イタリア各地のYHでも配布しているようだ)にも電話番号はあったので、そちらと照合してみるしかない。

ヴァポレットに乗り、ローマ広場で降りる。
ここがDomus Civicaに近いと判断。
かなりの空腹を覚えていたが、まずは宿の確保が鉄則。

Domus Civicaはロビーに公衆電話がある。
これも初めてのケース。
ザック内の資料との照合の結果、YHリストと一致。
番号に間違いはないようだ(押し間違えや操作ミスが原因か)。

バーリYHに電話。
月曜に空きはあるか、と聞くと、英語の得意ではない人だったらしく、どうやら部屋ならあるから来い、と言っているようだ。
名前を告げただけで予約OK。
なんか設備が悪そうな予感……でも夜行の後だから、どこでも泥のように眠れるだろう。

夕食をどうするかと考え、フィレンツェで成功したのでまたガイドブックを活用することにした。
ヴェネツィアは物価が高いと聞いていたが、たしかに食事の値段も高めの店が多い。
リアルト橋のそばに値段が手頃な店がある。
そこに行ってみることに。
リアルト橋はまだ下から眺めただけなので、ちょうどいい。


20時ごろ到着。
夕暮れが広がっている。
観光客も多く、たぶんかなり遅くまで安全だろう。
ただ、今夜の宿は大きな通りに面してはいるわけではないので、帰り道に注意が必要だ。


リアルト橋を見て、「Ristorante Rosticceria San Bartolomeo」へ。
デリ&リストランテの店で、ショーケースにたくさん並ぶ惣菜をつまみに、ワインを飲むといった感じの店のようだ。
注文方法がわからずとまどっていると、メニューが渡されたが、どこにでもあるピザ、パスタ、ステーキといったもので、うまそうなものがない。
安さに妥協し、イカスミのパスタと生ビールを注文(9.7ユーロ)。
ともかく量は多かったし、調理している(レンジ加熱ではない)ようなので、悪い店ではないと思うが……個人的には選択失敗。


腹ごなしを兼ね、今度は橋を渡って、反対側を散策してみる。
川沿いにあるリストランテは、どこもテーブルにキャンドルが灯り、ロマンティックな雰囲気。


どこも高そうだなあ……と見ていると、「Tourist Menu €14」の看板が。
例によって2皿のようだ。
飲み物をつけても20ユーロ。
この雰囲気で20ユーロなら、断然こっちだった。
1人で食べてる観光客もいましたよ。


ヴァポレットでローマ広場まで戻る。
10時を過ぎていたが、宿への道も人がいて安心だった。

ともかくヴェネツィアはヴァポレットが最高。
夕刻が特によい。
夜もなかなか。

7/7 タヴァルネッレ→フィレンツェ→ヴェネツィア

2011-09-20 22:53:43 | italia
朝6時起き。
7時にファマルたちとバス停へ(切符は昨夜バールで購入。)
誰も正確な時刻を調べていなかった罠。
30分ほど待つとバスが来て、フィレンツェへ。

バスは8時すぎにSMN駅へ到着。
ファマルたちは9:17の列車でナポリへ向かうそうだ。
駅の入り口で別れ、窓口へ。

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅行きの切符がほしいと言うと、いつのだ、と聞かれる。
oggi(今日)、subito(すぐ)と単語を並べたら、なんだか苦笑され、すぐはない、と返答。
primo(first)と重ねて聞いたら、なんと12:07。
3時間半待ち。
やはり切符は前もって買っておいたほうがいいようだ。

ASで43ユーロ。
購入し待合室に行くと、ファマルたちの姿が。

雑談していたのだが、ファマルたちが去ったあとにも随分時間がある。
ここはヴェネツィアの明日(8日)の予約確認をしておこうか……
webメールができるインターネットポイントがフィレンツェならあるかもしれない。

もしかすれば、とファマルにinternet pointを知らないか、と聞くと、知っているという。
駅の近くにあるので、一緒に駅の外へ出て、だいたいの位置を教えてくれた。
駅を出て東へ向かい、角を曲がったあたりのようだ(スカラ通り沿いか)。
一見、ショップに見えるから注意しろよ、と言われる。

彼らの列車の時間となり、再びの別れ。
メールでの写真交換を約束する。

早速インターネットポイントへ。
ショップってなんのショップだろうと探したら、携帯電話のショップの奥がインターネットポイントになっていた。
一度気づかず前を通り過ぎてしまった。
メールをチェックすると、8日の宿泊予約は無事とれたようだ。

駅に戻り、空き時間を使ってヴェネツィアの次に訪れる予定の、ミラノの宿泊の手配を試みる。
しかしながら、かけたホテルが満室だったり、待合室の公衆電話だったため、周囲の騒音でイタリア語が聞き取れず会話できなかったりで、うまくいかなかった。

そうこうするうちに列車の時刻になり、ヴェネツィアへ。
うとうとしたり、手記をつけているうちに15分ほどの遅れで、14:17ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅着。


駅前にいきなり大運河(Canal Grande)。
水辺だから涼しいかな思ったら……暑い。
ひたすら暑い。
トスカーナの山奥が涼しすぎたのか……

まずは荷物を置くためにホテルへ。
ガイドブックで見つけた「アロッジ・ジェロット・カルデラン」というホテルだ。
これがなかなか見つからなかった。

ようやく看板を発見し、建物の中に入ったら、レセプションがない。
(オートロックだったが、ひっきりなしに人が出入りするので簡単に入れた。)
通りすがりの宿泊客に尋ねると(なんでもマレーシアから来たらしい)、レセプションは隣の建物の1階にあるという。
わかりづれー

レセプションに行き、シングルシャワーつきの料金を支払って、カードキーを受け取る。
一枚は部屋の、もう一枚はプライベートバスルームのカードキーだという。
部屋は3階だったが、階段しかなく、階段で行ってみると……


部屋の真ん中に新婚用みたいなダブルベッドが置いてあった……
しかも洗面台があるのみで、バスルームはない。
なんじゃこりゃ、とレセプションに抗議に行くと、怒気が顔に出ていたせいか、レセプションの女性が少々あわてて答えた。
部屋はダブルですが、お一人で使って構いません、サー。
それからバスルームは、各フロアに、専用のバスルームがあります。
そこはプライベートバスルームですから、ほかの宿泊客は使用できません。

その説明で一応仕組みを理解して、部屋に戻る。
確認してみると、フロアには部屋番号が表示されたバスルームがあり、私の宿泊する部屋のものもあった。
ただ部屋から一旦廊下へ出て使用しなければならないので、不便。
たとえば、下着姿のまま行き来するなどということはできないわけだ。
しかも狭い。
この建物は古い邸宅を改装しているようなので、狭いのは仕方のないことなのかもしれないが、これでシャワー付の料金を取られるのは、なんだか納得がいかない。

それにしても、なにが悲しゅうてダブルベッドを独り占めせねばならんのだ。
ヴェネツィアで。

ともかく荷物を置き、日没まで街を歩くことにする。
まずはサン・マルコ広場に行ってみることに。


ヴェネツィアは、蜘蛛の巣のように複雑に入り組んだ街。
小さな広場が橋や小道で繋がれ、迷路のようになっている。
進みたい方角が行き止まりになったり、進んでいるつもりが同じ場所を延々と巡っていたり。
San Marcoと書かれた表示板をたどって歩いているのに、なかなかたどり着かない。
なるほど、河を行くのが一番早いかもしれない。

ちなみにローマやフィレンツェでは無料で配布されていた市街図が、ヴェネツィアでは有料(2ユーロ)。
なんかヴェニスの商人って感じ……
もちろん、買わなかったが。
同じように迷っている様子の観光客がいたから、売りたくなる気持ちもわかるが。


ようやく迷路を抜けて、サン・マルコ広場へ。
早速、ヴェネツィアで行ってみたいと思っていた、カフェ・フローリアンに入ってみる。
あのゲーテも通っていたという歴史のあるカフェだ。
内装はかなり古くくすんでいるが、豪華で、なんだかポロシャツに七分丈カーゴでは入りにくい雰囲気。



テラス席の前では、生で音楽が奏でられている。
贅沢。
もちろん室内にもその演奏は届く(ミュージック・チャージがとられる)。
暑かったのと、昼をとっていなかったので、テラス席でおばあさんたちが食べていて、なんだかとてもおいしそうだったcoppa caffe florianを注文。
これも相当に贅沢な値段(たしか記憶では18ユーロ←記録用にメニューを撮影しておいたが、ピンボケで見えなかった。)
おいしいのはおいしいけど、2000円のパフェなんて、日本じゃ絶対食べない!

ショップも併設されているようなので、おみやげを物色。
母がコーヒー好きなので、インスタント・エスプレッソでも買って帰ろうとしたら、エスプレッソ・マシーン用の焙煎豆しかないという。
「エスプレッソマシーン、持ってないんだ」
「いいアイディアがあるわ。これを機にエスプレッソ・マシーンを買えばいいのよ」
中年女性の店員さんが対応してくれたが、なんかヴェネツィアは商魂逞しいなあ。
かさばらないのでここではキャンディを購入(日本に帰ってから、それがコーティングされたコーヒー豆だと知る)。



カフェ・フローリアンを出て、サン・マルコ広場周辺を散策。
サン・マルコ小広場を抜けて、海のほうへ出てみる。
海沿いに歩いているうちに、だんだん日が暮れてきた。


そろそろホテルに戻るべき時間だ。
しかし、行きに迷いに迷った道を、黄昏時に使いたくはない。
下手をすれば日が沈みきってしまう。
そこでヴァポレット(水上バス)に乗って、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に向かうことにする。
ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅からなら、一度通っているので迷う確率は低いし、観光客も多いから危険は少ない。
サン・マルコ広場近くの乗り場で1回券を買って、待合室へ。



このヴァポレット、とても気に入った。
風が心地いい。
ヴェネツィアといえばゴンドラかもしれないが、大運河からの眺めは、ヴァポレットからも十分に楽しめる。

ヴァポレットには、操舵手のほかに係員(車掌?)が1人乗っていた。
この日は女性だったのだが、この人の動きが小気味いい。
乗降の誘導はもちろん、驚いたことに接舷は手動。
操舵手と呼吸をあわせ、太い綱を手早く係船柱に結びヴァポレットを接舷する手並みを、感心して眺めていた。

風景や乗客を観察するうちにヴァポレットはサンタ・ルチア駅へ。
ホテルはすぐ近くだ。
人も多く、商店はまだほとんど開いている。
通りの途中に、酒屋を発見。

ホテルに戻り、“プライベートバスルーム”とやらでシャワーをあびる。
そのまま短パンTシャツで、ホテルを出て酒屋へ。
これはフィレンツェで感じたことだが、観光客が多く、商店が開いている通りは、夜でも安全だ。

カフェ・フローリアンで食べたcoppa caffe florianのカロリーが多大かつ時間が遅かったせいか、空腹は覚えていなかった。
缶ビール(ハイネケン)だけ買って、ホテルの部屋で飲みながら手記をつける。
ホテルは冷房つきなのがありがたい。
ビールだけで飲んでいたら急速に酔いが回って、気絶するように眠ってしまった。

7/6 タヴァルネッレ

2011-09-02 01:57:00 | italia
「トスカーナの奇妙な休日」

昨夜は日記もつけずに寝たので、列車待ち(3時間!)の合間に書いている。

まず、朝、事件が。
7時前に目が覚めたものの、朝食は8時半なのでやることがない。
周囲はまだ誰も起きてこない。
そこで2階にある部屋から廊下に出て、テラスにあるイスでガイドブックを読むことにした。
8時になり、そろそろ支度をしようとガラス扉に手をかけたら……開かない。
どうやら内側からは開いても、外側からは開かないらしい。
仕方ないので通りかかる人を待つことに。
30分ほど待ち、ようやく起きてきた女性に開けてもらった。
「大変だったね」という感じの言葉をかけられ、「ガイドブックがあったから」と強がってみたが、どうなんでしょう。

朝食を済ませ、ふたたびYHのデスクトップPCを借りる。
Eメールの返信はまだない。
加えて問い合わせた日付が8日(金)になっていた(この時点での明後日)ことに気づく。
携帯電話でイタリア(ローマ)時間を併記させ時刻を確認していたのだが、日付の表示は当然日本時間のままだ。
失敗した。
訂正すると混乱しかねないので、7日(明日)のホテルはいまから急いで探すことにする。

中央広場にある観光案内所で、コインランドリーで聞いた周辺の観光情報を確認する。
どうやら眺めがいい場所というのは、2キロ先にあるバルベリーノというところのようだ。
歩いて行くことも可能。
一本道をまっすぐ進めばいいらしい。
今日はバルベリーノに行ってみようか。
ついでに公衆電話の場所を確認すると、観光案内所の脇にあった。

まずは明日泊まるところの確保だ、とガイドブック片手にヴェネツィアでも比較的安いホテルに電話する。
つながって、シングル60ユーロならあるという。
もうそれでいいやと押さえるつもりが、クレジットカードの番号を聞かれる。
クレジットカードの番号を伝えないと、予約できないそうだ。

ここでタケムラさんから聞いたテクニックを思い出す。
本人がクレジットカードを所持していなくても、家族の番号を伝えて、料金は現金で支払うという方法があるというのだ。
いったん切り、日本に電話(家族が帰宅する時間まで、2時間ほど両替などして時間を潰す)。
家族のクレジットカード情報を聞き(番号、期限、タイプ等)、再度ホテルに電話。
さっきの人? というようなやりとりののち、家族のクレジットカード番号でかまわないとのことで予約成功。

これで安心して観光ができる。
2キロ先の眺望スポットであるバルベリーノに向かおうとしたのだが……ふと思いつく。
バスはないのだろうか。
こちらの観光案内所でものを尋ねると、必要以上の情報はもらえないことが多い。
たとえば「歩くと遠いですよ。バスがあります」などと親切にすすめてくれることは少ない(まあ、ヴァティカンではそれで逆に被害を蒙ったが)。
再度観光案内所で詳細に質問。

タヴァルネッレ周辺の観光スポットは、2キロ先がバルベリーノ、5キロ先がサン・ジミニャーノというところのようだ。
またトスカーナ州はワインの産地なので、ワイナリーも点在し、そちらも人気の模様。
さらに聞いてみると、5キロ先のサン・ジミニャーノは往復のバスがある。
しかし午前中3本、夕方2本。
現在12時。
つぎのバスは夕方です……先に言えよ……
(※日本に帰ってきて調べたら、サン・ジミニャーノ歴史地区は世界遺産だった……そういう説明もない!)

快晴の下、バルベリーノに向かって歩道を歩いていく。
少しタヴァルネッレから外れると、そこはオリーブの畑になっている。
なかなかイタリアの田舎っぽい風情。


そろそろバルベリーノというあたりで、道が大きく曲がり、曲がりきった先で展望が開ける。
トスカーナの風景が広がっていた。


すると、風景の前方に、人影が3つある。
どうやら例の学生3人組だ。
朝食のとき会話したのだが、男の子は自然を見るために旅行に来たと言っていたので、サン・ジミニャーノではなくバルベリーノを目指したということだろう。
声をかけると「ちょうど日本人の君のことを話していた」という。
近くに眺望スポットがある、という情報を教えていたからだ。
せっかくなので一緒にバルベリーノに行ってみることにする。
(この時点では、まさか丸一日行動を共にするとは思わなかった。)

改めて自己紹介。
まずファマル24歳。
ガールフレンドのレマ21歳。
レマの友人タヴァ23歳。
ファマルはマレーシア系イギリス人。
レマとタヴァはマレーシア人。


バルベリーノは小さな集落で、城壁(跡)や石造りの街並みが残っている。
小さいが歴史のある教会などもあるようだ。
ファマルたちと話しながら路地を歩いていく。

途中、のどが渇いたとレマとタヴァが食料品店で買い物をすることに。
すると3人はイタリア語をまったく知らないことが判明。
英語が通じないこの郊外では、私のほうが頼りにされるという一種の逆転現象が起きた。


教会は非常に趣のある、こじんまりとした教会で、とてもよかった。
不思議なことに即身仏(ミイラ)が展示されていた。
タヴァに呼ばれ行ってみたのだが、「mummy?」と聞いたらYesと言っていたので、おそらく間違いない。
ここでファマルが隣にいた観光客にとミイラについて立ち話。
ファマルは相当なおしゃべり好きで、機会があれば誰彼なしに話しかける。

外へ出てその観光客と話してみると、アメリカ・オハイオ州からやってきた夫妻だという。
オハイオおじさん(と勝手に命名)はかなり陽気なおしゃべり。
最後はオハイオ(大学?)のO-H-I-Oのハンドサインを教えられ、そのポーズでファマルたちと記念撮影。
なんだかよくわかりません。
私以外は英語で十分にコミュニケーションがとれ、会話が弾むが、何を言っているか聞き取れない私はぼんやりとするばかり。


おじさん夫婦と別れ、さらに進むと展望デッキがあったので、記念撮影。
そのすぐ先で街並みは途切れ、バルベリーノはどうやらここまでの模様。
ファマルたちはもっと先に進みたいらしく、道路脇にある農場に入れないか道を探ったりしている。
どうやらレマとタヴァがワイナリーに行ってみたいらしい。
ファマルから進む方向ついて意見を求められるが、タケムラさんからそういう場所の存在について聞いていたものの、具体的な行き方まではわからない。

ともかく昼食をとるためにバルベリーノの中心部に戻ることに。
戻る道すがら、観光案内所を発見。
3人を連れていき、ワイナリーについての情報を得るようアドバイス。
女性2人がガイドから聞き出したところによると、有名なワイナリーは少々遠いが、タヴァルネッレから2キロの場所に小さなワイナリーがあるので、そこに行くことにしたようだ。
一緒に来ないか、とファマルに誘われ、予定もないので快諾する。

バルベリーノにあったトラットリアでは、ランチが15ユーロだった。
タヴァルネッレならもっと安く食べられるとファマルたちが言うので、タヴァルネッレまで一旦帰ることにする。
この時点で時刻は15時半。
その小さなワイナリーの営業時間は19時まで。

急がなければならないはずなのだが、女性たちはおしゃれなサンダルとパンプス(フラットヒールパンプス?)なので、歩くペースがいかんせん遅い。
おしゃべりしたり、一緒に歌を歌ったりして、ベンチがあればそこで休む。
それにあわせて私とファマルは肩を並べて歩く。

片言の英語でファマルといろいろ話をした。
ファマルは今夏大学を卒業した。
専攻はインダストリアルデザインなのだが、デザインの仕事はやりたくないので、パートタイムジョブで金を貯めながら向いている仕事を探すつもりのようだ。

タヴァルネッレでファマルたちおすすめのピッツェリア(安くて大きい)に行ってみるが、店が閉まっていた。
(夜は17時や19時からから開店という店が多い……現在16時45分。)
結局近所のバールに入り、うまくもまずくもないスパゲッティーを食べ、ワイナリーを目指す。
この時点で17時を過ぎている。


タヴァルネッレのロータリーから、今度は別の方角へ道を歩いていく。
(MARCIALLAという標識に従って進めば、途中にあるというのだ。)


しかし、今度は歩道がない。
もしかすると、自動車専用道なのではないか。
車がものすごいスピードで走り抜けていく。
その脇を一列になって歩く。
これをマレーシア人と日本人がやるから、目立つ目立つ。
みな不審げな目で見ている。


周囲はオリーブやぶどうの畑が延々と続いている。
最初は意気揚々としていたレマとタヴァだが、だんだんと無口に。
1時間ほど歩いたところで、レマが傍らの草むらに座り込んでしまう。
ファマルは励ましているが、レマは休みたいらしい。
なにやら言い合いに。

ファマルがやってきて、どうしよう、と聞いてきた。
ファマルはもう引き返すべきだと考えているようだ。
時間は18時半。
あと10分進んで、何も見つからなければ帰ろう、と提案。
ファマルも納得したようだ。
レマを抱き起こし、ゆっくりと歩き始める。


もしワイナリーに見つけたとして、最低でも20分くらいは試飲にかかるだろう……と踏んでの10分だったが、3分も歩かないうちに「WINE FREE TASTE」の看板が。
急に元気になる女性陣。


あったのは本当に小さな醸造所で、女性のオーストリー人(ワイン留学生?)が対応してくれた。
自分のところでつくったワインの即売をしていて、購入希望者はテイスティングをさせてくれるとのこと。
女性たちは買う、と宣言し、全員で赤(2005年もの)を試飲。
渋い。
グラッパの試飲させてくれたが、これはキツイんだよなーとすぐ水で流す。
オリーブオイルもつくっているそうだ。


いまは醸造の時期でないのでタンクは空。
機械なども見せてもらったが、やっぱり何も買わず。
女性陣はかなり満足気な様子となり、ワイナリーを後にする

帰りも歩き。
総計すると8キロは歩いたことになる。
レマは靴が壊れてしまった(靴擦れができていたので絆創膏をあげた)。
朝食の買出しに行くという3人と別れ、YHへ。

まずはメールチェック。
宿泊施設から空きありとの回答あり。
ここでもクレジットカードの情報を求められたので、メールに書き込んで送信。

それから入り口脇のベンチに腰掛け、今後の旅程を考えることにした。
次はヴェネツィアに行くとして、その後どうするか。
ミラノにそのまま行くのか、シエナやピサに立ち寄るのか。
ラヴェンナもいいと聞くが、そこまで回る余裕はないし……最終日ローマに戻らなければならないのは本当にネックだ。
思案にふけっていたら、タヴァがみんなでフェスティバルに行かないか、と誘いにきた。


タヴァルネッレは昨夜も屋台が出ていたが、今週ずっとお祭りのようだ。
今夜はディズニーのキャラクターに扮装した人たちがレストランを開いている。


ここでなんとオハイオおじさん夫妻と再会。
ファマルたちは盛り上がるが、英語のわからない私は眠いだけ。
おじさんも気を遣って話をふってくるが、言っている内容がわからない。
ファマルたちが簡単な言葉に直してくれ、私のめちゃくちゃな単語の羅列をおじさんに整理して伝えてくれる。
なんだかよくわからないが、おじさんに励まされた。

10時にYHに戻り、メールチェック。
返事はない。
とりあえず明日の宿は確保してあるので、また明日考えよう。

明日は何時の列車がとれるかわからないし、6時起き、7時出で停留所に行き、フィレンツェに向かうことにした。
ファマルたちも同じくらいの時間に出るようだ。

早出なので、夜のうちにレセプションで精算。
ビールを飲んで、ともかく寝る。