随思録

日々思うことを記す。

7/10 ミラノ→バーリ(ICN:夜行列車で移動)

2011-10-20 15:46:50 | italia
朝食・支度を済ませ、YHから歩いて行けるという、サン・シーロを目指す。
ACミランと、長友のいるインテル・ミラノがホームにしているサッカースタジアムだ。
いまは夏季で試合はないが、外から眺めてみようかと。

レセプションで聞くと20分ほどで着くらしいが、ザックを背負っての移動は、暑くて、朝からかなりの汗をかいた。
途中表示がわかりにくく、判断を迷ったが、おそらく同じくサン・シーロへ向かう旅行者が何組かいたので、跡をついていく。
すると競馬場が。
すぐ横にいた父子がと目が合い、「Horse race」と坊やのほうから声をかけてきた(小学校低学年くらいか)。
父親が言うには、もう少し奥にサッカースタジアムはあるようだ。

2人はイングランドから来たそうなので、私はプレミアリーグをTVで観ていることを伝えた。
アーセナルファンだと言うと、息子さんはマンU、お父さんはリバプールファンだとのこと。
息子さんはバルサも好きと言っていたが、チームスタイル全然違うぞ。
強いところが好きなのは、男の子の常なのか。


スタジアム前で記念撮影(父子のショットも撮ってあげた)。
私は最寄の(といっても結構あるが)Lotto駅へ。
2人はスタジアムを見学するらしく、そこで別れた。
(※この時点では知らなかったが、サン・シーロは試合のない日、スタジアム・ツアーをやっているそうだ……行けばよかった……)

実はファマルたちとの会話のなかで、ミラノに行くなら、湖に行くといい、と言われていた。
ファマルはやはり自然の景観が好きらしく、ベルガモからバスで1時間ほどかけて「La Primula Menaggio」というところに行ったという。
写真を見せてくれたので、地名をメモしてもらった。
タヴァによるメモ書きによれば「Lake Como」とあるので、これはコモ湖のことではないか。
そこで午後はコモ湖を観てみることにする。

いま、ミラノのツーリスト・インフォメーションは移転しており、昨日ドゥオモ周辺を散策したときに、ガイドブックの位置にはなかった。
そこでミラノYHで場所を再確認したところ、地下鉄Cairoli Castello駅のそば(スフォルツァ城の前)に移転しているとのこと(2011年7月現在)。
Lotto駅からCairoli Castello駅に移動。
ところが駅近辺に、それらしき建物は見つからない。


仕方ないのでスフォルツァ城の案内所に行ってみるが、観光案内はやっていない模様。
かわりにスフォルツァ城からツーリスト・インフォメーションへの行き方を教えてくれた。
しかしどうも見当たらない(写真はスフォルツァ城門前の噴水)。

ザックのせいで、暑い。
いったんザックを預けにミラノ中央駅に地下鉄で向かうことにする。
(昨日移動前に24時間券を買っておいたので、正午までは乗り放題。)

ミラノ中央駅で荷物を預けたあと、駅にもツーリスト・インフォメーションの出張所があるようなので、行ってみる。
ファマルのメモ書きを見せると、トリノに行ってそこで改めて聞け、との返答。
ファマルの言っていた場所と違うような気がする。
この人の言っていることが本当かわからないので、やはり正真正銘のツーリスト・インフォメーションを探すしかない。


もう一度Cairoli Castello駅前の交差点まで行き、最寄りのタバッキで水を買ってたずねると、城を出てすぐ右にあると言われる。
何度も通ったあたりだが、もう一度行ってみると、城の前の広場の手前にあるビルの1階に、黄色で「Information」の表示が。
仮設なのか、通常の表示色と異なっており、見落としていた。
一見普通の店だ。
わかりづらい(↓このあたり)。
http://maps.google.co.jp/maps?q=milano+ufficio+turistico&hl=ja&ll=45.468921,9.181306&spn=0.001232,0.00327&view=map&cid=16267172051574619534&brcurrent=3,0x0:0x0,1&t=h&vpsrc=6&z=19

入ってデスクにファマルのメモを見せると、列車で1時間ほどだという。
Milano Cadorna駅から、Como Lago Nord駅。
Milano Cadorna駅はスフォルツァ城から歩いて5分ほどの場所にある。
現在、時刻は12:50。
列車はだいたい30分に1本の間隔で、次は13:40。
コモ湖の観光パンフレット(時刻表つき)をもらい、Milano Cadorna駅へ向かう。

まずは切符を購入。
パンフレットの時刻表を示すと、早口のイタリア語でまくし立てられる。
英語はできないようなので、「切符はここで買えるのか?」と伊語で確認したら、買える、と往復券を発券された。

Milano Cadorna駅は構内に店舗が併設されており、ファストフード形式のピザ屋があった。
3点セットで7~8ユーロという感じ。
マルゲリータ、サラダ、ゼロコーラを頼み、素早く食べ終わる。
味は推して知るべし。


Regionale(普通列車)に乗り、Como Lago Nord駅へ。
着いてみると、たしかに湖がある。
ただファマルに見せてもらった写真と違うような気もする。
あの写真はどこの写真だったのだろう。
スイスとの国境近くだと言っていたが……



せっかく来たので湖畔を散策。
レンタルボートの店や、カフェなどがあり、地元民の観光名所、という印象。
芝生にビニールシートを敷き、水着で寝そべる人たちも。
アウグストゥスが別荘を持っていたという逸話もあるし、古代は風光明媚な土地だったのだろう。
その名残は感じられた。

ケーブルカーで山の中腹まで登れるとガイドブックにあるので行ってみると、乗り場は閉鎖されている。
ツーリスト・インフォメーションでたずねると、7月・8月はやっていないらしい(確認するとガイドブックにも記述あり)。
なぜ書き入れ時に休みなのか、理解に苦しむ。

ざっと観光して1時間弱。
時刻表によれば、そろそろMilano Cadorna行きの列車が来る。
ミラノに帰ろうと駅まで戻ったら、その時刻の運行がない。
どういうことなのだろう。
休日ダイヤか。
おそらく切符を買ったとき、売り場の人が伝えたかったのはこのことだったのだろう。
待合室で時間を潰す。


17時半、コモ湖からミラノに戻る。
ドゥオモ内部の見学ののち、屋上に上ることにする。

ドゥオモ内部は“聖堂の完成形”といったところ。
すごい。
なぜなら人間の手で造られたからだ。。
このころはまだクレーンもトラックもないはず。
ただ比較的完成が新しい(ナポレオンのころ)ので、いまひとつ好みではない。
また、綺麗すぎて、FFなどのRPGで登場する3DCGのように感じ、自分の目の危うさも悟る。

ちなみに内部ではミサが行われている上、撮影禁止なのだが、みんなお構いなしにフラッシュ。
ミサの様子を撮影している人もいた。
信仰心と撮影はまた別なのか。



屋上も個人的にはいまひとつ。
装飾の多重構造が確かめられたのはよかったが。

時間が余ったので、最終日のローマの宿も押さえてしまうことにする。
最後はひとりでのんびりしよう。
ローマで初めて自力で予約したYWCA DOGに電話すると、シングルが空いているとのこと。
50ユーロなら許容範囲。
最後の宿が確定。


まだ列車の時間まで随分あるので、スーパーマーケットを見たり、散策したりして過ごす。
リストランテでミラノ風リゾットなるものを見つけ(9ユーロ)、気になって食べてみたが、ただのチーズリゾットで残念だった。
食事後、ミラノ中央駅で荷物を引き出したあと、構内でICNを待つ。

*

2等の寝台車は側方に通路のあるコンパートメント式で、コンパートメント内は座席2つに、天井近くの寝台2つ、さらに座席の背もたれをスライドさせて2つの合計6つ(3段)の簡易寝台となる仕様だった。
最初誰も来ないから座席でのんびりしていたら、フランス人とおぼしき男性がやってきて英語で「君予約してる?」と驚いていた。
5人家族で予約したが、寝る場所が4つしかないと思ったようなのだ。
続いてママンと3兄弟(高校生、中学生、小学校低学年?)がやってきた。
長男と背もたれを動かして寝台をつくる。
一家はコンパートメント内に、スーツケースをどんどん運びこむ。
かなりの荷物だ、足の踏み場もなくなる。
パパンと話してみると、同じくバーリに向かうと判明。

寝るのはどこがいい、と聞かれたので「anywhere」と答えたら、一番上で寝てほしい、とのこと。
パパンとママンが一番下、2段目に弟たち、3段目に長男と私が寝ることに。
もちろん寝間着に着替えず、そのまま横になる。

まだ眠れそうになかったので、寝そべって通路越し、車窓から見える夜景を観ていたら、次男が「あなたはあそこへ行きたいの? 行きたいなら僕も行くよ」と通路を示す。
下りて行って、二人で流れていく夜の車窓を眺める。
開け放たれていたので、夏の夜風がすごい勢いで入ってきて、心地いい。

20分もそうしてぼんやりしたろうか。
ママンと末っ子はすでに目を閉じていた。
窓が開けっ放しだと車輪の音がうるさくて、寝付けないかもしれないと感じ、次男に「enough?(十分?)」と声をかけた。
これは用法として間違っていたようで、次男は理解できなかったようだが、私の意をくんだらしいパパンがそろそろ寝ろ、と次男に説教。
パパンが窓を閉め、私たちは寝台へ戻った。

隣の寝台では、長男がノートPCを開いて、どうやらメールチェックをしているようだった。
耳栓をし、念のためベルトを寝台の金具につなぐ。
目を閉じる。
眠るつもりはなく、体を休めるだけのつもりが、断続的に4時間ほどは睡眠をとっていたようだ。

ICNに乗ってから知ったのだが、この列車は驚いたことに途中で停車し、人を乗降させている。
しかもバーリ止まりではなく、さらにその先まで進むようだ。
寝過ごしたらたいへんだ。
そう感じて目を覚ますたび携帯をチェックしていたら、携帯の電池が切れた。
時間を知るすべがなくなる。
パパンたちが同じ到着駅でよかったー

翌朝、パパンたちとバーリ駅へ降り立つ。
するとお腹空いてないか、水はあるのか、とお菓子とミネラルウォーターをくれて、本当にいいご一家だった。

ホームで別れ、ツーリスト・インフォメーションを探す。

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本日のトピック

・朝、枕元に手紙が
寝汗がすごかったので、朝シャワーを浴びたのだが、その間にKORIAN GUYからのメッセージカードが置かれていた。
日本人のメル友がほしいので、よければメールしてくださいとメルアドが……
もちろん英語のメッセージ。

・通りでイタリア人に「ニイハオ!」と挨拶される
昨日は昨日で中国人に話しかけられた。
フィレンツェから髭を剃っていないからかも。

・ついにミサンガ売りに引っかかる
夕刻、地下鉄に乗るためドゥオモ駅に向かっていたら、若い黒人にドゥオモ駅そばの交差点で「アフリカン?」と声をかけられた。
今度はアフリカンかよ……「No」と答えると、拳を突き出してきたので、合わせてたら去っていった。
信号を渡り、駅への階段を降りようとしたら、そいつが階段の前で待ち構えていた。
「どこから来た? おれはセネガルだ」と握手のために手を差し出してきたので、握り返すと、すごい力だ……しかも離してくれない。
「日本」
「日本? ナカタ、ナカムラ、ナガトモ……みんないい選手だな。そういや昔、ワールドカップ、日本で戦ったな」
「おー、セネガル、覚えてるよ!」
しまった……盛り上がってしまった。
「じゃあ、おれたちは友達だ。これは友達への贈り物だ」
右手が引っ張られ、ミサンガが巻かれる。
「なあ友達……アフリカのために寄付してくれないか?」
うまい。
これは相手が一枚上手だ。
お前が全部使うんだろう、とは言えない。
ままいいや。
小銭入れを引っ張り出して、示す。
それを全部やるよ、という感じで逆さにして中身を右手に空けると、1ユーロ10セントしか入っていなかった。
小銭を突き出すと「サー、紙がほしい。両替できるよ」と言って、ポケットから札を取り出した。
しかし「No」と強く言い返すと、「オッケー」と受け取り、「これはお前のファミリーのためにもう1本だ」とミサンガを巻いてきた。
「じゃあな友達」という感じで別れたが、気の弱い人なら紙幣を払っていたかもしれない。
意外と悪質だ。
ミサンガはそのままドゥオモ駅のゴミ箱へ。
短い友情でした。

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