随思録

日々思うことを記す。

Sono Giapponese イタリア日記

2011-12-25 11:05:20 | italia
これはブログ主が2011年6月28日~7月15日にイタリアを一人旅したときの手記です。
ローマ往復の航空券と、最初の3日間だけホテルを日本で手配し、あとは現地で宿と旅程を決めて行動しました。
4大都市をローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノと北上し、ローマに戻りつつ南下して気になるところに立ち寄る、という周遊イメージだったのですが、実際はこのような結果に。

6/28 成田発→ローマ着
6/29 ローマ
6/30 ローマ(ヴァチカン市国)
7/1  ローマ
7/2 ローマ→フィレンツェ
7/3 フィレンツェ
7/4 フィレンツェ
7/5 フィレンツェ→タヴァルネッレ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ペーザ)
7/6 タヴァルネッレ
7/7 タヴァルネッレ→フィレンツェ→ヴェネツィア
7/8 ヴェネツィア
7/9 ヴェネツィア→ミラノ
7/10 ミラノ→バーリ(ICN:夜行列車で移動)
7/11 バーリ(アルベロベッロ)
7/12 バーリ→ナポリ
7/13 ナポリ(カプリ)
7/14 ローマ(アッピア街道)
7/15 ローマ発
7/16 成田着

ブログ中、“ガイドブック”とあるのは『地球の歩き方'11-'12 イタリア』。
“YHリスト”とあるのは『ヨーロッパ2000円の宿―ヨーロッパ・ユースホステルガイド』のイタリアの部分をコピーしたものを指します。

いまどきガイドブック片手に旅、というのは古風すぎました。
スマートフォンやノートPCは必携ですね。
また、突発的な思い付きでイタリア旅行を決めたので、渡航の準備に追われ、観光情報等の収集まで手が回らず。
ろくに下調べもせず旅立ったため、効率も悪く、苦労の連続でした。
思いつきで行動するとろくなことがない……という典型です。
いつかよい思い出になるのでしょうか?

7/14 ローマ(アッピア街道)

2011-12-24 19:08:36 | italia
6時半起床。
7時朝食。
食堂に2人の姿はない。
昨夜聞いた予定では、2人ともすでに外出している時刻のはずだ。

30分前にはナポリ中央駅に到着。
そのままAVに乗り込み、ローマへ。

10時にはローマに着き、勝手知ったるテルミニ駅から、YWCA DOGへ。
ルームクリーニングは済んでいるようなので、部屋へ荷物を置き、近くにある“ローマで一番レートがいい両替屋”という名の両替屋へ。
TCをユーロに替え、本日の軍資金を確保。

最後に“すべての道はローマに通ず”の象徴ともいえるアッピア街道を見よう……いろいろ考えたが、そう決めて、行動を開始する。
まず共和国広場横にあるベンチに座り、ガイドブックを広げる。
アッピア街道へは、アルケオバスに乗って向かう。
カラカラ浴場などとも同じ方面だという。
せっかくだから両方見ようかな
……なんとなく視線を上げたら、共和国広場手前に、アルケオバスが停車している。
どうやらあそこ乗り場のようだ。

急いで駆け込み運転手にアルケオバスか確認すると、やはりアルケオバス。
料金は12ユーロだが、チケットを売る専門のスタッフがいるらしく、英語がうまくないのか、待ってくれ、と言われる。
そこで運転手に「“カラカラ”で降りたい」と片言のイタリア語で伝えたら、いきなりテンションが上がって猛烈な勢いで話しかけてくる。
いやいや、喋れないから。


チケットと一緒にもらった路線図によれば、ローマ中心部の遺跡も押さえつつ、アッピア街道も巡回するようだ。
これをうまく活用すれば、カラカラ浴場とアッピア街道を短時間で観ることができるだろう。
共和国広場を出たアルケオバスは、ヴェネツィア広場、コロッセオ前、チルコ・マッシモと走る。
4番目がカラカラ浴場。

ちなみにこの日の私は、Tシャツに7分丈のカーゴ、ひげは伸ばし放題で、頭にタオルを巻いていた。
アルケオバスには屋根がない。
カラカラ浴場前でバスは停車し、運転手が降りるよう合図を送ってきた。
手を挙げて応じ、下車。


カラカラ浴場を見学。
ともかく巨大。
映像や写真から思い浮かべていたものよりも、ずっと大きな規模の浴場だ。
屋根があって、様々に装飾されていた往時の姿を想像すると、いまではもう同じものを造れないのではないか、と感じる。

アルケオバスの運行は16時半までなので、あまりのんびりとしていられない。
現在12時。
カラカラ浴場を出、入口前で次のバスを待つが、なかなかやってこない。
20分ほど待っただろうか。
それでもやってこない。

するとカラカラ浴場から出てきた老夫婦が、バス停ではなく、歩道にそって歩き始めた。
歩いたほうが早いかもしれない……
追いかけて進むと、交差点があり、「Appia Antica」の標識が。
これを目印に進めば、間違いないだろう。


前を歩くご主人の手には『地球の歩き方 ローマ』が。
ヤマモトさんの訓示を活かすべく、「日本の方ですか?」と話しかけてみた。
やはり日本人のご夫婦で、旦那さんが古代ローマ好きで、イタリアに来たらしい。
明日はポンペイを見るのだとか。
ご主人の解説によれば「この先にサン・セバスティアーノ門があり、まっすぐ行けばアッピア街道」らしい。
昨日はカプリ島にいたことを告げると、「あそこにはティベリウス帝の別荘跡があるね」とマニアックな会話が成立。

サン・セバスティアーノ門に着いたところで、お2人は付設された展示室を見学するというので、そこでお別れ。
短い出会いでした……


意外と長丁場になりそうなので、サン・セバスティアーノ門そばの水道で、手持ちの空きペットボトル(2L)に水を補充。
(いつも500MLを買っていたが、ナポリで会った2人の節約術を真似た。)
そこで今度は年配の女性2人組(おそらくイタリア人)に話しかけられた。
ここはアッピア街道か、と聞かれたので、この先だよ、と受け売り。

ずんずん歩き、ドミネ・クォ・ヴァディス教会前に。
せっかくだから見ておくかと周囲を見回すが、それらしきものが見当たらない。
バス停前に(ツーリスト)インフォメーションの表示があったので訪ねると、おそらく兼務している男性が対応してくれた。
場所を尋ねると、すぐそこの左側にある、と言われる。
そこには塀があるだけなので当惑していると、表に連れ出され、再度方向を示される。
その様子を見て、隣の店舗の男性が「またジャポネーゼか」という感じで笑っていた。


ともかくわからないものの進むことにし、すぐそこの角を曲がると、曲がる前は見えなかった左側に扉が。
中に入り、写真を撮る。

表に出ると、すぐ近くに周辺図があり、先ほどの女性2人組が話し合っていた。
近づくと「カタコンペに行きたいのだが、とれくらいだろう」と質問された。
周辺図だけではわからないので、ガイドブックも取り出して見積もる。
1~1.25kmくらいか?
「one or...」と言いかけると、「one or one and half?」と聞かれる。
間違ってはいないのでうなずくと、2人は心が折れてしまったようで、路線バスのバス停へ向かっていった。


アルケオバス「カタコンペ」の停車場(サン・カッリストのカタコンペ)には、私の足で15分後くらいについたので、距離的には間違っていなかったと思う。
写真だけ撮ってさらに進むことに。
ここで日本から持ってきたアミノ酸の粉末を服用。
昼食を食べている時間はなさそうだ。

歩いていたら、さっき乗ってきたアルケオバスとすれ違う。
クラクションに手を挙げて応える。


続けて歩きサン・セバスティアーノ聖堂へ。
通り沿いに1つだけあった売店(屋台)でジェラートを買い小腹を埋める。
(3ユーロと高い上にまずいジェラートだったが……)


そのままチェチーリア・メッテラの墓まで歩き(ロムルスの墓は扱いが小さすぎて素通りしてしまった)、さらにアルケオバスの到達点(2011年7月現在)であるVilla Capo di Bove(Capo di Bove=牛の首)へ。
これ以上はガイドブックも地図もないコースだ。

ただガイドブックには“遠くにアーチを描く水道橋が見られる”といった記述があった。
もしかすると、あの水道橋がこのあたりで見られるのだろうか。
いままで見られるポイントはなかったし、見られるものなら最後に見たい……

私はさらに南下することに決めた。
現在14時。
16時までにここに戻ってくれば帰りのバスには間に合うから、大丈夫だ。


バス亭の近くに、古い屋敷の遺跡と、その再現をした建物(?)が無料公開されており、庭園では子どもたちが遊んでいた。
(※ここがCapo di Boveの遺跡だったようだ。)
なにかのキャンペーンがアッピア街道では行われているらしく、旗がなびいている。


屋敷跡を出るとそばに周辺図があったので、手がかりがないか見ていたら、同じく屋敷跡から出てきた若者が私に並んで周辺図を見つめ始めた。
「この辺に住んでるの?」と英語で話しかけたら、「違うけど、わかる範囲で答えようか?」といった感じの返答をくれた。
そこで、イタリア語で「水道」と言ってみたり、英語で「古代の水道管」と言ってみると「アクアドット?」という名称が。
周辺図にも「acquedotto」と表示された線が引かれている。
若者の話では3キロくらいだろう、とのこと。
いま14時15分なので、際どいかもしれないが、行けるだけ行ってみよう。

若者に礼を言って、さらに進むことに。
若者はウォーキングの最中らしく、イヤホンをして歩いていく。
私は歩くスピードを上げた。


ここからが悪夢、白昼夢の始まりだった。
いつまで歩いても、何も見えてこない。
しかも、人がほとんどいない。
3キロなら、私の足なら30分ほど。
しかし、30分を超えても、何も現れない。
ヴィラ・ヨヴィスと違い、地図もなければ道連れもいない。
水はあるが、どこまでスタミナが持つか……

不安に耐えかね、前から走ってくる自転車を止め話しかける。
「すみません。アクアドットはこの近くにありますか?」
「アクアドット? そんなのすぐ近くにあるよ。だってローマまで続いているんだから。この左手はアクアドットさ」
1キロも進めば見えてくるだろう、とその中年男性は言う。

礼を言って別れ、またしばらく進むが、光景は変わらない。
この辺りは広大な邸宅が多いようで、石塀と高い木が両側を塞ぎ続けている。

停車中の車があった。
ドライブデートの最中らしい中年紳士に聞いてみるが、「アクアドットは知っているけど、このあたりにあるかは知らないなあ」。


さらに進むと遺跡が。
これか? と興奮するが、これは周辺図に示されていた「Villa dei Quintili」だろう。
あとどれくらい進めばいいんだろう……
するとさっきの若者が、上半身裸となり、ものすごいスピードで背後から迫ってきた。
どうやらランニングに切り替えたようだ。
挨拶すると立ち止まった。
「これかい?」
「違う。これは古代の村の跡だ」
「そっか」
若者は私を追い抜いて、またたくまに小さくなった。

さらに歩く。
もうすぐ15時だ。
時間的にも体力的にも限界か。

前から男性のランナーがやってきたので、止めて、話しかける。
「すみません、この近くにアクアドットはありませんか?」
「アクアドット? 見たいの? でもここから先もコピーみたいに同じ光景が3~4キロ続くよ。遮られて何も見えないんじゃないかな。進むのを止めはしないけど、引き返すことをおすすめするけどね」
礼を言って別れる。

それはすぐそばに存在しているが、私たちはそれを見ることができない。


もう少しだけ進み、新道方面へ向かう交差点を発見。
遠くにこれかなー、というものを見つけ、写真に収めるのが精一杯。
迂闊な旅の迂闊な終わりとしては、ふさわしい一枚なのだろう。

引き返し始めた私に、若者が、再び猛烈な勢いで迫ってきた。
かなり先から折り返してきたに違いない。
声をかけると立ち止まった。
「アクアドット見えた?」
「いや、このそばにあるけど、私たちには木が邪魔で見えないらしい」
若者はイヤホンを外して歩み寄ってきた。
「どこから来たの?」
「日本」
「へえ、日本のどこ? トウキョウとか?」
「サイタマ。トウキョウの北にある」
「おれ、トウキョウに友だちが住んでるんだ」
「私は明日、日本に帰るよ。その前にアクアドット見たかったんだけど……」
それ以上は話すことがなくなってしまい、沈黙が訪れた。
(本当はそのトウキョウの友だちについて話せばよかったのかもしれないけど。)
「じゃあ、元気で」
「気をつけてね」
若者は走り去っていった。

帰り道は思ったより順調で、アルケオバスのバス停に15時30分にはたどり着けた。
うまいタイミングでバスがやってきたので、乗り込んでそのまま共和国広場まで戻った。

*

いったんYHに戻ってシャワー。
夕食には早いので、共和国広場のバールに寄ってみたり(鳩にフンを落とされた!)、みやげ物をUpimやSmaで物色。
その後ガイドブックにあった「サンディ」で夕食をとる(7/1に行こうとしていた店)。
ツーリストメニューの料金はかなりお得だった。
味は普通。
日本語メニューがあったけれど、業者が自動翻訳を使ったせいか、間違った表現が多くて苦笑する。

*

最後の夜は1人でしんみりやろうとしていたら、ナポリYHの交流が心地よすぎたせいか、さみしくなってしまった。
食事を終えて、寝酒を買って、YHに戻っても21時。
日没したが、空はまだ明るい。

初日のトラウマを克服すべく、ライトアップされているという共和国広場を見に行くことにした。
ただし、観光客には見えないように、用心してカメラは外していく。

行ってみるとそこは、観光客だらけで、ほとんど心配のいらない場所だった。
満月に近い月が美しく、ライトアップされた噴水に映えていた。
月の写真がほしいな、と感じる。
噴水の写真はどちらでもいい気がした。

帰り道、iPhoneで何かを撮ろうとしている男性がいた。
隣に立ち、同じ角度から空を眺めると、月と街角が一枚絵のように切り取れる。
こちらに気づき視線を向けた男性に「Beatiful!」と言うと、男性は微笑んだ。

7/13 ナポリ(カプリ)

2011-12-14 01:39:27 | italia
5時半起床。
身支度を整えて、6時にロビーへ。
2人のアドバイスでビーサンを所持(ビニール袋に入れ、カーゴのポケットに)。
5分ほど遅れてヤマモトさんがロビーへ。

レセプション(別人)に昨夜得た情報を再確認のためにぶつけると、フェリーはさらに奥のPortoから出るので、歩いていくのは無理だ、バスに乗れ、と言われる。
15分まで待つが、タイヨウくんはやってこない。
おろらく私の足なら、さらに奥のPortoでも、1時間歩けば余裕で着くだろうが……女性の足ではどうか。

ここでヤマモトさんにバスで行くことも提案してみるが、歩ける、というので予定通り歩きで行くことにする。
また、タイヨウくんは仕方ないが置いていく。
(私もヤマモトさんも乗り物のチケットは買ってある。タイヨウくんだけ未購入だったのだが……)
YHの朝食は7時からなので、何も食べずに出発。


メルジェッリーナの早朝の海岸は、とてもさわやか。
ヤマモトさんと旅行術の情報交換や、互いの旅の思い出などを話してのんびり歩く。
私はトレッキングシューズだが、ヤマモトさんは足元ビーサン。
島に行くのだから適切な装備だが、少々ペースがゆっくりだ。
それでも1時間ほど歩くと、港が見えてきた。
船が停泊しており、チケット売り場もある。

「No.18 Nave Capri」の文字。
よし、到着、と思ったら、乗り場はこの1km先だという。
どういうことなんだ……
時刻は7:25。
フェリーの出発は10分後だ。

「走りましょう!」のヤマモトさんの声で走りだす。
いきなり汗だく。
どれくらいで1キロなのか……ともかく走る。
「絶対間に合う!」とスポーツ経験者なのか、非常に強いメンタルを発揮するヤマモトさん。

そろそろかな、と港の様子が変わりはじめたところで立ち止まる。
手分けして聞き込み。
警備員らしき若者に、イタリア語で「カプリ島行きの船のチケット売り場はどこ?」と聞いたら、イタリア語で返答されわかりません。
「English?」と反問され、うなずくと「緑のライトが見える? あの奥だ」と教えてくれた。
「薬局?(イタリアでは緑十字が薬局のサイン)」
「そう、薬局」
「グラッツィエ ミーレ!」
後方で同じくイタリア人に話しかけているヤマモトさんに、わかったことを大声で伝え、再び走りだす。

200mほど先にある建物までダッシュ。
この時点で7時半を回っている。
次のフェリーは12:50だ。
1階の奥がチケット売り場になっていた。

窓口に駆けつけ、「カプリ行き7時35分!」とイタリア語で怒鳴ると、閉まっていた受付が開いて、切符を売ってくれた。
(男女だったせいか、私にいきなり2枚分請求がきた。)
ともかく買って、すでに出港準備を終えている船に飛び乗り、甲板へ。
乗船した時点で、すでに7時35分を過ぎている。
イタリアのルーズさにまた助けられた。


「この甲板に出たかったんですよ!」
ヤマモトさんはおおはしゃぎ。
加えて達成感にひたっているようだ。
(全力疾走した暑さでそれどころではない私……)


なんでも高速艇は、外に出られない構造らしい。
甲板でしばらくすごしたあと、前のほうに移動してみることに。
海風が気持ちいい。


午前中のおだやかな日差しの下、フェリーは順調にカプリ島へ。
マリーナ・グランデ (Marina Grande) 、9時着。

ここからはヤマモトさんが収集したweb情報を元に、どんどん進んでいった。

まずマリーナ・グランデにあるアナカプリ(Anacapli)行きのバス乗り場へ。
通常よりずいぶん小型のバス(料金は1.6ユーロ)。
島の狭い道路に合わせた仕様のようだ。
すし詰め状態で発車。
車内は冷房がないのか、効かないのか、ものすごく暑い。
汗が止まらない。

アナカプリに着いたら、今度は青の洞窟 (Grotta Azzurra) 行きのバスに乗り換え。
(表示を頼りに進むが、わからなくなってあたりの人に尋ねた。)
アナカプリから、同じような小型のバス(同じく1.6ユーロ)に乗り、青の洞窟へ。
バスは約20分間隔で運行していた。


青の洞窟着。
マリーナ・グランデからモーターボートでやってきた人たちが、海上で順番待ちをしているのが見える。
ビーチサンダルに履き替え、トレッキングシューズをビニール袋に入れる(これが重い上にかさばった……)。


階段を降り、洞窟前へ。
手漕ぎボートの空きを待つ。
ほとんど波もないせいか、優先されるモーターボートの観光客もどんどんはけて、すぐにバス停からの観光客がボートに乗り込むことに。
一艘に4~5人というのが普通のようだが、前後がグループだったらしく、ヤマモトさんと2人で乗り込む。
(そのままボートは回旋し、料金所で12.5ユーロを支払った。)

洞窟の入口は狭いので、乗客は密着し、頭を舳先より低くしなければならない。
仰向けになるのだが、ここでヤマモトさんの手を潰してしまうなど、体勢づくりに困惑する。
船頭の合図で一気に中へ。
すると暗闇の中に青い水面が広がっている……
これが青の洞窟か……


船頭が漕ぎながら歌(カンツォーネ?)を歌う。
先に入ったもう一艘とユニゾン。
歌の合間に「アモーレ、アモーレ! キッス! キッス!」と訴える。
だからカップルじゃないんだよ。

洞窟内を一周し、再び外へ。
入り口をくぐるときはスリリングだし、中は美しくキッスして「アモーレ」と囁くには適している。
なんというか……“アミューズメント”?
古代から続く観光名所である理由がわかった気がした。

船頭が「ナイスチップ10ユーロプリーズ!」と言ってきたので、ヤマモトさんに相談したら「いいとこ1ユーロじゃないですか?」と冷静な対応。
私はこういうとき弱気なので、心強い。
1ユーロずつ渡して下船。

バス停に戻ると10:20発のバスが停車中だったので、そのまま乗り込みアナカプリへ。
復路のバスは空いていて、余裕で座ることができた。

帰りのフェリーがなくなるまでには、かなりの時間がある。
私はカプリ島で時間が余ったら、ティベリウス帝の別荘跡「ヴィラ・ヨヴィス(Villa Jovis)」が観たいと考えていた。
ヤマモトさんに伝えたところ、予定はないので一緒に行くとのこと。
行き方がわからないので、いったんマリーナ・グランデまで引き返して、ツーリスト・インフォメーションで情報収集しなくてはならない。

マリーナ・グランデ行きのバスに乗り換えようとバス停に並ぶ。
するとヤマモトさんが、すぐ近くにいる東洋人の女性をじっと見つめ始めた。
服装から日本人だと推測したようだ。
ヤマモトさんが日本語で話しかけると、彼女はやはり日本人。
カプリ島だけで5日間滞在しているのだという。
なんでも今日アマルフィに移動するのだが、最後にどうしてももう一度飲みたいレモネードがあり、これから飲みに行くそうだ。
そんなにおいしいならついていくことにし、マリーナ・グランデではなくカプリ行きのバスに一緒に乗る。
女性たちは話がなにやら盛り上がっていたが、私は車内の暑さに再びやられ、朦朧としていた。

カプリに着く。
カプリ島にはカプリとアナカプリとう2つの町があり、このカプリは島の中心街のようだ。
フニコラーレ(ケーブルカー)の駅もあり、店も人も多い。
行列のできているジェラテリアの横を抜け、アウグストゥス公園のほうへ。


彼女はアウグストゥス公園を目指して歩いていたとき、途中で諦めて、この屋台に立ち寄ったのだという。
味はレモンなのに甘く、とても飲みやすい。
レモンが日本とは違うのか。
ともあれ、朝から動きっぱなしの身体を癒すのには、格好の一杯だった。

ヤマモトさんいわく、同じ場所に長く滞在している人はいい情報を持っている。
こういうのを味わわなきゃダメですよ、と旅行中ロクなものを食べていない私に言うのであった。

ホテルに戻る女性と別れ(そういや名前も聞かなかった)、偶然見つけたカプリのツーリスト・インフォメーションへ。
すると「ここからまっすぐ30分歩いたところにある」という。
現在11時。
余裕のスケジュール。
食事はまだ平気だとヤマモトさんが言うので、そのままヴィラ・ヨヴィスを目指すことにする。



30分なら楽勝のはずが……
30分の平坦な道と、30分の上り坂ではしんどさが違う。
いくら上ってもたどりつかない。
ましてや、炎天下だ。

途中で道を間違ったり、標識を見失ったりし、本当にこの先にあるのか、不安になる。
「12時まで進んで、何もなければ引き返しましょう」
とヤマモトさん。
限界時間の設定は私もよくやるが、妥当な設定と同意。
こういうとき同行者の存在は本当にありがたい。
予想外の長い道のりについて詫びると、「勝手についてきてるんですから気にしないでください」と大人の返答。

とうに30分は過ぎたころ……高台にそれらしき銅像が……
もしかしてあれか?
あそこまで上るのか?
ヴィラ・ヨヴィスからの復路を歩く人達は、すれ違うとき、なんとも優しげな微笑を浮かべている。
精も根も尽き果てて、ようやくヴィラ・ヨヴィスにたどり着く。


入場料を払い、足を踏み入れた瞬間、ヤマモトさんが歓声をあげて駆け出した。
海が青い。


一層涼しく感じる海風にあたりながら休息したあと、別荘跡を見て回る。
反対側の海も、銅像がある教会前のスペースから眺望できた。


ただひたすらに青い。
この青だけが孤独な皇帝の慰めだったのか。

ヤマモトさんもこの海の青さには感動したようだ。
「ついてきてラッキーでした。でも、もう1回やれと言われたら絶対やらない」とのことだった。

ヴィラ・ヨヴィスでビーチサンダルをトレッキングシューズに履き替えてから、坂道を下る。
下りのほうがシューズのせいもあるが、精神的に楽だった。
またしても道を間違えそうになるが、ヤマモトさんが正確に記憶しており、無事カプリに帰還。
先ほど見かけた行列のできるジェラテリアに寄り、エネルギー補給。


次のフェリーの時間までは随分あったが、フニコラーレを使い、マリーナ・グランデまで下りておくことにする。
何かアクシデントがあるかもしれないので。
マリーナ・グランデに並ぶ商店で土産物を物色。
リモンチェッロの小瓶がいいかな、と目をつけていたのだが、アナカプリではもっと安かったような……
ここでは1つ5ユーロだが、半額くらいだった気がする……記憶違いかもしれないが、なんとなく買う気がなくなった。
(ちなみに空港では6.5ユーロとさらに高くなっていた……)。

フェリーが入港してきたので、出港まで余裕があるが、乗り込んでおくことに。
チケットには往復と片道の2種類があるのだが、ヤマモトさんのweb情報によると、購入したのは価格的に往復券ということだった。
というわけで朝モギられたチケットの残りを保管していた。
ところが、取り出して船員に見せると、「チケットじゃないよ」と言われる。
どうやら勘違いして、片道切符の半券を後生大事に取っておいたらしい……
切符売り場で片道切符を購入。
また慌てるところでした。

冷房の効いた場所で休みたい私は船内へ(ヤマモトさんはまた景色を観たいと甲板へ)。
ソファに腰掛けた途端、眠気に襲われ、うたた寝するうちナポリ港は間近に。
甲板に出ると、ヤマモトさんも寝てしまったそうで、かなり日焼けが進んでいた。

このあと食事をどうするか、と相談したが、ヤマモトさんはお目当てのリストランテがあるそうで、魚介料理が評判だそうだ(私は貝が苦手なので、同行は遠慮した)。
私のほうはナポリピザを食べようと思っているのだが、彼女は昨日食べてしまったとのこと。
どうやらそこは私が行こうとしていた「ダ・ミケーレ(Da Michele)」のようだ。
彼女の目指す店はナポリ中央駅の反対側。
通り道なので、店の場所を教えてくれるという。

下船後、ナポリの中心街に向かって歩く。
ナポリの街はうさんくさい露天商が多く、不法投棄のゴミなども散らばっており、とても「ナポリを見て死ね」とまで言われた都には見えなかった。
ダ・ミケーレ前の路地で、ヤマモトさんと別れる。

*

「ダ・ミケーレ」はナポリピザの老舗。
それほど大きな店ではなく、20人も入れば一杯なのではないか。
いつも行列ということだったが、時間帯のせいか、相席ではあるがすぐにテーブルにつくことができた。
メニューは「マルゲリータ」と、「マルゲリータ(大)」のみ。
マルゲリータの普通サイズと、ナズーロ(イタリアのビール)を注文。

4人掛けで相席し、正面はカップルだったのだが、2人ともかなり大きいピザを食べている。
周囲を見回しても、みんな大きいピザだ。
これが「マルゲリータ(大)」か、でかいなあ……と感心していたら、私の目の前にも同じサイズのマルゲリータがやってきた。
私の表情を見て、隣のテーブルの人が笑いかけてくる。


こういうのは勢いが肝心なので、一気に食す。
ふかふかの食感。
トマトソースの味がよい。
とてもおいしいピザだ。
ただ、周辺が焦げていて、硬い。
そこだけが難点。
釜のせいなのだろうから、仕方ないか。

満腹となり、膨れた腹を抱えて休憩していた私。
奥のテーブルに座っていた、10代後半のグループが会計をしようと立ち上がった。
そのうちの1人の男の子と、偶然目が合う。
空となっている私の皿を見て、拳の親指を立てる。
「Perfect!」
私も親指を立てて笑顔を返す。
こういうやりとり、海外ならではですな。

*

歩いて10分ほどのナポリ中央駅へ。
両替をして、明日のローマ行きの切符を購入。
時間は8:50。
11時にはローマに着く。

地下鉄でメルジェッリーナへ。
購入済の1日券を使用(24時間なので、明朝も使える)。

YHへ戻り、まずシャワー。
次にイタリアで最後になるであろう洗濯。
洗剤の自販機や洗濯乾燥機の使い方がミラノなどとは違っていたので、レセプションに相談するために何度も行き来し、意外と苦労した。

すると、ベンジャミンがレセプションの裏に入って行き、ワインを手にして戻ってくるところに出くわす。
どうやら冷蔵庫があるようだ。
使えるの? と聞いたら、もちろん、とのこと。
YH共用の冷蔵庫がこんなところにあったとは。

洗濯物を乾燥にかけ、ビールを買い出しに。
一応、ヤマモトさんとタイヨウくんが帰ってきたとき3人で飲む可能性も考慮し、ハイネケン500ml瓶2本を買っておくことに。
(サービスでカップもつけてくれた。)

YHに戻ると、入り口脇のテラスで席で、ヤマモトさんがタバコを吸いながらハイネケンをすでに飲んでいた。
このあと時間があるなら晩酌につきあってくれないか、と聞くと、構わないととこと。
冷蔵庫にビールを入れ、洗濯物を回収。

改めてロビーのソファで乾杯。
ヴィラ・ヨヴィスに付き合ってもらったお礼の気持ちもあり、どんどん飲んでもらうことに。

実はイタリアでは缶ビールがほとんど売っていなくて、いつも栓抜きで苦労していた。
買ったとき開けてもらうことが多かったのだが、このときは厨房に行って栓抜きを借りた。
瞬く間に1本目がなくなり、2本目というとき、栓抜きの話題になったのだが、「わたし栓抜き持ってますよ」とヤマモトさん。
99cent shop(日本の100円ショップ)で買ったというのだ。
こういう発想はなかった……

2人で1時間くらい飲んで様々な旅の話をした。
特に言われたのが「日本人を見かけたら話しかけたほうがいい」ということ。
今日のように情報を得られたり、一緒に行動すれば、共感して楽しむことができる。
なるほど、確かに青の洞窟、1人ではかなり虚しかったかもしれない……

そのうちタイヨウくんも帰ってきて、3人で談笑。
やはり寝坊したらしく、朝食をたっぷり食べた後二度寝し、午後はポンペイを見てきたそうだ。
偶然とポンペイを観に行く日本人と会い、一緒に行動したのだという。
「ポンペイいいですよ! 遺跡にまったく興味のない僕でもよかったくらいですから。ナポリ滞在延ばして見てきたらどうです?」とタイヨウくん。

10時となり、ヤマモトさんが明日の準備のため部屋へ行くというので、お開きとなった。

7/12 バーリ→ナポリ

2011-12-03 22:48:13 | italia
今日はバーリからナポリへ移動する。
ナポリへはプルマン(pullman)……日本で言う高速バスが早いとガイドブックの情報があったので、バーリ駅発12:50に乗る予定で行動。
9:00発車もあったが、YHからバーリ駅まではバスで時間が読めないので、余裕をもったスケジュールにした。
(ここでがんばればポンペイも観られたのだが……まあいいや、と思ってしまった。)

8時前に起床し、朝食。
朝食はかなり広い食堂に私1人。
何人か食べた形跡はあるが、YHの朝食でこんなのは初めてだ。

9時に駅へ向かうバス停へ。
バーリは快晴。
朝から暑い。
滝のように汗が流れて止まらない。

20分後、ようやくバスが来たと思ったら、素通り。
まさかの乗車拒否?
憤慨しながら次を待つ。
さらに15分待ち、ようやく乗ることができた。

このバスは循環しているらしく、バーリ駅が終点ではない。
そこで運転手に「駅のそばで降りたい」と伊語で伝えたら、胸を叩いて「俺にまかせろ!」と言わんばかりのジェスチャー。
降車寸前、この先の交差点を左だ、と教えてくれる。
バスを降りて、交差点で信号待ちをしていたら、クラクションが。
さっきのバスが右折して目の前を通りすぎていく(イタリアは右側通行)。
運転手が駅の方向を何度も指さしていた。
いやいや前見てよ。
うれしいけど。

陸橋を使い、ツーリスト・インフォメーションのある北側に出る。
ツーリスト・インフォメーションでプルマンの乗車場を尋ねると、ブロックの番号を書いて渡してくれた。
駅の南東ようだ。
再度南側に出てみると、駅前に並ぶ各ビルに番号が表示されていたので、それを頼りに歩くと切符売り場が。
12:50発は空席があったので、購入。
プルマンの発着場所は、売り場から少し(200mほど)離れた場所にあるそうだ(英語でプリントアウトされた紙を見せられた)。
ガイドブックによればナポリ行きは2社が運行している。
チケットにはMARINAのプルマンとあったので、英語で「何色のバス?」と聞いてみたら「ブルー」と返答が。

現在11時。
12時半頃に、この周辺で青いバスを探せばいいわけだ。

時間があるので周囲に銀行や両替所の類を探してみるが、TCを現金化できそうなところは無し。
諦めて切符売り場の並びにあるバールで腹ごしらえと休憩。
SANPELLEGRINO ARANCIATA(サンペレグリノのオレンジ炭酸飲料)とジャガイモのピザ(意外とうまかった)。
食べ終えたあとは手記をつけて時間つぶし。
夏バテのせいか頭痛がする。

12:30になったので道路を見渡す。
周辺に停車している青いバスはない。
すると目の前をMARINAと白抜きで書かれた赤いバスが走っていく。
まさか……たしかに200mほど先で止まった。
席を立ち、近づいて正面の表示を見ると“NAPOLI”の文字が。

運転手がモギリも兼ねているようで、降りてきて切符を確認している。
チケットを見せると、ナポリ行きはこのプルマンで間違いないらしい。
(このとき、すぐ近くに東洋人がいたが、国籍がわからないので話しかけなかった。)

荷物を側面のトランクに載せ、着席したらすぐに出発になった。
停車時間は15分ほど。
危なかった……

プルマンは直行というわけではなく、途中の町で乗客をピックアップしているようだった。
景色を眺めたり、うとうとしたりするうちに、ナポリ中央駅前に到着。
16:30着のはずが、17時を回っていた。

まずはナポリ中央駅へ向かい、両替所でTCをユーロに両替。
100対90のレートだったので、悪くはない。
さらにツーリスト・インフォメーションでカプリ島への行き方を聞き、パンフレットをもらう。

これで駅でやることは終了。
地下鉄でYHへ向かうことにする。
構内のタバッキで1回券と1日券(明日用)を買い、地下鉄に乗ろうとするが……
「M2」とアイコンはあるので地下に下りたものの、改札が見当たらない。
困惑したが、何度か行き来するうちに理解した。
地下1階のホームがそのまま地下鉄の駅になっているのだ。
地下にある駅名の表示も、P.ガリバルディ駅となっていた。
(ローマやミラノは自動改札になっていたから、勘違いした。)

地下鉄でメルジェッリーナ駅へ。
駅裏手の高台にYH「Ostello Mergellina」がある。
YHリストの地図がなければ迷ったかもしれない。
なにか工事でもしているのか、車両用のゲートがあるのでその脇を抜け、きつい勾配を上る。
最後は急な階段を登りきってようやくYHだ。
ナポリも暑い。
汗だくだ。
でもこっちの人はあまり汗をかいてない。
身体の構造が違うのか………

YHにチェックイン。
ここのロビーは強烈に冷房が効いている。
荷物を部屋に置きにいくと、古い木製2段ベッドの6人部屋だった。
白人の青年が入ってきたので挨拶。
シカゴからきた、ベンジャミン。
ベンジャミンはずっと「Too hot... Too hot... 」とつぶやいていたので、「Is Chicago cool in summer?」と聞いてみた。
「Chicago is air-conditioned.」と真顔で返答。
もちろん、このYHも各部屋に冷房はない。

外出しようと再度ロビーを通ると、さきほどプルマンに乗り合わせた若い男性がいたので、なんとなく会釈。
すると「日本の方ですか?」と話しかけられた。
絶対中国人だと思ってたのに。
互いにそう思っていたようだから、どうやら日焼けして髭を伸ばすと、日本人には見えなくなるのかもしれない。

話をしてみると、いままでアジアを旅してきて、これからヨーロッパを回る予定だという。
この春までは学生で、10月入社の企業に内定をもらったので、入社までの期間、貧乏旅行をしているそうだ。
彼の話では、もう1人日本人がYHに泊まっているという。

せっかくだから一緒に周辺を探検しよう、とレセプションに地図をもらい、表に出る。
するとテラスでハイネケンの大瓶をラッパ飲みしながら、タバコをふかしている日本人らしき女性が。
豪快だな……
彼が話しかけたので、どうやら彼女がもう1人の日本人のようだった。

ここで自己紹介。
彼はタイヨウ(名前)くん。
彼女はヤマモトさん。
ヤマモトさんはヨーロッパを旅行しており、このYHに3日間滞在するのだという。
彼女も時間があるそうなので、3人でメルジェリーナを散策。


すぐ近くの海を見たり、市場に入ってみたり。
腹が減ってきたので、何か食べたいという話をしたら、タイヨウくんとヤマモトさんが道端で立ち話していたおじさん2人組をつかまえた。
タイヨウくんは安くて満腹になるのでピザが食べたいらしく、ピザ、デリシャスなど英単語をぶつけている。
行動的な2人だ……
私がイタリア語に言い換えてぶつけるうちに伝わったのか、ついてこい、とおじさんたちが歩き出し、すぐ眼の前にあるピッツェリアへ連れていかれる。
本当かよ。
(ここで昼食の遅かったヤマモトさんはYHへ帰った。)

私は夏バテ気味なので肉料理を食べようと考えていた。
「なら豚ですよ」とタイヨウくん。
店頭のメニューでどれが豚料理なのか検討していたら、スタッフの男性が出てきた。
タイヨウくんがポーク、と言うがわからない。
私もとっさにはイタリア語の単語が浮かばなかった(肉、というのは浮かんだのだが……)。

するとタイヨウくんはブヒブヒと鼻を鳴らして豚のマネをし始めた。
おもしろがって店の人もブヒブヒやりだした。
私も加わってYes! とばかりに3人で鼻を鳴らしていたら、店の人はこれだよこれ、とメニューを指した。

店に入ってその料理を注文したら、ビーフステーキが出てきたよ。
イタリアの牛はブヒブヒ鳴くらしい(結果夏バテは解消した。)。

食事を終えYHに戻ると、また入口脇のテラスで、ヤマモトさんがハイネケンをラッパ飲みしていた。
話しかけ、明日の予定の話になると、どうやら3人とも「青の洞窟」に行く予定のようだ。
じゃあ3人で行こう、となった。
(私には初のケースだが、ヤマモトさんによれば、YHで会った日本人同士、目的地が一緒なら共に行動するケースは多いらしい。)

iphoneでヤマモトさんが調べた結果や、パンフレットの情報を照合すると、まずメルジェッリーナ駅からナポリ中央駅へ戻り、バスでMassa港へ、そこからカプリ島へ渡る、というのがパターンのようだ。
カプリ島への渡航手段はフェリーと高速艇の2つがある。
また、青の洞窟は光の関係で午前中に観るのがよい、とされていた。

ヤマモトさんは高速艇はイヤ、絶対にフェリーがいい、という。
レセプションに相談すると、7:35発のフェリー以降、7・8月は午後まで欠便となる。
午前中に観るには、7:35のフェリーに乗る以外方法がない。

するとタイヨウくんはバス代がもったいないから歩いて行きたい、と言い出した。
たしかに地図で見る限り、40~50分も海沿いを歩けば、メルジェッリーナから港に着けるだろう。
乗り換えやらの時間を考えれば、歩いていってもそれほど変わらないのではないか。
私も歩いて行くことにすると、ヤマモトさんも歩く、と言い出した。
どちらにせよ朝6時に集合し、遅れたら置いていくということに。

ここでアクシデント。
ピッツェリアからの帰りにタバッキで買ったビールを、袋ごと床に落として割ってしまった。
時刻は21時半。
外は暗く、さすがにナポリで夜外出する勇気はない。
寝酒は無し……

解散となり、部屋へ戻る。
同室の人間はまだ誰も帰ってきていない。
シャワーを浴び、耳栓をし、ベッドに入る。
10時半。
ともかく体を休めようとするが、横たわっているだけなのに汗が止まらない。
開けっ放しの窓から蚊が侵入するので、虫除けスプレーをして、再び横になる。
目を閉じてじっとしていると、何度か目を覚ましつつも、4~5時間は眠ることができた。

7/11 バーリ(アルベロベッロ)

2011-10-24 03:29:14 | italia

朝8時半、バーリ着。
バーリに来た目的であるアルベロベッロの情報を集めるために、バーリ駅前にあるツーリスト・インフォメーションへ向かうが、まだ開いていなかった。
周囲を見渡すとベンチがあったので、座ってパパンにもらったお菓子(ウェハース)と水をとりつつ、9時のOPENを待つ。

まずツーリスト・インフォメーションで聞いたのはバーリYH「La Nuova Arca」について。
YHリストには4番バス利用とあるので確認したら、間違いないとのこと。
ついでにバス停の名前をたずねたら、デスクの女性に逆ギレされる。
「そんなの知らない。だってバス停はいっぱいありすぎる。なんで名前を知ってなくちゃいけないの!」
これだからイタリアは……
本題であるアルベロベッロ行きの列車の時刻を教えてもらい、ツーリスト・インフォメーションを出る。

バーリ駅から大通りまで歩いて、4番バスに乗る。
運転手にここで降りたいと「La Nuova Arca」の名前を示していたら、そばにいた妙にテンションの高いオッサンが話しかけてきた。
ドイツ人だというそのオッサンは、私がgiapponeseだときくと、日本語で挨拶を教えてくれなど、興味津々な様子。
近くの老夫婦なども絡んできて、なごやかに会話していたが、オッサンのテンションがMAXになってしまい、映画シーンの再現を始めたり、ペンライトを取り出して渡そうとしてきたりしたので、笑顔のまま微妙に距離を取る。
すると横の座席に座っていた女性が、「Next Stop」と声をかけてくれた。

バスが停車し、運転手が前扉を開けてくれる。
礼を言って降り、そのまま道にそって歩き出すと、車内から「ジャーマニー!」と呼ばれる。
中年の女性が、反対方向を指で示してくれていた。
手を挙げて応える。
南イタリアはほとんど英語通じないけど、情があるなあ。
おれドイツ人じゃないけど。

バス停から駅方向へ少し戻る。
信号があり、このあたりのはず……と周囲を見渡していたら、通りの向こうでお年寄りが手招きしている。
渡っていくと、指でひょい、と一本の道の奥を指した。
教えられたとおり行ってみると、人工芝で整備されたグラウンドがあった。
どうやらこれは、フットサル・コートのようだ。
4~5面はある。

フットサル・コートを迂回し、さらに奥へ進むと、突き当りに近代的な建物が。
おそらく日本で言う青少年会館のような施設で、宿泊も可能、ということなのだろう。
宿泊施設の入り口がわからず、うろついていたら、職員らしき中年男性が教えてくれた。

予想に反して、着いた11時の時点で、チェック・インが可能だった。
初めてYH会員証を提示。
部屋と施設の鍵を渡される(夜間不在のようだ)。
部屋に行ってみると、ルームクリーニングが終わっていない。
普通はこの時間帯、入室禁止なのだ。
ゆるいなー、と苦笑したが、渡りに舟、と勝手にシャワーを浴びさせてもらう。

シャワー後に着替えているとき、そんなに汗が出ないことに気づく。
冷房の名残があり、壁を見ると、エアコンがあった。
普通YHで冷房が効いているのはロビーのみ。
加えて4人部屋だが、ベッドも2段ベッドではなく、普通のシングルベッドだ。
実は大当たりかもしれない……バーリYH。

外へ出ると12時。
暑さのなか今度は駅へ戻る。
バス停のそばのタバッキで切符を買い、ひたすらバスを待つ。
30分ほど待ち、バーリ駅へ。
……この駅への移動時間がバーリでのネックになってくる予感。

バーリ駅でアルベロベッロ行きの切符を買おうと窓口に行ったら、「下りて先」と言われる。
地下道の先にある10番線は私鉄で、ホームにある窓口で切符を買う必要があった。
改めて地下道を抜けて10番線ホームへ行き、往復の切符を買う。

次の列車は13:45。
小1時間あるので、手持ちの現金が減ってきたし、駅前にある銀行でTCを現金化することに。
しかし、2軒ある銀行の1軒は断られ、1軒は発行元の証明書を求められ、現金化できなかった。
TC、イタリアでは本当に使いものにならない。
昼食をとる時間がなくなり、私鉄のホームに戻り、残っていたソイジョイと売店で買ったゼロコーラで腹ごしらえ。


列車に揺られ、1時間半ほどでアルベロベッロ駅へ。
以前、世界遺産に住む人々を紹介したノンフィクション番組を観て以来、いつか訪れたいと願っていた。


アルベロベッロ駅から長い坂(ヴィットリオ・エマヌエーレ大通り)を上り、トゥルッリのある歴史地区へ。
ここで悪癖が暴発。
案内表示やガイドブックをろくに確認せず、メインストリートの1本隣の坂から歴史地区(リオーネ・モンティ地区)に入ってしまい、なにか違うなあと高台を1時間近く彷徨う。
結局元の場所に戻ったら、そのすぐ近くが思い描いていたアルベロベッロだった。



トゥルッリ、かわいいです……
いつまでも眺めていたいところ。
ただいまはもう完全に観光地となり、土産物屋が並んでいるので、立ち止まっていると店員の視線が気になる。
以前テレビで観たときは、もっと閑静な印象だったのだが。
日本の白川郷と同じような経緯を経ているのかもしれない。


ところでこのアルベロベッロ、妙に日本語の表示が多い。
駅前からしてそうだし……日本人が好んで訪れているのだろうか。
(※ちなみに「トゥルッロ」となっているのは単数形だから。)


極めつけはこのお店。
なんと日本人の「陽子さん」か経営していた。


屋上へ上がらせてくれるというので、見せてもらう。
(日本人向けの商法とわかってはいるが)礼を兼ねて、食料品を実家向けの土産として購入。
試食したトマトペーストやトリュフペースト(ペーストばっかりかい)はとてもおいしかったし。
加えて、緩衝材を使った丁寧な梱包は日本人ならでは。
また、特筆すべきは、この「陽子の店」は私がイタリアで唯一TCで買い物ができた店だったことだろう。

会計しているとき、一組のカップルが店に入ってきた。
なんと、お二人は世界一周旅行をしており、いま半年たち、あと1年かけて旅をするのだという。
(このお二人とは、後ほどバールで顔を合わせたり、駅のホームで会ったりする。)


店を出て、そろそろ頃合いなので、駅方面へ歩く。
17:36の列車でバーリに向かえば、食事をしたあと明るいうちにYHへ着けるだろう。
すると日本人のツアーらしき中年女性のグループが、こちらへ向かってきた。
どうやら撮影スポットがあったようで、彼女たちがいた場所に上ってみると、ここがガイドブックにあった「ポポロ広場の先の教会のテラス」らしい。
最後にトゥルッリ群を一望できたし、よかった。

駅に行くと、時刻表で確認してあった、17:36の列車が待っていなかった。
先ほどのカップルがいらっしゃって、駅員から聞いたところ、7月・8月は運行していないそうだと教えてくれた。
イタリアの夏期スケジュールは曲者だな……
次の列車は18:26。
1時間はあるし、ここはいつもの宿の予約だ。

バーリのあとは、ナポリ経由でローマに戻ろうと考えていた。
ナポリの宿を取ろう。
駅前の公衆電話からガイドブック片手に電話したところ、安いホテルに空きがあった。
予約のため名前を告げようとした瞬間、度数がなくなり電話が切れる……

新しいテレホンカードを買わなくてはならない。
まず目の前にある駅前のバールへ(雑貨屋を兼ねているバールもある)。
扱っていないとのこと。
ここでカップルと再び遭遇(ここで時間を潰すつもりのようだ)。

ここからが大変だった。
界隈全てのタバッキや商店をたらい回しにされる。
「うちにはない。あそこならある」
「うちにあるわけないだろ。あそこへ行けよ」
タバッキ、くじ屋、バール、スーパーマーケット、携帯電話ショップ、本屋、電器屋……

とくに3軒目に寄ったバールは親切にしてくれた。
疲れ果て、諦めようと坂を下っていたら、おかみさんと従業員が店の前で輪になってタバコを吸っていた。
私を見ると「あったか?」、ないと答えたらスタッフで相談。
「あそこのガス・ステーションならあるんじゃないの?」と道を教えてくれる。
私が道を間違えそうになったら、わざわざ従業員の1人が駆け下ってきて、そっちじゃないよ、と教えてくれる。

しかしながら……ガソリンスタンドにもテレホンカードはなく、アルベロベッロには1枚もテレホンカードが売っていないことが証明できただけだった。
申し訳ないが、おかみさんたちに見つからないよう、頭を低くしてそっと駅へ歩く。
それにしても、いま何時なのだろう。
携帯電話の電池は切れっぱなしなのだ。

駅に着くと、時計は18:28。
あのカップルの姿はない。
時刻表を再確認すると18:26……しまった、逃したか。
次は最終列車の20時台だ……肝を冷やしたら、2人が出てきて「来ないからどうしたのかと思いましたよ」と言われる。

列車は10分ほど遅れて到着。
一緒にバーリまで戻ることにし、改めて自己紹介。
お二人はご夫婦(よしたけさんとさちこさん)。
なんと旦那さんはwebデザイナーで、ノートPC経由で仕事を続けながら旅をしているのだという。
たしかに、いまはどこの宿泊施設も、無料の無線LANが設置されてインターネットは使い放題だし、そういう旅もあるんだなあ。

旅の話で盛り上がるうちにいつのまにかバーリ駅着。
夕食をともにすることになり、駅近くのリストランテへ。
(その前にタバッキでテレカを入手したものの、ホテルにつながらず、結局さちこさんの国際通話可能な携帯電話を借り、ナポリYHに電話させてもらった。)

リストランテでは、給仕がかなり上から目線でイタリア式の注文法を伝えてくるが、敢えて無視してサラダ、ピザ、リゾットを1つずつ注文し3人でシェア。
ビールも飲んだが計29ユーロですみ、お得な夕食となった(味は普通)。
お2人は食事後、なんとバス停まで送ってくださった。
街が変わり、初めての夜だったので、とても心強かった。
お2人はこのあと、夜行でカターニアに向かうとのこと。

*

4番バスでバーリYHに着く。
(このバスの運転手はとても親切な人で、降り際に全身を使ってYHの方向を伝えてくれた。)
フットサルコートは夜間も営業しているようで、煌々と照明が人工芝を照らしていた。
何組かがゲームをやっている。
しばらくボールを蹴っていないので、混じりたい気分。
子どもの声援も聞こえるので、子連れの人もいるのかもしれない。

フットサルコートを迂回し、再び奥の施設へ。
YHの鍵を使い中へ入ると、もちろんレセプションは無人だが、人の気配自体がない。
部屋に入ると、やはり4人部屋にも関わらず、誰も来ていない。
夏のせいか、YHのせいか、人気がないのかもしれない。
部屋はきれいなのにもったいない……と思ったら、シャワールームの電気がつかない。
扉を開けっぱなしで浴びたが、1人じゃなきゃどうすりゃよかったんだろう。

シャワーを浴びたせいか喉が乾き、手持ちのミネラルウォーターを飲む。
飲み干したが、なんだかまだ水分補給が足りない感じ。
部屋を出て自販機を探す。
YHなら大抵は置いてあるのだが……見つからない。
誰ともすれ違わないし、話し声も聞こえない。
まさか……宿泊者は私1人?

仕方ないので部屋に帰ってベッドに入る。
そうだ冷房をつけよう……とリモコンやスイッチの類を探すが、見つからない。
え、どういうこと?
別料金なの?
確認しようにもレセプションが無人。
リモコンをなくしてエアコンを買い換えた先輩の話を思い出す。

ともかく寝よう、と照明を消すが、汗が止まらない。
喉の渇きもおさまらない。
起き上がって、開けてある窓の外を眺める。
フットサル場はまだ営業している。
……フットサル場なら、水くらい売っているのでは?
23時を回っていたが、外へ出ることを決心。

Tシャツ、短パン、ビーサンの軽装で表へ。
まずYHの周辺で自販機を探してみる。
誰もいないし、なにもない。

フットサル場の入り口は、バス停から歩いてすぐの辺りにあったはず。
こちらからは入れないので、やはりフットサルコートを迂回していく必要がある。
照明が消えないうちに行こう。
ゲームをしているコートがあるようだ。
まだ子どもの声もするし、比較的安全と判断。

道路では一度車両とすれ違うが、ほかにはなにも起こらず。
(施設は行き止まりにあるので、宿泊客か?)
5分ほど歩いて、入り口にたどり着く。

すると目の前に自販機が……しかしそれはチケットの自販機。
しばし呆然としていたら、横の扉から老人が出てきた。
とっさに伊語で、すみません、水がほしいんですが、と話しかけると、早口でなにか返されるが、扉を指したのでそこに入ってみる。
するとそこは付設のバールだった。

店員らしき若者がレジの紙幣を数えていたので、営業時間外なのかもしれない。
ショーケースにミネラルウォーターがあったので手に取り、隣にビールまで冷えていたのでこれも2本つかむ。
老人を見ると頷いたので、3本購入。
足取りも軽くYHへ戻った。

この暑さにビールはありがたい。
ミラノといい、最近、ビールのためなら夜の外出も厭わなくなっている。
ビールのためなら命がけ。
本当です嘘です本当です。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
おきらくご夫婦のこと

さて、バーリで食事をご一緒したよしたけ&さちこご夫婦。
ゆったりと構えた旦那様と、反射神経のよさそうな奥様がとてもいいコンビで、楽しそうに旅をしているのが印象的でした。
お2人はこのときアジア各国を巡り、トルコ、ギリシアを経てイタリアに入国されたばかり。
カターニアに行かれたあとも、元気に旅を続けていらっしゃいます。
その詳細をBlogで発表なさっていますので、興味を持たれた方はご覧になってみてください。


おきらく夫婦のネットで稼ぎながら世界一周!

7/10 ミラノ→バーリ(ICN:夜行列車で移動)

2011-10-20 15:46:50 | italia
朝食・支度を済ませ、YHから歩いて行けるという、サン・シーロを目指す。
ACミランと、長友のいるインテル・ミラノがホームにしているサッカースタジアムだ。
いまは夏季で試合はないが、外から眺めてみようかと。

レセプションで聞くと20分ほどで着くらしいが、ザックを背負っての移動は、暑くて、朝からかなりの汗をかいた。
途中表示がわかりにくく、判断を迷ったが、おそらく同じくサン・シーロへ向かう旅行者が何組かいたので、跡をついていく。
すると競馬場が。
すぐ横にいた父子がと目が合い、「Horse race」と坊やのほうから声をかけてきた(小学校低学年くらいか)。
父親が言うには、もう少し奥にサッカースタジアムはあるようだ。

2人はイングランドから来たそうなので、私はプレミアリーグをTVで観ていることを伝えた。
アーセナルファンだと言うと、息子さんはマンU、お父さんはリバプールファンだとのこと。
息子さんはバルサも好きと言っていたが、チームスタイル全然違うぞ。
強いところが好きなのは、男の子の常なのか。


スタジアム前で記念撮影(父子のショットも撮ってあげた)。
私は最寄の(といっても結構あるが)Lotto駅へ。
2人はスタジアムを見学するらしく、そこで別れた。
(※この時点では知らなかったが、サン・シーロは試合のない日、スタジアム・ツアーをやっているそうだ……行けばよかった……)

実はファマルたちとの会話のなかで、ミラノに行くなら、湖に行くといい、と言われていた。
ファマルはやはり自然の景観が好きらしく、ベルガモからバスで1時間ほどかけて「La Primula Menaggio」というところに行ったという。
写真を見せてくれたので、地名をメモしてもらった。
タヴァによるメモ書きによれば「Lake Como」とあるので、これはコモ湖のことではないか。
そこで午後はコモ湖を観てみることにする。

いま、ミラノのツーリスト・インフォメーションは移転しており、昨日ドゥオモ周辺を散策したときに、ガイドブックの位置にはなかった。
そこでミラノYHで場所を再確認したところ、地下鉄Cairoli Castello駅のそば(スフォルツァ城の前)に移転しているとのこと(2011年7月現在)。
Lotto駅からCairoli Castello駅に移動。
ところが駅近辺に、それらしき建物は見つからない。


仕方ないのでスフォルツァ城の案内所に行ってみるが、観光案内はやっていない模様。
かわりにスフォルツァ城からツーリスト・インフォメーションへの行き方を教えてくれた。
しかしどうも見当たらない(写真はスフォルツァ城門前の噴水)。

ザックのせいで、暑い。
いったんザックを預けにミラノ中央駅に地下鉄で向かうことにする。
(昨日移動前に24時間券を買っておいたので、正午までは乗り放題。)

ミラノ中央駅で荷物を預けたあと、駅にもツーリスト・インフォメーションの出張所があるようなので、行ってみる。
ファマルのメモ書きを見せると、トリノに行ってそこで改めて聞け、との返答。
ファマルの言っていた場所と違うような気がする。
この人の言っていることが本当かわからないので、やはり正真正銘のツーリスト・インフォメーションを探すしかない。


もう一度Cairoli Castello駅前の交差点まで行き、最寄りのタバッキで水を買ってたずねると、城を出てすぐ右にあると言われる。
何度も通ったあたりだが、もう一度行ってみると、城の前の広場の手前にあるビルの1階に、黄色で「Information」の表示が。
仮設なのか、通常の表示色と異なっており、見落としていた。
一見普通の店だ。
わかりづらい(↓このあたり)。
http://maps.google.co.jp/maps?q=milano+ufficio+turistico&hl=ja&ll=45.468921,9.181306&spn=0.001232,0.00327&view=map&cid=16267172051574619534&brcurrent=3,0x0:0x0,1&t=h&vpsrc=6&z=19

入ってデスクにファマルのメモを見せると、列車で1時間ほどだという。
Milano Cadorna駅から、Como Lago Nord駅。
Milano Cadorna駅はスフォルツァ城から歩いて5分ほどの場所にある。
現在、時刻は12:50。
列車はだいたい30分に1本の間隔で、次は13:40。
コモ湖の観光パンフレット(時刻表つき)をもらい、Milano Cadorna駅へ向かう。

まずは切符を購入。
パンフレットの時刻表を示すと、早口のイタリア語でまくし立てられる。
英語はできないようなので、「切符はここで買えるのか?」と伊語で確認したら、買える、と往復券を発券された。

Milano Cadorna駅は構内に店舗が併設されており、ファストフード形式のピザ屋があった。
3点セットで7~8ユーロという感じ。
マルゲリータ、サラダ、ゼロコーラを頼み、素早く食べ終わる。
味は推して知るべし。


Regionale(普通列車)に乗り、Como Lago Nord駅へ。
着いてみると、たしかに湖がある。
ただファマルに見せてもらった写真と違うような気もする。
あの写真はどこの写真だったのだろう。
スイスとの国境近くだと言っていたが……



せっかく来たので湖畔を散策。
レンタルボートの店や、カフェなどがあり、地元民の観光名所、という印象。
芝生にビニールシートを敷き、水着で寝そべる人たちも。
アウグストゥスが別荘を持っていたという逸話もあるし、古代は風光明媚な土地だったのだろう。
その名残は感じられた。

ケーブルカーで山の中腹まで登れるとガイドブックにあるので行ってみると、乗り場は閉鎖されている。
ツーリスト・インフォメーションでたずねると、7月・8月はやっていないらしい(確認するとガイドブックにも記述あり)。
なぜ書き入れ時に休みなのか、理解に苦しむ。

ざっと観光して1時間弱。
時刻表によれば、そろそろMilano Cadorna行きの列車が来る。
ミラノに帰ろうと駅まで戻ったら、その時刻の運行がない。
どういうことなのだろう。
休日ダイヤか。
おそらく切符を買ったとき、売り場の人が伝えたかったのはこのことだったのだろう。
待合室で時間を潰す。


17時半、コモ湖からミラノに戻る。
ドゥオモ内部の見学ののち、屋上に上ることにする。

ドゥオモ内部は“聖堂の完成形”といったところ。
すごい。
なぜなら人間の手で造られたからだ。。
このころはまだクレーンもトラックもないはず。
ただ比較的完成が新しい(ナポレオンのころ)ので、いまひとつ好みではない。
また、綺麗すぎて、FFなどのRPGで登場する3DCGのように感じ、自分の目の危うさも悟る。

ちなみに内部ではミサが行われている上、撮影禁止なのだが、みんなお構いなしにフラッシュ。
ミサの様子を撮影している人もいた。
信仰心と撮影はまた別なのか。



屋上も個人的にはいまひとつ。
装飾の多重構造が確かめられたのはよかったが。

時間が余ったので、最終日のローマの宿も押さえてしまうことにする。
最後はひとりでのんびりしよう。
ローマで初めて自力で予約したYWCA DOGに電話すると、シングルが空いているとのこと。
50ユーロなら許容範囲。
最後の宿が確定。


まだ列車の時間まで随分あるので、スーパーマーケットを見たり、散策したりして過ごす。
リストランテでミラノ風リゾットなるものを見つけ(9ユーロ)、気になって食べてみたが、ただのチーズリゾットで残念だった。
食事後、ミラノ中央駅で荷物を引き出したあと、構内でICNを待つ。

*

2等の寝台車は側方に通路のあるコンパートメント式で、コンパートメント内は座席2つに、天井近くの寝台2つ、さらに座席の背もたれをスライドさせて2つの合計6つ(3段)の簡易寝台となる仕様だった。
最初誰も来ないから座席でのんびりしていたら、フランス人とおぼしき男性がやってきて英語で「君予約してる?」と驚いていた。
5人家族で予約したが、寝る場所が4つしかないと思ったようなのだ。
続いてママンと3兄弟(高校生、中学生、小学校低学年?)がやってきた。
長男と背もたれを動かして寝台をつくる。
一家はコンパートメント内に、スーツケースをどんどん運びこむ。
かなりの荷物だ、足の踏み場もなくなる。
パパンと話してみると、同じくバーリに向かうと判明。

寝るのはどこがいい、と聞かれたので「anywhere」と答えたら、一番上で寝てほしい、とのこと。
パパンとママンが一番下、2段目に弟たち、3段目に長男と私が寝ることに。
もちろん寝間着に着替えず、そのまま横になる。

まだ眠れそうになかったので、寝そべって通路越し、車窓から見える夜景を観ていたら、次男が「あなたはあそこへ行きたいの? 行きたいなら僕も行くよ」と通路を示す。
下りて行って、二人で流れていく夜の車窓を眺める。
開け放たれていたので、夏の夜風がすごい勢いで入ってきて、心地いい。

20分もそうしてぼんやりしたろうか。
ママンと末っ子はすでに目を閉じていた。
窓が開けっ放しだと車輪の音がうるさくて、寝付けないかもしれないと感じ、次男に「enough?(十分?)」と声をかけた。
これは用法として間違っていたようで、次男は理解できなかったようだが、私の意をくんだらしいパパンがそろそろ寝ろ、と次男に説教。
パパンが窓を閉め、私たちは寝台へ戻った。

隣の寝台では、長男がノートPCを開いて、どうやらメールチェックをしているようだった。
耳栓をし、念のためベルトを寝台の金具につなぐ。
目を閉じる。
眠るつもりはなく、体を休めるだけのつもりが、断続的に4時間ほどは睡眠をとっていたようだ。

ICNに乗ってから知ったのだが、この列車は驚いたことに途中で停車し、人を乗降させている。
しかもバーリ止まりではなく、さらにその先まで進むようだ。
寝過ごしたらたいへんだ。
そう感じて目を覚ますたび携帯をチェックしていたら、携帯の電池が切れた。
時間を知るすべがなくなる。
パパンたちが同じ到着駅でよかったー

翌朝、パパンたちとバーリ駅へ降り立つ。
するとお腹空いてないか、水はあるのか、とお菓子とミネラルウォーターをくれて、本当にいいご一家だった。

ホームで別れ、ツーリスト・インフォメーションを探す。

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本日のトピック

・朝、枕元に手紙が
寝汗がすごかったので、朝シャワーを浴びたのだが、その間にKORIAN GUYからのメッセージカードが置かれていた。
日本人のメル友がほしいので、よければメールしてくださいとメルアドが……
もちろん英語のメッセージ。

・通りでイタリア人に「ニイハオ!」と挨拶される
昨日は昨日で中国人に話しかけられた。
フィレンツェから髭を剃っていないからかも。

・ついにミサンガ売りに引っかかる
夕刻、地下鉄に乗るためドゥオモ駅に向かっていたら、若い黒人にドゥオモ駅そばの交差点で「アフリカン?」と声をかけられた。
今度はアフリカンかよ……「No」と答えると、拳を突き出してきたので、合わせてたら去っていった。
信号を渡り、駅への階段を降りようとしたら、そいつが階段の前で待ち構えていた。
「どこから来た? おれはセネガルだ」と握手のために手を差し出してきたので、握り返すと、すごい力だ……しかも離してくれない。
「日本」
「日本? ナカタ、ナカムラ、ナガトモ……みんないい選手だな。そういや昔、ワールドカップ、日本で戦ったな」
「おー、セネガル、覚えてるよ!」
しまった……盛り上がってしまった。
「じゃあ、おれたちは友達だ。これは友達への贈り物だ」
右手が引っ張られ、ミサンガが巻かれる。
「なあ友達……アフリカのために寄付してくれないか?」
うまい。
これは相手が一枚上手だ。
お前が全部使うんだろう、とは言えない。
ままいいや。
小銭入れを引っ張り出して、示す。
それを全部やるよ、という感じで逆さにして中身を右手に空けると、1ユーロ10セントしか入っていなかった。
小銭を突き出すと「サー、紙がほしい。両替できるよ」と言って、ポケットから札を取り出した。
しかし「No」と強く言い返すと、「オッケー」と受け取り、「これはお前のファミリーのためにもう1本だ」とミサンガを巻いてきた。
「じゃあな友達」という感じで別れたが、気の弱い人なら紙幣を払っていたかもしれない。
意外と悪質だ。
ミサンガはそのままドゥオモ駅のゴミ箱へ。
短い友情でした。

7/9 ヴェネツィア→ミラノ

2011-10-04 13:29:19 | italia
今日はASでミラノへ。
朝、7時起きで8時にはサンタ・ルチア駅へ。
駅のバール(セルフ式)でクロワッサンとカプチーノ。
ついでにクリームドーナツも買ったが、おやつにとっておく(昼食がいつになるかわからないし)。
車内でおやつ。


列車は予定より30分ほど遅れ、11時50分ミラノ中央駅着。
中央駅は立派で、思わず撮影。

ミラノは1泊、と決めていた。
(あまり見所がないらしい……ミンちゃん情報が主だが。)
また、ミラノでは結局、ミラノYHに宿泊することにした。
(バーリYHのついでに問い合わせてみたら、ベッドは余っているので予約不要だそうな。)

ミラノYHの受付は15時半まで開かず、荷物も預かってもらえないとYHリストの解説にあるので、駅の預かり所に荷物を預ける。
続いてICNの切符を買いに窓口へ。
6人乗りの寝台車(2等)が1席空いていたので、予約してもらう。
23時発なので待合室について確認する。
窓口も店もすでに閉まっている時間だからだ。
待合室はないが、22時ごろには列車は準備できるし、駅は明るいので問題ないとの返答。

そうこうするうちに13時を過ぎる。
まず「最後の晩餐」を予約しなければならない。
直接行って予約できるかどうかはわからないが、ともかくサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(以下SMDG)に行ってみよう。
午後の開場は15時からのようなので、それまで観光が可能だ。


まずドゥオモを観よう、と地下鉄でドゥオモ駅へ移動。
階段を上がると目の前がドゥオモで、その美しさに興奮していたら、いきなり妙な男が近づき手を差し出してきた。
反射的に受け取ってはいけない、と感じ、No! No! Don't touch! と大声で言いながら移動。
どうやら鳩のエサを渡そうとしているようだ(受け取ったら金銭を要求される)。

せっかく高揚した気分が台無し。
ドゥオモ前の広場を見渡すと、ミサンガ売りも複数いて、いつやってくるか気になって落ち着かない。
ドゥオモ前からは早々に退散することにして、隣接するV.エマヌエーレ2世のガッレリアへ。


このあたりは150年前の街並みをそのまま利用しているそうだ。
高級店(プラダ等)が並んでいる中に、マックがあるのはご愛嬌。
ドゥオモ周辺には、さまざまな洋服の店や、リストランテなどがあり、日本でたとえるなら銀座のような感じ。
デパートもある。
観光客と買い物客が入り混じっている。
いったん地下鉄ドゥオモ駅のほうへ戻り、セルフ式の店が並ぶ一角(ロッテリアやキングバーガーもあった)で、サンドイッチとアメリカーノをスタンドで食べる。
探索途中にうまそうな店があったが、お値段もそれなりだったので。


そろそろ15時なので、SMDG向かう。
ガイドブックの地図を頼りに、人が集まるほうへ歩く。
すると、城のように大きな建造物が。
こんなに大きいの? SMDGって……と思ったら、城でした。



スフォルツァ城。
スフォルツァ家の城だ。
いきなりテンション上昇。
城を見ると血が騒ぐタチなのだ。

名残おしいが、ダ・ヴィンチの傑作も重要。
どうやら道を間違えてしまったようだ。
通りの名前を頼りに進むと、SMDGの標識が。


それほど大きくない教会が見える。
ガイドブックによれば、その脇の建物が「最後の晩餐」の受付だという。
確かに「Cenacolo Vinciano」と看板が。

入って受付に予約したいと英語で聞くと、電話番号の書かれた紙を渡された。
「Non posso prenotare?」(予約できないの?)とイタリア語で重ねて問うと、しつこいやつだ、と思われたのか、1人か、と聞かれる。
Siと答えると、17:15に来られるか、という。
Si,va bene.と返事をしたら、発券してくれた。
1人だと滑り込みやすいのかもしれない。

17:15は約1時間後。
1回25人、15分の見学。
教会のほうを見学したり、コンデジの写真を整理したりして時間を潰し、ようやくご対面。

「最後の晩餐」は三重隔壁で、外気にさらされないようになっていた。
修道院の一室で背後の扉が閉まると、次の扉が開く。
長方形の部屋(食堂)の短い一辺に、「最後の晩餐」が描かれていた。

観るまで、「汝らの一人、我を売らん」とキリストが弟子の裏切りの予告をした直後の場面とは知らなかった。
(ヨハネによる福音書13章のエピソードは知っていたが、その場面だとは知らなかった……不覚。)

推測するに、ダ・ヴィンチのことなので、遠近法など斬新な手法を駆使し、美術史的には着目すべき点がいろいろあるのだろう。
が、そこはわからない。
ただ、描かれた人間の躍動感や、構図の斬新さに心を奪われる。
キリストの「だってそうなんだもん」といった表情や、気色ばむフィリポとトマス、それをなだめるヤコブなど、その瞬間の空気が伝わってくる。
ユダの顔はよく見えないが、ペトロをいさめるふりをして、平静を保っているようにも見れる。

大満足で、あとは充実感とともにミラノYHへ向かうつもりが、所持金が20ユーロしか残っていないことに気づく。
このまま順調に終わるわけがないと思っていたが……20ユーロでは、YHの精算すら危うい金額だ。
ドゥオモ駅から地下鉄でミラノ中央駅まで戻る。
たしか構内にATMがあったので、国際キャッシュカードを使い下ろすつもりが、なんと18時で終了していた。


仕方ないのでミラノ中央駅を出て、駅前で銀行を探す。
中央駅周辺はオフィス街のせいか、土曜に人気はない。
(ドゥオモ周辺が銀座なら、中央駅周辺は日本橋みたいだ。)
その反面、駅前にはホームレスとおぼしき連中がたむろしている。
……ちょっと怖いぞ。
その脇を抜け、駅からまっすぐ伸びているメインストリートへ。
さすがミラノには金融機関がたくさんある。
PLUSの表示があるATMから現金を引き出し、一安心。
帰りはルートを変え、裏道を通りミラノ中央駅まで戻る(ひったくりとか遭いそうで怖かった)。

よし、ようやく宿だと地下鉄に乗ったら、今度はザックを預けっぱなしだったことに気づく。
ミラノ中央駅まで引き返し、荷物預かり所でザックを引き取る。
再び地下鉄へ乗り込む。
19時を過ぎている……日没前にはYHへ着きたい。

Q.T.8駅から歩いて、ようやくミラノYHへ到着。
6人部屋で韓国人の若者4人という部屋に割り当てられる。
気心知れた下宿みたいな雰囲気を壊してしまい、なんだか申し訳なかった。

近所にスーパーがあるとガイドブックにあったのでレセプションで聞いてみると、21時までだという。
いま20:55ですよ?
走れば間に合うかも、と地図を渡してくれたので、行ってみるが、それらしき建物が見つからない。
夕食の調達に失敗。

戻る道すがら、ジェラテリアを発見。
洗濯、シャワーを済ませたのち、行ってみることに。
ジェラートのほかに飲み物を売っていて、ビールも扱っていた。
しかしそのほかはtorta(ケーキ)、pane(パン)と並ぶ……
つまみはなさそうだ。
ビールと水を買い、YHへ戻る。

こんな食生活イタリアにいる意味ないかも??

7/8 ヴェネツィア

2011-09-24 02:03:38 | italia

朝、このホテルは朝食なしなので、近くのスーパーマーケットでクロワッサン(クリーム入り)と牛乳を買い、ホテル前に置かれたテーブルとイスで食べる。
その後、予約済みの「Domus Civica」へ。
宗教団体が運営しているYHで、素泊まりシングルで予約がとれている。
話を聞いてみるとツインルームに1人で宿泊らしいが、シングル料金で構わないとのこと(シャワーは共同)。
ここのレセプションの女性、日本語が話せました。
チェックインはできないが荷物は置けるということなので、荷物を置かせてもらう。

まずは駅でミラノ行きのチケットを買うことに(3時間待ちはイヤ)。
明朝8:58発の急行を買い、ついてにミラノ後の予定を立てるため、ミラノ中央駅の時刻表がほしいと言ったら、インフォメーションへ行け、と言われる。
検討材料が欲しかったのだが……当たり前だがインフォメーションは、こちらがほしいという情報しか出してこない。

ずっとミラノ後の日程を決めることができなくて、ヴェネツィア観光をしながらも、どこかで考え続けている。
ここで一気に決めてしまおう、と決心。
ラヴェンナ、シエナ、ピサなども候補に挙げてはいたものの、やはりアルベロベッロが観たい。
一気にバーリへ南下できないものだろうか。

日本語のできる現地の人を見つけたことは天佑だ、と、一旦Domus Civicaに戻り、思い切ってのレセプションの女性に相談してみた。
とても親切に相談に乗ってくれた。
ミラノからバーリへの列車の金額、所要時間をインターネットで調べてくれる。
準急で68ユーロ、10時間かかる。
(飛行機のことまではわからないとのこと。)
もっと詳しい情報は駅のインフォメーションで聞いたほうがいいだろう、とアドバイスしてくれた。

なんにせよ、列車の移動で半日潰してでもアルベロベッロを観たいかどうかということなら、観たい、というのが結論。
あとは列車の本数や、出発の時刻がわかれば、ミラノ滞在のスケジュールも立つ。
頭の中が整理された。
礼を言って再び駅へ。

駅のインフォメーション(鉄道会社の案内所)へ行き、ミラノ‐バーリ間の時刻表がほしい、と頼むと、全部は印刷できない、紙がなくなっちゃうよ、と返答される。
ここで思わぬ提案。
夜行列車―ICN(Intercity Notte)もあるよ、というのだ。
23時にミラノを出て、バーリに朝9時着。
ここはひとつ冒険してみるか。
日曜夜にミラノを出て、月曜朝にバーリに着ければ、大幅に移動効率が上がる。
そのためにはまずバーリに宿を取らねば。

バーリにもYHがある。
YHの受付はおそらく16時以降にならないと開かない。
ならそれまでは観光だ。
最悪、夜行の切符が取れなくても、月曜を移動日に充てればいい。


というわけで、サンタ・ルチア駅を出て、目の前のヴァポレット乗り場で、12時間券を購入。
ヴェネツィア、暑いし、道は迷路みたいだし、歩くの億劫。
ヴァポレットで再びサン・マルコ広場へ。
目玉である教会、鐘楼、博物館の3点セットがここに揃っている。
黄金パターンだ。


サン・マルコ寺院前には行列ができているが、鐘楼はほとんど人が並んでいないので、まず鐘楼に上ってみることに。
またいつものパターン……と思ったら、これが違う。
一番いいんじゃないかな。


海が見えるのがいい。
潮風も気持ちいいし。
それから興味深いことにヴェネツィアの鐘楼はエレベーターで昇るという、初めての展開。
また、展望階には土産物屋もあり、キーホルダーなんかも売っている(平日のためか売り子はいなかったが)。
これも初めての光景だった。

鐘楼を降り、サン・マルコ寺院前を見ると、ほとんど人の量に変化がない。
近くの公園でベンチに座り、日本から持っていったソイジョイを昼食代わりに食べる。
この時点で15時。


サン・マルコ寺院の入場時間は17時までだったので、こちらもほとんど人がいないドゥカーレ宮殿に入ることで、もう少し時間をずらすことにする。
これが1時間くらいと見積もったものの、宮殿や絵画は見ごたえがあってびっくり。
ヴェネツィアの歴史には詳しくないが、とくに後半では地下牢の跡が見れたり、武器や鎧の展示があったりと、飛ばしたいのに飛ばせなくて焦る。
(RPG好きにはたまらない……なんだよこの“火薬式斧”って!)
慌ててドゥカーレ宮殿を出る。
16:18.


サン・マルコ寺院の列に変化なし。
ダメ元で並んでみると、なんと15分ほどで内部へ。
内部はそれほど大きくないが、金色のモザイクで覆われており、豪華で、どこかエキゾチックな印象。
ローマ、フィレンツェとはまた違った文化を感じる。
ドゥカーレ宮殿もそうだが、金色をふんだんに使った装飾は、どこか日本の安土桃山時代を髣髴とさせる。
さしずめヴェネツィア人の商魂は、大阪商人といったところか。

有料の宝物館などは見ず、17時過ぎに表へ出ると、容赦なく17時で入場が打ち切られていた。
まだ50人くらいは並んでいたのではないか。

そろそろバーリYHへ電話したいが、サン・マルコ広場の公衆電話ではうるさくて無理だろう。
ヴァポレットに乗って、どこかへ移動することにする。
乗り場に行くとリド島行きが入ってきたので、見てみたい場所だったし、静かなところなら電話しようと乗り込む。


リド島は、高級リゾート地といった印象。
ホテルより別荘、といった雰囲気(勝手なイメージだが)。
あの有名な海水浴場があるというので、周辺を歩いてみたが、見つからず断念。
ヴァポレット乗り場に戻り、公衆電話からバーリYHに電話。
するとこれが番号違いのようだ。
手持ちの資料であるYHリストだけではわからない。
仕方ないが、ザックの中に入っているイタリアYH地図(政府観光局でもらっておいた。イタリア各地のYHでも配布しているようだ)にも電話番号はあったので、そちらと照合してみるしかない。

ヴァポレットに乗り、ローマ広場で降りる。
ここがDomus Civicaに近いと判断。
かなりの空腹を覚えていたが、まずは宿の確保が鉄則。

Domus Civicaはロビーに公衆電話がある。
これも初めてのケース。
ザック内の資料との照合の結果、YHリストと一致。
番号に間違いはないようだ(押し間違えや操作ミスが原因か)。

バーリYHに電話。
月曜に空きはあるか、と聞くと、英語の得意ではない人だったらしく、どうやら部屋ならあるから来い、と言っているようだ。
名前を告げただけで予約OK。
なんか設備が悪そうな予感……でも夜行の後だから、どこでも泥のように眠れるだろう。

夕食をどうするかと考え、フィレンツェで成功したのでまたガイドブックを活用することにした。
ヴェネツィアは物価が高いと聞いていたが、たしかに食事の値段も高めの店が多い。
リアルト橋のそばに値段が手頃な店がある。
そこに行ってみることに。
リアルト橋はまだ下から眺めただけなので、ちょうどいい。


20時ごろ到着。
夕暮れが広がっている。
観光客も多く、たぶんかなり遅くまで安全だろう。
ただ、今夜の宿は大きな通りに面してはいるわけではないので、帰り道に注意が必要だ。


リアルト橋を見て、「Ristorante Rosticceria San Bartolomeo」へ。
デリ&リストランテの店で、ショーケースにたくさん並ぶ惣菜をつまみに、ワインを飲むといった感じの店のようだ。
注文方法がわからずとまどっていると、メニューが渡されたが、どこにでもあるピザ、パスタ、ステーキといったもので、うまそうなものがない。
安さに妥協し、イカスミのパスタと生ビールを注文(9.7ユーロ)。
ともかく量は多かったし、調理している(レンジ加熱ではない)ようなので、悪い店ではないと思うが……個人的には選択失敗。


腹ごなしを兼ね、今度は橋を渡って、反対側を散策してみる。
川沿いにあるリストランテは、どこもテーブルにキャンドルが灯り、ロマンティックな雰囲気。


どこも高そうだなあ……と見ていると、「Tourist Menu €14」の看板が。
例によって2皿のようだ。
飲み物をつけても20ユーロ。
この雰囲気で20ユーロなら、断然こっちだった。
1人で食べてる観光客もいましたよ。


ヴァポレットでローマ広場まで戻る。
10時を過ぎていたが、宿への道も人がいて安心だった。

ともかくヴェネツィアはヴァポレットが最高。
夕刻が特によい。
夜もなかなか。

7/7 タヴァルネッレ→フィレンツェ→ヴェネツィア

2011-09-20 22:53:43 | italia
朝6時起き。
7時にファマルたちとバス停へ(切符は昨夜バールで購入。)
誰も正確な時刻を調べていなかった罠。
30分ほど待つとバスが来て、フィレンツェへ。

バスは8時すぎにSMN駅へ到着。
ファマルたちは9:17の列車でナポリへ向かうそうだ。
駅の入り口で別れ、窓口へ。

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅行きの切符がほしいと言うと、いつのだ、と聞かれる。
oggi(今日)、subito(すぐ)と単語を並べたら、なんだか苦笑され、すぐはない、と返答。
primo(first)と重ねて聞いたら、なんと12:07。
3時間半待ち。
やはり切符は前もって買っておいたほうがいいようだ。

ASで43ユーロ。
購入し待合室に行くと、ファマルたちの姿が。

雑談していたのだが、ファマルたちが去ったあとにも随分時間がある。
ここはヴェネツィアの明日(8日)の予約確認をしておこうか……
webメールができるインターネットポイントがフィレンツェならあるかもしれない。

もしかすれば、とファマルにinternet pointを知らないか、と聞くと、知っているという。
駅の近くにあるので、一緒に駅の外へ出て、だいたいの位置を教えてくれた。
駅を出て東へ向かい、角を曲がったあたりのようだ(スカラ通り沿いか)。
一見、ショップに見えるから注意しろよ、と言われる。

彼らの列車の時間となり、再びの別れ。
メールでの写真交換を約束する。

早速インターネットポイントへ。
ショップってなんのショップだろうと探したら、携帯電話のショップの奥がインターネットポイントになっていた。
一度気づかず前を通り過ぎてしまった。
メールをチェックすると、8日の宿泊予約は無事とれたようだ。

駅に戻り、空き時間を使ってヴェネツィアの次に訪れる予定の、ミラノの宿泊の手配を試みる。
しかしながら、かけたホテルが満室だったり、待合室の公衆電話だったため、周囲の騒音でイタリア語が聞き取れず会話できなかったりで、うまくいかなかった。

そうこうするうちに列車の時刻になり、ヴェネツィアへ。
うとうとしたり、手記をつけているうちに15分ほどの遅れで、14:17ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅着。


駅前にいきなり大運河(Canal Grande)。
水辺だから涼しいかな思ったら……暑い。
ひたすら暑い。
トスカーナの山奥が涼しすぎたのか……

まずは荷物を置くためにホテルへ。
ガイドブックで見つけた「アロッジ・ジェロット・カルデラン」というホテルだ。
これがなかなか見つからなかった。

ようやく看板を発見し、建物の中に入ったら、レセプションがない。
(オートロックだったが、ひっきりなしに人が出入りするので簡単に入れた。)
通りすがりの宿泊客に尋ねると(なんでもマレーシアから来たらしい)、レセプションは隣の建物の1階にあるという。
わかりづれー

レセプションに行き、シングルシャワーつきの料金を支払って、カードキーを受け取る。
一枚は部屋の、もう一枚はプライベートバスルームのカードキーだという。
部屋は3階だったが、階段しかなく、階段で行ってみると……


部屋の真ん中に新婚用みたいなダブルベッドが置いてあった……
しかも洗面台があるのみで、バスルームはない。
なんじゃこりゃ、とレセプションに抗議に行くと、怒気が顔に出ていたせいか、レセプションの女性が少々あわてて答えた。
部屋はダブルですが、お一人で使って構いません、サー。
それからバスルームは、各フロアに、専用のバスルームがあります。
そこはプライベートバスルームですから、ほかの宿泊客は使用できません。

その説明で一応仕組みを理解して、部屋に戻る。
確認してみると、フロアには部屋番号が表示されたバスルームがあり、私の宿泊する部屋のものもあった。
ただ部屋から一旦廊下へ出て使用しなければならないので、不便。
たとえば、下着姿のまま行き来するなどということはできないわけだ。
しかも狭い。
この建物は古い邸宅を改装しているようなので、狭いのは仕方のないことなのかもしれないが、これでシャワー付の料金を取られるのは、なんだか納得がいかない。

それにしても、なにが悲しゅうてダブルベッドを独り占めせねばならんのだ。
ヴェネツィアで。

ともかく荷物を置き、日没まで街を歩くことにする。
まずはサン・マルコ広場に行ってみることに。


ヴェネツィアは、蜘蛛の巣のように複雑に入り組んだ街。
小さな広場が橋や小道で繋がれ、迷路のようになっている。
進みたい方角が行き止まりになったり、進んでいるつもりが同じ場所を延々と巡っていたり。
San Marcoと書かれた表示板をたどって歩いているのに、なかなかたどり着かない。
なるほど、河を行くのが一番早いかもしれない。

ちなみにローマやフィレンツェでは無料で配布されていた市街図が、ヴェネツィアでは有料(2ユーロ)。
なんかヴェニスの商人って感じ……
もちろん、買わなかったが。
同じように迷っている様子の観光客がいたから、売りたくなる気持ちもわかるが。


ようやく迷路を抜けて、サン・マルコ広場へ。
早速、ヴェネツィアで行ってみたいと思っていた、カフェ・フローリアンに入ってみる。
あのゲーテも通っていたという歴史のあるカフェだ。
内装はかなり古くくすんでいるが、豪華で、なんだかポロシャツに七分丈カーゴでは入りにくい雰囲気。



テラス席の前では、生で音楽が奏でられている。
贅沢。
もちろん室内にもその演奏は届く(ミュージック・チャージがとられる)。
暑かったのと、昼をとっていなかったので、テラス席でおばあさんたちが食べていて、なんだかとてもおいしそうだったcoppa caffe florianを注文。
これも相当に贅沢な値段(たしか記憶では18ユーロ←記録用にメニューを撮影しておいたが、ピンボケで見えなかった。)
おいしいのはおいしいけど、2000円のパフェなんて、日本じゃ絶対食べない!

ショップも併設されているようなので、おみやげを物色。
母がコーヒー好きなので、インスタント・エスプレッソでも買って帰ろうとしたら、エスプレッソ・マシーン用の焙煎豆しかないという。
「エスプレッソマシーン、持ってないんだ」
「いいアイディアがあるわ。これを機にエスプレッソ・マシーンを買えばいいのよ」
中年女性の店員さんが対応してくれたが、なんかヴェネツィアは商魂逞しいなあ。
かさばらないのでここではキャンディを購入(日本に帰ってから、それがコーティングされたコーヒー豆だと知る)。



カフェ・フローリアンを出て、サン・マルコ広場周辺を散策。
サン・マルコ小広場を抜けて、海のほうへ出てみる。
海沿いに歩いているうちに、だんだん日が暮れてきた。


そろそろホテルに戻るべき時間だ。
しかし、行きに迷いに迷った道を、黄昏時に使いたくはない。
下手をすれば日が沈みきってしまう。
そこでヴァポレット(水上バス)に乗って、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に向かうことにする。
ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅からなら、一度通っているので迷う確率は低いし、観光客も多いから危険は少ない。
サン・マルコ広場近くの乗り場で1回券を買って、待合室へ。



このヴァポレット、とても気に入った。
風が心地いい。
ヴェネツィアといえばゴンドラかもしれないが、大運河からの眺めは、ヴァポレットからも十分に楽しめる。

ヴァポレットには、操舵手のほかに係員(車掌?)が1人乗っていた。
この日は女性だったのだが、この人の動きが小気味いい。
乗降の誘導はもちろん、驚いたことに接舷は手動。
操舵手と呼吸をあわせ、太い綱を手早く係船柱に結びヴァポレットを接舷する手並みを、感心して眺めていた。

風景や乗客を観察するうちにヴァポレットはサンタ・ルチア駅へ。
ホテルはすぐ近くだ。
人も多く、商店はまだほとんど開いている。
通りの途中に、酒屋を発見。

ホテルに戻り、“プライベートバスルーム”とやらでシャワーをあびる。
そのまま短パンTシャツで、ホテルを出て酒屋へ。
これはフィレンツェで感じたことだが、観光客が多く、商店が開いている通りは、夜でも安全だ。

カフェ・フローリアンで食べたcoppa caffe florianのカロリーが多大かつ時間が遅かったせいか、空腹は覚えていなかった。
缶ビール(ハイネケン)だけ買って、ホテルの部屋で飲みながら手記をつける。
ホテルは冷房つきなのがありがたい。
ビールだけで飲んでいたら急速に酔いが回って、気絶するように眠ってしまった。

7/6 タヴァルネッレ

2011-09-02 01:57:00 | italia
「トスカーナの奇妙な休日」

昨夜は日記もつけずに寝たので、列車待ち(3時間!)の合間に書いている。

まず、朝、事件が。
7時前に目が覚めたものの、朝食は8時半なのでやることがない。
周囲はまだ誰も起きてこない。
そこで2階にある部屋から廊下に出て、テラスにあるイスでガイドブックを読むことにした。
8時になり、そろそろ支度をしようとガラス扉に手をかけたら……開かない。
どうやら内側からは開いても、外側からは開かないらしい。
仕方ないので通りかかる人を待つことに。
30分ほど待ち、ようやく起きてきた女性に開けてもらった。
「大変だったね」という感じの言葉をかけられ、「ガイドブックがあったから」と強がってみたが、どうなんでしょう。

朝食を済ませ、ふたたびYHのデスクトップPCを借りる。
Eメールの返信はまだない。
加えて問い合わせた日付が8日(金)になっていた(この時点での明後日)ことに気づく。
携帯電話でイタリア(ローマ)時間を併記させ時刻を確認していたのだが、日付の表示は当然日本時間のままだ。
失敗した。
訂正すると混乱しかねないので、7日(明日)のホテルはいまから急いで探すことにする。

中央広場にある観光案内所で、コインランドリーで聞いた周辺の観光情報を確認する。
どうやら眺めがいい場所というのは、2キロ先にあるバルベリーノというところのようだ。
歩いて行くことも可能。
一本道をまっすぐ進めばいいらしい。
今日はバルベリーノに行ってみようか。
ついでに公衆電話の場所を確認すると、観光案内所の脇にあった。

まずは明日泊まるところの確保だ、とガイドブック片手にヴェネツィアでも比較的安いホテルに電話する。
つながって、シングル60ユーロならあるという。
もうそれでいいやと押さえるつもりが、クレジットカードの番号を聞かれる。
クレジットカードの番号を伝えないと、予約できないそうだ。

ここでタケムラさんから聞いたテクニックを思い出す。
本人がクレジットカードを所持していなくても、家族の番号を伝えて、料金は現金で支払うという方法があるというのだ。
いったん切り、日本に電話(家族が帰宅する時間まで、2時間ほど両替などして時間を潰す)。
家族のクレジットカード情報を聞き(番号、期限、タイプ等)、再度ホテルに電話。
さっきの人? というようなやりとりののち、家族のクレジットカード番号でかまわないとのことで予約成功。

これで安心して観光ができる。
2キロ先の眺望スポットであるバルベリーノに向かおうとしたのだが……ふと思いつく。
バスはないのだろうか。
こちらの観光案内所でものを尋ねると、必要以上の情報はもらえないことが多い。
たとえば「歩くと遠いですよ。バスがあります」などと親切にすすめてくれることは少ない(まあ、ヴァティカンではそれで逆に被害を蒙ったが)。
再度観光案内所で詳細に質問。

タヴァルネッレ周辺の観光スポットは、2キロ先がバルベリーノ、5キロ先がサン・ジミニャーノというところのようだ。
またトスカーナ州はワインの産地なので、ワイナリーも点在し、そちらも人気の模様。
さらに聞いてみると、5キロ先のサン・ジミニャーノは往復のバスがある。
しかし午前中3本、夕方2本。
現在12時。
つぎのバスは夕方です……先に言えよ……
(※日本に帰ってきて調べたら、サン・ジミニャーノ歴史地区は世界遺産だった……そういう説明もない!)

快晴の下、バルベリーノに向かって歩道を歩いていく。
少しタヴァルネッレから外れると、そこはオリーブの畑になっている。
なかなかイタリアの田舎っぽい風情。


そろそろバルベリーノというあたりで、道が大きく曲がり、曲がりきった先で展望が開ける。
トスカーナの風景が広がっていた。


すると、風景の前方に、人影が3つある。
どうやら例の学生3人組だ。
朝食のとき会話したのだが、男の子は自然を見るために旅行に来たと言っていたので、サン・ジミニャーノではなくバルベリーノを目指したということだろう。
声をかけると「ちょうど日本人の君のことを話していた」という。
近くに眺望スポットがある、という情報を教えていたからだ。
せっかくなので一緒にバルベリーノに行ってみることにする。
(この時点では、まさか丸一日行動を共にするとは思わなかった。)

改めて自己紹介。
まずファマル24歳。
ガールフレンドのレマ21歳。
レマの友人タヴァ23歳。
ファマルはマレーシア系イギリス人。
レマとタヴァはマレーシア人。


バルベリーノは小さな集落で、城壁(跡)や石造りの街並みが残っている。
小さいが歴史のある教会などもあるようだ。
ファマルたちと話しながら路地を歩いていく。

途中、のどが渇いたとレマとタヴァが食料品店で買い物をすることに。
すると3人はイタリア語をまったく知らないことが判明。
英語が通じないこの郊外では、私のほうが頼りにされるという一種の逆転現象が起きた。


教会は非常に趣のある、こじんまりとした教会で、とてもよかった。
不思議なことに即身仏(ミイラ)が展示されていた。
タヴァに呼ばれ行ってみたのだが、「mummy?」と聞いたらYesと言っていたので、おそらく間違いない。
ここでファマルが隣にいた観光客にとミイラについて立ち話。
ファマルは相当なおしゃべり好きで、機会があれば誰彼なしに話しかける。

外へ出てその観光客と話してみると、アメリカ・オハイオ州からやってきた夫妻だという。
オハイオおじさん(と勝手に命名)はかなり陽気なおしゃべり。
最後はオハイオ(大学?)のO-H-I-Oのハンドサインを教えられ、そのポーズでファマルたちと記念撮影。
なんだかよくわかりません。
私以外は英語で十分にコミュニケーションがとれ、会話が弾むが、何を言っているか聞き取れない私はぼんやりとするばかり。


おじさん夫婦と別れ、さらに進むと展望デッキがあったので、記念撮影。
そのすぐ先で街並みは途切れ、バルベリーノはどうやらここまでの模様。
ファマルたちはもっと先に進みたいらしく、道路脇にある農場に入れないか道を探ったりしている。
どうやらレマとタヴァがワイナリーに行ってみたいらしい。
ファマルから進む方向ついて意見を求められるが、タケムラさんからそういう場所の存在について聞いていたものの、具体的な行き方まではわからない。

ともかく昼食をとるためにバルベリーノの中心部に戻ることに。
戻る道すがら、観光案内所を発見。
3人を連れていき、ワイナリーについての情報を得るようアドバイス。
女性2人がガイドから聞き出したところによると、有名なワイナリーは少々遠いが、タヴァルネッレから2キロの場所に小さなワイナリーがあるので、そこに行くことにしたようだ。
一緒に来ないか、とファマルに誘われ、予定もないので快諾する。

バルベリーノにあったトラットリアでは、ランチが15ユーロだった。
タヴァルネッレならもっと安く食べられるとファマルたちが言うので、タヴァルネッレまで一旦帰ることにする。
この時点で時刻は15時半。
その小さなワイナリーの営業時間は19時まで。

急がなければならないはずなのだが、女性たちはおしゃれなサンダルとパンプス(フラットヒールパンプス?)なので、歩くペースがいかんせん遅い。
おしゃべりしたり、一緒に歌を歌ったりして、ベンチがあればそこで休む。
それにあわせて私とファマルは肩を並べて歩く。

片言の英語でファマルといろいろ話をした。
ファマルは今夏大学を卒業した。
専攻はインダストリアルデザインなのだが、デザインの仕事はやりたくないので、パートタイムジョブで金を貯めながら向いている仕事を探すつもりのようだ。

タヴァルネッレでファマルたちおすすめのピッツェリア(安くて大きい)に行ってみるが、店が閉まっていた。
(夜は17時や19時からから開店という店が多い……現在16時45分。)
結局近所のバールに入り、うまくもまずくもないスパゲッティーを食べ、ワイナリーを目指す。
この時点で17時を過ぎている。


タヴァルネッレのロータリーから、今度は別の方角へ道を歩いていく。
(MARCIALLAという標識に従って進めば、途中にあるというのだ。)


しかし、今度は歩道がない。
もしかすると、自動車専用道なのではないか。
車がものすごいスピードで走り抜けていく。
その脇を一列になって歩く。
これをマレーシア人と日本人がやるから、目立つ目立つ。
みな不審げな目で見ている。


周囲はオリーブやぶどうの畑が延々と続いている。
最初は意気揚々としていたレマとタヴァだが、だんだんと無口に。
1時間ほど歩いたところで、レマが傍らの草むらに座り込んでしまう。
ファマルは励ましているが、レマは休みたいらしい。
なにやら言い合いに。

ファマルがやってきて、どうしよう、と聞いてきた。
ファマルはもう引き返すべきだと考えているようだ。
時間は18時半。
あと10分進んで、何も見つからなければ帰ろう、と提案。
ファマルも納得したようだ。
レマを抱き起こし、ゆっくりと歩き始める。


もしワイナリーに見つけたとして、最低でも20分くらいは試飲にかかるだろう……と踏んでの10分だったが、3分も歩かないうちに「WINE FREE TASTE」の看板が。
急に元気になる女性陣。


あったのは本当に小さな醸造所で、女性のオーストリー人(ワイン留学生?)が対応してくれた。
自分のところでつくったワインの即売をしていて、購入希望者はテイスティングをさせてくれるとのこと。
女性たちは買う、と宣言し、全員で赤(2005年もの)を試飲。
渋い。
グラッパの試飲させてくれたが、これはキツイんだよなーとすぐ水で流す。
オリーブオイルもつくっているそうだ。


いまは醸造の時期でないのでタンクは空。
機械なども見せてもらったが、やっぱり何も買わず。
女性陣はかなり満足気な様子となり、ワイナリーを後にする

帰りも歩き。
総計すると8キロは歩いたことになる。
レマは靴が壊れてしまった(靴擦れができていたので絆創膏をあげた)。
朝食の買出しに行くという3人と別れ、YHへ。

まずはメールチェック。
宿泊施設から空きありとの回答あり。
ここでもクレジットカードの情報を求められたので、メールに書き込んで送信。

それから入り口脇のベンチに腰掛け、今後の旅程を考えることにした。
次はヴェネツィアに行くとして、その後どうするか。
ミラノにそのまま行くのか、シエナやピサに立ち寄るのか。
ラヴェンナもいいと聞くが、そこまで回る余裕はないし……最終日ローマに戻らなければならないのは本当にネックだ。
思案にふけっていたら、タヴァがみんなでフェスティバルに行かないか、と誘いにきた。


タヴァルネッレは昨夜も屋台が出ていたが、今週ずっとお祭りのようだ。
今夜はディズニーのキャラクターに扮装した人たちがレストランを開いている。


ここでなんとオハイオおじさん夫妻と再会。
ファマルたちは盛り上がるが、英語のわからない私は眠いだけ。
おじさんも気を遣って話をふってくるが、言っている内容がわからない。
ファマルたちが簡単な言葉に直してくれ、私のめちゃくちゃな単語の羅列をおじさんに整理して伝えてくれる。
なんだかよくわからないが、おじさんに励まされた。

10時にYHに戻り、メールチェック。
返事はない。
とりあえず明日の宿は確保してあるので、また明日考えよう。

明日は何時の列車がとれるかわからないし、6時起き、7時出で停留所に行き、フィレンツェに向かうことにした。
ファマルたちも同じくらいの時間に出るようだ。

早出なので、夜のうちにレセプションで精算。
ビールを飲んで、ともかく寝る。