32.2.2.此頃都ニハヤル物
建武の新政が始まったが、その評判は悪かった。
建武の新政がはじまり、世の中が良くなるかと思ったら、そうでもない。
もっと悪くなっている。
朝廷は何をやっているんだ!!!!
みんな好き勝手にやっている。
悪賢いやつが羽振りを利かせており、嘘八百が罷り通る。
偉そうに格好を付けて得意ぶっているが、なんとも薄っぺらなことよ。
真面目なやつには出世の縁がなく、口先、ゴマすりだけで大出世する男もいる。
とにかく最近は奇妙で不快なことをよく見聞きする。
こういった中で、「この頃都にはやるもの」という書き出しで、二条河原に落書きが掲示された。
この二条河原落書は、八五調と七五調をとりまぜた物尽し形式をとり、『建武年間記』(建武元年から3年までの諸記録、『建武記』)のなかにみることができる。
落書が掲示された場所は、後醍醐天皇の政庁が所在した二条富小路に近い二条河原だった。
その内容は、政府に向けられただけではなく、混乱期の中で右往左往する武士や民衆、彼らが創り出した新たな文化や風習までも批判している。
二条河原の落書きの書き出しと文末
この頃都にはやるもの 夜討、強盗、謀綸旨(にせりんじ)
召人(めしうど)早馬、虚騒動(そらさわぎ)
生頸(なまくび)還俗自由出家(まましゅっけ)
俄大名迷者 安堵、恩賞、虚軍(そらいくさ)
・・・・(中略)・・・・
御代に生まれてさまさまの 事を見聞くそ不思議共
京童の口すさみ 十分の一そ漏らすなり
<意訳>
この頃都に流行るものといえば、夜討ち、強盗、ニセ文書。使用人の早馬によるそら騒ぎ。
生首、僧の還俗、一般人の自由出家。
急に羽振りがよくなる俄か大名、落ちぶれて路頭に迷う者。所領の保証、恩賞目的のでっちあげ戦さ。
・・・・(中略)・・・・
この時代に生まれ建武の御代を迎えたが、不思議なことばかりを見聞きする。
ここでは京の人々が口ずさんでる噂の十分の一を漏らしただけである。
二条河原落書の全文
口遊(くちずさみ) 去年八月二条河原落書云々 元年歟
此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨
召人早馬虚騒動 生頸還俗自由出家
俄大名迷者 安堵恩賞虚軍(そらいくさ)
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
追従讒人(ざんにん)禅律僧 下克上スル成出者
器用堪否(きようかんぷ:能力の有無)沙汰モナク モルヽ人ナキ決断所
キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ笏持テ
内裏マシハリ珍シヤ 賢者カホナル伝奏ハ
我モ々々トミユレトモ 巧ナリケル詐(いつわり)ハ
ヲロカナルニヤヲトルラム 為中美物(いなかびぶつ)ニアキミチテ
マナ板烏帽子ユカメツヽ 気色メキタル京侍
タソカレ時ニ成ヌレハ ウカレテアリク色好
イクソハクソヤ数不知 内裏ヲカミト名付タル
人ノ妻鞆(めども)ノウカレメハ ヨソノミル目モ心地アシ
尾羽ヲレユカムエセ小鷹 手コトニ誰モスエタレト
鳥トル事ハ更ニナシ 鉛作ノオホ刀
太刀ヨリオホキニコシラヘテ 前サカリニソ指ホラ
ハサラ扇ノ五骨 ヒロコシヤセ馬薄小袖
日銭ノ質ノ古具足 関東武士ノカコ出仕
下衆上臈ノキハモナク 大口ニキル美精好(せいごう)
鎧直垂猶不捨 弓モ引ヱヌ犬追物
落馬矢数ニマサリタリ 誰ヲ師匠トナケレトモ
遍ハヤル小笠懸 事新キ風情也
京鎌倉ヲコキマセテ 一座ソロハヌエセ連歌
在々所々ノ歌連歌 点者ニナラヌ人ソナキ
譜第非成ノ差別ナク 自由狼藉ノ世界也
犬田楽ハ関東ノ ホロフル物ト云ナカラ
田楽ハナヲハヤル也 茶香十シュノ寄合モ
鎌倉釣ニ有鹿ト 都ハイトヽ倍増ス
町コトニ立篝屋ハ 荒涼五間板三枚
幕引マワス役所鞆 其数シラス満々リ
諸人ノ敷地不定 半作ノ家是多シ
去年火災ノ空地共 クソ福ニコソナリニケレ
適(たまたま)ノコル家々ハ 点定セラレテ置去ヌ
非職ノ兵仗ハヤリツヽ 路次ノ礼儀辻々ハナシ
花山桃林サヒシクテ 牛馬華洛ニ遍満ス
四夷ヲシツメシ鎌倉ノ 右大将家ノ掟ヨリ
只品有シ武士モミナ ナメンタラニソ今ハナル
朝ニ牛馬ヲ飼ナカラ 夕ニ賞アル功臣ハ
左右ニオヨハヌ事ソカシ サセル忠功ナケレトモ
過分ノ昇進スルモアリ 定テ損ソアルラント
仰テ信ヲトルハカリ 天下一統メツラシヤ
御代ニ生テサマ々々ノ 事ヲミキクソ不思義共
京童ノ口スサミ 十分一ソモラスナリ
新政を風刺した秀逸な落書きではあり、これから起こる混乱を予言するような落書きでもある。
しかし、深刻に心配するような様子は伺えない。
現状を受け入れるしかない一般人にとってこれ以上、どうしようもなかったのだろう。
<続く>