![石見の伝説と歴史の物語−21 (甘南備寺命名の話−3)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/7b/58/c88dfe8296e286d6e6fbaa947ff4db74.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−21 (甘南備寺命名の話−3)
6.3. 濱吉、山に上る 翌朝は台風一過の良い天気で空は晴天で青空だった。 しかし、山々の頂きは霧雲に覆われていた。 神奈備山は中腹から山頂にかけて霧雲が...
![石見の伝説と歴史の物語−20 (甘南備寺命名の話−2)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/43/d0/89fbd15e79396277ec7caa5a200a43cc.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−20 (甘南備寺命名の話−2)
6.2. 神奈備山の謂れ 京都への旅路は順調であったが、井田を過ぎた頃から雨風が強くなってきた。 台風が近づいてきたのである。 渡村に着いた時には江の川は増水しており、渡し船...
![石見の伝説と歴史の物語−19 (甘南備寺命名の話−1)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/0b/aa/bd8a77b4534bf05b421822676e536264.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−19 (甘南備寺命名の話−1)
6. 甘南備寺の命名の話 奈良時代から平安時代の初期にかけて、甘南備濱吉という男がいた。 石見の国守として、弘仁6年(815年)7月13日に柿本人麿から数えて14番目の国守に任...
![石見の伝説と歴史の物語−18 (行基修験道場を造る)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/27/bf/6b3e0a5984a6594104a062b7b15e5b70.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−18 (行基修験道場を造る)
5.2. 行基修行場を造る 行基は数日間、山を巡って探索した。 行基は山を下りると渡村の保長に会いに行った。保長は坂元と云う男だった。 行基は坂元に厳か...
![石見の伝説と歴史の物語−17 (行基現われる)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/03/67/7e9cd23a95015455feb9c34df7cb96a6.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−17 (行基現われる)
5. 神奈備山の修行道場 甘南備寺伝によると甘南備寺は天平18年(746年)に行基菩薩によって創建されたと伝わっている。 天平十八年人皇四十五代聖武天皇の御代行基菩薩は普く諸国...
![石見の伝説と歴史の物語−16 (人麻呂と渡の山)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/0b/b1/e56c69cb7c7bf1915c7ff0532ae99fe1.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−16 (人麻呂と渡の山)
4.4. 人麻呂と渡の山 白石昭臣の、鴨山は甘南備寺山であった、という話からある妄想が湧いてくる。 ...
![石見の伝説と歴史の物語−15 (柿本人麻呂終焉の地)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/23/0f/2537af87855e788857610adcf0d62005.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−15 (柿本人麻呂終焉の地)
4.3. 人麻呂の終焉の地 柿本人麻呂の終焉の地については大和・近江・石見等の諸説がある。 人麻呂の終焉の地は次の歌を根拠にして探し、推理が展開されているが、決定的な論説は出て...
![石見の伝説と歴史の物語−14 (人麻呂さんと邑智郡)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/3b/b0/4d8d26a19bdff6eda781732605b4310b.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−14 (人麻呂さんと邑智郡)
4.2. 人麻呂さんと邑智郡 柿本人麻呂は景雲二年(705年)の頃に石見の国守として那賀郡の恵良(現在の江津市二宮町)に赴任してきたと伝えられている。 ...
![石見の伝説と歴史の物語−13 (柿本人麻呂伝説−2)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/37/4c/e4102fa3c5f5f3bb3cbdfc1647111354.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−13 (柿本人麻呂伝説−2)
4.1.2. 戸田柿本神社旧記 益田市戸田町に戸田柿本神社がある。 社伝によれば、当地の「語家(綾部家)」の出身である柿本人麿が、老年を過ごした高角鴨山で神亀元年甲子3月18日...
![石見の伝説と歴史の物語−12 (柿本人麻呂伝説−1)](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head/v1/user_image/3c/3e/e6a7f75038980b745b4753ded734ef08.jpg)
石見の伝説と歴史の物語−12 (柿本人麻呂伝説−1)
4. 柿本人麻呂 柿本人麻呂が作った歌は約370首あり、万葉集には長歌16首、短歌が61首載っている。 しかしこれほどの万葉の大スターでありながら、人麻呂の名は正史に全くあらわ...