平良北コース 市内史跡散策の道標。
ユーラジ御嶽、右隣には船立堂、左隣には仲屋金盛ミャーカ。
ミャーカとは昔のお墓のこと。
このミャーカは16世紀初頭に宮古島の支配者として君臨した
仲宗根豊見親の嫡子(家督を相続するもの)仲屋金盛豊見親を葬った墓である。
仲宗根豊見親亡き後、家督を継いだ仲屋金盛は、「野原岳の変」によって
自殺してしまう。 この事件を機に、豊見親の称号は廃止され、
宮古島における琉球王府の支配体制が強まって いったといわれている。
仲宗根豊見親の墓は平良港を見渡す一等地に大きく立てられて 観光名所の
一つとなっているが、仲宗根家の家系図には「金盛・不届につき家督を継がず」
と記されており、本来なら仲宗根豊見親の墓に入る立場であるが、
このような離れた ところにひっそりと葬られている。
ユーラジ御嶽は、ユーラジ(夜占いの地=ユウラの地)御嶽と呼ばれている。
宮古島の古い文献によれば、吉日を選んで火の神様に焼香し、
「玉城・普門好善(フモンコゼ) と唱え、そのときに道を行く人の発する
言葉のきっきょうに従って事の善悪を知る占いが あったと伝えられている。
船立堂は、兄(かねどの)と妹(しらくにやつつかさ)を鍛治神・農業神として
祀っている御嶽。 毎年旧暦の11月8日には、鍛冶屋などがフィゴ祭りを行っている。
船立堂の由来では、遠く久米島から流されてきた兄、妹であったと伝えられている。
散歩道にある市内の史跡で綾道(あやんつ)と呼ばれている一部である。
![見出し画像](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head_long/v1/user_image/6d/54/119e9fdfd607ab74f22add7ab50e23d3.jpg)
コメント一覧
![](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_profile_square_m/v1/noimage/user_photo/gb25_noimage.png)
きじむな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_profile_square_m/v1/noimage/user_photo/gb25_noimage.png)
ダイバー
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事