ブログというより「薀蓄(うんちく)」始めました。
こんにちは横須賀、綱島の茂木智之です。アメミ○さんの「冷やし中華始めました」みたいな感じです。先週よりブログを再開しましたが、私が本当に好きなことはうんちくを語ることです。
想い起こせば、幼少の頃から“超”が付く程脆弱であった私は、幼稚園入園序盤からかなり苛められ(泣かされていた日の方が多かった)、つづく小学校に入学後もひたすらキツイ思いをさせられてきました。
そんな私にとって唯一励み勇気を与えてくれる存在がスーパースター、スーパーヒーローで、1976(S51)年、私がまだ小学3年生だった時分にプロ野球(高校野球を含む)、大相撲、プロレスといった世界は私にとっての3大スポーツ(相撲は国技)でした。野球界では巨人軍、特に王貞治選手(言わずと知れた世界のホームラン王868本は世界記録)、角界では横綱輪島大士関(第54代横綱、黄金の左と呼ばれた)、プロレス界では全日本プロレス、ジャンボ鶴田選手(評論家の間では史上最高のレスラーと呼び声が高い、しかしあくまで評論家による)の3名の偉大な方が特にご贔屓で彼等の活躍具合が、気になって仕方ない毎日でした。
例えば大相撲で輪島関が北の湖関(第55代横綱。歴史に残る大横綱、輪島関とはライバル関係にあり“輪湖時代”と呼ばれた対戦成績は、意外に思われるかもしれませんが輪島の23勝21敗)が対決の日などは、朝から落ち着きがなく、本番直前、制限時間が来るまでの間、トイレに行ったり来たりで、輪島関の勝利を願いドキドキ感が最高潮という感じでした。小学3年の時点でこんなような子は日本全国あまり存在しないと言えるでしょう。私は、とても“稀有”な存在であったと思います。
この3大興味に続き、中学2年からはサッカー(私のヒーローはフランスの“将軍”“ナポレオン”と言われたミッシェル・プラティ二、西ドイツの“皇帝”フランツ・ベッケンバウワー)、スポーツから離れますが、高校1年からは洋楽(一番好きは出せない、分からない)、1992年よりNBA(全米プロバスケット、一番はマイケル・ジョーダンではなく本当に“冗談”ではなくレジー・ミラー)に興味を抱き、現在まで自分の優先順位1番の座は色々と入れ替わりますが、基本的にスポーツ、芸能その他あらゆるジャンルの中で名を残した人達に強い憧憬の気持ちを抱いています。これからも自分が興味を持っている様々なジャンルについて話を続けていきたいと思います。
では、来週。