信号待ちで、同色のキャビーナを見ました。相手ドライバーもこちらを、見ながら走り去っていきました。
おきな堂のオムライスを食べました。長野県松本市中央から青葉台東急に出店のよし。
読み終えた本「日米回戦の正体」著者 孫崎 享 発行所 祥伝社 P510
カーナンバー:野田:山梨:袖ヶ浦:宮崎:香川:大阪:なにわ:習志野:
信号待ちで、同色のキャビーナを見ました。相手ドライバーもこちらを、見ながら走り去っていきました。
おきな堂のオムライスを食べました。長野県松本市中央から青葉台東急に出店のよし。
読み終えた本「日米回戦の正体」著者 孫崎 享 発行所 祥伝社 P510
カーナンバー:野田:山梨:袖ヶ浦:宮崎:香川:大阪:なにわ:習志野:
こんにちは茂木智之です。上の写真は1969(昭和44)年10月号の、プロレス雑誌「ゴング」です。
自分自身はこの頃約2才ですから、リアルタイムではさっぱり分からない時ですが、1976年あたりプロレスを欠かさずテレビ観戦
するようになって1978年頃から親に毎月「ゴング」と「別冊ゴング」を毎月買ってもらえるようになって以降、
1986年あたり(極真カラテに入門した年にあたる)に東京の神保町の古本屋を徘徊してやっと見付け、
購入したもです。この雑誌の表紙が最高に大好きなプロレスラーである1960年代のスーパースター
”生傷男”ディック・ザ・ブルーザー・アフィルスと”粉砕者”クラッシャー・リソワスキーという
後の強力コンビであった”浮沈艦”スタン・ハンセンと”超獣””キングコング”ブルーザー・ブロディが出現する前の超強力な
コンビでした。生傷・粉砕コンビは”BI砲と謳われた日本プロレス史上最高タッグ・ティームとの評価が高い
ジャイアント馬場、アントニオ猪木からもインターナショナルタッグのタイトルを奪ったことがあります。
僕は昭和の頃のプロレス全般が大好きなのですが、今でも昭和40年代前半、出来れば力道山時代の昭和30年代の雑誌や情報
が欲しいです。因みにゴングの創刊号は1968(昭和43)年5月号です。表紙はジャイアント馬場とディック・ザ・ブルーザー
アフィルスです。記念すべき創刊号の表紙に使われるあたりディック・ザ・ブルーザーのVALUEの高さを感じます。
では、また。
※敬称略