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キムカズの気まぐれブログ Part2

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2025.4.6 戊辰戦争の激戦地「三崎峠」を訪れて

2025-04-06 17:38:00 | 日記
2025.4.6(日)
今日は秋田県知事選挙、秋田市長選挙、秋田県議会議員補欠選挙の投票日。
夜8時から開票が始まるようなので、自分を含めて多くの秋田県民が固唾を飲んで夜を過ごすのだろう。

そんな今日は、にかほ市象潟までドライブ。
象潟と遊佐町の境にある「三崎峠」へ。
ここは戊辰戦争で庄内藩の新政府軍と秋田藩や九州の藩の幕府軍が激戦を交わした場所。

そんな歴史のある三崎峠には戊辰戦争に関する碑があると聞いていたので、以前から行ってみたい場所だったのです。







今思うと、なんで同じ国で内戦なんてって思うけど、その当時は藩の勢力の時代。藩の意地をかけて戦っていたんだろうなぁ。
今も世界ではあちこちで争ってて。
国と国の戦争だけでなく、アメリカ発の貿易戦争が勃発しそうな情勢もあるなど勘案は尽きません。
同じ人間として、和をもって協調していければいいのだが。

我が家に新しい家電(電子レンジ、寝室用エアコン)がやってきた!

2025-03-16 17:40:00 | 日記
令和7年3月。
我が家に新しい家電がやってきた。
電子レンジと寝室用のエアコン。
電子レンジは、前のが20年選手となり、ボタン感度が悪くなり買い替えたもの。
エアコンは、寝室にはなかったので、暑い夏や夏い暑など北国でもそれなりに寝苦しい日があったので新規に設置したのです。






これからまたこれら家電にお世話になって快適な生活ができそうです。笑




あきたの民謡 第37回「秋田船方節 全国大会」(2024.11.17)

2024-11-19 10:16:43 | 日記
コロナ禍が明け正常開催されるようになった県内の「民謡全国大会」。
令和5年からその制覇を目指して観覧に赴いている、秋田民謡の全国大会。完全制覇ももう少し・・・まできましたよ!汗
これまでの訪問歴はこちら。↓
~これまでの訪問歴~
秋田おばこ節 大仙市 令和5年6月4日
秋田港の唄  秋田市 令和5年6月25日
秋田おはら節 大仙市 令和6年9月7日(土)
三吉節    秋田市 令和5年9月17日
生保内節   仙北市 令和5年9月24日令和6年9月22日(2回目の訪問は初めて。汗)
秋田追分   五城目町 令和5年10月1日
長者の山   美郷町 令和5年10月14日、15日
秋田船方節  男鹿市 令和6年11月17日
秋田飴売り節 大仙市 令和5年11月23日
秋田長持唄  秋田市 中止
(秋田長持唄は、旧雄和町出身の民謡歌手・故長谷川久子さんが、同町の旧戸米川村、旧種平村で唄われていた「箪笥担ぎ唄」を編曲した民謡。大会は伝承と普及を目的に1994年から開かれてきた。)

今回赴いたのは、「第37回秋田船方節 全国大会」。
〔秋田船方節の歌詞〕
(ハァ ヤッショヤッショ)
 ハァー (ハァ ヤッショヤッショ)
 三十五反の (ハァ ヤッショヤッショ)
 帆を巻き上げて (ハァ ヤッショヤッショ)
 鳥も通わぬ沖走る そのとき時化(しけ)に遭うたなら (ハァ ヤッショヤッショ)
 綱も錨も手につかぬ   今度船乗りやめよかと (ハァ ヤッショヤッショ)
 とは言うものの港入り 上がりてあの娘の顔見れば (ハァ ヤッショヤッショ)
 つらい船乗り 一生末代 孫子の代までやめられぬ (ハァ ヤッショヤッショ)
〔秋田船方節の由来〕
 秋田民謡の多くは、日本海を北上する形で伝播、定着したものが多いと考えられています。
 その伝播において、「北前船」の役割は大きく、「船方節」も元は船乗り相手の騒ぎ唄である「出雲節」とも呼ばれていたものが、船乗り自身が伝播の担い手になったことから、「船方節」と呼ばれて、佐渡や酒田、能代などで定着しました。その一部が、男鹿市の船川にも伝播し、芸子達が歌う「船方節」と称されました。
 この唄を森八千代(もり やちよ)が、昭和10年代に歌詞を整え、新しい「秋田船方節」として定着していくようになったのです。


なんと今回、CNA秋田ケーブルテレビの抽選に当たって「秋田船方節民謡ツアー」にペアで参加することができました。
秋田駅東口から大型バスで旅行がスタートしました。


一路、男鹿方面へ。
曇天の中、遠くに寒風山を眺めながらバスは進みました。





最初に訪れたのが「道の駅おが オガーレ」です。
ここではお買い物を。


タコと、いま話題のクラフトサケを購入。







次に訪れたのが、「大龍寺」。
ここの紅葉がすごかったんです。


ここ「大龍寺」は高台にあるので、遠くに日本海を望めるナイスなロケーション。



ここからは境内のすばらしい紅葉を堪能。









お寺の中に入り、ご住職が解説をしてくれました。
こういうお話を伺う機会は少ないので、とても興味深くお聞きしました。











ほんと、見応えのある庭園、それに映える紅葉でした。












6代目三遊亭円楽が描いた書。








次に向かったのが、「居酒屋秀」。いよいよお楽しみの昼食です。


三食丼。マグロ、鯛、ヒラメ。だったかな?汗


バス旅行なので、お酒もOK!
昼から生ビールを大ジョッキでいただくことができました。



そして、これまたお楽しみの髙橋姉妹による民謡ショー。
このお二人、すごいんです。県内で開催されている各種の民謡全国大会で最優秀賞を取りまくっているんです。


民謡に加えて、手踊りも披露してくれて。


高校生の三女を含めて、三姉妹で民謡を頑張っています。








そして、本日のメイン「第37回秋田船方節全国大会」の会場、男鹿市民文化会館へ。


年少者一部・二部の決選会を聴きます。




一回目のアトラクション。



そして、一般の部の決選会です。
予選を勝ち残った10名での決勝戦。


高橋三姉妹の三女、杏里さんも決選会に残りました。









年少の部 審査結果発表、表彰式。


年少の部一部、最優秀賞は秋田市の鎌田爽生さん。


年少の部二部 最優秀賞は秋田市の石川空青さん。
お二人は同門で民謡を学んでいるとか。
おめでとうございます。



そして、二回目のアトラクション。
高橋姉妹による民謡披露です。


二人で唄う「秋田大黒舞」から始まり、次女の愛実香さんが「本荘追分」を、長女の真理香さんが「秋田長持ち唄」を披露しました。



















続いてのアトラクションが、なまはげ太鼓。男鹿っ鼓さんの出演です。


場内にもなまはげが現れ、迫力まんてん。









いよいよ、一般の部の審査結果発表及び表彰式です。


最優秀賞は、秋田市の川井ふたばさん。
素晴らしい歌声でした。おめでとうございます。




準優勝が嵯峨泉稀さん、第3位高橋杏里さんでした。
おめでとうございます。






















ここからは余談。
来場者向け大抽選会でまさかな出来事が。
妻がみごと5等をゲットです。笑






お米を頂きましたとさ。




今日の秋田船方節全国大会を踏まえて、まだ赴いていない民謡大会は「三吉節」のみとなりました。
いつか達成できるよう努めていこうと思います。

余談。
会場に出展していた似顔絵屋さんに描いてもらった私たち。汗




あきたの民謡 第37回「生保内節 全国大会」(2024.09.22)

2024-09-23 17:02:56 | 日記
コロナ禍が明け正常開催されるようになった県内の「民謡全国大会」。
令和5年からその制覇を目指して観覧に赴いている、秋田民謡の全国大会。完全制覇はまだまだです。。。汗
これまでの訪問歴はこちら。↓
~これまでの訪問歴~
秋田おばこ節 大仙市 令和5年6月4日
秋田港の唄  秋田市 令和5年6月25日
秋田おはら節 大仙市 令和6年9月7日(土)
三吉節    秋田市 令和5年9月17日
生保内節   仙北市 令和5年9月24日令和6年9月22日(2回目の訪問は初めて。汗)
秋田追分   五城目町 令和5年10月1日
長者の山   美郷町 令和5年10月14日、15日
秋田船方節  男鹿市 令和5年11月19日
秋田飴売り節 大仙市 令和5年11月23日
秋田長持唄  秋田市 中止
(秋田長持唄は、旧雄和町出身の民謡歌手・故長谷川久子さんが、同町の旧戸米川村、旧種平村で唄われていた「箪笥担ぎ唄」を編曲した民謡。大会は伝承と普及を目的に1994年から開かれてきた。)

今回赴いたのは、「第37回生保内節全国大会」。
会場は、仙北市田沢湖にある「仙北市民会館」です。


〔生保内節について〕(大会プログラムより転載)
民謡「生保内節」のふるさと、ここ生保内盆地は、奥羽山脈から吹きおろす名物の東風で知られています。
この東風は、春に雪解けを促し、夏には病害虫を防ぎ、干天には慈雨をもたらし、秋には収穫物の乾燥を助けるなど、天与の宝風として地元では「東風(だし)」と呼び親しんでいます。
この「東風(だし)」を唄ったのが「生保内東風(おぼねぇだし)」で、天正年間(1573~1592)ごろから唄われ、ほかの地域の影響をまったく受けない独自の民謡として、現在では「元唄」や「正調生保内節」として知られています。また、名曲ゆえに難局でもあり、唄うには節回しの複雑さと、息づかいの難しさに特徴があると言われています。現在広く唄われている「生保内節」は昭和6年頃に編曲され全国に広まりました。


前回訪問の第36回大会の模様はこちらから→


少し遅れて到着したので、一般の部の予選が真っ最中でした。
今回の出場者は、「一般の部」が116名、「年少者の部」が13名です。
      

本部伴走者紹介。
熊谷信子さんほか県内のプロたちが伴奏陣を担ってくださっています。


アトラクション。
進行は熊谷信子さん。ご自身もこの大会の第2回大会の最優秀賞者です。


藤原美幸さん。この大会の第8回大会の最優秀賞者でもあります。
「秋田長持唄」をロック調に。伝統ある民謡を新しい面を見出そうと工夫されています。




アトラクション二人目の出演者が成田義道さん。前回の第36回大会の最優秀賞者です。


ここからは、「一般の部」決勝戦。10名が競いますが、皆さん上手で、私なんかには優劣をつけるほどの耳はありませんでした。
1.大川あけみ(秋田市)、2.山上 衛(岩手県)、3.川辺節子(秋田市)、4.谷川未采(八郎潟町)、5.倉田珠衣(秋田市)6.川井ふたば(秋田市)、7.高橋 淳(由利本荘市)、8.高橋邦子(大仙市)、9.澁谷四郎(横手市)、10.佐々木深里(岩手県)の10名。※敬称略
         

続いて、「年少の部」の表彰式。


「年少の部」の最優秀賞者は、長谷川芽咲さん(鹿角市)。
私の耳にも「確かに上手でした。」と感じることができました。




アトラクションは角館高校飾山囃子部の皆さん。




さあ、いよいよ一般の部の結果発表です。


優秀賞に残った5人。
山上 衛(岩手県)、倉田珠衣(秋田市)川井ふたば(秋田市)、高橋 淳(由利本荘市)、佐々木深里(岩手県)の5名です。※敬称略


最優秀賞に輝いたのは、高橋淳さん(由利本荘市)でした。




二年連続で男性が優勝を獲得した本大会でした。

あきたの民謡 第26回民謡「秋田おはら節 全国大会」(2024.09.07)

2024-09-10 23:13:02 | 日記
コロナ禍が明け正常開催されるようになった県内の「民謡全国大会」。
令和5年から、その制覇を目指して観覧に赴いていますが、完全制覇にはまだまだ時間がかかりそうです。汗
これまでの訪問履歴とともに、今回赴いた「秋田おはら節全国大会」の模様を記しておこうと思います。

~これまでの訪問歴~
秋田おばこ節 大仙市 令和5年6月4日
秋田港の唄  秋田市 令和5年6月25日
秋田おはら節 大仙市 令和6年9月7日(土)、大仙市の「太田文化プラザ」にお邪魔しました。
三吉節    秋田市 令和5年9月17日
生保内節   仙北市 令和5年9月24日令和6年9月22日(2回目の訪問は初めて。汗)
秋田追分   五城目町 令和5年10月1日
長者の山   美郷町 令和5年10月14日、15日
秋田船方節  男鹿市 令和5年11月19日
秋田飴売り節 大仙市 令和5年11月23日
秋田長持唄  秋田市 中止
(秋田長持唄は、旧雄和町出身の民謡歌手・故長谷川久子さんが、同町の旧戸米川村、旧種平村で唄われていた「箪笥担ぎ唄」を編曲した民謡。大会は伝承と普及を目的に1994年から開かれてきた。)

それでは、今日伺った「第26回民謡「秋田おはら節全国大会」の模様を。
会場の大仙市「太田文化プラザ」。




昨年の優勝者は、倉田珠衣さん。


開会式。


前年優勝の倉田珠衣さんから優勝旗の返還。










伴奏人。三味線は小田島旺大さん、小田島旺都さん。
尺八は、藤井秀嶽さん、工藤廣さん。太鼓・囃子は冨岡久美子さん、深瀬康子さん。


今回は、午後から用事があったため、熟年の部の冒頭のみを観覧し会場を後にしたのでした。
      

その中でもこの方。加藤五郎さん。昭和8年生まれというから、僕の亡父の2つ先輩にあたりますが、まだまだ現役。立派な美声を披露されました。


       



最後に、「秋田おはら節」の歌詞とその背景を残しておこうと思います。

「秋田おはら節 歌詞」
サーサダシタガ アヨーエ
ハー 野越え山越え深山越え あの山越えれば紅葉山
紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ啼いておる 鹿さん鹿さんなぜ啼くの

ハー 私の啼くのはほかじゃない 遥か向こうの木の影に
六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲担ぎ 前には赤毛の犬を連れ 後ろに黒毛の犬連れて

ハー あれに撃たれて死んだなら 死ぬるこの身は厭わねど
あとに残りし妻や子がどうして 月日を送るやら

思えば涙が オハラ 先に立つ

「秋田おはら節の内容」
「鹿さん 鹿さん、何故なくの~」哀調を帯びた独特の節回しに乗って、家族を想う鹿の心情を切々と流れる「秋田おはら節」は、数多くの民謡の中でも第一級の名調です。
詩(ことば)と節の絶妙な響き合いが物語となって聴衆を魅了するこの唄は、今も昔も、愛好者を引きつけて離さないものがあります。
この唄は、昭和初期、日本三大おはら節のひとつである「津軽小原節」を唄う芸人たちがその低音部分を見せ場にして唄ったことから始まったものと言われています。
大仙市の高橋節子さんが昭和62年にNNS日本民謡大賞でこの唄を唄って日本一に輝いたのが縁で、「秋田おはら節」は、「故郷の唄」として広く親しまれ、根付いてきました。
この縁を大切にして、この唄を「大仙市」において正しく継承、普及していくことを目指し、ここに民謡「秋田おはら節」全国大会が開催されているものです。