キムカズの気まぐれブログ Part2

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3/19 史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 後夜祭~秋田の夕べ~

2016-03-21 17:32:57 | 日記
3月19日(土)
待ちに待ったドリカム。

史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 後夜祭~秋田の夕べ~が、秋田県立体育館で開催されました。


入場前からドキドキわくわくがとまりません。
ドリカムのライブ、何年振りでしょうか?
東京に住んでいた頃にその時の彼女(家内笑)と行って以来です。
 

ドリカムが秋田に来たのは11年振りとか。
約2時間半の最高のステージ。あっという間に時間が経つのでした。
最高に幸せのシャワーを浴びた気分の一日になりました。
 


3/19 秋田魁新報より 「地方創生の先駆者」

2016-03-19 06:35:34 | 石川理紀之助翁
3月19日、秋田魁新報の記事より引用させていただきます。
地方創生の今こそ、秋田の偉人「石川理紀之助翁」の足跡から石川翁の教えに学ぶべき点は多いと、改めて考える機会になりました。




県と市町村が、地方創生の名の下に人口減対策を本格化させて1年近くたつ。個々の計画を見ると、地場産業の振興や子育て支援、出会いの場づくりなど、従来の政策とあまり代わり映えがしない。
国が地方創生の狙いとしているのは、官民が一体となり地域の課題を独自のアイデアで解決すること。しかし担当者からは「人口減は今に始まった話でなく、すぐに妙案が浮かばない」との本音も漏れる。
そんな時こそ、この人に学べば-と思われるのが石川理紀之助(1845~1915)だ。旧秋田郡小泉村(現秋田市金足小泉)の旧家に生まれ、同郡山田村(現潟上市昭和豊川山田)の石川家の養子になり、農業指導者として名をはせた。数々の功績に共通するのは、地域の問題を客観的に把握し、地域に合った解決方法を大胆に実行したこと。地方創生の先駆者といえそうだ。
1885(明治18)年からは旧山田村の立て直しに取り組んだ。村民の借金額を取りまとめて公開、収入を年々増やして7年間で完済すると宣言して5年で実現させた。
その手腕には目を見張る。コメ増産のために肥料づくりを工夫したのをはじめ、副収入を得るため養蚕やわら細工づくりも導入。貯蓄を呼び掛け、出費を抑えるため生活用品のリサイクルや共同購入も進めるなど、収入確保に手を尽くした。
さらに家々を回って対話を重ね、目標の達成度合いを確認。慰労の場を設けて達成できた人を表彰するなど、今で言う定期的な検証や動機付けも怠らなかった。
理紀之助の考えは21世紀の今でも通用する。周囲のやる気を引き出すため、自ら率先して動くことの重要性にも気づかされる。地方創生の先駆者が秋田にいたことを誇り、地域が自ら動くという機運を高めて課題解決につなげたい。


まったく、そのとおり。まったく、同感。
そう思うとともに、いま一度、あらためて石川翁に学び、実践に挑んでみたいと思う今朝です。




H28.3.11 あの日から5年の時間が流れた

2016-03-12 20:45:46 | 日記
平成28年3月12日(土)の秋田魁新報より。

昨日、3月11日は東日本大震災から5年という思い入れの大きな日でした。


復興、一歩前へ
「風化させぬ」鎮魂の祈り
消えない痛み
  

災害住宅 完成6割
絆、自立 問い続ける
当たり前の生活、いつ
  

募る思い胸に進む
鎮魂 あの日を忘れない
誓う「一緒に歩こう」
遺族「頑張る、見ていて」
  

そして、天皇、皇后両陛下も出席された政府主催の追悼式での天皇陛下のお言葉の全文を記し、この5年に思いを寄せたいと思います。
 

〔天皇陛下お言葉全文〕
東日本大震災から5年がたちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗たんたる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの‭人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援にあたってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者をはじめとし、私どもの関心の届かぬところで、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
苦難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。このたびの大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、み霊への追悼の言葉といたします。


〔首相式辞全文〕
本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、「東日本大震災5周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。
かけがえのない多くの命が失われ、そして、多くの方の人生を一変させた、東日本大震災の発生から、早くも5年が過ぎました。
最愛のご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここにあらためて、衷心より哀悼の意をささげます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
被災地では、いまだに、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために、住み慣れた土地に戻れない方々も多くおられます。被災地に足を運ぶたび、「まだ災害は続いている」、そのことを実感いたします。その中で、一歩ずつではありますが、復興へ確実に前進しています。住まいとともに、生業の再生も本格化しています。
被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも、心と身体のケアや新たな地域社会の形成、被災地の産業の振興への支援などに力を注ぎ、魅力ある地方の創生につながるような復興を実現していく所存です。
同時に、多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を、決して風化させることなく、常に最新の英知を取り入れながら、防災対策を不断に見直してまいります。政府が一丸となって、災害に強い、強靭(きょうじん)な国づくりを進めていくことを、あらためて、ここに固くお誓いいたします。
震災の発生以来、地元の方々や関係する全ての方々の大変なご努力に支えられながら、今日に至っております。日本各地のみならず、本日ここにご列席の、世界各国・各地域の皆様からも、多くの、温かく心強いご支援をいただきました。あらためて、心より感謝と敬意を表したいと存じます。
わが国は、今後とも、世界の皆さまに向け、東日本大震災の教訓と被災地の復興の様子をお伝えし続けるとともに、我が国の知見と技術を少しでも役立てていただけるよう、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。
わが国は、幾度となく、国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、そのたびに、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、前を向いて歩いていくことを、あらためてお誓いいたします。
み霊の永遠に安らかならんことをあらためてお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆さまのご平安を心から祈念し、私の式辞といたします。





発生当時のキムカズブログ↓
H23.3.11-14:46 東日本大地震発生

東日本大地震(H23.3.15魁新報紙)







2016.03.01 次男、高校を卒業

2016-03-01 18:26:48 | 日記
平成28年3月1日(火)
次男が高校の卒業式を迎えました。
文武両道、自主自律を教育方針とする母校を巣立ちます。
 

品性の陶冶~わが生わが世の天職いかに
おのれを修めて世のためつくす


在校生と来賓、教職員が卒業生の入場を待ち、静まり返った体育館。
本校の校歌、とても気品の高い歌詞です。
「わが生わが世の天職いかに」
「精神奮いて学びてやまず」
「おのれを修めて世のためつくす」
 

卒業生入場です。
   

卒業証書授与。
 

次男のクラス。3-F。
   

校長式辞
祝辞は、秋田県知事、PTA会長。
  

 

その後、教室に戻り最後のホームルーム。
担任の先生から卒業証書をいただきました。
    

副担任は野球部で心身ともに御指導くださった監督。
さすがに真剣なまなざしで恩師のお話に耳を立てます。
   

   

次男は今日、高校を巣立ち、次のステージに向かうことになります。
真新しいスーツに身をまとった姿に「大きくなったなあ」と思う反面、
まだ少し残る大人への階段をしっかりと歩みを進めてほしいと願うのでした。
伝統ある高校で学んだ3年間をしっかりとこれからの人生の糧としてほしいものです。
そして、いつの日にか社会にこのお返しをしていってほしいと願います。

いずれ、今日一つの節目を迎えたことを喜び、過ごしたいと思います。