コロナ禍が明け正常開催されるようになった県内の「民謡全国大会」。
令和5年から、その制覇を目指して観覧に赴いていますが、完全制覇にはまだまだ時間がかかりそうです。汗
これまでの訪問履歴とともに、今回赴いた「秋田おはら節全国大会」の模様を記しておこうと思います。
~これまでの訪問歴~
秋田おばこ節 大仙市 令和5年6月4日
秋田港の唄 秋田市 令和5年6月25日
秋田おはら節 大仙市 令和6年9月7日(土)、大仙市の「太田文化プラザ」にお邪魔しました。
三吉節 秋田市 令和5年9月17日
生保内節 仙北市 令和5年9月24日、令和6年9月22日(2回目の訪問は初めて。汗)
秋田追分 五城目町 令和5年10月1日
長者の山 美郷町 令和5年10月14日、15日
秋田船方節 男鹿市 令和5年11月19日
秋田飴売り節 大仙市 令和5年11月23日
秋田長持唄 秋田市 中止
(秋田長持唄は、旧雄和町出身の民謡歌手・故長谷川久子さんが、同町の旧戸米川村、旧種平村で唄われていた「箪笥担ぎ唄」を編曲した民謡。大会は伝承と普及を目的に1994年から開かれてきた。)
それでは、今日伺った「第26回民謡「秋田おはら節全国大会」の模様を。
会場の大仙市「太田文化プラザ」。
昨年の優勝者は、倉田珠衣さん。
開会式。
前年優勝の倉田珠衣さんから優勝旗の返還。
伴奏人。三味線は小田島旺大さん、小田島旺都さん。
尺八は、藤井秀嶽さん、工藤廣さん。太鼓・囃子は冨岡久美子さん、深瀬康子さん。
今回は、午後から用事があったため、熟年の部の冒頭のみを観覧し会場を後にしたのでした。
その中でもこの方。加藤五郎さん。昭和8年生まれというから、僕の亡父の2つ先輩にあたりますが、まだまだ現役。立派な美声を披露されました。
最後に、「秋田おはら節」の歌詞とその背景を残しておこうと思います。
「秋田おはら節 歌詞」
サーサダシタガ アヨーエ
ハー 野越え山越え深山越え あの山越えれば紅葉山
紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ啼いておる 鹿さん鹿さんなぜ啼くの
ハー 私の啼くのはほかじゃない 遥か向こうの木の影に
六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲担ぎ 前には赤毛の犬を連れ 後ろに黒毛の犬連れて
ハー あれに撃たれて死んだなら 死ぬるこの身は厭わねど
あとに残りし妻や子がどうして 月日を送るやら
思えば涙が オハラ 先に立つ
「秋田おはら節の内容」
「鹿さん 鹿さん、何故なくの~」哀調を帯びた独特の節回しに乗って、家族を想う鹿の心情を切々と流れる「秋田おはら節」は、数多くの民謡の中でも第一級の名調です。
詩(ことば)と節の絶妙な響き合いが物語となって聴衆を魅了するこの唄は、今も昔も、愛好者を引きつけて離さないものがあります。
この唄は、昭和初期、日本三大おはら節のひとつである「津軽小原節」を唄う芸人たちがその低音部分を見せ場にして唄ったことから始まったものと言われています。
大仙市の高橋節子さんが昭和62年にNNS日本民謡大賞でこの唄を唄って日本一に輝いたのが縁で、「秋田おはら節」は、「故郷の唄」として広く親しまれ、根付いてきました。
この縁を大切にして、この唄を「大仙市」において正しく継承、普及していくことを目指し、ここに民謡「秋田おはら節」全国大会が開催されているものです。
令和5年から、その制覇を目指して観覧に赴いていますが、完全制覇にはまだまだ時間がかかりそうです。汗
これまでの訪問履歴とともに、今回赴いた「秋田おはら節全国大会」の模様を記しておこうと思います。
~これまでの訪問歴~
秋田おばこ節 大仙市 令和5年6月4日
秋田港の唄 秋田市 令和5年6月25日
秋田おはら節 大仙市 令和6年9月7日(土)、大仙市の「太田文化プラザ」にお邪魔しました。
三吉節 秋田市 令和5年9月17日
生保内節 仙北市 令和5年9月24日、令和6年9月22日(2回目の訪問は初めて。汗)
秋田追分 五城目町 令和5年10月1日
長者の山 美郷町 令和5年10月14日、15日
秋田船方節 男鹿市 令和5年11月19日
秋田飴売り節 大仙市 令和5年11月23日
秋田長持唄 秋田市 中止
(秋田長持唄は、旧雄和町出身の民謡歌手・故長谷川久子さんが、同町の旧戸米川村、旧種平村で唄われていた「箪笥担ぎ唄」を編曲した民謡。大会は伝承と普及を目的に1994年から開かれてきた。)
それでは、今日伺った「第26回民謡「秋田おはら節全国大会」の模様を。
会場の大仙市「太田文化プラザ」。
昨年の優勝者は、倉田珠衣さん。
開会式。
前年優勝の倉田珠衣さんから優勝旗の返還。
伴奏人。三味線は小田島旺大さん、小田島旺都さん。
尺八は、藤井秀嶽さん、工藤廣さん。太鼓・囃子は冨岡久美子さん、深瀬康子さん。
今回は、午後から用事があったため、熟年の部の冒頭のみを観覧し会場を後にしたのでした。
その中でもこの方。加藤五郎さん。昭和8年生まれというから、僕の亡父の2つ先輩にあたりますが、まだまだ現役。立派な美声を披露されました。
最後に、「秋田おはら節」の歌詞とその背景を残しておこうと思います。
「秋田おはら節 歌詞」
サーサダシタガ アヨーエ
ハー 野越え山越え深山越え あの山越えれば紅葉山
紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ啼いておる 鹿さん鹿さんなぜ啼くの
ハー 私の啼くのはほかじゃない 遥か向こうの木の影に
六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲担ぎ 前には赤毛の犬を連れ 後ろに黒毛の犬連れて
ハー あれに撃たれて死んだなら 死ぬるこの身は厭わねど
あとに残りし妻や子がどうして 月日を送るやら
思えば涙が オハラ 先に立つ
「秋田おはら節の内容」
「鹿さん 鹿さん、何故なくの~」哀調を帯びた独特の節回しに乗って、家族を想う鹿の心情を切々と流れる「秋田おはら節」は、数多くの民謡の中でも第一級の名調です。
詩(ことば)と節の絶妙な響き合いが物語となって聴衆を魅了するこの唄は、今も昔も、愛好者を引きつけて離さないものがあります。
この唄は、昭和初期、日本三大おはら節のひとつである「津軽小原節」を唄う芸人たちがその低音部分を見せ場にして唄ったことから始まったものと言われています。
大仙市の高橋節子さんが昭和62年にNNS日本民謡大賞でこの唄を唄って日本一に輝いたのが縁で、「秋田おはら節」は、「故郷の唄」として広く親しまれ、根付いてきました。
この縁を大切にして、この唄を「大仙市」において正しく継承、普及していくことを目指し、ここに民謡「秋田おはら節」全国大会が開催されているものです。
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