キムカズの気まぐれブログ Part2

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2021.09.26 コロナウイルスワクチン接種(集団接種)の1回目

2021-09-27 09:34:41 | 日記
2021年9月27日(日)
コロナウイルスワクチンの集団接種をしてきました。今日が1回目。
このような内容のブログを書くことについて、倫理的・道義的にどうなのかなと少々考えましたが、世界的に猛威をふるっている「コロナウイルス」の脅威の中で、一人の生きる者として自分史上でも代表的といえる大きな局面かなと思うと、書こうと思うに至りました。

会場は、秋田市保健センター(八橋)。
午後3時15分からの摂取予約でしたので、この頃にはずいぶん日も傾き、夕方を感じる時間帯となりました。すっかり秋です。
外に並んでる人がいて、??と思い、ふと急なキャンセルを期待してのキャンセル待ち?と勘ぐりましたが、多分それは間違いで、
きっと、接種時間より早く来た人は中に入れてもらえず、外で待機してもらっているのだと思います。
 

会場に入ると、手指消毒を促され、体温を測りました。
そして、そのすぐそばに「受付」があり受付けです。
受付けが済むと、一時待機場所で待ちました。
が、これが座ったかと思うと、次の席へと、すいすい進むので、椅子に座ることにさえ負担になるほどに円滑に進みました。
そして、二回目の受付のような手続きをして(さっきの玄関先での受付は何だった?と思いつつ(汗))、また待機所へ移動します。
 

次なる待機所で、いよいよ接種を待ちます。
ここもすいすいと進み、あっという間に接種室へ案内されました。
接種のお部屋には先生と看護師がいて、「体温に問題がないので、打ちますね」で、即接種です。
筋肉注射なので、身体の比較的奥まで注射針を刺すので、痛いといえば痛い。って感じでしょうか。


その後は、15分間休憩するように促され、経過観察のお部屋で休憩です。
特に、気分が悪くなることもなく15分が経過してので、看護師さんに「お疲れ様でした」と言われながら帰路につきました。
   


そして今。翌日の9時30分。もしものことを考え、接種翌日は思い切って有給をとることしていたので、休暇です。
熱を測りましたが特に異常なし。いつも通りの熱でした。
腕だけは痛いです。よく「叩かれたような鈍い痛み」と聞きましたが、あー、これがその痛みかという感じです。

次の二回目の接種は、10月17日(日)。二回目は熱が出ると聞いているので、今から少々不安です。



秋田の空の玄関口「秋田空港」で池田修三展

2021-09-24 17:48:02 | 日記
2021年9月23日(秋分の日)
秋田空港で版画作家の「池田修三展」が催されていると聞いて、行ってきました。
到着ロビーの玄関から作品が出迎えてくれました。
 

空港内部に入ると、なまはげや小町娘とともに池田修三の作品が。


2階にエスカレーターで上がるとすぐに展示コーナーが迎えてくれました。
池田修三氏のプロフィールがあったので記しておきます。
大正11年(1922)4月30日 秋田県象潟町(現にかほ市)に生まれる。
旧東京高等師範学校(現・筑波大学)芸能科卒業後、秋田県立由利高等学校、聖霊高等学校(現・聖霊女子短期大学付属高等学校)の教師となる。
昭和30年(1955)上京し、木版画に専念する。
初期12年間のモノクロ版画を経て、多色摺りに移行。
主テーマは子どもたちの情景で、晩年は風景画も手がけた。
国内の版画展で入賞したほか海外の版画展にも数多く出展し好評を得た。
個展は全国主要都市で開催され、企業のカレンダーやテレフォンカード、単行本の装丁等にも作品が使われている。
ふるさと象潟をこよなく愛し、「広報きさたか」の表紙や新庁舎落成など、事あるごとに多くの作品を提供した。
平成元年(1989)象潟町功労者表彰を受ける。
平成16年(2004)11月10日死去。享年82歳。
 

空港内の3カ所程度の場所に分散して展示場が設けられていました。
なので、空港内を歩いていると、いつでも目にとまるので、とても身近に池田作品に触れることができました。
  



2021.9.20 made in Yuwa「秋の工房展めぐり」へ行ってきた!

2021-09-22 23:29:05 | 日記
「made in Yuwa「秋の工房展(めぐり)」」に行ってきました。
春に続き、2回目の工房展めぐりとなります。(「春の工房展」の模様は〔こちら〕からどうぞ。)

今回も自転車で巡ることに決め、秋田市雄和の「サイクリングターミナル」でレンタサイクルしました。
今日お世話になる相棒はこちら↓(笑)
 

先ずは”腹ごしらえ”ということで、サイクリングターミナルからほど近い「ダイニング&ラウンジあえら」でランチ!
今日頂いたのは「ダルカレー(辛口)」と「スープモモ」。
(あ、つい食欲に負けて写真を撮るのを失念。。。)


さあ、「秋の工房展めぐり」をスタートさせましょう。
このイベント、手づくり感満載の案内看板がこまめな案内誘導をしてくれます。
看板やピンクの幟を頼りに導かれるように目的地へ。安心安心。
   

PRハガキのバックは稲刈りを終えた田んぼ。もう秋です。田んぼの遠くに稲刈りを終えたコンバインが疾走しているのが見えます。
工房展に参加するアトリエをご紹介します。
・陶器  「いやしろち」
・貼り絵 「sanemi」
・和紙  「出羽和紙」
・絵画  「アトリエソウマ」
・陶器  「瑠璃窯」
以上、5つのアトリエさんです。
 

最初に訪れたのは、陶器「瑠璃窯」さん。
椿台の山の上にある「瑠璃窯」さん。
おしゃれな玄関口です。中の展示もおしゃれです。
    

和紙「出羽和紙」さん。
和紙でいろんなデザインができるものです。かわいい。
ここ雄和の水に惚れたのがここに工房を構えるきっかけだったとか。
  

次に向かったのは、絵画「アトリエソウマ」さん。
このイベントを取りまとめてくださっているグループリーダー。
入口周辺がおしゃれです。室内に入ってこれまた感動。アトリエを間近に見せてくださっています。
     

さ、次に向かいましょう。
実は、ここからが自転車移動にとっての最難関。
どこまでも続く坂・坂・坂・・・
汗びっしょりになって、ようやく到着。。。
 

陶器「いやしろち」さんです。
レンガで作られたアプローチがとってもかっこいいです。
アトリエに入ると、繊細なデザインの器がたくさんです。
    

そして、「いやしろち」さんのすぐそばにある貼り絵「sanemi」さん。
切り絵です。かわいいのがたくさんです。
デスクマットに飾ろうかと思い、絵葉書を一枚購入させていただきました。
 

「made in Yuwa「秋の工房展(めぐり)」」の5つの工房巡りが終わりました。
汗びっしょりになる場面もありましたが、何といっても心地いい汗で、気分爽快です。
帰り道に見つけた史跡。「椿台城址」。
読みます。
ここ椿台に、慶応四年(明治元年・1868)三月秋田藩十二代藩主佐竹義堯(よしたか)は、江戸住まいの佐竹壱岐守義諶(よしつま)(二万石)に城郭を築かせ、秋田支藩の城下町を建設させた。義諶は八十人余りの家臣とともに移住したといわれる。
しかし、建設なかばにして戊辰戦争が起こり、ここは秋田藩防衛の拠点となり、九月、付近一帯は戦場と化した。戊辰戦争が終結した翌年、義諶が隠居し、義理(よしさと)が城を築いた。
しかしそれもつかのま、義理は雄勝郡岩崎(現湯沢市)に移住して岩崎藩主となり、明治四年七月には廃藩置県を迎える。
椿台城はわずか二年にも満たないうちに、明治三年(1870)廃城の運命となった。
家臣団は藩主に同行し、内町外町約三百戸と伝えられる城下町建設は一朝の夢と化したのである。現在は土塁の一部が残るのみである。
  

そして、戊辰戦争といえばここと思い。
「戊辰戦争糠塚森の決戦」
ここについては、「春の工房展めぐり」で書きましたので、〔こちら〕にお任せします。