切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

剣神社・・・ここに剣が      京都市東山区   2023.1.3 訪問

2023-01-11 23:24:41 | 撮影


『由緒記

当神社のご創建については、古い社伝は、遠く平安奠都のみぎり、王城鎮護のため都の巽の地に宝剣を埋め、そこに神殿を造営したと伝えているが、その創祀の起原は誰かではない。このご鎮座の地一帯は、往古の鳥戸野の地にして、高貴の人々の葬送の地であり、その鏡とか刀剣が、偶然のことから発掘されて、その神秘を神恩に帰して、神社として奉祀したのではないかという説もある。(中村直勝氏による)疳封じの霊験あらたかなるにより、洛中・洛外はもとより、遠く、大阪・神戸又、滋賀の里あたりよりも参詣があり、特にこどもの健康の守護神・疳虫封じの神として、信者の足は絶えない。社頭には信者たちの素朴な諸願成就の祈りをこめた、とび魚の絵馬が多数奉納されており、この絵馬は絵馬蒐集の好事家の間に評判が高い。 (石子順造著「小絵馬図譜」による)
この地は一昔前までは、ほととぎすの名所として、文人墨客の好んで杖をひいたところであったが、 近時すっかり市街地化して、昔を偲ぶことは出来ないが、剣の社から観音寺へたどる間は、なお静かなたゝずまいをとめ捨てがたいものがある。』
  (パンフレットより)

 

 剣神社は東大路通沿いの新今熊野神社がある、少し南の向かい側の細い道を東へ入ったところにある。

  周辺地域においては愛着を込めて「つるぎさん」などと呼ばれている。狭いながらも駐車場があるので車を駐め、鳥居の前に立つ。道路上から見ているよりは案外広い敷地を持ち、末社も認められた。この日は正月だったので社務所が開かれており、御朱印の受付やお守りの授与などが行われていた。おそらく地域の人であろうと思われる参拝者がそこそこやってきている。社務所の人と知り合いのようで、笑いながらいろんな話をされていた。

  

 当神社の創建やその後の変遷については、確かなことはわかっていない。社伝においても、語り継がれている内容に確たる証拠のようなものはなく、伝聞がそのまま語られているようだ。尚、御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、瓊瓊杵尊、白山姫命。

 「剣」という名称は上記由緒記にあるように、平安時代頃に剣を埋めて、そこに神殿が作られた土地があっというが、それとこの神社の創建に如何なる関係があるかはわかっていない。あるいはまた当時の王朝の人々が亡くなった後、この地一帯が葬儀の場所であったということで、宝剣などが一緒に埋められ、それが実際に発掘されたということもあり、ここに元から社があったのではないかという説もあると伝えている。

  

 当神社のある町名も「剣の宮町」といい、おそらく平安の昔からそのまま伝えられている名称ではないかと考えられる。やはり確証のない話であっても、名称として、神社あるいは町名が伝わっている限り、それ相応の理由があり、ある程度確証のあるようなことも十分に考えられる。でなければ、あえてこの場に「剣」と言った名前をつける必要はないはずだ。

  

 鳥居は2箇所あり、どちらからも普通に入れるが、幹線道に面した方が本殿正面に出られる。鳥居、狛犬や本殿、末社など様々な物を撮影する。数多くの絵馬が下げられていたが、絵馬の元絵に「トビウオ」が描かれている。これは非常に珍しくあまり例を見ない。御祭神の一祭神がトビウオを好物としていたというところからきているようだ。



  撮影後は社務所に行ってお守り購入。神社の方と少しお話をした。全体として緑は少ないもののいい雰囲気の神社だ。もちろん緑が少ないとは言っても、御神木はちゃんと存在する。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする