切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

弘誓寺・・・ぐぜいじ     京都市中京区     2023.1.22 訪問

2023-01-30 21:26:18 | 撮影
 弘誓寺は上京区にある同名のお寺と区別するために、「西之京弘誓寺」と呼ばれる。浄土宗のお寺で本尊はもちろん阿弥陀如来となる。JR山陰線円町駅から北へ数100メートルの所に位置する。

 

 浄土宗のお寺の中ではおそらく、かなり規模の大きいお寺となると思われる。山門はごく普通だが、境内は結構広く比較的高さのある大きな本堂が正面にある。境内も非常によく整備されており、緑が豊かでお堂があり地蔵らしきものもが安置されている。また法然ではないかと思われる石造物が立てられており、これはかなり新しいようだった。隅にはかなり古い墓石が密集して並べられ、おそらく江戸から明治時代の物だと思われる。お寺は全体として静かな環境の中にあり、なかなかいい雰囲気だと言える。

 

 創建などの詳細はよくわからなかったが、色々調べてみると江戸時代の少し前に創建されたようだ。安土桃山時代、豊臣秀吉によって上京区にある弘誓寺が創建され、その後、建材が秀吉によって寄付され、西之京弘誓寺の創建に至ったと言う。その後すぐに豊臣家は滅亡し、徳川家康により江戸幕府が開かれる。こうして江戸時代に入り、戦いのない平穏な時代がやってくる。そんな中、弘誓寺は平穏な形で時代を経て今現在に至るのだろう。

   

*「御土居」
 平安京においては度々鴨川の氾濫により、街が破壊され荒地が増えていった。権力を握った豊臣秀吉は安土桃山時代になって、平安京の洛中を守るために、洛中の外縁部に沿って一周分の長い土手を築くことになった。同時に洛中の改造計画を実施に移し、平安京が安泰になるように計った。こうして作られたのが「御土居」だ。
 各藩の大名から物質的人的資源を供給させ、突貫工事でわずか数カ月で完成させたという。この御土居は洛中の大事な場所を全て取り込むように計画されたので、ただ単純に長方形に設置されたわけではない。計画中のそばに様々な民家やお寺、神社などがある。そして現在の中京区において、弘誓寺がある場所が天神川沿いに作れば、弘誓寺が外側になってしまうので、あえてお寺を御土居の内部に取り込むように計画された。その結果その部分が出っ張ったような形になっている。従って弘誓寺のすぐ北側に御土居があったということになる。
 この御土居については戦後になってから、発掘調査が少しづつ進められ、あちこちでその遺構が確認されている。弘誓寺のすぐ隣にある学校敷地内からも、その遺構が現れている。そういった意味では弘誓寺は、豊臣秀吉の命によって創建されたこともあり、うまく内部に取り込まれたということになる。

     
コメント
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