切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《 日本の行先は「後進国」への転落の道を突き進むのか  ② 》  2023.1.27

2023-01-27 23:47:48 | 社会
◆ 相対的貧困率増加の問題

 岸田総理による所信表明の発表には、「貧困」という表現はなかったように思う。実のところ現日本においては、先進国であるべき地位にあったものが長期間にわたるデフレ政策により、30年間国民所得は増えないという状況が続いてきた。そんななか世界の主要国は次々に金利を緩和し、インフレ政策をとって同時に所得が増加するような政策を実施し、着実に所得を増やしてきた。日本だけがなぜ長期間異例と言うべき低金利政策を取り続けてきたのか。その結果、明確に国民全体の貧困化の進行が露わとなってきている。

 貧困の指標を表す時に、「絶対的貧困率」「相対的貧困率」という指標が用いられる。前者については最低限の生存を続ける上で、それが不可能になるほどの貧困状態に置かれ、そのままでは生活できない。生きていけない、という状況を表している。特にアフリカや一部中近東、南アジア諸国などで見られることが多い。いわゆる先進国においても必ず、そのようなケースが多々見られる。
 後者は世界各国の貧困の状況を見る上で、一般的に使われる指標だ。これは国民全体の各世帯所得の、平均値の半分に達しているか、達していないかが基準となっている。現在の日本においては全世帯の平均所得は400万円を少し切るぐらいだろう。それの半分ということは180万円前後くらいになるだろうと思われる。全世帯のうち年収がこれ以下の世帯が、どのくらいの割合であるか、総理府の統計によるとおよそ16%前後くらいだと言われている。この数値を高いと見るか低いと見るか、少なくとも日本という国が自称、「先進国」と主張するならば、明らかにこの数値は高すぎるのではないかと思わざるを得ない。



 憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。第2項においてはこの達成のために、国がしなければならない政策について書かれている。果たしてこれは守られているのかどうか。

 今日本において貧困というキーワードでネットなどを調べると、圧倒的多数が「子どもの貧困」という項目が上位を占めている。現在では就学児童生徒のうち約7人に1人が該当するらしい。もちろん就学児童生徒は家庭生活を基盤に置き、学校に通って学び友人を作り、肉体的にも精神的にも大いに成長し、未来を担う人格形成をはかっていく場にいるはずなのだ。しかし「子どもの貧困」と言った言葉が、ネット上だけではなく新聞紙上やテレビニュースなどでも頻繁に登場するということは、そのぶんだけ社会問題となっており、かなり深刻な状況にあるということを示している。

 もちろん就学児童生徒本人には全く責任のないことであり、これは各家庭の経済的な事情によるところからきている。その経済的事情はさらに働き方や働く場、そして法的に定められた報酬が保証されているのか、あるいは雇用形態の問題などなどが複雑に絡み合っている。そういった意味では、子供たちの親自身の問題が原因となっているケースも中にはあるかもしれないが、それ以上に上記のような社会的な構造上の問題が極めて大きいのではないかと考えてもいいだろう。

 

 岸田総理の所信表明には、「新しい資本主義」という言葉が発せられていたが、はっきり言って何の事か皆目わからない。資本主義が新しいとか古いとか、一体何を指しているのか。日本という国は明治維新において、それまでの中央集権国家体制から天皇中心ではあるものの、経済様式は資本主義体制と変換していった。その後、政治的な独裁体制はあったものの政治形態自体は、資本主義経済を基本的には持続してきたと言える。戦時中の一部統制経済の時代があったものの、戦後においてもずっと資本主義経済が続けられてきている。

 経済について私自身は詳しい勉強したことがなく、その内容について述べる立場にはない。ただ上辺の浅薄な知識の中でここに記すことぐらいしかできない。かつては日本の労働者は学校を出て就職すると、基本的には一生同じ会社で働き続け、少しずつ所得が上がっていくという終身雇用制度のもとに、いわばそういった制度に守られながら働いてきた。少なくとも1970年代までは、そのような状況が続いていた。しかし同じ資本主義制度をとる先進諸外国においては、すでに個人主義的な思想が高まる時代でもあり、会社のために組織のためにということではなく、自分のために働く、仕事をする、という考えから、終身雇用は成立しにくくなり、キャリアアップを目指して次々に職場を変えていく、職種を変えていくということが当たり前の資本主義制度の世の中になっていった。

 日本という国もそれを横目で見ながら、一部の優秀な人材が外資系企業にリクルートされる時代が到来し、1980年代のバブルの時期には、自らの思いで起業し多くのチャンスをものにして、いわば Japanese Dream を満喫するような時代がやってきたが、しかし資本主義社会の宿命とも言うべき、そのバブルが弾ける時がやってくる。20世紀の前半にアメリカなどが既にに経験済みのことであり、資本主義の行き着く先がわかっていたはずなのに、ほとんど初めての自分たちにとって素晴らしい体験をしている身においては、そのようなバブルがはじけることなど、考えも及ばなかったんだろう。

 そしてしばらく続く不況の時代がやってくる。そういった時代を通して政策的にも変化が表れ始める。いわゆる働き方改革なるものが芽を出し始めたのだ。それがかなり鮮明な形で現れたのが、小泉内閣の時だ。彼は「自民党をぶっ潰す」などと口ばかり大きいことを言って世間の人気を集めた。しかしその具体的な内容というのは、後に日本の労働者を大いに苦しめることにつながっていく。労働基準法で定められた、いわゆる8時間労働というものに例外規定を作る中で、働き方の多様性を一方的に労働者側に、不利な形で押し付ける方策がとられるようになると同時に、「正規雇用」労働者に対し、「非正規雇用」労働の形態を大いに進めることになっていく。一見これはちょっとした時間を利用して、指示されたところに行って働いて収入を得ることができる、といったうまい方法だと考えられたが、実態は企業側にとって都合のいいように使われ、そして使い捨てられる立場に労働者が追いやられることになる。

 これらの新しい働き方を通して、企業側の論理が全面的に通用するようになり、労働者はますます不利な立場に追い詰められる。元からして低い最低賃金も保証されないような実態もあちこちで現れる。これがもたらすものは結局は、「格差社会」だったのだ。
 多くの労働者たちが気が付いた時にはすでに遅かった。何百万何千万人という人々が、そのような混沌とした競争の場に放り込まれ、企業側の思うがままにこき使われることになるのだ。しかも残業手当の未払い、最低賃金法の違反、過労死問題などなど、あちこちに矛盾が出てきた。こうして終身雇用制も少しずつ崩れ始め、元から有利な立場に立っていた正規労働者はさらに有利となり、不利な立場で働いていた人々はさらに不利な立場に追いやられる。

 1990年代以降、これらはさらに顕著になり、ついには金融政策においてもゼロ金利政策という異常な政策がとられるようになり、労働者の賃金は増えるどころか、僅かではあっても減るような方向に進むような有様となる。こうして「相対的貧困率」の指標が少しずつ上がっていく。つまりそれに該当する家庭が増えていくということだ。そしてこれらは確実に成長期にある子ども達にも、直接影響を与えることになる。

 約1年前に、ロシアはウクライナへ一方的に侵略戦争を開始した。その結果明白になったのはいわゆる、天然資源及び食料品に関わる安全保障の問題だ。言うまでもなく日本という国は一部を除き、天然資源は大半を輸入に頼っている。食料品については本来自給自足が可能なはずなのにも関わらず、アメリカをはじめとする外圧に押されて政府は、歴代の内閣が揃いも揃ってアメリカにペコペコ頭を下げながら、その要求、つまり日本産の農産物よりも安い、アメリカ産や外国産のものを輸入しろとの要求を飲んできた。その結果、本来国内で生産できるはずのものが、国外から安価で輸入されるようになり、国内の産業の衰退につながっていった。

 それがもたらしたものは言うまでもなく、今現在大問題になっているありとあらゆる品物の小売価格の異常な上昇だ。つまり巨大インフレが到来している。食料品だけではない。天然資源に関わって電気代やガス代も一斉にこれから上がっていく。いざ何かあればこのような状況になることなど、経済学者たちならばわかっていたはずだ。日本の政府にはこのような事態に備えるための研究機関やブレーンはないと言うんだろうか。結局は政策上の大失敗が、国民を苦しめる結果となって表れている。安全保障問題というのは、何も軍事的なものとは限らないのだ。食料安保、天然資源安保、これらも重要な安全保障上の課題であるはずだ。結局アメリカを中心とする国にあれこれ言われたことによって、日本は、実はのっぴきならない崖っぷちのところに立たされているということが、これで嫌と言うほどわかったはずだ。

 このことは各家庭の生活の中身についてみれば、ますます生活の困難な実態が明らかになり、貧困家庭の増加と格差世界の造花が一層進むのは間違いないだろう。そして各家庭レベルの中でも、弱いところにそのしわ寄せがいく。それが結果的には子供達であり、高齢者であり、障害を持った人たちであり、介護を受けている人たちであるということになってしまうのだ。

 岸田総理の所信表明の文章を全部読んだが、新しい資本主義の中身について、ある意味当たり前のことが書かれていたが、一体これから何年かけてそれを実現するというつもりなんだろう。2~3年で実現できるんだろうか。誰が考えたって何十年とかかるような事ばかりしか書かれていない。つまり当面は夢物語に過ぎないことばかりが前面に出されているのだ。いわば所信表明というのは単なる遠い未来に向けての、単なるスローガンであり、実現すべき具体的な目標ではないと言える。

 国民の税金を使ってそれでも足らないものは、さらに増税すればいいという発想が見えている。物価は高くなってさらに増税を求められ特に、相対的貧困の中に置かれている家庭はどうしろというのか。一応政府の統計では該当する家庭は約16%とはいうものの、これからは確実に増えるだろう。これらの大元となる全世帯の平均年収が約400万円弱という数値自体に、希望がもてない大きな原因がある。企業においても、大企業と圧倒的多数の中小企業におけるその格差たるや大変なものだ。この件について総理は、企業に労働者の給料の増額をお願いするなどと言っていたが、一部大企業はそれに反応して給料アップを表明した。しかしそんなことができるのは文字通り一部であって、元からして下請けを、ギリギリのところまで追い詰めている大企業だからこそできるのであって、下請けの中小は元から不可能なことだ。

 貧困問題の解決というのは極めて困難だと言える。確かに天然資源を豊富に持っている国であれば、アラブ首長国連邦やサウジアラビア等、石油産出国などは働かなくても国からお金がもらえる何て言う所もあるが、それもあと何年続くのかかわからない。いつか天然資源はなくなる。日本のように天然資源が元からあまりないような国は、自然というものを活用しながら電力にしろガスにしろ、新しいエネルギーで解決を図っていく必要がある。そういった意味では研究も盛んだし、最先端技術も開発が進んでいるとは思われる。

 

 しかしあくまでも大局的に見ればという話であって、貧困問題は各家庭各個人のマクロの部分を見ていかなければならない。そのためには社会における労働と所得のあり方や、システムを改革していく必要があるのではないか。少子化問題とも関連するが、ただ単に子供一人産まれたら何10万円補助する、と言うその場しのぎの政策ではやはり限界があるだろう。政治のあり方も含めて本当に国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されるようにしていくための、全面的な変革が求められるべきだ。
 少なくとも総理自身が企業に対して、給料の増額をお願いすると言う視点で話を進めているならば、いつまでたっても「貧困」の問題点には目が向かないだろう。つまりそもそもの発想自体が間違っているとしか思えない。給料アップの非現実的な実態というのは誰でもわかることのはずだ。従ってそういった視点から見るのではなく、現実に深刻な問題になっている貧困及び、「子どもの貧困」という直接的な視点でものを考え、どう解決していくのかを見ていく必要がある。でないといつまでたってもボランティアや善意の寄付などという所に、解決の矮小化が行われてしまうようで、何の解決にもならないような気がする。そういった点では少子化問題と同じような、国の構造的な問題があると言える。そこを具体的にどうするのかということを、国会の責任でもって話し合い、改善策を提示すべきなのだ。


   (画像はTVニュースより)

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